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アルモネア王国史 チャンドルアラーフ王の統治前期について

作者: 天凛
掲載日:2026/01/08

 アルモネア王国は、北ヴェネド世界において典型的な「崩壊した統一帝国の周縁から生まれた中規模国家」であるが、その成立経緯と統治構造は決して凡庸ではない。かつて北ヴェネドを統一していたネフェン朝は、宗教的権威・軍事的威信・人的カリスマを三位一体で体現したカリマンジャルの存在によって辛うじて統合を維持していた王朝であり、彼の死後に発生した権力空白は、単なる後継者争いではなく「統一それ自体の正統性の崩壊」を意味していた。アルモネア王国の独立は、この混乱の中で生じた諸国家の一つとして、極めて現実的・機会主義的な判断の産物であった。



 地理的に見れば、アルモネア地方はテロール川流域という、北ヴェネドでも有数の生産基盤を有する地域に位置している。大河川による定期的な氾濫と堆積がもたらす肥沃な土壌は、穀物栽培を中心とした安定した農業生産を可能にし、国家成立当初から慢性的な食糧不足に悩まされることはなかった。ただし、この点は同時に「比較優位に留まる」という制約でもあった。周辺諸地域もまた農業生産に恵まれており、アルモネアが穀物市場を独占することは不可能であったため、農業は国家の基礎ではあるが覇権の源泉にはなり得なかった。



 その不足を補う形で重要性を持ったのが、香辛料およびアルモネア特有の茶葉である。これらは嗜好品として都市層や上流階級に需要があり、特に茶葉は「アルモネア産」というブランド性を伴って取引されることで、価格競争力以上の価値を生んでいる。ただし生産量は限定的であり、国家財政全体を支えるほどではなく、むしろ外交・贈答・関税政策と結びつく補助的な戦略資源と位置付けられる。



 鉱業資源については、テロール川を境にした地域分業が極めて明確である。北部は農業中心であるのに対し、南部では鉛・銅・少数ながら鉄鉱山が存在し、北部には石炭鉱山が点在している。この構成は、国家にとって非常に重要な意味を持つ。すなわち、アルモネアは「完全な資源自給国家」ではないにせよ、軍需・鋳造・建築に必要な最低限の鉱物資源を国内で賄える構造を有しており、これは独立国家としての持続可能性を大きく高めている。一方で、鉱山が小規模かつ分散しているため、特定の鉱業都市が国家を脅かすほどの経済的自立性を持たない点も、後の中央集権化にとって都合が良かった。



 国家成立から46年という時間軸は、制度史的には「第一世代の建国者の記憶がまだ生きているが、同時にそれを知らない世代が統治の中枢に入り始める」極めて不安定かつ重要な時期に相当する。初代国王フェリポル1世は、まさにこの建国世代の象徴であり、彼の最大の功績は、アルモネアを単なる反乱領や暫定政権ではなく「独立した恒久国家」として周囲に認知させた点にあった。彼の統治は革新的というよりも保守的で、ネフェン朝時代の制度・慣行・法を可能な限り流用することで、急激な変化による反発を抑えつつ、国王権力の骨格を固めていった。



 その結果として成立したのが、国王と諸侯が参加する王国諮問議会、大レグロ・ポリティカである。国家の重要な決定事項や諸侯に対する増税や新税の創設はここで話し合われた後に行われることとなっていた。この段階では、フェリポル1世は諸侯との協調を優先し、国王裁判権や徴税権についても一定の妥協を行っていた。



 この均衡を意図的に崩したのが、二代目国王チャンドルアラーフである。彼の即位以降の政策は一貫しており、中央集権化、とりわけ「司法」と「財政」という国家権力の中枢に直接切り込むものであった。その中核を担ったのが、大レグロ・ポリティカから分化・縮小する形で成立した枢政院、小レグロ・ポリティカである。これは名目上は国王の側近会議であるが、実態としては行政・司法・財政を統合的に統括する最高意思決定機関であり、諸侯の影響力を意図的に排除した構造を持つ。



 国王裁判権の強化は、この枢政院を中心に制度化された。王国裁判所の設置と、それが地方裁判所に優越するという規定は、単なる上級審の創設ではない。これは「正義の最終的担保者は諸侯ではなく国王である」という政治的宣言であり、領主裁判権という封建的特権に対する直接的な挑戦であった。領主による裁判に不服があるものは王国裁判所に上訴できるようになり、領主裁判権は相対的に弱体化された。




