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3.因果律の破綻

 朔と初めて彼と出会った時、彼はユニセックスな衣類を身に纏っていた。

 声はハスキー、身長は中肉中背、おまけに人並外れた美しいあの顔である。つまりその外見から、彼の性別を推測することは成人には困難であった。


 朔は、何に対しても強い関心を抱かない男だ。

 注目を集める人生に疲れているのか、己の容姿にさえ頓着しない様子であった。

 だが彼はまた、他人の様子にもさして興味がないようで、成人の肌に関してもあれこれと詮索することも厭う様子もなかったのだ。


 借金があるために家賃を浮かせたい——、そう告白をしたあとで彼は「君がおれでいいのなら、ルームシェアをしよう」と申し出た。

 借金こそないものの、同じ理由でルームメイトを探していた成人には、願ったり叶ったりの申し出であった。

 なにせ成人はこの見た目で避けられることが多く、ルームメイト探しは物件探しよりも難航するだろうと考えていたからだ。成人は二つ返事で飛びついた。


 こうしてルームシェア契約は、出会ったその日のうちに締結されたのである。

 ——女の子が男とルームシェアなんてやめた方が良くない? とうっかり口を滑らせたことは、ここでは割愛しよう。



 朔は帰宅と共にウィッグを放って風呂へと入り、その後キッチンへと向かうと水道水をガブガブと勢いよく飲んだ。


 いつもながら豪快な飲みっぷりである。


 化粧を落としてやや女性っぽさは落ち着いたものの、しかしその見た目と粗野なその振る舞いには、どうにも齟齬が生じてしまう。


 コップが二回ほど空になるのを繰り返したあと、ようやくひと心地ついた様子で彼はリビングへとやって来た。


 先ほどまでの美しい仕草はどこへやら、乱暴な手つきで加湿器をオンにしてから床へ座り込み、ようやく「それで?」と尋ねたのである。


 熱帯魚を思わせる朔はこのアパートでは粉微塵になって消え失せるのだ。

 

「へえ、隙間バイト?」


「そう」


 なぜ新宿などにいたのかを伝えると、朔はやはり興味がなさそうにふうん、とだけ言った。一応は相槌は打つ。そんな感じだ。


「それで、帰ろうと思って歩いてたらたまたま朔に会った」


「締め切り直後なんだからのんびりしていればよかったのに」


 まったくもってその通りである。そうすれば変な事件に巻き込まれることもなかっただろう。とはいえ、これは仕事のネタになるかもしれないので、まあその苦労もペイされると言えなくもない。


「肌の調子は大丈夫なの?」


「今日は雨だったから」


「あ、そっか」


 でもホテルの空調でやられちゃって、と付け加えると朔は「やっぱり良くないんじゃん」と言いながら加湿器の湿度レベルを上げた。

 それで? と朔は首を傾げて見せる。白くて、男にしては細い首が蛍光灯に晒された。


「それで、ナルが見た『変な死体』ってどんなんだったわけ?」


「それなんだけど……」


 顛末を短くまとめて五分ほどで話すと、朔は少し難しい顔をしてから唸った。


「……それさあ、腹水とかじゃない?」


 予想通りの答えだった。

 まあ、普通はそう思うだろう。これをオカルトに結びつけた成人の方がおかしいのだ。その自覚は大いにあった。


 成人の仕事は非現実的な現実を、オカルトファンが食い付く魅力的なストーリーに仕立て上げることだ。

 現実に起きた事件の周囲に散らばる、科学的に証明できない異常性の断片を拾い集め、それらを繋ぎ合わせて面白おかしく「読みもの」に落とし込む。

 そんな仕事である。


 先月書いた記事は「空から牛が落ちてきた」というものだった。まったく荒唐無稽だが、ネットでも大いに盛り上がっていた話題である。成人はその事件を追って千葉まで事実確認も兼ねた取材に赴いたのだ。


 事件現場である千葉県桃乃木市の、桃の実町にはビルはなく、また当該時刻に航空機の運行記録はなかった。

 周辺住民が落下時の衝撃音を聞き、また別の住民複数人が牛が落下してくる瞬間を目撃していたと言う話であった。成人はそれを一応のところ「オカルトの可能性が高い」と評価し記事を書くに至ったのだ。


 成人は、そういう不可解を追っているのだ。


 成人のいうオカルトは「提示された明確な証拠があるのにそこに至るプロセスが科学的に不明な事象、または証拠自体は存在するがそれ自体が科学的に異常なもの」に限っていた。


