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第四十二章  ---バックグラウンド---  (1)

(注意!・・・戦争反対。実際に戦争により

 亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

 人によっては気分を害す恐れもあります。)


 ---この章は飛ばして下さい---


― 地球暦2221年 ―


行きかう多くの人々の声と車のクラクション、

京都中央ポルテシティの新京都ポルテ駅の

北側ターミナル入口に相応しく、変わらずの

雑踏の光景だ。


この広大なスペースを含め全て地下1階部分だ。


太陽光の明るさとは違い、スカイと呼ばれる

(人口天井)までの距離は50メートルほどあって

人工的な白く冷たい光が、天井に付いた多くの

灯から射していた。


この紫外線の除かれた人口的な光に触れても

日焼けすることはない。


今の時間、地下都市部全体がオフィスの蛍光灯の

様な明るさだった。


この地下1階で見る新京都ポルテ駅舎は、

東西500メートル程あって、中央部分が

二階建ての天守閣に見える。


左右には平屋建築のようで日本瓦の屋根が続き、

白壁は、白樺木造に見える模様など細工が施された

1億度の熱に耐える強化コンクリートで出来ていた。


その造形は旧奈良県の200年前の国立博物館を

オマージュして建築されたそうだ。


その駅は新京都ポルテ駅と名付けられ、5線に

及ぶJRと3線の私鉄を始めバスターミナルも

併設されている。


◇◇◇


80年前の大陸1年戦争で、大陸の旧ダゴン連邦国

所有の軍事衛星から、1発の戦略核ミサイルに

よって、旧京都駅を中心に都市は大きく破壊された。


後に誤爆であったや、旧国家主席の死亡と同時に

発動する自立型QCAI(量子人工知能)の暴走を、

止められなかったとか多くの伝承が存在する。


その戦争終結から5年後、西側主導による

新国家主席の誕生と共産主義国家の終焉。


経済も含め新民主主義への移行、戦争の保証問題

など世界的にも大きな歴史の転換点となった。


当時の「倭の国」に対し新ダゴン連邦国からの

正式謝罪はあったものの、その旧軍務省の人間は、

粛清されたり逃亡したりしていて、軍事衛星からの

戦略核ミサイル発射の原因は、不明のままと

なっており、保障問題は今も裁判は継続中

ではあるが、うやむやとなっていた。


また、旧ダゴン連邦国の次に被害の大きかった

「倭の国」に於いては、その原因とも言える、

国会議員や地域の指導者たちの海外逃亡、

自衛隊背広組の業務放棄、敵前逃亡により、

命令系統が全くの機能不全を起こし、それが元で

10万人以上の隊員の尊い命が犠牲となった。


自衛隊の背広組で最後まで指揮を執ったのが

後のセブンビルダーズの一人、九条時貞だった。


当時の彼は自衛隊サイバー部隊の責任者であり、

敵国のUCAI等の機能停止を最大の目標としていた。


海を越えやって来る無人飛行兵器の機能停止を

繰り返し行いながら、背広組が逃亡した事を知ると、

国内の全自衛隊の命令系統の機能回復を図った。


それでも「倭の国」全域の、自衛隊の混乱した

指揮系統を把握するのに約一週間を要した。


その後、九条時貞は当時のユニタリカ陸軍、

ユニタリカ海軍の将官それぞれに連絡をとり、

戦略を練り直し、自衛隊は実質ユニタリカ軍

の指揮系統に統合された。


西側の大国、ユニタリカ国の情報部(UCIA)

