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渓谷の転落者の這い上がり


 探索者カイルは目を覚ますと、剥き出しの岩肌の上だった。

 辺りを見渡しても薄暗く、青空はあるのに光源が見えない。


 ワケがわからないまま、とりあえず上体を起こそうしたカイルだったが、身体は思うように動いてくれなかった。まるで手も脚も首も、全て自分のものではないと感じられるほど。


 俺はもしかして死んだのだろうか。そう思考したとき初めて、カイルは記憶を取り戻す。


「⋯⋯そうか⋯⋯あそこから落ちたのか⋯⋯」


 状況を理解するとともに、彼の身体には激痛が走る。

 人間の体内の作用によって誤魔化されていた痛みが、一気呵成に迫り来る。

 それは死にも等しい痛覚だった。

 けれど同時に、自分が生きていることの証でもあった。


 どうして生きているのかは、すぐにわかった。

 鼻腔に突き抜けるような『回復薬(ポーション)』の匂いがしたのである。

 どうやらベルトポーチに差していた『回復薬(ポーション)』が、落下の衝撃で破裂して、運良く身体に降りかかったのだろう。そのお陰で即死が、瀕死の重傷まで回復したと予想できる。


 見上げるとそこには、数刻前の自分にいたであろう場所が確認できた。

 絶望。その言葉が頭に浮かぶ。

 渓谷の下に落ちた時点で、カイルには断崖絶壁を登る手段が存在しない。そのくせ死にかけなのだから、尚更望みが無い。

 故に、絶望。


「⋯⋯⋯⋯だれ、か⋯⋯たす、けて⋯⋯」


 カイルは気づけば喉を震わせていた。

 それが目前まで迫る「死」に抵抗する唯一の手段であると、薄々勘付いていたのかもしれない。


 その声はやまびこのように響き渡る。

 けれど、それを聞いた誰かが自分のことを助けてくれるとは到底思えなかった。


 彼は自分以外の探索者をずっと下に見ていた。低俗で、野蛮で、浅ましい。そういう存在としか思っていなかった。

 もし、自分が信頼できる仲間とともに冒険をしていたのなら、ここで死なずに済んだのかもしれない。

 そう思うと、今この場所で死に絶えるのは、因果応報なのだろう。


「⋯⋯まだ⋯⋯⋯⋯死にたく⋯⋯ない⋯⋯なあ⋯⋯」


 そうして、カイルは瞼をゆっくりと下す。

 そこに映るのは、やはり家族のことだった。



 カイルの生まれは探索者の街『アルバム』より少し北、獣人の国『ラーム』よりは南にある名もない農村だった。

 その村は怪我や病気で探索者を続けられなくなった者が集う場所で、彼の父親もそうだった。だからなのか、彼は小さい頃からダンジョンを恐ろしい場所だと思っていたし、そこに通い詰める探索者は全員勇者のように感じていた。それも父の美化された思い出話の所為もあるだろう。


