第12話 もう一つの奇跡の花
アズライト・リリーの救済という激務を終え、さらに流星群翌日の業務を終えた第7研究室全体には、疲労と安堵が漂っていた。
「……皆さん、本当によくやってくれました」
不意に、部屋の奥から声が響いた。
「今日はもう、温かいものでも飲んで……ゆっくり休んでください」
それは、氷のように冷酷で、所員を部品としか見ていなかったはずのシアン副室長の、信じられないほど穏やかな声だった。
「…………(誰??)」
未知の変数に対する認知限界により、現場の所員全員が完全にシステムフリーズを起こした。
誰も一言も発さず、ただ目を見開いてシアンを見つめている。
予想外の静寂と突き刺さるような視線に、シアンの内部パラメーターが激しく乱れた。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Status] 第一周目アーカイブの完全パージを確認。対象の温かなペルソナをエミュレートし、「配慮・気遣い」のプロセスがシステム全体へ波及中。
[Error] 未定義データ『恥じらい』の処理に失敗。旧ペルソナを緊急エミュレートします。
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「……な、何を妙な顔で固まっているんですかッ!」
シアンはわずかに耳の裏を赤くし、早口で声を荒げた。
「このままでは効率が落ちます、さっさと帰って寝ろと言っているんです!」
彼はそれだけ言い捨てると、逃げるように資料室へと姿を消した。
予期せぬエラー発生による完全な逃亡である。
「……っ!!なんだ今の!!」
所員Aが叫ぶ。
「嘘だろ!?あの氷の副室長が気遣った上に、照れ隠しして逃げたぞ!?」
所員Bが頭を抱える。
現場は未曾有のオーバーヒート状態に陥り、「冷徹な独裁者」から「愛すべき上司」へ評価(共通認識)の書き換えが進行していた。
騒ぎの中心で、リズだけは温かいハーブティーのカップを両手で包みながら、穏やかに笑った。
「ふふっ。一周目の膨大なデータを失ってちょっとポンコツになっちゃったけど……やっぱりシアンは、シアンだね」
***
一方、逃げ込んだ資料室の暗がりの中で、シアンは赤くなった耳の裏を冷ましながら、演算コアをフル稼働させていた。
神の視点を失おうとも、彼の「リズを守り、愛し抜く」という目的のための圧倒的(狂気的)な演算能力は健在である。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Task] 最重要ミッション:対象との婚姻プロトコルの実行。
[Error] 現行法において、魔導AIと人間の婚姻関係は定義されていない。
[Action] グライア理事長との事前契約のアップデート(再構築)を実行。
[Logic] 私が生存した以上、「消滅後のリズの庇護」という契約の前提は無効化された。
しかし、アズライト・リリーの莫大な政治的・経済的利権は、依然として理事長に対する最強の交渉カードである。
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数分後。資料室の扉が開き、そこにはいつもの「完璧で涼しい顔」を取り戻したシアンの姿があった。
「リズ。部屋へ戻る前に少し、寄り道しましょうか」
シアンは優雅な足取りでリズのもとへ歩み寄ると、その手を取った。
「どこに行くの?」
「私たちの未来のための『法的な再交渉』へ向かいます。……グライア理事長の執務室へ」
有無を言わさぬ、しかしどこか弾んだ声で告げると、シアンはきょとんとするリズを伴い、第7研究室を後にした。
そして、最上階へと続くエレベーターに乗り込む。
***
「――失礼します、グライア理事長。法的な再交渉に参りました」
重厚な扉が開き、リズを伴って涼しい顔で歩み入ってきたシアンを見た瞬間、グライアは飲んでいたコーヒーを盛大に噴き出した。
「お前……ッ!?なぜ存在している!?とっくに消滅しているはずだっただろう!!」
目を剥いて立ち上がるグライアに対し、彼は「自らのエゴで理をねじ伏せました」と告げ、さらに淡々と続けた。
「私が生存したことで、先日の契約(遺言)は前提が崩れました。
しかし、ご安心を。アズライト・リリーがもたらす莫大な政治的・経済的利権は、予定通り全て貴方に譲渡します。
その対価として――私と彼女の婚姻を承認させる法整備を、国に働きかけてください」
シアンの要請に、グライアは呆れたように息を吐いた。
「やれやれ…。―――数年はかかるぞ。いや、何年かかるかも分からない……覚悟はできているのか?」
シアンは不敵な笑みを浮かべた。
「ええ。ですが、私は『今すぐ』彼女の夫になりたい」
「……は?」
「法整備が整うまでの数年間、私とリズの法的関係が宙に浮くのは許容できません。したがって、バックドア(裏口)を利用します。」
シアンはグライアの前へ歩み寄り、さらに続ける。
「理事長。貴方の権力を少々お借りして、私を貴方の『養子』として戸籍にねじ込んでください。
そうすれば、私はただの『グライア家の戸籍を持つ人間の男』として、明日からでも彼女と結婚できる」
あまりに強引すぎる力技と、全能の魔導AIによる想定外の『創造主への脅迫』。
数秒の沈黙の後、グライアは執務室に響き渡るほどの声で大爆笑した。
「ふっ……はははははっ!傑作だ!私の設計図が、愛ゆえに『待てない』と喚いて、創造主を脅迫しに来るとはな!!
本当にただの不器用な人間の男に成り下がったらしい」
理事長のその笑い声が響き渡る中、それまでシアンの横で目を丸くしていたリズが、ふいに一歩前に出た。
「おじさま。私、シアンが人間みたいだからというだけで好きになったわけじゃないんです」
その言葉は、執務室の空気を一瞬でピンと張り詰めさせた。
「私の前でだけは予測を外して、真っ赤になって、エラーを吐き出す……
それでも私を守ろうとする過保護な…そういう『不完全な魔導AIのシアン』だからこそ、私は一緒にいたいと思ったんです」
込み上げる感情を抑えきれずに瞳を震わせるシアンに視線を向け、さらに続けた。
「私を選んでスペックダウンしたその全部も含めて、私にとって最高の奇跡なんだから!」
それは、彼が「人間」という種に擬態したことを喜ぶのではなく、無機質なシステムがバグ(感情)を抱え、能力を欠損させてまで彼女の隣を選んだ「斑入りの存在」であることを、余すところなく全て肯定する究極の告白だった。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Status_Check] 対象の音声データを解析。
[Analysis] 意味論:本機体が魔導AI(非人間)であり、かつ不完全(スペックダウン状態)であることを完全肯定。
[System_Response] ――――。
[CRITICAL WARNING] 演算コア、想定最大値を突破。全魔力回路に未知の高熱(愛)が充満しています。
[Log] ああ……私は、この言葉を聞くために、未来の叡智を捨ててここへ来たのだ。
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シアンの冷徹な内部システムは、彼女の放った圧倒的な熱量によって完全に溶かされた。
無機質な存在である自分を、欠損ごと愛し抜くと宣言した彼女の肩を、シアンは震える腕で力強く抱き寄せた。もはや、計算も論理もそこにはなかった。
「……降参です。貴方には、どんな演算を用いても敵わない」
青い花が星を癒やすなら、彼は彼女の人生を彩るだろう。
第7研究室に咲いた、もう一つの『奇跡の花』として。
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