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はなまるをあげよう  作者: 伊藤あまね。
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6章

「美味いわー、マジで美味いわ、ユズー。あー、俺しあわせー」

「たくさん作っちゃったから、いっぱい食べて食べて。なんなら持って帰ってもいいし。」

「マジで?そうしようかなー。もうホントねぇ、俺、全然まともなの食えてなかったから…」

「そうなの?でも全然肌荒れたりしてないじゃん。」

「野菜とか魚とか食うようにしてみたの。でもさー、なんか全然美味くない。やっぱユズが作ったのがいい。」

「またそんなお世辞言って…ご飯のお替りは?」


 返事の代わりに空になった茶碗を差し出すと、ユズは呆れたように、でも嬉しそうに苦笑してそれを受け取ってくれた。茶碗の中の真っ白なご飯粒までユズのように笑っているように見えた。

 お世辞なんかじゃないよ。ユズに逢えなかった間、俺の食事はたった数日でもひどい味だったんだから――――鮮やかな緑色の青梗菜を摘み、白飯と共に飲み下しながら俺は言葉を飲み込む。

 一方で、肉や野菜を咀嚼して飲み下しながら、一昨日とついさっき知ってしまった事が幻になればいいと思っていた。

 久々のユズの手料理は本当に美味しくて、口にできたことがとても嬉しくて仕方なくてしあわせな気分であるのは本当の事なのに、どうしても頭の片隅には気になって仕方がない真実の存在が影を落としていた。

 その存在を意識しないでおこうと料理を食べることに神経を注げば注ぐほど、それは影を濃くしていった。真実から眼を逸らすな、そう、静かに主張する影の気配が表情や言葉の節々に出してしまわないように耐えることに必死になっていた。

 人を問い詰めるほどの意気地もなければ、欺くほどの度胸もない……俺は、所謂心理戦的な言動が苦手だ。

 苦手、というよりもからきしできないと言った方がいいだろう。アタマがキレないという問題以前に、相手や自分の精神に負担が掛かるような状況に耐えられないのだ。

 昔から、子どもの頃からそうだった。逆転のチャンスの懸ったシュートを、俺が打たなきゃいけないサッカーの試合だとか、自分への好意の見え隠れする女の子との合コンでの会話だとか、自分の言動で物事が大きく動くような場面に弱い性質なのだ。

 弱いだけで結果が良ければいいのだろうけど、たいていの場合、奇跡なんてそうそう容易く起きるものではないから、見るも無残な結果になることが殆どだった。弱腰な自分を奮い立たせて挑むことだってなくはなかったけれど、そういう場合ほど結果は散々だった。

 積み重ねてきた失敗が生きていると言えば生きているのか…おかげで俺はかなりの臆病な性格になってしまった。

 臆病な性格が、更に意気地や度胸をすり減らしていって、今回みたいな隠し事されているのは明らかな状況でも、ユズに問いただすことを躊躇わせている。

 このまま何も知らないふりをしていれば、おそらくこの後一緒に食器を片づけたり洗ったりして、テレビでも観ながら少し休んで、それから…いつもと変わりない夜がどちらからともなく距離を縮め合っていく事で幕を開けるんだろう。

 何も知らない顔で卵味の肌に触れ、久しぶりの温もりを貪ることになるだろう。

 それでいいじゃないか、障らぬ神に何とやらだ。久しぶりの逢瀬なのに、わざわざ不愉快になることが眼に見えているようなことを吹っかける必要はないだろう―――そう、考えていないと言えば、嘘になる。

 臆病な俺は、自ら波風を立てたせいで穏やかな海原のようなユズとのひとときを荒らしたくはないのも正直な気持ちだった。

 だけどもっと正直な気持ちが、胸の奥で疼いて存在を叫ぶように誇示していた。ユズに隠し事をされたことで少なからず傷ついている、俺の、ユズの恋人としてのちっぽけなプライドだ。

 確かに俺は臆病者で頼りなさ過ぎる面があるかもしれない。それでも、微力ながらもユズを支えている自負はある。去年の暮れに新作の本と共に貰った彼からの言葉を、俺は信じているから。信じているからこそ、隠されている事実を知りたいと、知らなきゃいけないと思った。

 それでも尚隠し続けられたら――――臆病で、こんな時ばかり想像力豊かな脳みそで知りたい欲求の行く末を案じる。

 隠されている事を知ったことでふたりの間に波風が立って、海原は大荒れになるかもしれない。雷が落ちて、穏やかだった水面に漂っていたちいさな小舟のような俺とユズの日常はたちまちに沈んでしまうだろう。

 沈んだ小舟は、浮かんでこないかもしれない。嵐が徹底的に二人に打ち付けるかもしれない。もう二度と、穏やかな海原やそこにゆったりと漂うような日々には戻れないかもしれない。そうなってしまったら、俺は、自分を呪うだろうか。馬鹿なことをした、と。

 しかしだからと言って、隠されている事実の存在を知ってしまった以上、俺はどうしてもユズに対して何も知らないふりをし続ける自信がなかった。それはやっぱり、ちっぽけなプライドのせいでもあるのだろう。

 食後の温かい麦茶を飲み干して、ひとつ息を吐いて、俺は静かに腹を括った。一瞬だけ目を瞑って、ゆっくりと眼を開けた。ユズが、静かにお茶を飲んでいた。

 ユズの姿をそのままじっと眺めていたらしく、俺の視線に気づいたユズが不意に顔をこちらに向け、ちいさく微笑んで首をかしげた。


「どうかした?」

「え、や…メシ、今日も美味かったなーって思っ、て…」

「そう?ありがと。やっぱ、美味しいって言ってくれる人がいると作り甲斐があるなぁ。」


「よかった、美味しいって言ってくれて。」そっと息を吐くように呟くユズの姿を見ていると、隠し事をされていることを嘘だと思いたかった。

ただ今目の前にある現実――ユズのいつも通りに食事を終えて、これからいつも通りの夜が用意されているであろう現実だけを信じたかった。

 だけどそれは、限りなく真実から乖離した虚構とも言える悲しい現実でしかない。俺は、ちゃんと自分の言葉で真実を知ろうと決意したのだから。

 譬えそれで、今までの全てが脆く崩れることになろうとも。それが、俺の選んだことなのだから。




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