遭遇
上京して2日目。
荷物の整理も終わり、暇をしていると、通話アプリに着信が入る。
「どう?慣れたかい?」
「いやあ、二度目の上京ですから。」
「優秀な後輩が来てくれて嬉しいよ俺は。」
「とんでもない、ただの頭が悪い苦労人です。」
「まあそう自分を蔑むなよ。」
通話の相手は、学園からオックスフォードを経て戻ってきた大川先輩。
いわゆる天才だけれども、同じ部活だったこともあって、学生時代から親しくしている。
気にかけてくれるのは大変ありがたい。
ただし、こんなところで一体この天才はなにをやっているのだ、とは思ったりはする。
「ところで、頼みがあるんだ。」
「先輩の頼みごとでしたらなんでも聞きますよ!」
「今、なんでも、っていったよね?まあとりあえず、少し長くなるから。後で会える?」
「近場に越してきたことですし。全然、構いませんよー!」
「じゃああとでメッセ入れるわ。後ほどね。」
「はい、後ほど!では、失礼いたします。」
☆
「学生をひとり預かってほしい。」
「へ?」
呼び出された駅ナカの蕎麦屋でいきなり切り出された。
預かる?
「男の子でしょうか?」
「いや、女の子だよ。」
頭で理解が追いつかない。
この先輩は、なにをいっているのだろうか。
いよいよ頭のネジが飛んでしまったのだろうか。
「ダンス部のJKだぞ、かわいいぞ。お前もさ、そろそろそういう年頃だろ。」
論理を飛躍して謎の力説をする大川先輩。
「どういう年頃なんですか!」
「いやまあ頼むよ、一緒に住んでやってくれ。お前ならできるよ。」
「先輩、私の好みが年上だって知ってますよね?」
「かわいいぞ年下も。」
「いや、そういう問題ではないのでは?」
「冗談だよ。」
「どこまで?!」
できるとかできないとかいう以前の話ではないか?
なにを企んでいる?
どんな意図が?
それでも、なし崩し的に、そのまま明日その学生と会う約束を取り付けられてしまう。
先輩には逆らえないのだ。
会えば嫌がるだろう。
翌日の予定に、どこかそんな甘えがある。話はそれで終わりだ。
☆
大きな音がする。
普通の人が聞いたら、騒音に聞こえるだろう。
金属のパイプを、加工する。
また、全く同じものを加工する。
終わることはない。
ただひたすら、毎日、何年もそうしてきた。
これは、プレス機の音だ。
手順を一歩誤れば腕がなくなる、そういう危険な作業だ。
でも、逃げられない。
一生ここで、この材料をプレスし続けて、気がついたら死んでいる、そういう人生も悪くはない。
そうだな、そういうものだろう。
大きな音は周期的になって、やがてアラームに変わり、目が覚める。
時間は逆に戻るものなのだろうか。
また自分が東京にいる。
これが現実だ。
そろそろ起きよう、そう決めた。
今日、どんな服装で行くべきか。
決まっている。
学生が一番親近感のわかない服装。
英国製Turnbull&Asserのシャツに、英国製Aquascutumのジャケットとチェスターフィールドコート。
昼は三郎のにんにくラーメンにして、英国製のタバコも吸ってやる。
新宿へGO!
東京サイコー!