 だから、朔の言い分も判る。


「おれは医学的な病変と見るのが現実的じゃないかと思うけど……」


 幻想的、という言葉が服を着て歩いてるような容姿をしているくせに、朔は意外とリアリストだ。


 成人の記事についても「読み物としては面白い」と評する一方で、「理論が飛躍している箇所が僅かに見られる」などと、率直に批判することも珍しくはない。


 五回に一度くらいは批判を受けているような気がする。

 牛の件についても、「誰かが話を盛ってる可能性」や「オカルトで町おこしを企んでいる可能性」などの人為的な介入、つまり捏造を彼は強く疑っていた。


「ナルがどんな仕事をしているか知っているつもりだけど、今回ばかりはオカルトと呼べない気がする」


「急速に腹が膨らんだらそれはオカルトじゃないか?」


 陰謀論やら世界の終末、果てはUMAに開運。そんなネタばかりを扱う雑誌が成人の主たる収入源だ。

 オカルト耐性のない一般人には与太話にしか聞こえないことだろうし、今回のも病変と見るのが妥当なのかもしれない。


 こういったものを糧としている成人は、朔に比べて世に溢れる様々な事象をオカルトと絡めて考えがちではある。


 不可思議で説明のつかない事象とされていたことが、奇病や科学的作用であるのだと、文明の進化とともに決着が付けられたケースも珍しくはない。

 そう、成人にも判っている。この歪んだ思考が健全ではないと、充分に判ってはいるのだが。


 だが、あれは本当にただの病変だったのだろうか。成人は暫く考え込んだ。


 あの男の腹の表面には出血の痕跡が複数箇所認められた。

 だから成人は「急激な腹部膨張が起こったのではないか」と考えたのだ。

 通常、どんな病変があったとしても、出血を伴う肉割れが複数箇所、同時発生するほどに腹部が膨張することはまずないだろう。

 ゆえに、何かオカルト的事象によってその異常が起こされるに至り、腹、特に腹の表層の皮膚がその負荷に耐えきれず出血——、出血を伴う肉割れが起きたのではないかと考えたのである。


「ナル。これは科学的に説明できない不思議や心霊現象の話じゃないよ。君が見たのは実在する『死』だよ」


 朔は冷静に言い放った。


「誰かの死?」


「そう、誰かが死んだ、その現実だ」


 誰かの死、という言葉が、なぜか響かない。だからなんだというのだ、と考えるが何となく朔の顔が見ることができなかった。


 誰かの死、誰かがが死んだ現実。

 つまり、成人は朔に批判されているのだ。誰かの死を弄ぶな——、朔はそう言いたいのだろう。


 確かにそうだ、そうするべきだ。誰かの死を安易にネタにすべきではない。だが、反発したい気持ちが生まれる。そしてそのくせ、どうしてだか判らないが朔に後ろめたいような奇妙な気持ちも同時に生まれた。


 そのまま押し黙り、成人は床の木目を見つめた。

 沈黙が訪れる。

 嫌な空気を破ったのは朔だった。

 朔は一度、カクンと首を傾げてみせた。


「ん? ナル、なんか勘違いしてる?」


「勘違い?」


「おれ、倫理観の話なんてしていないよ。それはどうでもいいんだって」


「……つまり?」


 誰かが死んだ事実の指摘と、それに続く朔の言葉が上手く繋がらず、成人は「どういうこと?」と尋ね返した。

 てっきり人の死に対する成人の姿勢について批判をされたのだと考えたが、文脈から察するにどうも行き違いがありそうだ。

 朔も「アレ?」と首を傾げている。


「ええと……、つまり君らしくないって、おれは思ったんだよ」


「……俺らしくない?」


「そう。話を聞いた感じ、おれでも病死が真っ先に思い浮かんだ。ただの現実じゃん、って思った。全然オカルト的じゃないじゃん、って」


 まだ納得できずに首を傾げると、朔は続けた。


「いや、だってナルの仕事は因果律の破綻した事象を見つけて物語にすることでしょ? 君、本当のオカルトは現実にはあり得ないハッキリとした異常性を示すって前に言ってたじゃん」 


 前半はその通りだが、後半はそんなこと言っただろうか。成人はあまり身に覚えがなかった。いや、姿勢自体は成人の信条と一致するわけだが。


 雑誌自体はUMAだの都市伝説だのを扱ってるが、成人はその手の話についてはあまり執筆をしない。冷静に見つめるとそれらは科学的、現実的な説明がつきそうな事象でしかないからだ。 


 特にUMA、あれを成人はオカルトとは考えていない。


 現存する生物の亜種、奇形、またはどこかの星から未知の生物が地球に飛来したものの可能性が高いわけで、それは成人にとってはオカルトでもなんでもない、ただの現実だった。


