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はなまるをあげよう  作者: 伊藤あまね。
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1章

急な仕事が入っちゃって――――そう言って、家にいるはずの作家で恋人のユズが、いま目の前のカフェで知らない男を前によそ行きの顔をして笑っている――――


ヘタレな用務員のアキは、果たしてユズの言葉の真意を見抜くことができるのか――――

「ごめんね、折角休みだったのに…」

「仕方ないよ。急な仕事なんだもん。どれぐらいかかりそうなの?」


 明日から、長くても3日程だと言って、ユズは申し訳なさそうに俯いた。俯くと、色の白い襟足が覗いて、俺は気落ちしている彼の憂鬱を吸い取るかのようにそこに口付をした。

 心なしか、次に顔を上げた時のユズの表情がほんの少し明るくなっている気がした。単純に、俺の行為に照れただけかもしれないけれど。

 ユズと過ごそうと思って、俺は明日から数日休暇を取っていたのだけれど、急に原稿の手直しの仕事が入ったので過ごせなくなったのだ。

 直前の予定変は今回が初めてではない。カレンダー通りに勤めている俺とは真逆の自由業の特徴だから、急な予定変更に文句を言うわけにもいかない。そもそも言うつもりもないけれど。

 予定のキャンセルのたびにユズはとても申し訳なさそうにしているが、俺としては、俺との時間が減ってしまっても、その分彼が彼の作品を綴るために費やしてくれるなら、一読者としては本望だ。なんだか俺も彼の作品の一部になれた気にさせてくれるからだ。

 変更になった予定の埋め合わせに、急きょ、「今夜は泊っていきなよ」と、ユズが提案してくれた。だから俺とユズは日付が変わったのに、今夜はまだだらだらと起きている。

 毛布にくるまり、暖房の温度設定を最高値にして、何も身につけないままで、仔猫のようにシーツと毛布の狭間で転がる。しっとりと温かいユズの肌はほのかに甘い卵の匂いがした。


「明日の朝ごはん、おかず…何、が、い…?」

「んー…だし巻き卵…」

「それと…お麩、の…味噌汁…?…んっ」

「そ。梅干し、ある?」

「あっ、た…と、思っ…ん、っはぁ…」


 ユズの、甘い卵の匂いのする肌に口付ながら、あと数時間後に口にする朝食の話をする。交わす言葉は他愛ないのに、言葉の狭間に掠れた吐息が混じるせいでひどくいやらしい会話をしているみたいに聞こえてくるから不思議だ。

 ふわふわの卵の肌に口付けて愛撫していくと、お麩のように柔らかな躰は目覚めていく。朱い梅の実の様に頬を染めて、ユズは俺の名を呼ぶ。啼きそうな甘いあまい声で、ちいさく。

 俺は差し出された夜食とも随分早めの朝食ともつかないあまやかな肌に口付をして、躰に触れ、頬を撫でて彼の名を囁く。そして、彼は甘く啼いて応えてくれる。お互いの躰は、それぞれの熱を求めて今宵何度目になるかしれない疼きを覚えていた。

 身体中の血が、熱がぎゅっと一箇所に集う。堪らずに俺はユズの首筋に噛みついていた。ユズが、ちいさく悲鳴を上げて震えた。暫くこんな甘い夜も行為もしばらくはお預けかと思うと、急に切なくなってしまって、つい、所有権を誇示するかのような事をしてしまった。

 噛みついてしまった事に自分でも思いがけず、伐の悪い顔でもしていたのだろう。ふと振り返ったユズと目が合った。ユズは、熱に絆されて虚ろな眼をしつつも、やさしく微笑んでくれた。


「…俺、仕事、頑張る、ね…早く、また、こう、シたいも…んぅ…!」


 噛みついた痕がほんのり赤く染まる肌の上でひと際紅く存在を示していた。俺が彼を所有しているという印というよりも、寧ろ、俺がユズの物であると彼自身が誇示しているように見えるほどに綺麗な色をしていた。薄紅に染まる肌の上につけられたそれは、まるでユズの上に咲く牡丹の花の様だった。

 花が膨らみ、艶やかに咲きほころぶように、ユズは深い夜の中で甘く啼いていた。俺が彼に朱い印をつけたように、彼もまた、夜の闇に俺との白濁の熱を刻みつけているようだった。

 お互いが、お互いの熱と躰と離れがたくて、絡まり合ってほどけない結び目の様に相手を求めた夜だった。名前を呼ぶことも忘れて、ただひたすらに、求め合った。




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