過去の扱い方
軍隊のような仕込みのあと、私は現場の最前線で、屯する輩、違法駐車するトラック運転手、不良などと、警棒を持ちながら「交渉」してきた。事務所に帰ると、遅刻した部下が同僚に殴られている。毎日がこれだ。そしてフーゾクが趣味で、その話しかできない同僚。迷い犬を処分すれば、あいつが処分したと、犬以下の扱いを受ける。そして、これが、「大きな物語」を失って、液状化した社会の最深部だ
ここから自分で抜け出さなければ。自力で周囲を変えていかなければ。でも、どう考えてもそれは無理な話だ。集団を個々にバラバラにした上で、「自分」で考えるようにさせる「権力」が働いている。わかっている。この労働には意味がない。今日も低い犯罪発生率を背に、なにかが機械警備に引っかかって、誤作動している。
破壊しよう。テロを引き起こそう。たとえ5W1Hを用いたところで、誰に私の、何がどのように分かるというのか。どこに居てもそうだ。分からなくていい。知る必要も、知らせる必要もない
どうにもならない
……。
「ただいま」
舞奈の返事がない。部活で疲れて寝ているのかな?
とりあえず手を洗うために、バスルームへ。戸を開けて
「キャッ!」
「?!」
「入ってたの?ごめん!」
舞菜が目を細める。唇が微笑んだ。
「おにいちゃんなら、いいよ」
「バタン!」
その場はとりあえず戸を閉めてみた。
「おにいちゃん」
「お風呂出たのかい?」
「うん」
そういうと、舞奈はソファーの隣の席に座り
「ねえ、膝枕して」
「しょうがないなあ」
ゴロンと膝の上に転がる。
「さあ、そろそろ寝る時間だ。私は先に寝ますので」
「ねえおにいちゃん」
「なんでしょう?」
「寂しくてひとりじゃ眠れないよぉ」
「しょうがないなあ」
……。
翌日。編集者の澤柳さんが来ていた
「ねえさわやなぎー、女の子ってどうしてエッチなんだろう」
「そうですか?」
「そう!信じられない!!」
「なにを急に少女漫画のヒロインみたいなことを」
「だってぇ。バスルームのドアを開けると下着で誘惑してくるし、隣で膝枕求めてくるし、寝入っていれば隣に入ってくるし……」
「今度は付き合いたてのカップルの惚気話ですか。いいですね!聞きますよ」
「たしかに幸せだけれども、相当な『甘さ足し』で、どうかと思うのよ」
「そういうのは、舞奈さんに好かれているサイン、なんじゃないですか?彼女のこと、好きなんでしょう?」
「好き?そんなの、わからないよ」
「最低に映りますよ。そういう煮え切らない態度は、やがて嫌われる原因になります」
「嫌いじゃないし、嫌でもないよ。嫌われたくもない。愛おしいものさ。でーもさー、今は一線画しておきたいのよ」
「どのみちあと1年も経てば、先生たちは結ばれる運命でしょう?」
「運命?都市にいるというのは、偶然の産物ですよ。でもね、でもだよ。本当に好きかどうかなんて、推し量れないじゃん、ねーもーどーしよー」
「それは、恋しているのですよ。舞奈さんに」
「恋?」
「そう、恋です。そうやって相手のことが気になっているではないですか。先生は他人に対しては優秀なフィクサーなのに、ご自身に対しては自信がなさすぎます」
「どーしてこんなことに」
「そういうところですよ」
「うぅ」
「お互い恋しているのは見え見えです。そんな態度では倦怠期に入ってしまいます、まったくじれったい」
「でもさ、恋って終わりのはじまりだよ。愛し合うか、はたまた友情をも奪っていくか」
「先生、オトナになって。もうそういうのは経験してきたでしょう?」
「何度経験したって血を見るのは嫌なものですよ」
「極端な表現を。そう弱腰にならずに」
……。
「私の勝手なことなのだけれども」
「どうしたの?」
「舞奈のこと、もっと知りたいっていったら?」
「嬉しい!でもね、悲しい話も多いから」
「無理に話す必要はないよ。それに、気が向いたらでいい」
「うん。」
「やっぱりさ、和カフェと韓国っぽカフェと猫カフェ、どれがいい?みたいな話じゃないよね。過去の話になっちゃう」
「そうだよね……。わたし、おにいちゃんに弱さを打ち明けたいのかな、って今思った」
「私も同じですよ」
「どうしたらいいと思う?」
「どうにもならない。過去はどうにもならないし、都合よく記憶って変わるものだと思う」
「うん」
「そしたら、今を楽しまなきゃ、だよね」
「おおー!わたし、おにいちゃんのそういうところ好き!」
「そういってくれると嬉しいよ。理詰めなんだけどね」
「というと?」
「通時より共時、みたいな。」
「言語学?」
「よく知ってるね、まあそんなところ。だから、もっと私も積極的になろうと思う。でもね、もう少しその、融合していくための反応はゆっくりでいいと思っていて」
「うん」
「だからさ、急に今ここで爆発します!ってのは、期待しないで欲しい」
「おおー、心の準備だ」
「そうだね」
「そういうスタンスで、いかにも自分が規律を守る大人だって見せつけたいんでしょ?でも、いいよ、おにいちゃんがそれでいいなら。でもこれはフィクションじゃない。現実なの。おにいちゃんは、狭い工場の中の規律に支配されている」
「手厳しいね」
「わたし、もう心は決めてるし、我慢できないかもしれないよ。おにいちゃんは、耐えられるの?わたし、わるい子かもしれないよ?」
「どうかな。でもそういう、都合よくいかないところも、私は好きだよ」
「『あなた』の過去なんて、すぐに忘れさせてあげる。わたしの青春を、くだらない規範意識で奪わないで。あなたはあなたの過去で、私の未来を書き換えようとしているだけ」
「『きみ』に私の人生を捧げてもいい。社会的な大人の私は捨ててしまおう。約束するよ。過去を忘れさせてくれるならね。きみの未来に比べたら、大した過去じゃない。それで、きみの未来は?もちろん、未来のことなんてわからない。少しでもいい、何か思い浮かんだら教えて欲しい」
「未来?」
「保険をかけているわけじゃないよ。純粋に知りたいのさ。私の過去よりは輝いていて欲しい。もう、まぶしいほどだけれども。気が向いたらでいいよ。少し時間を置いてもいい」
……。
そのころ。料亭で、山高帽が切り出す
「私情で恐縮ですが、彼はどういう?」
オヤジさんが口を開く
「票集めでも票読みでも天才的な裏方。事務方にいたら、フィクサーとしても一流」
「と、申しますと?」
「ある市議会議員選挙で、組織の応援もなにもない若い候補が突然トップ当選してね。調べたら、裏方に彼がいた。それだけではない。聞けば倅の後輩で、とんでもない策士らしい。人脈もある。個人的には評価している。ただ『学者肌』らしくてね」
「なぜ民間の現場に?」
「革命でも起こしたかったんじゃないか?まあもう過去の話さ」