では実際、戦争終結後、日本に向けた戦略核

ミサイル攻撃は、誤爆でなく、確実に狙った

ものだとする情報が確認されている。


またQCAI(量子人工知能)の暴走が起これば

西側全諸国に向けて、数十発の核ミサイルが

同時に発射されてなければおかしい、とする

見方もあったが、最終的には旧ダゴン連邦国

所有の、軍事衛星からの「倭の国」に向け

発射された1発だけだった、とする報告書

で決着していた。


その時に、ユニタリカ国や旧EUヨーロッパ連合

からの、反撃の為の核ミサイルは飛ばなかったと

記録資料には残されていた。


◇◇◇


西暦2140年3月1日 京都市

その日は朝から雲一つない晴天で、

ウェザーニュースでは春を思わせる

暖かな陽気で、晴れて気温18度、

風もなく穏やかな1日になる予報だった。


京都市では戦争による疎開もあって、

旅行も禁止されている為、京都駅も

いつもよりか人は少なく、まばらに

電車を待つ光景が見えた。


大気圏外高度6000キロを周遊する

ダゴン軍事衛星から発射された戦略核弾頭、

その1発は、マッハ15という驚異の速度で、

大気圏内に突入し旧京都市の駅の上空

500メートルで爆発した。


爆発の中心の瞬間温度は200万度を超え、

1秒後には半径700メートルの光球となって、

地上を金属の沸点をも超える、4000度の

熱線が襲った。


次いで恐ろしい爆音が轟き渡る!


10秒で爆心地から半径2キロの建物は

高熱線で、鉄は溶け、コンクリートは爛れ、

この刹那で、約5千名の命の火が消えた。


爆心地から半径2キロは高熱と爆風により、

90%の建物がほぼ全損壊していた。


爆心地に建つ京都駅ビルは溶けて焼け爛れた

太い鉄骨のみを残して見る影も無くなった。


半径4キロまでの木造の住居は火災が発生して、

ほぼ全半壊していた。


◇◇◇


当日の午後、残存放射能を考慮して、爆心地

から半径2キロ内はガイガーカウンターを

付けた救助ロボットがまず生存者を捜索(そうさく)した。


所々に残った、建物のコンクリートの壁に、

薄黒く親子の様な人間の影が浮かんでいる。


爆心地2キロ以内で、地上での生存は誰でも

難しいと一目で解る。


2キロ以遠はすでに6時間は経過していたが、

自衛隊原発災害(げんぱつさいがい)チームとオレンジレスキュー

部隊が防護服を身に着け救助にあたった。


京都駅から南方向、距離にして約600m

程にある、寺院だったであろう鉄筋

コンクリートの建物は、一辺の南北の壁

だけを残し崩壊していた。


その上空100m程の空中に、人間の目では

見えないが、金色の 髪の長い女性が浮かんで

()り、そこから光の帯が崩壊した建物に向け

伸びている。


そこは高さ7メートル程まで崩れ積もった、

瓦礫(がれき)の山があり、表面が焦げて溶けており、

その崩れたコンクリートのいくつもの隙間

からは、もくもくと黒煙が上がっている。


その瓦礫近くは、現在も外気だけで200℃を

超えている。


超高温の熱風に当てられた惨状は、素人目(しろうとめ)

にも、はっきり判る。


まだ高温で、放射能濃度も高く、人間が行う

捜索(そうさく)が認められていないこの爆心エリアに、

宇宙服を薄くしたような、白色と赤色の耐熱スーツ

を着た者が2人と、軍事用アンドロイドが

2体、捜索に当たっていた。


アンドロイド2体は数々のセンサーを働かせ、

瓦礫(がれき)の中に何かを発見した。


大きな瓦礫を2体が両端を持ち上げ、移動させ

始めた。


何度か瓦礫を移動させた後、よく観ると隙間に

小さな子供の手が見える。


赤い耐熱スーツを着た者が、何かを叫びながら

走り寄っていった。


手が少し動いたようにも見えた。


◇◇◇


1週間して海外からもレスキュー部隊が到着して

各国、黄色や緑、白などの耐熱放射能防護服を

着用して救助にあたった。


経過日数を考慮すると、生存者の救助というより、

遺体の発見、搬送が主な任務といえるだろう。


連日マスコミは市内の被害状況を報道した。


都市人口の9割以上の人間が疎開していたものの、

残っていた一般市民30万人の内 死亡者を除く

約2万人以上が重軽傷を負い、80年後の

今日までで、この核爆発が原因とされる死亡者、

行方不明者は、約2万人を数えた。


建物の全半壊も5万戸以上あり、当時の日本国内

においても、京都市は北海道に次ぐ民間人の

死者が出た地域となった。


◇◇◇


有難うございました。

続きが読みたい。いい感じ。興味ある。仕方ないな。

関心を持って下さった皆様。

【★★★★★】をお願い致します。

とても励みになります。

ブックマークも出来る方は、

どうぞ宜しくお願い致します。(りん)

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