 チャンドルアラーフ王自身、あるいは小レグロ・ポリティカの構成員が巡回裁判を行ったことは、象徴的意味合いが極めて強い。これは単なる行政視察ではなく、「王は直接正義を行使する存在である」という可視的権威の演出であり、地方社会における忠誠の再編成を促す効果を持った。一方で、諸侯同士の領主裁判に介入する姿勢は、明確に封建秩序の根幹を揺るがすものであり、反発が生じたのは必然であった。



 この反発に対し、王権は二つの手段を用いた。第一に、フェリポル1世以来整備されてきた国王軍という暴力装置である。反抗的な諸侯に対しては、法的正当性を伴った軍事介入が行われ、蜂起や抵抗は鎮圧された。第二に、融和策としての法制度整備がある。ネフェン朝時代の民法典であるレオル・アーム法典を参照し、罪刑法定主義と適正手続きを明示的に採用したことは、王権の恣意性に対する不安を和らげるための重要な措置であった。もっとも、法典で解決できない事案については先例主義と「王道」という極めて抽象的概念に基づく属人的判決が許容されており、ここに王権の裁量が巧妙に温存されている。



 財政面では、改革はさらに急進的であった。枢政院の下に置かれた財務省、そのさらに下に設置された国税庁は、徴税権を実質的に諸侯から剥奪し、国家官僚機構の手に集中させる装置であった。国王直轄領における徴税代理人制度の廃止と官吏による直接徴税は、不正防止という名目を持ちながら、実際には税源把握と支配の可視化を目的としていた。また、諸侯を通じた徴税についても監査権が設定され、明白な不正があった場合には財務省が諸侯家の財務を直接監督できるという前例のない介入が行われた。



 この結果、複数の諸侯家における横領・脱税・不正蓄財が発覚し、一部では蜂起にまで発展したが、いずれも国王軍によって鎮圧された。その後に行われた財務監督や追徴課税、違反代納金は、単に国庫を潤しただけでなく、「逆らえば失うものが多い」という現実を諸侯全体に強く印象付ける効果を持った。税収の増加は構造的なものであり、制度改革がもたらした恒常的成果であった。



 こうして得られた財政的余力を、チャンドルアラーフ王は迷いなく軍拡に投じている。これは対外戦争を想定したものというよりも、明確に対諸侯抑止を目的としたものであり、中央集権化の最終段階に向けた準備と位置付けられる。諸侯の弱体化は、単に個別に叩くのではなく、「王に逆らうことが制度的にも軍事的にも不利である」という環境を作り出すことで達成されつつある。



 総じて、アルモネア王国は46年という短い歴史の中で、封建的分権国家から官僚制的中央集権国家へと移行する過程の、最も緊張度の高い局面にある。制度は整いつつあるが、完全な統合には至っておらず、諸侯層の不満と王権の拡張がせめぎ合うこの状況こそが、アルモネアという国家の最大の特徴であり、同時に将来の不安定要因でもある。









 チャンドルアラーフ王即位後9年目という年は、アルモネア王国史において極めて象徴的な転換点であった。この時点で、司法改革と税制改革という内政上の二大事業はすでに制度的完成を見せ、国王権力は法・財政・軍事の三領域において、もはや諸侯の集合体としての国家ではなく、明確に「王を中心とした統合国家」として機能し始めていた。軍拡もまた、単なる計画段階を脱し、実際に兵力・装備・指揮系統の再編が進行している段階にあった。



 この内政的安定と王権集中の進展こそが、東方の隣国ホローム王国にとって最大の脅威として認識された。ホローム王国もまたネフェン朝崩壊後に成立した独立国家の一つであるが、その政治体制はアルモネアとは異なり、諸侯の自立性が比較的強く残る構造を持っていた。三代目国王アレンバル2世は、即位と同時に発した宣言の中で、アルモネア王国を「潜在的敵対勢力」と明言しているが、これは単なる感情的反発ではなく、体制間対立の明確な表明であった。



 アレンバル2世は、アルモネア国内における中央集権化、とりわけホローム王家と関係の深い諸侯に対する締め付けを「抑圧的統治」と位置づけ、国王が本来果たすべき諸侯および臣民の保護義務を放棄していると公然と非難した。これは外交的非難であると同時に、アルモネア国内の反王権勢力に対する明確な政治的メッセージでもあった。さらにアレンバル2世は、ベルネ伯爵領および下オレモンド伯爵領に対する領土請求権を主張し、その回収を含めた「あらゆる策」を講じると宣言することで、対外的には正統性を、対内的には国威発揚と栄治富国という目的を掲げた。