 やがてカイルが十五になる頃、唯一の肉親だった父親が死んだ。村を襲った野盗の集団に殺されたのである。

 父が息子に残した言葉は、強くなれ、だったらしい。


 カイルの胸に去来した感情は、悲しさよりも無常感に近かった。

 あれだけ偉大だった背中が、ずっと追いかけてきた存在が、身体に鉄を入れられただけで崩れ落ちる。その儚さは彼の心をがらんどうにしてしまうほど。

 それでも、カイルは前を向いていた。

 幾度となく聞かされた武勇伝を思い返す。父の最後の言葉を頭の中で繰り返す。それらは彼に残された宝物だったから。


 そうして、カイルは探索者になることを決意した。



 夢から覚めると、そこはまだ渓谷の底だった。

 見上げる空は変わらずの青色で、時間感覚なんてありはしない。

 それでも、カイルは上体を起こせるようになっただけに、自分が十分に睡眠を取ったということは理解していた。


「⋯⋯それにしても⋯⋯⋯⋯良い夢だったな⋯⋯」


 どうやら死に瀕して走馬灯を見るというのは本当らしい、と心の中で自嘲気味に呟く。

 良い夢、というのはその通りで、カイルにとって最悪だったのはこの街に訪れてからの話なのだから。


 探索者は低俗で、野蛮だ。

 暴力、脅迫、賭博、酒、色事。略奪まではなかったけれど、カイルの瞳には探索者があの憎き野盗と同族に映ったのである。

 探索者に抱いていた幻想は一瞬にして砕け散った。父が昔、これと一緒だったと思うと、吐き気がするほど不快だった。

 この街で暮らしていくには、カイルはあまりにも純粋で、潔癖すぎたのである。


 カイルは強くなりたいと切に願った。

 反抗的な目が気に食わないと殴られるたび、コイツよりも強くならなければ、強迫観念に突き動かされてきた。


 その結末がこれだ。

 強くなろうとも人は簡単に死ぬ。ただ足を滑らせたというだけで、儚くもこの世を去る。

 ああ、でも諦めるのにはまだ早い。

 脚は動かなくとも、口は動く。気持ちが振るわなくとも、喉は震わせられる。


 そうして、カイルはまだ見ぬ誰かへ向け、大声を振り絞るのだった。



§



「大丈夫ですかー! 今、行きますからねー!」


 僕は螺旋階段を滑り降りる勢いで、二段飛ばし三段飛ばしに駆け降りていく。

 幼馴染の勇者はというと、階段を半分くらい降りたところで階段から身を乗り出して、落ちていった。かと思えば、風属性の魔法なのか何なのか、風を蹴りながらあっという間に着地してしまった。はっきり言って、最初からそれで降りればよかったんじゃあ、というのは禁句なのだろうか。


 そうして、僕とエリスがユウちゃんの元に辿り着くと、そこには僕たちよりも少し年上らしき青年が、壁を背にして座り込んでいた。その駆け出し冒険者のような装備は真っ赤に染まっていて、ところどころ破れている。きっとこの岩壁に何度もぶつかるよう落ちてきたのだろう。見たところレベルが高いようにも思えないので、生き残ったのは奇跡に近い。


「はい、とりあえずこれ飲んで」


 僕はウエストポーチからちょっと高めのポーションを取り出して、蓋を開ける。状態からして手を自由に動かせそうになかったので、そのまま彼の口元へ持っていって流し込んだ。

 すると、彼の喉が鳴る音が聞こえてくる。どうやらちゃんと飲んでくれたらしい。

 これであと数分もすれば効果が現れるだろう。


「僕はマキ。こっちはユウリで、あっちはエリス。君の名前は?」

「⋯⋯カイルだ」

「カイル君ね。どうしてこんなことになっちゃったの?」


 僕がそう尋ねると、彼は自分の状況を説明してくれた。


 なるほど十分な休息を取らずにダンジョンへ潜って、足元を踏み外したってところかな? 駆け出しの探索者が良くやる失敗である。


「それは災難だったね。でも、命があって本当に良かった」

「それは⋯⋯そうだな⋯⋯」

「でも、ダメだよ。体調管理はしっかりしなきゃ。ソロなんだから余計にね」

「ああ、身に染みたよ。次があるならもう失敗はしないさ」


 確かにこの怪我なら、助かったところでもう探索者を続けられるかはわからない。諦念気味になるのも仕方ないか。


「怪我の状態はどう? 動けそう?」


 そう尋ねると彼は首を横に振った。


「すまないが全身が骨折してる⋯⋯動くのは無理だ」

「なら、ちょっと痛いの我慢してもらうことになるけど、ユウちゃんに背負ってもらおうか」

「待ってました! 俺の出番だね」


 そう言ってビシッとボディビルダーのようなポーズを決めていると、後方から声がかかる。それは少しだけ僕らを急かすようなエリスのものだった。


「ユーリー! いつまで話しているのー? 早くしないと魔法が解けるわよー!」

「ごめーん! 今行くー!」


 ユウちゃんはそういうと、我慢してねーっと声をかけ、カイルを背負う。

 とりあえずは上についてから話をしようか。


 そうして、僕たちは妖精の不思議な力で作り出された螺旋階段を登るのだった。

 まったく人命救助なんて初めてだから、何とかなりそうで良かったよ。



§



 僕たちが渓谷の上へ登り切ると、蛇のようにとぐろを巻いていた樹木は泡のように消えていった。使い手が意図的に消したのか、それとも時間が来て消えたのかはわからないが、最後まで幻想的な魔法だった。


