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ぽっかり空いた穴と、いなくならないでほしい気持ちと、花火

前回までのあらすじ


おにいちゃんは舞奈を連れて田舎に帰る。おにいちゃんは両親に「またそんなことして!」といわれながらも、舞奈は「こいつをよろしく頼むよ」といわれる。

舞奈は田舎の風景を見て「いいね、こういうところ!」と興奮気味に話すが、おにいちゃんは「よく見て」と諭す。その指さした先には、グローバル企業の看板が並び、その資本が入った工場の労働者たちがスマートフォンを見ながら列をなしてぞろぞろと帰宅していく。夕日とともに液状化していく風景を見ながら、「ここにはここの生き方がある。邪魔しちゃいけないんだ」

そして、ときどきおにいちゃんが見せる、どこか物憂げな表情に、舞奈はおにいちゃんが遠くに行ってしまうのではないかという不安がよぎる。

「埋まらない穴」が、ふさがらない。


学校の勉強で『こころ』を読んでも、『山月記』を読んでも、それ自体はなにも人生の問題を解決しない。ただの絵空事、物語だからだろうか。共感もできなければ、テキストの羅列にしか感じられなかった。『舞姫』なんか、特にそうだ。物語は、それをどうやって分析したらいいのかを語らないし、時代が変われば物語は観察する場所から切り離され、揺らいでしまうからだ、とも思う。その移り変わりは、まるで秋の空のようで、けれども、最近はグ◯タさんがいうように、温暖化で秋だって来ない。これは屁理屈だろうか。


教師の学力にも限界を感じていた。彼らには、世界を覆う構造を説明するだけの力量がなかった。


大学に入ったら、なにか変わるかもしれない。勉学に打ち込んだ。

恋愛どころではない。告白されても、


「あんたになんか興味ないんだ。」


と跳ね返してきた。冷酷だったかもしれない。


満を持して入学した大学。他の大学に通う彼女もできた。とにかく充実した日々だった。


ところがある日、全身が麻痺して動かなくなった。突発性の難病だと診断され、入院、手術を繰り返した。大好きだった大学も休学しなければならなくなった。


「将来性がない。」


今度は自分が振られる番だった。



こういうタイミングで、また嫌な夢を見た。舞奈はもうベッドにいない。

下の階に行ったかな?