 もっとも、 コンテル=ポンツォ(同時代人)や後世の史家の多くが指摘する通り、アレンバル2世の主目的は理念よりも実利にあったと考えられている。すなわち、アルモネアが有するテロール川流域の豊かな農業生産力と、鉱産資源、とりわけ金属資源の獲得である。これはホローム王国が自国内で抱える財政的・軍事的制約を打破するための、きわめて現実的な戦争動機であった。



 この一連の動きに対し、チャンドルアラーフ王と小レグロ・ポリティカは、事態を単なる外交摩擦ではなく「不可避的な武力衝突への前段階」と認識した。王はただちにホローム王国との国境沿いに新規の駐屯地および軍施設の建設・増築を開始し、平時の防備線を実戦仕様へと移行させていった。同時に、東部国境周辺の諸侯、特にテローム公爵を中心とする諸勢力に対し、王家主導による軍事的統合を強く促した。



 こうして成立したのが、王国東部諸侯軍事委員会である。この委員会は、名目上は諸侯間の協議体でありながら、実態としては王権の戦時統制を円滑にするための中間機構であった。兵站・戦術・動員計画の統合は、従来の諸侯軍が抱えていた最大の弱点を補うものであり、委員会参加諸侯は一人一票の投票によって将軍を選出し、この将軍が東部方面の諸侯軍全体を指揮する総司令官となる制度が整えられた。



 この委員会軍の役割は明確である。すなわち、有事においては国境付近での初動防御を担当し、敵の侵攻速度を可能な限り遅滞させ、その間に中央および他地域から国王軍・諸侯軍が到着し、反攻体制を整えるという二段構えの防衛構想であった。そして決定的に重要なのは、反攻段階に入った時点で、すべての諸侯軍が国王軍の指揮下に入ることが制度上明記されていた点である。これは戦争を通じて諸侯軍の独立性を事実上解体する仕組みでもあった。



 国王はこの委員会に対し、統制権と最終的拒否権を保持することを条件として、多額の無償資金援助を与えた。これにより参加諸侯は軍拡を進めたが、その軍事力は制度的に王権へと接続される形でのみ発揮されることになった。一方で国王軍自身も、この時期すでに質量ともに精強な常備軍へと変貌を遂げており、王権に忠誠を誓う専門的軍事組織として他の諸侯軍を圧倒する存在となっていた。



 これと並行して、王権はホローム王家との関係が深いと目されていた東南部諸侯に対する締め付けを強化した。ホローム王国との輸出入に対する関税引き上げ、出入国管理の厳格化、関所通行税の増税といった措置は、表向きは国家安全保障のための政策であったが、実質的には特定地域・特定諸侯への経済的圧迫を狙ったものであった。この政策は東央および東北部では反ホローム感情の高まりによって強く支持され、他地域でも直接的影響が少なかったことから概ね黙認された。その結果、東南部諸侯は政治的にも経済的にも孤立していった。



 初期にはホローム王国が密かに顧問団や支援物資を送り込む動きを見せたが、中央から官吏を派遣して出入国管理を徹底したことでこれらは次々に摘発され、支援は立ち消えとなった。こうして南東部は事実上、国王と小レグロ・ポリティカによる直接統制下に置かれるに至り、抵抗は散発的なものに留まった。



 決定的であったのが、南東部有力諸侯の一つエレティア伯領における大規模財務不正の発覚である。これにより財務省による直接監督が開始され、エレティア伯にしてロメリ伯、オルドン子爵、ヴォルドー首長でもあったティボーは、これを王権の専横と断じて蜂起を主導した。しかし、この反乱は王権側に完全に予期されており、国王軍は即座に派遣された。ティンナバル荒野での決戦において反乱軍は壊滅的損害を被り、続くオルドンの戦いでティボーが戦死したことで、反乱は終結した。この一件は、東南部諸侯に対する王権の最終的勝利を象徴する出来事となった。



 こうした内政・軍事の緊張が高まる中でも、アレンバル2世はアルモネアへの非難を止めなかった。関税強化や通行税増税を国家およびホローム王権への侮辱と位置づけ、国民に対してアルモネアとの戦いに備えるよう扇動し続けた。そしてついに、アルモネア国境沿いでの軍事演習および野盗討伐を名目として、ホローム王国軍は国境に布陣した。



 布陣完了の翌日、アレンバル2世は正式にアルモネア王国に対する征伐を宣言し、宣戦布告を行った。開戦事由として掲げられたのは、レバン村襲撃事件をはじめ、国境での軍事的挑発、領土請求の拒否、諸侯および国民への虐待、ホローム人殺害事件への不十分な補償など多岐にわたるものであり、これらを根拠として専制的暴君チャンドルアラーフを廃し、真の平和をもたらすと主張した。同時に、ベルネ伯爵領および下オレモンド伯爵領の割譲と、十分な賠償を要求した。