三郎を食べて、喫煙所でタバコを吸い、新宿から特急で学園に戻る。
時程は守られている。
労働者として完璧だ。
今日の残りの案件を済ませたら、だけれども。
駅から徒歩3分ほどだろうか。
学園の中に入るのは数年ぶりだ。
守衛さんに呼び止められる。
「久しぶりだね。」
「覚えていらっしゃったのですか?」
「もちろん。警備員だからね。病気して休学したって聞いていたよ。」
「ええ。で、今日は高等部の大川先生に用事がありまして。」
「きみの先輩だったね。うん、行ってらっしゃい!身体には気をつけてね。」
「ええ、お互い健康第一でいましょう。」
門から入って、高等部の方へ向かう。
スピーカーから出ている洋楽の音が聞こえてくる。
米国のものだな。
少し歩いていくと、正面に、ダンス部の生徒たちがいて、練習中だった。
あまりジロジロ眺めるのもおかしいので、遠目にチラチラと景色を入れる。
そこで、ひとりの際立って輝いていた少女が目に留まる。
周りとの動作の整合性も、その中での個性も、際立っていた。
「ああ、ダンスとか。青春だね。」
などと思っていると、その少女がこちらに向かって駆けてくる。
その先には大川先生。
すれ違った瞬間、爽やかな一陣の風が吹いた。
「おおかわッ!」
「おお、かわ?」
「こいつだよ。」
大川先生の声が響くと、少女は振り返る。
「おにいちゃん?」
☆
「今日は、いい天気ですね。」
一陣の風が吹いた、気がした。
スベっただろう。
これでいい。
シベリアにある永久凍土をここに召喚したのだ。
Здравствуйте.
けれども、すぐにミスに気がついた。
悪手だった。
「フフッ。おもしろーい!」
この学園の悪い「ノリ」だ。
とりあえず変なやつでも、どう滑っても「ノリ」で片付ける。
これが、この学園のエコシステムを支えている。
部外者だろうととりあえず取り込もうとする。
この連中は、進んで排気ガスを吸いに行くのだ。
思わぬ排気ガスで、地球温暖化が始まっている。
心の中でグ◯タさんがそう囁く。
もう止められなかった。
なにを企んでいる?
どんな意図が?
全力の疑いの目で大川先輩の目を直視した。
こちらの目は定まっている。
気まずそうに、お互いが逆の方へ顔を逸らした。
「オヤジの頼みでさ。」
「なるほど。」
「ほら俺、ファザコンだからさ。察してくれ。」
「それは知りませんでした。というか知りたくありませんでした。残念です。」
「冗談だよ。」
「教師というのは面白い冗談をいうのですね。」
「察してくれ。」
「まあ、ええ。お察し申し上げます。」
先輩の「オヤジ」、すなわち父親。
それは度々ニュースを騒がせる多選の大物国政政治家で、今は国家公安委員長を勤めている。
オヤジさん、私になにかを背負わせようとしているのか。
「わたし、舞奈。今日からよろしくッ!おにいちゃん!」
まさか妹ができるとは。
「舞奈さん、どうして、『おにいちゃん』なのかな?」
苦笑いを隠して冷静に聞いてみる。
「うーん、両親は一応いるけど、おにいちゃんはいなかったから、みたいな?」
両親は、「一応」いる。
引っかかった。
両親は、一体なにをしている?
突然、舞奈は手を握り歩き出す。
「じゃ、行こ!おおかわがいってた。家、目の前なんでしょ?」
おどおどしながら引っ張られて、そのまま歩きはじめながら、大川先輩の目を見る。
その目には、なにか安堵の感が出ている。
こちらとしては、まだ承服いたしかねるが、それは、どうやら自分とは関係のない大きな流れを背に、はじまってしまったのだ。
「じゃあね、おおかわー!」
「気をつけて帰るんだぞ。」
大川「先生」はこちらに向けて大きく手を振っていた。
二度とこの案件を返してくんなよー、という信念を持った手の振り方だ。
そう思った。
☆
「おにいちゃん、三郎のラーメン好きなの?」
「臭うかな?腹に溜まるからでしょうかね。」
「わたしも好きー!それにね。」
「それに?」
「タバコ吸う人って憧れなんだ、なんかカッコイイじゃん?」
「これからは控えるつもりですよ。」
「えー、どうして?」
「さあ。教育に悪いでしょう?」
観察眼の鋭さに驚く。
そして、間のないコミュニケーション。
頭がキレるのだろう。
「それって、わたしのこと受け容れてくれるってこと?うれしー!」
「……そうですね。」
そういうことなのかもしれない。
私の負けだ。
まだ意図は判りかねるけれども、そうこうしているうちに家についた。