「おはよう。」


キッチンで舞奈とおふくろがなにやらやっている。


「おにいちゃん、おはよう!」

「あんた遅いよ。もうご飯できるから、座って待ってなさい。」

「はいはい。」


共同作業でご飯を作っている。馴染んでいるようでよかった。

親父は庭の木の剪定をしているようだった。リタイア、つまり退職してから、そこそこ広いこの家の庭をいじるのが楽しみらしい。


「あ、ニュースにおにいちゃんが大好きなグ◯タさんが出てるよ!」

「テレビついてたのですね。すごいですよね、あんなに若いのに、しっかり考え方を持っていて。」


朝飯をこちらに出しながら、おふくろが口を挟む。

「舞奈さんもグ◯タさんみたいになるの?」

「わたし、バカですから。英語もよく分からないし……。」

「これからよ、これから。でね、これ。」


おふくろは、市の広報から祭りの案内を取り出して、

「あんた、これ行ってきなさい。」

「ああ祭りか。今日なんだね。」

「なにいってんの。舞奈さんと行ってきなさいってこと。」


「お母さん、ありがとうございます!」


舞奈がその様子を目にして、飛びついた。


「でも浴衣ないんだよね。」

「私が着付けてあげるから、大丈夫。」


おふくろは自信満々だ。着付けに関しては右に出る者がいないらしいと聞く。


そうか、祭りに行くのか。そうしたら花火でも見て帰ってくるか。



しばらくして。

奥の部屋から、浴衣を着た舞奈が出てきた。


「おにいちゃん、どう。かな。」


ハッとした。浴衣を着て、舞奈は少し顔を赤らめている。


「いいと思います。うん、その、とてもいいですね!」


奥の方でおふくろがニヤニヤしている。やるじゃないか。


「お前も着るかい?」

「いや、うーん。」

「おにいちゃん、着ないの?」

「着ます。お願いします。」


元剣道部なのだし、まあこういう和物は特に苦手ではない。


「地味なやつを頼むよ。引き立てたいからね。」



祭りの会場は、良くも悪くも、出店に、パレードに、もうなにか自治体の威信でもかけているかのような詰まり具合だった。意外と混んでいるな。


舞奈がサンバに気を取られている。ダンス部、やはりそこか。地元のダンス教室の催しも盛んに出ているらしい。


「ほら。手。離さないで。」

「あ、うん。」

「はぐれないように。」

「ありがとう。」


ところが、混雑具合は相当で、反対側からやってくる大群の人並に、途中から手を繋いでいられなくなる。これはまずい。邪魔しないように、手を離してしまった。


すると、あっという間だった。舞奈は人混みの中に消えていく。


まずい。


本当に、あっという間だった。こうやって迷子が出るのだろうな、などと思いながら、周囲を探したけれども、みんな同じような浴衣を着た人たちで、ダメだ、判別がつかない。


焦りが募る。



舞奈を探しながら、今日の夢の続きを思い出す。悪夢だ。


失意のまま田舎に戻り、なんとか回復したところで、社会に放り出された。生きていくためには仕方がなかったし、働いて資金を貯めて、復学をしようと考えていた。


でも、なにもなく放り出された労働では、お金なんて貯まらない。土建屋、警備業、工場などを転々として、ひとところに収まることもできない。社会や会社組織はグローバル化によって「流動化」していたのだ。自分が辞めても、代わりはいくらでもいる。派遣会社から新しい人がやってきて、会社の穴を埋める。


自己否定感に苛まれながら、不安定で無理な仕事をしていく中で、心の内側に「埋まらない穴」だけが広がっていった。貧困を憎む日々が続いた。精神は軋み、どこかにぽっかりと空いた、埋まらない穴がただ膨らんでいった。


そんなとき、本当に適当に書いたエッセイが出版社に通り、大ヒットしてしまう。それは、読者の感性と、あとはほとんど偶然によるものだった。自分の実力ではないこの「偶然」によって、大量の資金を手に入れた。それでも、まだ埋まらない穴があった。


文化の中心は東京で、どうしてもここに人が集まる。仕事の都合もあって、再び上京をすることになる。でも、もう精神的にも肉体的にも、疲弊していたのだ。知り合いの多い場所に行けば、何かが変わるのではないか。上京には、そんな淡い期待がどこかにあった。


そうやって、偶然にこの学園に帰ってきてしまった。DIYではダメだった。この穴を塞いで欲しい。


今、やっとそれが見つかりそうなのに。やっとつながっていた細い糸が切れるように、考えのまとまったそれが、うなぎのように手の中から逃げてしまうように、もどかしい。探さなきゃ。探さなきゃ。どうする、私。



2歳の頃に、両親は離婚したそうだ。離婚したということを、その意味を知らなかった。毎年送られてくる仕送りだけが、今となっては両親の面影を知る唯一の手段になってしまった。


育ててくれた祖父母は明るく接してくれた。期待を裏切らないために、そして、両親に褒めてもらいたくて、勉強に打ち込んだ。大切なひとたちのために、パパとママに、振り向いてもらえるように。そうして、この地区で一番難しい学園の試験を通過した。でも、パパとママにはずっと会えていない。寂しい。


大切なひとが離れて行かないように、明るく振る舞った。けれども、どうしても怖かった。


高等部に入学する頃、祖父母は相次いで亡くなってしまった。また大切な存在が、遠くに行ってしまう。もう、なにもかも嫌だった。


パパ、ママ、今どうしているのだろう。会いたい。けれども、もうダメかもしれない。


そんなとき、大川先生がおにいちゃんと引き合わせてくれた。顔の見える大切な存在が、やっと見つかったんだ。


でも、怖い。おにいちゃんも、またどこかへ行っちゃいそうで。ひととの間に透明な壁1枚隔てているような態度も、時折見せる物憂げな視線も、不安にさせる。


もしかして、わたしが生まれてきたことそれ自体がいけないことなの?人はみんな負い目を背負って生まれてくるの?


