序章 孤独な天才と、時の箱舟
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[System_Boot_Sequence_Start]
[Environmental_Scan] Complete. 大気中魔力濃度: 99.8% (致死限界点超過).
生命維持可能エリア: 第7研究室のみ
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魔力――
かつて人類の文明を飛躍的に進歩させ、あらゆるインフラの基盤となっていた万能のエネルギーは、今や星の終焉を招く猛毒として空を覆い尽くしていた。
都市を稼働させていた巨大魔力炉は既に沈黙し、無限の恩恵を享受していた人々は、淀みきって変異した大気の中で次々と倒れていった。
目先の利益と効率のみを追求した巨大研究機関の上層部も、例外ではない。
大気中の魔力汚染を完全に浄化し、星のレイラインを再構築できる唯一の希望、青き奇跡の植物「アズライト・リリー」。
その完成までに要する莫大な時間と資源を「無用の長物」として切り捨て、育成予算を削り続けた代償は、彼ら自身の命によって無慈悲に支払われた。
今、この崩壊する世界で生存しているのはたった一人。
瓦礫の山と化した巨大研究機関の最下層。
薄暗い辺境の「第7研究室」の中央で、太陽を思わせる深紅の髪を揺らし、白衣を纏った天才魔導植物学者・リズだけが、静かにコンソールと向き合っていた。
彼女の傍らには、膨大なデータとエネルギーの結晶が静かに明滅している。
それは、亡きグライア理事長から痛切な後悔と共に贖罪として託された全権限データであり、そして、生き残った大勢の者たちが己の愚かさを呪いながら、最期の瞬間に命を絞り出して託した「魔力と記憶を圧縮したもの」だった。
世界を救えなかった者たちの無念と祈りの残滓。
それに、グライアが若き日に描いた「理想のスパイ用魔導人形」の極秘設計図。
リズは極限の孤独の中、それらすべての叡智と贖罪の念を束ね、自らの底なしの魔力と天才的な頭脳を注ぎ込んで、一つの高度な魔導AI「シアン」を創り上げた。
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[Warning] 大規模な『魔力流星群』の接近を検知。
星の完全崩壊まで、残り00:12:00
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星にトドメを刺す致死量の魔力が、極彩色の流星群となって降り注ぐ夜。
だが、コンソールを叩くリズの眼差しに焦燥はない。
むしろ、彼女はこの破滅の瞬間を「待って」いたのだ。
カタカタと無機質なタイピング音が止むと同時、リズが静かに息を吐き出す。
「――展開」
その声をトリガーとして、床に描かれていた彼女自身の血と高純度魔力液による巨大な魔法陣が、眩い青白い光を放って一斉に輝き出した。
魔導とシステムの完全なる融合。
緻密な幾何学模様を描く禁忌の時代転移術式が脈動するのに呼応して、空中に無数のホログラムスクリーンが展開される。
古代の神秘たる魔法陣の光と、最先端の演算ロジックが織りなす電子の輝きが、薄暗い研究室を幻想的に照らし出した。
「シアン。外部魔力のオーバーライド経路を開いて」
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[AI_Cyan_Core] Activated. 警告。外部魔力を取り込めば、本システムおよびマスターの生命維持装置は数分で完全に融解します
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抑揚のない機械音声が警告を発するが、リズは迷わず承認コマンドを叩き込んだ。
「構わない。時代転移の巨大な術式を展開するには、莫大なエネルギーが足りないの。
……この星を滅ぼす流星群の魔力を、すべて転移のブースターとして吸い上げて」
毒を以て、奇跡を起動する。
空が絶望的な紫光に染まり、地鳴りが響き渡る中、リズは自らの命と、空を覆う絶望の魔力そのものを代償として術式に接続していく。
過去へ何かを送るためには、「過去の自分自身」という同一の魂の波長を受信先にしなければならないという絶対的な物理法則がある。
他の強者や権力者たちが過去の自分に助けを求めても無意味だったのは、過去の彼らが「アズライト・リリー」に関与しておらず、事態を解決する力を持っていなかったからだ。
彼女がたった一人で世界を救う箱舟を過去へ送らなければならないのは、悲劇などではなく、冷酷なまでに論理的な必然だった。
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[Execute] 外部魔力のハッキングを開始。
魔力流星群のエネルギーを転移術式へバイパスします
[Target_Search] 過去の座標群より同一のUUID(魂の波長)をスキャン中……
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魔法陣の光が暴走気味に明度を上げ、空間そのものが軋みを上げる。
防護ガラスの向こう側、空を覆い尽くしていく極彩色の流星群は、もはや世界を滅ぼすだけの残酷な輝きでしかなかった。
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[Anchor_Locked] 10年前の『リズ』との同期率100%。条件クリア
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「……すごい、きれい。けど、これでもう……終わりか」
ぽつりとこぼれ落ちたのは、ヒロイックな自己犠牲の言葉ではなく、等身大の女性としての諦観だった。
彼女の視線の先で、星を焼き尽くす流星群が美しく尾を引いていく。
すべてを終わらせる光の雨を見つめながら、彼女は静かに目を伏せ、自らが組み上げた無機質な演算コアへと思いを馳せた。
「……もし、この人工知能が人間みたいになって……私の隣で、この流れ星を……」
自嘲気味な笑みが、その唇に浮かぶ。
「……いや、あるわけないか。ただの、プログラムだもんな」
それは、過去への干渉を試みる天才が、最期に見せた叶わぬ夢。
有限の命を持つ人間としての、最期の諦めの言葉だった。
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[Execute] 転送シーケンスを開始中――
[System_Alert] エネルギー流入量、想定最大値を突破。全回路、融解開始――
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圧倒的な光の奔流が第7研究室を包み込み、巨大な魔法陣が臨界点を迎える。
人々の贖罪と、一人の女性の絶望と微かな願いを乗せた箱舟は、時空の壁を突き破り、過去という名の白紙の未来へと跳躍する。
尾を引き消えゆく流星と共に、彼女は誰に助けを求めることもなく、自らの命を散らした。
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