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2.朔

 新宿は夜に見せる顔こそが本当の顔なのだろう。

 色とりどりの内照式看板に照らされて、成人は雨の中をゆったりと歩いた。

 傘を刺さない変なやつ。

 だけどそんな成人を気にする者はいやしない。いい街だ。この街は誰もが他人だ。


 パチンコ屋、焼肉屋、ドラッグストアに派手な男や女。一年中が下卑たクリスマスみたいなこの街が、成人は割と好きだった。


 変に上品ぶったりせずに人間が本能を剥き出しにして生きている。その熱量がそこかしこに、洪水のように溢れ出ていた。

 成人みたいな出来損ないの底辺をいちいち気にする者もいない。 


 もう直ぐ午後十時。この街が一際賑わいを増す時間だ。おまけに今日は金曜。そんなわけで人通りもより激しかった。


 雨の中でも人々は楽しげに道をゆく。一人のもの、複数人のもの、男だけのグループ、女だけのグループ、妙に幼い未成年と思しき少女たち。


 ふと、視界が何かをとらえた。

 光だ。

 光だと、成人は思ったのだ。


 無数の鮮やかなネオンのすべてが、それを照らしているかのようにさえ見えた。街の光を余すことなく吸い込んで、光の塊を作ったような、そんな異形の光。


 だがそれは光などではなく、紛うかたなし人間だった。

 ただそこに立っているだけで、注目を集めてしまうような、光に似た人間。


 街のざわめきが一瞬途絶えた。そんな気がしたが、それは気のせいだろうか。

 成人はそいつを知っていた。


「朔」


 成人は呟いて——、そして無様に転んだ。


 だがここは新宿。派手に転んだ男のことなど誰も気にしない。その代わり、人々の視線はすれ違う彼、朔に注がれる。


 雨が降り頻る中、傘で彼の顔は隠されていたが、それでもすれ違う人々の何人かが朔に気づいて振り返る。

 朔は優雅に歩き、そして成人に近づいた。


 ()()()()から伸びた脚。その先端が纏う()()()が奏でるカツ、カツという音が、遠くからでも聞こえるようだ。


 その人は、異様に美しかった。

 無遠慮な衆目を集めながら、しかしそれを気にした風でもなく、優雅な所作で成人に向かって歩いてくるのである。


 ああそうか、彼は今日、()()の日なのだと思い出す。


「何してんの、ナル」


 成人の前までやってくると雑踏の中で静かにしゃがんだ。ヒールのつま先が、雨水に濡れて色を濃くしていた。成人を見下ろすその顔はただ美しく笑んでいる。


「転んじゃった? おっちょこちょい」


 朔はくすくすと笑うと成人の額をツン、と押した。

 陶磁器のように白い肌が街の光を淡く反射する。

 彼に気づいた人々が不躾に、或いは見ていないフリをしながら朔を見た。芸能人でもなかなかお目にかかれないような美しさ。それに気づいた上で、見ずにいられる者は少ないだろう。


「立てる?」


 夜の闇のように濃い瞳が、綺麗な二重の瞼に一度だけ覆い隠される。そして射抜くような真っ直ぐな視線で、成人を見た。

 瞳と揃いの髪もまた漆黒で、朔は首をカク、と傾げてその髪を振った。絹糸のような髪が揺れる——、だが、それがウィッグであることを成人だけが知っていた。


 また、朔が女装した男であることも。


 空気がシン、と冷えたような、冴え冴えとした感覚。

 時間が止まったような、奇妙な空気の密度。

 と、突然救急車のサイレンが聞こえた。この辺りではよくあることだ。


 ——そして、街が再び動き出した。


 いや、そもそも止まっていたと感じたのは成人の幻想か。

 成人は自力で立ち上がると、ふと、彼の頬が赤紫へと変色していことに気がついた。


「それ、どうした?」


「これ? 客に殴られた。セックスはしないつったら逆ギレ」


 朔はうんざりした顔で盛大なため息を吐いた。

 その表情の作り方がひどくて普通で、彼が人形や作り物ではなく、はたまた人間以外の何かでもなく、結局は人なのだと唐突に理解する。こんな瞬間が彼といると頻繁に訪れるのだ。


 異質なほどの美貌を持つ彼は、唇の端をグイッと持ち上げ笑みの形を作る。赤い唇はおそらく多くの人には蠱惑的に映るのだろうが、成人にとっては彼の存在もまた日常の一部だ。なにも珍しくはない。


「警察には」


 おそらく通報も相談もしていないのだろう、と思いながら一応は尋ねる。


「ううん。面倒じゃん、そういうの」


 案の定だ。

 それはよくない。よくないことではあるが、かつてホストをしていた彼が、何度も面倒事に巻き込まれたことは成人もよく知る事実だ。

 そんな経験から、彼が警察のご厄介になるのを極端に嫌うのもまたよく知る事実の一つであった。

 それ以上の有無を言わせぬ微笑みを浮かべる朔に、成人はふう、とため息をついた。


「朔がそれでいいって言うならもう何も言わない」


 それにしても。


「ひどい傷だな。内出血してる」


「いいよ、どうせすぐ治る……、あーあ、ホストはダメかぁって思って女のフリしてこういう仕事してんのにそれもダメ」


 参っちゃうよね、などと言いながらも、しかし朔は顔の傷も、暴力沙汰も、仕事が続かないことも、大して気にした風でない。

 それどころか彼は自身の人一倍優れた容姿にさえも興味がない様子であった。


 対照的な二人が並ぶ。異質な組み合わせをチラッと見遣っては通り過ぎていく人々は、やがて朔が己の顔を傘で覆い隠したことにより減っていった。


 男にしては華奢な手足を動かしながら、彼は歩いていく。

 それから振り返り「帰ろう」と言った。


 永瀬朔。彼と同居を始めて久しい。

 男二人、対照的な二人の面白みのない慎ましい共同生活である。

 それぞれ問題のある二人は、新宿まで徒歩三〇分程度のごく普通のアパートで、それなりの距離感でそれなりの生活をしていたのである。


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