 チャンドルアラーフ王と小レグロ・ポリティカはこれを全面的に拒絶し、ここにアルモネア=ホローム戦争が勃発した。ホローム王国軍はすでに布陣を完了していたため、宣戦布告とほぼ同時に越境侵攻を開始した。委員会軍は事前の計画通り、将軍を総司令官として防衛作戦を展開し、砦や地形を活用して各地で迎撃したが、兵力差は明白であり、次第に押し込まれていった。ホローム王国軍の誇る騎馬軍は、平原決戦を避けられたにもかかわらず、追撃戦や局地戦で威力を発揮し、アルモネア側は徐々に消耗していった。



 しかし、宣戦布告から10日後、ホローム軍がテローム公爵領に侵入し始めた頃、情勢は大きく変化する。国王軍および北部諸侯軍が前線に到着したのである。国王軍はチャンドルアラーフ王自らが陣頭指揮を執る親征軍であり、副司令官には近衛騎士団長ボヘミアーヌが就いていた。チャンドルアラーフ王は戦術の天才として知られ、さらに国王自らが率いることで兵の士気が異常なまでに高揚するため、国王軍は実質的に数倍の戦力を発揮すると評されていた。



 この国王軍は委員会軍および北部諸侯軍を統合し、戦線全体を掌握した。チャンドルアラーフ王は戦術的に優位な位置を選び、全体としては引き気味の姿勢を保ちながらも、要所では勝利を重ね、ホローム軍に莫大な損害を与え続けた。その結果、ホローム軍の侵攻速度は著しく低下し、戦線はほぼ停滞状態に陥った。



 ここで致命的となったのが、ホローム王国軍の兵站崩壊である。これは委員会軍が事前に立案していた作戦計画によるもので、一部の軍人・諜報員が民間人に扮して降伏し、占領地域で生活するふりをしながら兵站線を破壊するという、組織的レジスタンス作戦が実行されていた。加えて、ホローム軍自体が諸侯連合軍に近い構造を持ち、兵站や徴兵が分散・混乱していたことも、状況を悪化させた。



 この好機を逃さず、チャンドルアラーフ王は全戦線での反攻を命じた。アルモネア王国軍は急速に反撃に転じ、連戦連勝の末にホローム軍を国境まで押し返し、さらに逆侵攻を敢行してハンドルア辺境伯領およびベルニーネ公爵領を占領した。しかし、この段階でアルモネア側の兵站も限界に達し、戦線は再び停滞し始めたため、両国は停戦交渉に入ることとなった。



 この戦争前期は、単なる国境紛争ではなく、アルモネア王国における中央集権化の成果と、王権が国家として外敵と正面から対峙し得る段階に到達したことを内外に示す試金石となったのである。










 ボヘミルド条約へと至る一連の交渉過程は、単なる戦争終結交渉ではなく、アルモネア王国が「地域国家」から「制度と戦争を統御できる王権国家」へと転換したことを内外に示す外交的実演であった。その交渉の前段階として行われた停戦交渉は、アルモネア王国小レグロ・ポリティカの外務卿ヘレオノールと、ホローム王国宮廷執政官ドン・ロゴールという、両国の制度と権力構造を体現する人物同士によって担われた。



 ヘレオノールは、チャンドルアラーフ王の意向を極めて正確に理解していた。

 王にとって最重要課題は、対外的勝利の誇示ではなく、国内における中央集権化の最終的完成であり、長期的に禍根を残す占領や領土併合は、再戦の火種になるのみならず、諸侯や官僚機構に不要な緊張を生むと認識されていた。そのためヘレオノールは、停戦交渉の冒頭から「領土的変更を伴わない講和」という方針を明確に打ち出した。これは敗戦国にとって極めて寛大に映る条件であり、実際ホローム王国側にとっても歓迎すべき提案であったため、ロゴールは即座にこの原則を受け入れた。



 しかし、ヘレオノールが真に重視していたのは領土ではなく、将来にわたる外交的・法的安定であった。彼女はまず、ホローム王家が主張してきたベルネ伯爵領および下オレモンド伯爵領に対する請求権を「永久に」撤回することを要求した。この点においてロゴールは激しく抵抗し、少なくともアレンバル2世個人の請求権放棄に留めるべきだと主張したが、戦況が決定的にホローム側不利に傾いている現実を前に、最終的には王家としての請求権そのものを放棄することに同意せざるを得なかった。この条項は、ホローム王国の将来の君主による再主張を制度的に封じる意味を持ち、アルモネア側にとって極めて重要な成果であった。



