1.とある夜の出来事
魔族は人を襲い、人を喰らう。
昔から、そんな話を聞いてきた。
しかし実際に、そんな恐ろしい光景を目にしたことはない。
そして、目にすることなど一生ないと思っていた。
僕───レオン・ヒルデカントは、小国ヘンズワースにて暮らしている。
ヘンズワースはとても小さな国で、そのほぼ中心にある都から国境までは、乗合馬車で二日も揺られれば到着する。つまり、この国を縦断───もしくは横断するために必要なのは、たったの四日間。乗合馬車で四日しか掛からないのだから、馬を飛ばせば二日も掛からないだろう。
ヘンズワースは、それくらいに小さな国なのだ。更に言えば、そんな小さな国の小さな街、ダルタスにて僕は暮らしている。この街は一年を通じて温暖な気候に恵まれ、人々の気性は穏やか。争いごとは滅多になく、皆が仲良く助け合って暮らしている。
なんとも平和な街。それがダルタスだ。
だけど最近、イヤな噂を耳にした。
それは、【紅紫色の狂殺者】と呼ばれている魔族の噂。
その魔族は、紅紫色の髪と瞳を持ち、圧倒的な戦闘力を有しているらしい。魔族は皆、一応に恐ろしい存在なのだが、【紅紫色の狂殺者】は別格だ。
紅紫色の髪を振り乱し、同じく紅紫色の瞳を爛々と輝かせ、怒り狂い、暴れ狂い、猛り狂い、人々を殺していく。そうやって多くの人間を殺してきたし、そして今もなお、殺し続けている。
そんな魔族が、この街の近くに現れたそうだ。
ある日の夜、僕は目を覚ました。なにか聞こえたような気がしたからだ。真っ暗な部屋の中、僕はベッドから体を起こし、手探りでテーブルを見つけ出す。
四人掛けのテーブルの上には、いつも寝る前に最新式のランタンを置いている。そのツマミを捻ると、オレンジ色の明かりが灯る。それにより、部屋の中は仄かに明るくなった。
数年前までは火を用意しなければいけなかったが、今はツマミを捻るだけで明かりが灯るのだから、便利な世の中になったものだ。
そんなことに感心しながら、耳を澄ませる。
するとまた、なにか聞こえた。
僕はランタンを手に、玄関扉へと向かう。
外は、闇。
今宵は月の姿はなく、街は完全なる闇に包まれている。家々の窓から漏れている光はなく、その状況から今が夜半であることを窺い知れた。
そんな闇の世界の中で、唯一の明かりは僕の手元にあるのみだ。ランタンを少し上げ、周りを見る。しかしその明かりは弱く、あまり遠くまでは光を運んでくれない。街の様子を窺うには、かなりの力不足。そんな中、僕はまた耳を澄ませる。
するとやはり、なにか聞こえる。
それは、人の声のようにも聞こえた。
僕は家の前から歩を進め、比較的広い通りにまで体を運んだ。そこから辺りを窺うが、見えるのは闇の世界のみ。僕のランタンでは自分の足元を照らすのが、やっとだ。大人しく帰宅しようかと思ったが、そのとき、またまたなにかが聞こえた。
それは、たしかに人の声。それも叫び声だ。
僕は声がした方へと、足早に進んだ。
体を進めるにつれ、叫び声は大きくなる。しかしそれは、先程の声とは音色が違う。それどころか何度か聞こえてきた叫び声は、毎回その音色が違っていた。
やがて辿り着いたのは、街の中心付近に位置する教会の前。叫び声は未だに続いている。継続的にではなく、断続的に。そしてやはり、その音色は毎度異なっている。
僕は恐る恐る階段を上がり、教会の扉に手を掛けた。
すると、ひとりでに扉が開く。
僕は手を掛けただけで、押してはいないし、引いてもいない。それなのに教会の扉は、僕から遠ざかるように開いた。
扉が開いた先にいたのは、一人の人物───いや、一人の女性だ。その顔は見えてはいないが女性であることは、たしかだ。
垂れている僕の腕の先にあるランタンの明かりは、目の前の人物の足元から胸の辺りまでを照らしている。そしてその胸の辺りには、黒い布地に隠されている大きな膨らみ。それにより、その人物が女性であることが分かった。
女性の背後には、明かり。どういうワケか、夜半の協会に明かりが灯っている。それは、僕のランタンよりも遥かに力強く灯っている。とはいえ、その明かりが女性の顔を照らすことはない。逆光になっているためだ。しかし、照らされているモノはある。
それは、無数の死体。
教会の中には、いくつもの死体が転がっていた。




