取っ掛かり
「警察も関係者全てに聞き取りはした。今更行っても取り合ってくれるわけがない! それより奴を先にと言っただろ!」
助手席の男性は、運転席に澄ました表情で座っている仮矢咲の方に向いて焦りを滲ませた。
「昔の彼氏の話を聞いてても、暗闇のままでした」
「は?」
素っ頓狂な男性の声に対し、仮矢咲は冷静に返す。
「最初に申し上げた通り、暗闇の中を歩くのは極めて危険です。一寸先が、もしあの断崖絶壁なら呆気なく私達の人生は終わりを迎えるでしょう。それよりも僅かでも光が差している所から辿って行く。リサーチとは、ひたすら取っ掛かりを探す作業です。今の所、娘さんの死に関する取っ掛かりは、このビルの中にしかありません」
そう言ってフロントガラス左前方に聳えるタワーの様なビルを見上げる。
「株式会社スタッフロコモーションホールディングス。国内最大級の人材派遣、求人広告企業。資本金は500億円。東証一部上場。従業員数は全国の事業所を含め57,852名。娘さんはここ丸ノ内の一等地に建っている本部の中の広報促進部に配属されていた」
仮矢咲が淀みない口調で言うと、男性の胸から思いが湧き上がる。
「……ああ、そうだ。とても真面目な子で成績も優秀だった……。でも、まさか、こんな大企業に入れたと聞いた時は、正直私も驚いた」
ふと顔を上げると、仮矢咲が内ポケットから何かを取り出した。
「イヤホンマイク?」
訝しげに声を漏らす。
仮矢咲は車のナビ画面のスイッチを押した。思わず瞠目する。
そこに自分の姿が映っていたからだ。
はっと気づき男性は運転席の方に向き直ると、仮矢咲はスーツの襟に嵌められた地味で丸いバッジの透明部分を擦りながら言った。
「これから聞き取りをしに行きます」
その言葉に、思わず男性の視線が泳ぐ。
「聞き取りって……? 中に入らせてもらえないだろ? 警備員に止められて門前払いを食らうぞ」
「そうとも言い切れません。この通り私はスーツ姿ですから。葛城さん、あなたはここで私に指示を出してください」
そう言ってダッシュボードの上に置かれたイヤホンマイクを指差した。
「指示って?」
「知っている顔がいれば教えてください」
「知っているって……? 葬儀で大勢来ていたからそんなのいちいち憶えてない!」
「それが普通です。だからこそ憶えている人物がいれば、大きな手掛かりになります。じゃあ」
そう言い置くと、仮矢咲はバタンとドアを閉じた。
「……! おっ、おい! ……ったく! 何なんだよ!」
スタスタとタワービルに向かって歩いて行く青年の背中を見ながら、葛城は仕方なく目の前のイヤホンマイクを手に取り装着した。耳から彼の声が飛び込んできた。
「今からビルに入ります」
男性が我に返るように画面を見ると、その入り口には屈強そうな警備員が立っている。
「不味いって! 引き返せ! 通報されるぞ!」
他の社員に連なるように入ったせいか、警備員はこちらに気づく様子もなかった。
「入りました」
安堵の吐息とともに、男性が肩を落とす。
が、それも束の間、画面の向こうの彼はどんどんビルの奥へと入り込んで行くのがわかった。
「おいおい。どこへ行くつもりだ?」
「もちろん、娘さんが配属されていた部署です」
その声とともに、他の社員と共にエレベーターに乗り込んだのがわかった。そのカメラが超高速に数字が上階へと上がって行く様をとらえる。
「チーン」
という音と共に、ドアが開き、周りの社員達が一斉にフロアに降りて行く。
「おはようございます」
周りで交わされる朝の挨拶。そこまでは日常の光景だ。人だかりが散らばり、周囲に見える人の姿がまばらになる。それでも彼はひたすら奥へ奥へと進んで行く。
ふと、葛城は気づく。
誰も、こちらの存在に気づいていないかのようだ。
何度も瞬く彼に対し、仮矢咲は声を掛けた。
「あなたが仰る通り、私には幽霊を見ることも感じることもできません」
そして、冷や水をぶっかけような一言を放った。
「私自身が、今、それになっていますから」