 次に問題となったのが、開戦前後を通じてホローム王国が行ってきたアルモネア王国およびチャンドルアラーフ王に対する誹謗中傷である。ヘレオノールは、国王が諸侯や臣民を保護していないという非難、国境付近での軍事的挑発、アルモネア軍によるホローム村落襲撃といった主張をすべて撤回し、国際的な場での公式謝罪を行うよう要求した。これは名誉の回復という象徴的意味だけでなく、将来的な再戦時にホローム側が「正義の戦争」を主張する根拠を奪う法外交的措置であった。



 ロゴールはこれに対し、これらの主張は事実であり撤回すれば王権と国民に対する裏切りになると強く反発したが、ヘレオノールはこれを拒絶した場合には戦争継続も辞さないという姿勢を示した。この圧力の下でロゴールは態度を部分的に軟化させ、少なくともチャンドルアラーフ王個人に対する侮辱については撤回し謝罪する用意があると表明した。ヘレオノールは即断を避け、最終局面で再度議論することを提案し、ここでは一旦争点を棚上げとした。



 続いて提示されたのが賠償問題である。ヘレオノールは、侵攻および継続的な誹謗中傷によってアルモネア王国が被った軍事的・経済的・社会的損害の回復として、800億ポールを28年以内に支払うことを要求した。この金額は、当時のホローム王国国家予算のおよそ2年分に相当し、実質的には長期にわたる財政的拘束を意味していた。ロゴールはこれに激怒し、到底支払不可能であるとして即座に拒否した。



 こうして交渉は妥結に至らず、停戦は事実上破棄され、戦争は再開された。しかし、この交渉期間そのものが、アルモネア側にとって重要な意味を持っていた。アルモネア王国軍はこの間に兵站を回復し、再編を完了していたため、停戦終了と同時に各戦線で攻勢に転じ、連続的な勝利を収めた。その結果、戦線は急速に東進し、ホローム王国西部と中央部を結ぶ要衝ボヘミルドに到達した。



 ボヘミルドは交通・兵站・政治の要衝であり、ここを失えばホローム王国は戦略的に分断される。このためホローム側は残存戦力をかき集め、ここで決戦を挑んだ。ボヘミルドの戦いは極めて苛烈であり、チャンドルアラーフ王自身が親征軍の中に身を置き、近衛騎士団を率いて突撃を敢行する場面もあった。最終的に、王が率いる近衛騎士団の中央突破によってボヘミルド領主は戦死し、さらにアレンバル2世の次男でありこの軍集団の総指揮官であったヘレオルトが捕虜となったことで、ホローム王国は事実上戦争継続能力を失った。これを受け、アレンバル2世は降伏を宣言した。



 こうして講和会議はボヘミルドで開かれ、今回はチャンドルアラーフ王自身が全権を持って交渉に臨み、補佐としてヘレオノールが同席した。ホローム王国側は引き続きドン・ロゴールが全権大使を務めた。王自らが交渉に臨むという構図は、勝者としての威信を示すと同時に、条約内容が王権の意思そのものであることを内外に明確にする意味を持っていた。



 チャンドルアラーフ王は改めて領土的補償を行わないことを宣言し、これによって占領地が恒久的併合ではないことを保証した。その上で、ホローム王家によるベルネ伯爵領および下オレモンド伯爵領への請求権永久剥奪を再確認させ、さらにアルモネア王国に対する誹謗中傷の全面撤回と国際的な場での公式謝罪を要求した。ロゴールは強い屈辱を伴いながらもこれを承諾した。



 賠償金については、当初提示された800億ポールを維持しつつ交渉が行われ、ロゴールの粘り強い減額交渉によって最終的に710億ポールで合意した。この金額はなおホローム王国にとって極めて重い負担であったが、分割支払いと長期返済を前提とすることで、王国財政の即時破綻は回避される形となった。



 さらにチャンドルアラーフ王は、ホローム王国西南部ロールス山脈に存在する鉄鉱山およびその他鉱産資源に対する採掘権を要求した。これはアルモネア王国の軍需・産業基盤を飛躍的に強化する一方、ホローム王国の再軍備能力を長期的に制限する戦略的条項であった。ロゴールは猛抗議したが、敗戦国としてこれを拒否する力はなく、最終的に承認された。ただし、ロゴールは現地労働者の保護に執拗にこだわり、現地労働者を解雇せず、アルモネア人を優遇しない形で雇用を継続し、十分な給与と待遇を保障することを条件として取り付けた。この点は、占領搾取ではなく経済的支配という形式をとるための重要な調整であった。