「とりあえず救出! 救助隊のみんなのおかげです!」

「いや、まだ終わってないから⋯⋯」


 僕が一山越えた救助隊のメンバーに労いの言葉をかけると、メンバーの一人からそんなツッコミを受けてしまう。確かに、帰るまでが遠足だもんね。


 すると、幼馴染の勇者は背に負う怪我人を地面へ下ろし始めた。


「それじゃあ、そろそろ始めようか」


 それを聞いたエリスは呆れているようだったが、僕には何のことだがまったくわからなかった。


「ユーリ、まだ掛けてあげてなかったの?」

「安全なところの方が良いかと思ってね」

「早く治してあげなさい。可哀想よ」


 えっ、治すってどういうこと?

 僕とカイル君が脳内をハテナマークで満たしていると、ユウちゃんは何やら壮大な詠唱を始める。


「『其は光。其は輝き。この世を治める秩序にして、遍く全てを包む祝福。汝は――――』」


 なんかとにかくカッコいいことを言っているのはわかるけれど、その全ては理解しきれない。

 この世界の魔法はそもそも人によって扱える現象が異なり、詠唱も十人十色である。だから、一般的に他人の詠唱を覚えようとするのは意味がない行為とされているのだ。まあ僕の師匠曰く、詠唱を聞けばどんな魔法が顕現するかある程度わかる、らしいので、他人の詠唱を聞くことにまったくの意味がないということでもない。


 そんなこんなで、何十節もの詠唱を終え、魔法が完成する。


「『我が力は誰かを救うために――――汝、蘇生せよ(リファクタス・エス)』」


 天空より光の柱が降り注ぐ。魔力の奔流に風が吹き荒ぶ。神の権能にも等しき力が少年へ向けられる。


 僕は目を塞いで足元を踏み締める。そうしなければ、吹き飛ばされそうなほどの暴風だった。

 それから十秒ほどして、光の奔流は収まった。

 目を開けると、そこはいつも通りの『隼の渓谷』だった。


「な、なにが起こったの⁉︎ てか、ユウちゃん何をしたの今⁉︎」

「まあまあ落ち着いて。俺の使える中で一番の回復魔法をかけただけだよ」


 ほら、とユウちゃんはカイルへ親指を向けるので、彼に目をやると、服の上から見ても腫れているのがわかるほどだった手足が、正常な体格に戻っていた。

 当の本人はというと、何が起きたのかわからず、呆然と寝転んでいる。


「どう? 身体は痛くない?」

「⋯⋯ああ。痛くは⋯⋯ない」


 カイルは自分の指を閉じたり開いたりして、身体の状態を確認する。そして、どうやら全身の骨折すらも治っているらしいと気がつき、徐に身体を起こすことにした。


「まるで⋯⋯何もなかったみたいだ⋯⋯」

「それはそうよ。魂さえあれば死んでても蘇生できるんだから。ただの死にかけくらい、なんてことないわ」

「けど、これは出来るだけ秘密にしておいてね。頻繁に使ってると怒られちゃうから。ああ、ギルドに報告する分には構わないよ。でも、友達とかに言うのは勘弁してね」


 どうしてエリスが誇らしげなの? 治療したのはユウちゃんなのに。

 まあでも、その気持ちはわからなくもない。僕だって、ユウちゃんがモンスター相手に無双しているところを見ると、「見たか、我が幼馴染の力を!」と自慢したくなる。


 それはともかくとして、こんなチート能力があるなら最初に使ってあげたら良かったのに。

 そう思い至って口に出そうとした瞬間、その相手はフラッとよろめき、エリスに受け止められる。


「⋯⋯エリス、あとよろしくね」

「ゆっくりおやすみ、ユーリ」


 そんな会話の後、イケメン勇者は意識を手放した。

 ああなるほど、と瞬間に察する。魔法を使用した後、体内の魔力が底を付くと急激に意識が遠のく現象がある。通称『魔力切れ(マナアウト)』。それが今、彼の身に起こったのだろう。