今またはぐれてしまって。どうしたらいいの?生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。いくらでも謝るから、いい子にするから、見捨てないで。離れていかないでよ。



「見つけたよ。」

「おにいちゃん……!」


舞奈は泣き腫らした目のまま、こちらに抱きついてくる。抱きかかえて、


「大丈夫。頑張ったね。」


頭を撫でる。


「わたしがバカだからいけないんだ。迷ったりして。ごめんね、ごめんねおにいちゃん。生まれてきてごめんなさい。」

「自分を蔑むものではないよ。」


大川先生の言葉が頭に浮かぶ。


「でも、わたしのせいでおにいちゃんを困らせたんだよ。わたし本当に悪い子なの。」

「大丈夫。」

「こんなわたしでも、離れていかないでくれる?」

「助けてくれないと困る。」

「本当に?」

「ええ。そうですよ。」


舞奈が、もしかしたら、この穴をふさいでくれるのではないだろうか。自分が彼女に何かできることは、あるのだろうか。


かけがえがないのだ。きっと。自分は、舞奈に対してそうなれるだろうか。


なにかを、見つけた気がした。


「そろそろだ。間に合ったんだよ。」

「へ?」


大きな音がして、火の玉が宙に舞って、すぐに大きな花になった。


「綺麗!」

「5000発くらいは打つそうですよ。東京に比べたらスケールは小さいかもしれないですが。」

「んん、スケールじゃないよ。一緒に花火見ることができて、嬉しい。」

「うん、そうですね。」

「でも、おにいちゃん、どうしてわたしのいる場所分かったの?」

「ほら、GPSの情報共有、オンにしてあったでしょう?」

「ああ、それで。」

「下手に連絡して、端末の電池消費させるよりはいいかなって。」

「おにいちゃん。ありがとう。」

「空からなにかが見守ってくれてた、ということですよね。不思議なものです。」

「うん。」



花火が終わると、家に帰り、親父に事情を説明する。

もちろん、カミナリが落ちた。


「舞奈さんとはぐれたって?お前はまたそんなんだからダメなんだよ!」

「すみませんでした。」

「そんなのでちゃんと引き請けられるのか。子育てってのは、生易しいものじゃないんだぞ!」


「お父さん!」

舞奈が制した。

「大丈夫です。おにいちゃんは、しっかりしたひとです。だから、その、大丈夫です。」


「……うむ。とにかくだ。」

親父は少し間をおいて

「とにかく、お前は、もっときちんとするんだぞ。」

家父長こうあるべし。もはや理屈ではない。精神論だ。旧大日本帝国陸軍の息子はこれでいいのかもしれない。


話を終えて、2階のリビングにあがる。


「助けてくれ、って、そういう?」

「いやまあ。それだけじゃないよ。」

「ふーん?」

「DIYでなんでもできるように私は強くはない、ってことでしょうか。」

「なんかわかんないけど、うん、わかった!」

「こんなんだけど、頼むよ。」

「頼まれちゃった、へへっ!」



「長居したね。」

「気をつけて帰るんだよ。」

「おふくろも達者でな。」


「舞奈さん、息子を漢にしてやってくれ。」

「はい。喜んで!」

こいつら、すっかり意気投合しやがって。


「ほら、帰りますよ。」

「うん。」



帰りは、小田原まで新幹線に乗り、ここで私鉄の特急に乗り換えて、のんびりと学園を目指す。


「お土産も買えたんだ。おおかわの限定キーホルダー!」

「お、おおかわ。それ先生にあげるのですか?」

「そそ。周りにも配るー!」


一瞬だけ、大川先輩の渋い顔が頭に浮かんだ。


「そうしたら、暑くなってきているし、プールに水でも。」

「本当?やったー!」


ここで「勉強ちゃんとやるんだぞ!」というのは彼らには必要がない。毎日コツコツやっているから、私のように一気にやるわけではないのだ。エライ。


さて、舞奈には、どんな風に自主的に勉強に打ち込めるような「誘導」をするのがいいだろうか。子育ての悩みは深い。「旅は嫌い」だけれども、いずれにせよ、今回の旅行でなにか掴んでくれたら、そしてよい思い出になってくれたら、それで目標は達成されて、よかったのだ。


それでも、ひとつ気がかりなことがある。それを、大人の力で解消させなければいけない。


「楽しかったよ。おにいちゃん、ありがとう!」

「まだまだ夏ははじまったばかりです。よい思い出を作りましょう。」

「なんだかそれ、学校の先生みたい。」


たわいのない会話をしているうちに特急が発車する。家に帰ろう。


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