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はなまるをあげよう  作者: 伊藤あまね。
3/9

3章

 俺は随分と長く店の中を見ていたのかもしれない。怪しい奴だとでも思われたのか、カフェの店員が、「どうぞ、今ならお席在りますよ?」なんて、入り口から顔を覗かせて声をかけてきた。

 俺は曖昧に笑って、あわてて店の前を去るので精一杯だった。とても店の中に入って真相を確かめる勇気なんてなかったからだ。気になって仕方ないくせに、余所行きの顔で笑うユズに声をかけることができなかった。

 仕事の話をしていたのかもしれない、馬越くんはたまたま居合わせただけで…と、根拠もなく何度も自分に言い聞かせながら俺は宛てもなく歩いた。

 駅ビルの中に入ってレストランフロアを歩き回りつつも、一軒の店の前でも止まらないまま歩き続けていた。その間もずっと、俺はさっき見た光景が何であったのかを考えていた。

 考えてはいたけれど…それは決して事の真相を突き詰めるための思考ではなかった。どうすれば自分が安心できる理由をつけられるかを探すだけの、ひどく惨めな行為だった。まるで自分で自分を慰めるための言い訳を、その都度考えるような言いようのない気恥ずかしさを覚えずにはいられなかった。

 簡単に言うと、ユズが馬越くん絡みで浮気でもしているのではないかなんて、一瞬ちらりと考えてしまったという事だ。そしてその事実から眼を逸らそうと必死になっている。二重の己の醜さに嫌気が差してしまって、それを払拭するようにただただ歩き回っていた。


 情緒不安定なロバみたいにぐるぐると歩き回った末、俺は駅から少し離れた通りに出たところにあった1軒のラーメン屋に入った。昼時から少し外れた時間帯だったからか、店は比較的空いていた。

 俺はカウンター席に座って、みそラーメンと五目チャーハンを注文した。俺の他に客は同じ年頃か少し上ぐらいの男ばかりだった。カウンター越しに時々大きな炎が上がったりして、てきぱきとチャーハンが作られていくのをぼんやりと眺めている他にすることがなく、頬杖をついてそうしていた。

 中華鍋の中で煽られるご飯粒たちを眺めていると、さっき見た光景がとても遠く感じられた。現実だったのかさえ、あやふやになるほどに輪郭さえもぼやけていた。

 あれは、現実だったんだろうか。俺のユズに逢いたさのあまり見せた妙な幻だったんじゃないかとさえ思えてきた。見かけたのは馬越くんと、ユズに似た誰かだったんじゃないか、って。

 ――――そう、思い込みたいだけなんじゃないのか?カウンター越しに出されたチャーハンと、ラーメンを交互に口に運んで咀嚼しながら考える。

 思い込みたいだけ、なのかもしれない。あのユズが、浮気なんて、って。先週にこにこと新作だという肉料理を振る舞ってくれたのが演技だなんて思いたくなかった。あの時に頬張った料理はとても美味しかったし、料理の味が偽りの上に作られたなんて信じたくなかった。

 仮にもし演技だったとして…それなら、いつから、彼は演じていたのだろうか………そこまで思考が行き着いた時、流石に俺は箸を止め、そして打ち消すように軽く頭を振った。


「……んな、まさか…ね…」


 先週の火曜日に味わった肉じゃがの味が偽りの味だったとか、その前の木曜日に触れた唇が嘘を紡いでいたとか、更にその前の金曜日の夜に触れ合った肌が他の誰かも触れたかもしれないだとか――――想像するだけで寒気がして、俺はそれ以上考えることを止めた。

 まだ全然想像の範囲を出ていない事じゃないか。見かけたのが本当にユズだったかどうかすら判らないのに……ふつふつと湧くように浮かぶ悪い方向へ続く思考を必死に打ち消しながら、ラーメンとチャーハンをどうにか平らげた。

 味は、ちっとも分らなかった。ただものすごく腹がいっぱいになってしまって、夕食の事も考えたくないぐらいだった。

 そう、もう何も考えたくなかった。余所行きの顔で笑うユズの姿も、それに向かい合っていた知らない男の姿も、その光景を見て真っ先に浮気を疑ってしまった自分の思考回路も、いまは忘れてしまいたかった。


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