07 あるべき場所へ(終)
玄関は、夕暮れの影をそのまま抱え込んだように静かだった。
鍵を回す金属音が、ひとつ、またひとつ、室内の空気に沈んでいく。
メイは扉を閉めると、そっと肩の力を抜いた。
長い一日が終わったというより、長く続いていた何かが静かに幕を下ろしたような感覚だった。
バッグを床に置き、腰をかがめる。
指先が、小さなキーホルダーの冷たさを確かめるように触れた。
ナーガ・コード・クリスタルは、部屋の薄明かりを受けて、結び目の奥にわずかな光を宿している。
メイはそれを外し、掌に乗せたまま立ち上がった。
部屋の電気をつけると、棚に向かい、手を伸ばす。
メイは封筒を手に取り、キーホルダーを中へ滑り込ませる。
紙の内側で、小さな音がした。
それは、何かが戻るべき場所へ戻ったときの、控えめな合図のようだった。
ゴミ箱の前に立つ。
その瞬間、過去の声がふっと胸の奥に浮かんだ。
「ずっとメイさんとお話ししたいと思ってました」
「出会えて、幸せです」
「ありがとうございます」
「大好きです」
「おかげさまで…」
どれも、嘘ではなかった。
けれど、真実のすべてでもなかった。
メイはその両方を、もう静かに受け止められる。
鼻の奥で、小さな笑いがこぼれた。
呆れと自嘲と、どこか穏やかさの混じった笑み。
怒りはもう、熱ではなく、ただ形を失っていく影のようだった。
メイはつぶやいた。
「甘えんな」
その言葉は、誰かを傷つけるためではなく、
自分の中の境界線を静かに確かめるためのものだった。
「Sulpayki…」
続けて囁いた言葉は、部屋の空気に溶け、音ではなく“気配”として残った。
封筒が手から離れ、ふわりと落ちる。
白い紙がゴミ箱の底に収まり、蓋が静かに閉じた。
バタン——
その音は、終わりを告げる鐘ではなく、
新しい静けさの始まりを知らせる合図のようだった。
メイはひとつ息をつき、穏やかな表情のまま手を下ろした。
そして、導かれるようにバッグへ向かい、
水筒を取り出して台所へ歩き出す。
蛇口をひねると、水の音が部屋に広がった。
上着を脱いで掛け、髪を整え、
いつもの夜の段取りが淡々と戻ってくる。
優しさをどこに置くかを、自分で選べる場所に、
確かに帰ってきたのだ。