 主要条件が確定した後、捕虜交換および撤兵についての協議が行われた。アルモネア王国軍は180日以内にホローム王国領内から撤収することが定められたが、ロールス山脈の権益を保護するため、アルモネア側が要求した二つの地点に軍事基地を建設し駐屯する権利が認められた。これらの基地はホローム王国主権下に置かれるが、基地内ではアルモネア王国法が適用され、基地外ではホローム王国法が適用されるという、いわば治外法権的性格を持つ施設となった。一方で、基地外でアルモネア兵が犯罪を犯した場合、ホローム側が基地に立ち入り逮捕できる権利も認められ、その判断が正当である限りアルモネア王国は協力することが明文化された。



 捕虜解放については、一般捕虜は30日以内に速やかに解放し、ヘレオルト王子や指揮官級の重要人物については、5日後にボヘミルドで正式な解放式典を行うことが決定された。



 これらすべての条項を包含するボヘミルド条約の発効によって、アルモネア=ホローム戦争は正式に終結した。この条約は、領土不変という表層の穏健さとは裏腹に、外交・経済・軍事の各面でホローム王国を長期的に拘束し、同時にアルモネア王国の中央集権国家としての完成度を飛躍的に高める結果をもたらしたのである。










 ボヘミルド条約の発効は、アルモネア=ホローム戦争の終結を意味したが、それはホローム王国にとって平和の回復ではなく、長期的崩壊過程の起点に過ぎなかった。条約によって領土の直接割譲は免れたものの、710億ポールという国家財政の構造を根底から破壊する賠償義務、王権の威信を決定的に損なう国際的謝罪、さらにはロールス山脈鉱山採掘権の喪失と、主権の例外空間としてのアルモネア軍事基地の設置は、ホローム王国を事実上「敗戦管理国家」へと変質させた。



 戦争終結直後、最初に噴出したのは、戦争を実際に戦った諸侯たちの不満であった。彼らは国王アレンバル2世の号令に従い、兵力・物資・資金を提供し、場合によっては自領の防備を犠牲にして前線へ兵を送っていた。戦争が敗北に終わった以上、彼らにとって従軍は名誉ではなく「損失」であり、その補填を王権に要求するのは当然と考えられていた。とりわけ中小諸侯にとっては、戦争による兵力損耗は直ちに周辺勢力との力関係の悪化を意味し、放置すれば領地そのものの安全が脅かされる切実な問題であった。



 アレンバル2世は、この諸侯層の動揺が連鎖すれば、条約直後に内戦へ突入しかねないことを理解していた。そのため彼は短期的な鎮静策として、王家直轄領の一部を切り分けて下賜し、伯爵位・侯爵位といった称号の新設・昇格を乱発することで、諸侯の不満を一時的に吸収しようとした。だがこの対応は、王権の財政基盤と象徴的権威を同時に削る諸刃の剣であった。直轄領の縮小は、将来の財政余力を削ぎ、称号の氾濫は爵位の価値を相対的に低下させ、王が「報酬を配る存在」から「譲歩を強いられる存在」へと転落したことを諸侯たちに強く印象づけた。



 この場当たり的な懐柔策が限界に達するのは早かった。最大の要因は、アルモネア王国に対する賠償金支払いである。710億ポールという金額は、単なる歳出の増加ではなく、ホローム王国の財政構造を根本から組み替えなければ達成不可能な規模であった。アレンバル2世政権は、これを王家の資産売却や一時的借款で賄うことが不可能であると悟り、最終的に諸侯と国民に対する大規模な増税に踏み切る。



 この増税は、貨幣税の引き上げにとどまらず、農産物への現物課税強化、都市ギルドへの特別負担金、通行税・市場税の新設など、多層的かつ広範なものであった。結果として、農村では自給的生活が破壊され、都市では商業活動が急速に萎縮した。諸侯層にとっても、増税は領内統治の不安定化を招くものであり、「王の失政の尻拭いをなぜ自分たちがしなければならないのか」という不満が急速に共有されていった。



 やがて、この不満は反乱という形で爆発する。中心となったのは、戦時に比較的大きな兵力を動員しながらも、戦後の論功行賞に不満を抱いていた有力諸侯たちであり、彼らは「過重課税の撤回」「諸侯の伝統的権利の尊重」を名目に軍を挙げた。反乱軍は王国各地で呼応を得て勢力を拡大し、最終的には王都ベンジャルトへ入城、ほとんど抵抗を受けることなくアレンバル2世の身柄を確保するに至る。この時点で、王権の軍事的支柱は事実上崩壊していた。