 成人の定義するオカルトとは——、例えば猫が卵を産んだとしたら、それはその時点では成人にとってはただの現実だ。

 人間による捏造、実はそれが生物学的に猫でない可能性、卵が卵でない可能性がまだ残っているからだ。


 猫が生物学的に既存の猫であり、また間違いなく卵を産んだと確定した場合のみオカルトとなり得ると成人は考えていた。


 猫は卵を産まない。生物学的に産むための機構がない。だが卵が生まれた。因果律が破綻しており、それはオカルトだ。


「つまりさ、君の定義するオカルトからは外れてるって話。他人がどんな記事書いたとしても君は気にしないけど、君、自分の記事には一定の水準を設けてなかった? そういう人じゃん、君って。だから変だと思ったんだよ」 


 確かに——、そうではある。


「……、男の腹は俺たちが知らないただの『病変』の可能性が極めて高く、そのような『現実』が想定される時点で、俺が記事を書く水準からは大きく外れている、と?」


「そう」


 腹が膨れた。それは単なる病変かオカルトか。尋ねられたら真っ当な人間は多くの場合病変を疑いオカルトを疑う者はごく少数だろう。医学的時も知識に乏しい一般人でさえ、そこに疑問を感じたりはしないだろう。

 なんらかの医学的説明がつくと考えるのが妥当。


「……病変が妥当……?」


「ナルはどう思うの?」


 独り言のつもりの言葉はしっかりと拾われてしまった。

 確かに証拠、つまり腹の膨れた男の遺体という証拠だけなら病変をまず疑うべきであるし、記事としても弱い気もする。


 だが、何かが成人の頭に引っ掛かるのだ。


 だが成人自身も何に引っ掛かっているのかが判然としない。

 また、この事件の何に惹かれているのかさえも判らなかった。


「ナル」


 朔は首を傾げたまま、成人をじっと見ていた。


「ナル、なんか疲れてる?」


 朔は成人の顔を覗き込み尋ねた。


「……疲れてはいない、と思う」


「そう? 牛乳要る?」


「……要らない……」


「水は?」


「いい」


 自分らしくない。成人は自分自身に奇妙な齟齬を覚えた。普段の成人ならたかが腹の膨張などにはそう簡単に飛びつくことはない。


 今度は成人が、朔と入れ違いで首を傾げた。


 判らない。

 いつもの自分なら、病変だろうと一蹴する事象のように、成人には感じられた。


 皮膚に複数の裂傷が生じる急速な膨張にしても、オカルト性を見出すほどのことではないような気がするが、ではなぜ成人は好奇心を持ってあの遺体に執着したのだろう。


「……今日はもう寝る」


「そう? おやすみ」


 朔に簡単な挨拶をして自室へと引っ込む。

 頭を整理する必要があると考えたのだ。


 腹が膨れる。それ自体はおそらく珍しいことではない。病変と考えるべきなのだろう。

 裂傷と出血を伴うほどの急激な肉割れに関しても、まだ医学的説明がつく範囲の出来事と考えるべきなのだ。


 暗い自室で成人は首を傾げた。


 何が自身を執着させた? なぜ執着した?

 自問自答を繰り返し、一日の出来事を反芻していく。


 ホテルに着いて、事件に巻き込まれて、待機させられて、帰り道で朔に会って帰宅。

 そこで成人はふと、思い出したのだ。


『まったく、最近の火舞鬼町はどうなっちまってるだよ。もう、』


『おい、余計なことを言うな』


 もう——?

 もう、なんだと言うのだ。


 火舞鬼町の治安悪化を嘆く何気ない会話。そう認識するのが妥当であるが、成人の()はそうは思わなかったのだろう。いつでも何か特別な事件を探している成人は、警察官の言葉もまた意味深に受け止めてしまったに違いない。


 なんだ、と成人は長年の謎が解けたような安堵に包まれるような気がした。


 なんだ、いつもの悪い癖が出ただけだ。


 胸にザラリとした不快感が残ったが、それは疲労のせいか、あるいはライターとしてのただの職業病と類推し一応は「いつもの悪い癖」とラベリングし決着をつける。


 胸の奥の棚へと仕舞い込むにはさざめきが強い気がしたが、とにかく疲労が強かった成人はこれ以上は起きていられない気がして、そのまま目を瞑ったのだった。


 やがて膨れた腹の残像は闇に消えていった。


 奇妙な影のような、そんな得体の知れない燻りのようなものをひっそりと残して。

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