 そして、それを受け止めた彼女はというと、抱き止めて何やら嬉しそうにニヤニヤとしている。


「⋯⋯絶対そのために今使わせたでしょ」

「ち、ちがうわよ! 私は単に街までそのままは可哀想だと思っただけで――――」

「はいはい。ご馳走様です」


 どうやら口の回る様子のお姫様だこと。

 僕はその言葉を遮って、感謝の言葉を口にする。うん、腹八分目くらいだけど、これ以上は胸焼けしそう。


「どう? 歩けそう?」

「ああ、おかげで。不思議なことに疲労感すらもない」


 それは良かった。人生歩ければ基本何とかなるからね。

 歩き続けさえすれば、きっと何処かには辿り着く。それは行きたかった場所ではないかもしれないけど、その場所だって案外美しいところかもしれない。もし、気に入らなかったら、もう一度歩き出せばいい。そうして、歩いて、彷徨って、最終的にはハッピーエンドを目指すのが、僕たち探索者なのだから。


「それじゃあ帰ろっか。救助隊は帰るまでが救助隊だからね!」


 隊のリーダーとしての号令をかけ、僕とエリスは歩き出す。

 その後ろで、カイルからの声が響いた。


「ちょっと待ってくれ」

「⋯⋯?」


「どうして、俺を助けてくれた? 見知らぬ探索者に、どうしてそこまでのことが出来る? 教えてくれ」


 それは完全に無駄となったちょっとお高いポーションや、ユウちゃんの最上級回復魔法のことだろうか。いやどうしてって、君が助けを呼んだから、っていうのは答えにはなっていないね。僕としてはそれくらいのつもりだったのだけど、きっと彼は納得してくれないだろう。この状況だとむしろ、これから彼を奴隷に落として借金を返させる、みたいな方が現実的かも。まあ、この世界に奴隷なんていないんだけどね。

 面倒だし、素直に答えてしまおう。


「うん、そうだなあ。人助けをしたかったから、かな」

「⋯⋯人助け? 本当にそれだけの理由なのか?」

「うん、そうだよ。だって、勇者パーティーの人助けなんてテンプレじゃん。ファンタジー情緒があって良いでしょ」


 僕のぶっちゃけた気持ちを伝えると、カイルは目を丸くしていた。まあ、テンプレとかファンタジーとは何かとか、本物ファンタジー世界で生活している人に言ってもわかんないよね。


 そのやりとりを聞いていたエリスが助け舟を出してくれた。


「マキのやることなんて、一々気にしていたらキリがないわ。そういうものだと思って諦めなさい」

「ちょっとそれ、フォローになってない!」

「良いから、早く帰りましょう。そうしないと起きてしまうわ」


 ユウちゃんに肩を貸すエリスは喜びの表情を隠しきれずに、そのようなことを口にする。

 起きている方が運ぶ必要もなくなって良いんじゃないの? という疑問は口に出さないようにするのだった。



§



 「それは不幸中の幸いでしたね」


 それから何事もなくギルドへ帰還したカイルは、数日のダンジョン内での行方不明の経緯を報告する。

 担当の受付嬢であるネリーの反応は、怒りでも喜びでもなく、安堵だった。それを見てカイルは、思っていたより他人に不安を与えていたのだと気付き、反省する。


 そして、念の為医務室で診療を受けることと、ボロボロになった装備を整えるまではダンジョン探索を休むことを言いつけられることになったが、これに関しては仕方がないと受け入れる。


「カイルさんは⋯⋯⋯⋯これからもソロで潜られますか?」


 担当に少し言い難そうな表情で尋ねられる。

 ソロの危険性はこれまでも十分伝えられてきた。戦術の幅、想定外のことへの対処、行動の選択肢の充実、パーティーの重要性だって、ずっと聞かされてきた。


 それでも、今まではずっと一人で強くなるしかないと思っていた。野蛮な連中(たんさくしゃ)と同じにはなりたくなかったから。


 でも、この街にまだ()()のような人間がいるのならば、信じてみても良いかもしれない――――


「いや、仲間を探してみます。ちょうど時間がありますから」

「そうですか! それなら、こちらからも人材を見繕うことは出来ますので、気軽にご相談ください!」


 カイルはこれからも探索者を続けるだろう。そして、その目的も変わることはない。

 けれど、今回の経験を通して、何のために強くなるのか、は異なっている。

 それは以前のものと比べようもないほど、すっと自分の胸に落ちていく。

 誰かを助けられる探索者になる。

 カイルは今日、その千里の道を一歩前へと踏み出したのだった。


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