 捕らえられたアレンバル2世は、形式上は王位に留め置かれたものの、実質的には反乱諸侯の要求を呑まざるを得なかった。彼らが突きつけた条件は、単なる減税や政策修正ではなく、王国の統治構造そのものを変質させる内容であった。すなわち、諸侯に対する広範な自治権の承認と、国王が新たに課税を行う際には、国内の有力諸侯七名の同意を必須とする制度の導入である。この「七諸侯」は固定された存在として明文化され、偶然ではなく、反乱の中核を成した人物たちであった。ここにおいて、ホローム王国は名目上の君主制を保ちながら、実質的には寡頭制へと移行したのである。



 この内乱と政治的弱体化の過程を、アルモネア王国が見逃すはずはなかった。外務卿ヘレオノールは、ボヘミルド条約の履行状況を理由にアレンバル2世を召喚し、国内の動乱を抑えられず、かつ賠償金の支払いが遅滞している現状をもって、彼が統治者として不適格であると公式に通告した。その上で、状況が改善されない場合には、ボヘミルド以西の領土をアルモネア王国が「暫定的に管理」する用意があると告げたのである。これは事実上の最後通牒であり、国際法的な装いをまとった露骨な圧力であった。



 アレンバル2世はこの通告に激しく抗議し、王国主権への侵害であると非難したが、その声は国際社会にも、国内諸侯にもほとんど響かなかった。彼は国内諸侯に対し、アルモネア王国という外敵の脅威に対処するため団結を呼びかけたが、反乱を主導した七諸侯はこれに冷淡であった。彼らの関心は自らの自治権と既得権益の維持にあり、さらに重要な点として、彼らの領土はいずれも王国中東部・北部に集中しており、ボヘミルド以西の疲弊した地域に直接的利害を持っていなかった。この地理的断絶が、王国全体の結束を決定的に阻んだ。



 やがてチャンドルアラーフ王は、形式上の正当性を整えたうえで行動に出る。アレンバル2世が統治者として不適格であり、賠償金支払いが継続的に遅滞していることを理由として、アルモネア王国はボヘミルド以西の領土の獲得と管理を宣言した。アルモネア王国軍は再び進軍を開始し、以前と同様にボヘミルドを目指したが、今回はほとんど戦争と呼べる抵抗すら存在しなかった。国王軍も在地諸侯軍も、前戦争と内乱で完全に疲弊しており、散発的な抵抗は行われたものの、足止めにすらならなかった。



 この軍事的既成事実を背景に、チャンドルアラーフ王は、ホローム王国の有力諸侯七人との直接交渉に踏み切る。ここで成立した合意は、ホローム王国史における決定的転換点であった。アルモネア王国によるボヘミルド以西の領土獲得を認める代わりに、七諸侯の独立と自治の権利が国際的に承認され、彼らはそれぞれ事実上の君主として扱われることとなった。アルモネア王国は彼らに対し相互不可侵を約し、これによって七諸侯は王国よりもアルモネアとの関係を安全保障の基盤とする立場に立った。



 同時に、アレンバル2世は統治者として不適格であるとして廃位され、その孫ヨルアルが王位に就くことが定められた。王太子アレンバル3世と次男ヘレオルトはともに不適格とされ、継承権を完全に否定された。アレンバル3世はミネーア伯として封じられ、政治的影響力を奪われたまま地方に下り、ヘレオルトはボネージュ修道院に送られ、世俗政治から永久に隔離された。ヨルアル王はわずか7歳であり、「才気あふれる」と公式には喧伝されたものの、実態は七諸侯による統治を正当化するための象徴に過ぎなかった。彼が執政可能かどうかを判断する権限すら、摂政評議会、すなわち七諸侯自身に委ねられたのである。



 こうして、ホローム王国は名目上は存続しながらも、ボヘミルド以西を失い、残余の領土は七諸侯によって分割統治される状態に陥った。賠償金の請求はなおも続き、王国は外からはアルモネア王国に、内からは諸侯寡頭制に拘束される二重の隷属状態に置かれた。ボヘミルド条約後のこの過程こそが、ホローム王国が一度、実質的な意味で崩壊した瞬間であり、後世の歴史家が「王国の空洞化」と呼ぶ現象の典型例なのである。


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【コラム】ボヘミルド以西の占領区について



アルモネア王国がボヘミルド以西のホローム旧領を獲得したことは、単なる領土拡張ではなかった。それはチャンドルアラーフ王の統治思想において、最も慎重に設計された「例外領域」であり、同時に王国中央集権化政策の延長線上に置かれた実験的支配でもあった。重要なのは、この獲得が「正規の併合」ではなく、「統治権および管理権の取得」という、極めて曖昧で意図的に幅を持たせた法的形式をとっていた点である。



チャンドルアラーフ王は、ボヘミルド以西を即座にアルモネア王国の通常行政区へ編入することを明確に避けた。これは、国際的な反発を抑える意図のみならず、ホローム王国が形式上は存続している以上、あからさまな併合は賠償条約違反と見なされかねなかったからである。そのため王と小レグロ・ポリティカは、この地域を「西方管理領(あるいは文書上は“暫定王国管理区域”)」として規定し、アルモネア王国王権の直接支配下に置きつつも、法制・行政・財政において特別扱いを施す方針を採った。



統治機構の中核を担ったのは、王直属の臨時官庁として設置された西方統治院である。これは既存の省庁体系とは独立した組織であり、外務・軍務・財務・司法の権限を横断的に集中させる、いわば「縮小版政府」として機能した。院長には王の側近中でも特に法と行政に通じた人物が任命され、貴族出身者は意図的に排除された。これは、現地諸侯との私的関係が統治を歪めることを防ぐためであり、同時にアルモネア王国の官僚国家的性格を新領土に刻印する意図があった。



軍事的には、ボヘミルド以西は徹底して占領地として扱われた。国境線は事実上ボヘミルドに固定され、以西には複数の軍管区が設定され、すべて国王軍直轄部隊が駐屯した。注目すべきは、ここに在地徴兵制がほとんど導入されなかった点である。アルモネア側は、ホローム人住民を武装させることが、将来的な反乱の温床になると判断しており、治安維持は常に外来の兵力によって行われた。これは現地住民に疎外感を与えた一方で、武装蜂起の芽を早期に摘み取る効果も持った。



一方、行政と司法においては、意外なほど慎重な「非同化政策」が採られた。チャンドルアラーフ王は、宗教・慣習法・土地慣行に対して原則不干渉を命じており、現地の村落共同体や都市評議会は、戦前とほぼ同じ形で存続を許された。アルモネア王国法は、税・治安・対アルモネア人犯罪など、限定的な分野にのみ適用され、日常的な民事・家族法はホローム旧法が引き続き用いられた。この「二重法体系」は煩雑ではあったが、急激な抵抗を防ぐうえで有効であった。



財政面では、ボヘミルド以西は明確に「賠償源泉」として位置づけられた。アルモネア王国は、この地域から得られる税収・鉱産収益・関税収入を、原則としてホローム王国の賠償義務履行に充当するという形式を取った。すなわち、表向きには「アルモネア王国が搾取している」のではなく、「ホローム王国が自国領から賠償を支払っている」という建前が維持されたのである。この法的擬制は、ホローム王国に対する継続的な圧力として極めて有効であり、同時にアルモネア側が国際社会から露骨な非難を受けることを回避する盾ともなった。



鉱山・資源地帯については、すでにロールス山脈で確立された方式が拡張適用された。すなわち、経営権はアルモネア側の国策会社または王権直轄機関が握る一方で、労働力は原則として現地住民から調達され、賃金・待遇も戦前水準を下回らないよう規定された。これは単なる人道的配慮ではなく、労働争議や破壊活動を抑えるための現実的判断であった。結果として、経済的には一定の安定がもたらされたが、住民の多くは自らを「征服された民」ではなく「管理される資源」として扱われているという屈辱感を抱くことになった。



政治的には、ボヘミルド以西はホローム国内諸侯に対する強力な示威となった。アルモネア王国は、この地域をあえて「繁栄させすぎない」統治を行い、秩序と最低限の安定は保証するが、自治的発展や政治参加は一切認めなかった。これは、ホローム側七諸侯に対して「協力すれば生き残れるが、逆らえば統治権そのものを奪われる」という無言の警告として機能した。



総じて言えば、ボヘミルド以西の統治は、チャンドルアラーフ王の政治思想――すなわち、力による征服を制度と法によって固定化し、感情的報復を排した冷酷な合理主義――を最も端的に体現するものであった。この地域は、アルモネア王国にとって完全な一部でもなければ、単なる占領地でもない。「必要であれば切り離せるが、手放す理由のない領域」として、王国の対外政策と内政改革を支える静かな基盤となっていったのである。



そしてこの曖昧さこそが、後の時代に至るまで、アルモネア=ホローム関係に消えない緊張を残す最大の要因となった。

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中々に面白く愉しく読ませていただきました♪  〆方も心憎かったです♪
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