3)餓鬼さんたちを助ける呪文がある!?
爾時會中有一菩薩名曰月愛曾已薫一習大悲行海…
その時、聴衆の中に一人の菩薩がいた。名を月愛といった。
海のような(広くて深い)大悲を学んでおり、これ(餓鬼たちの様子?)を見て体を震わせ、筋や脈がねじ切れるほど悩み悲しんだ。そして座を立ち、ブッダに頭を下げて、悲しみの涙で目を満たしながらこう言った。
月愛「ああっ、婆伽婆(世尊、ブッダの敬称のひとつ)ッ! どうかお願いします……なんとか、なんとか彼らを救って、安穏な場所をたくさん与えてあげられる方法を、私に、教えてください~~~ッ! (滝涙~~~ッ!!!)」
世尊は月愛菩薩に告げた。
「善哉、大士くん! これこそ本当の大悲! まさに大悲を行う者だナ。すべてを傷み愍れんだから、私にそういう質問をしたんだネ。よ~し、キミ、よッく聞いてくれ。」
「善男子、ここに、勝れた大悲、すなわち陀羅尼門があるんだ。
「その名は『親那畢利多大道場会甘露味法』!
「こいつぁ不可思議んだぜ! 大慈悲を持ってて、大威勢があるんだ。地獄/餓鬼/畜生といった広大な悪業の山をたたっ壊しちまうことができる。そして菩薩には、今すぐスパッと『如来の一子』という境地をゲットさせ、さらに110種類の大慈悲心を成就させちゃう。
「これを行う者には、いまの身のまま大悲輪頂王陀羅尼という、不滅の三昧門を含む境地を実現させちゃう。」
三昧とは瞑想して何かに集中することですが、その集中状態が普段の日常にも保たれてる境地をさす場合もあります。
「善男子、この大いに神秘的な呪文は、餓鬼さんたちから飢えと渇きとひどい火を離れさせ、清く涼しい風と甘露な美味を施すことができる上、しまいには確実にスパッと阿耨多羅三藐三菩提までゲットさせちゃうんだ。
「例えれば、夜の月が昼間のうだる暑さの苦しみを除いてしまえるようなもので、この陀羅尼もまたそういうものなんだョ。
「キミは、真剣になって一心によく聞きなさい。ぜったいに忘れるなヨ、今、説明するからネ。
「善男子、もし比丘(出家男性)/比丘尼(出家女性)/優婆塞(在家男性)/優婆夷(在家女性)/童男/童女、およびいろいろな人間や天神で、この方便の法を受持したい者は、すべての十方の世界の全部から、六趣の餓鬼神たちを請い召さなきゃならない。
「まずは、よ~っく念じなさい。
「『南無佛陀耶、南無達摩耶、南無僧伽耶。』……」
これは三帰……『ナーマフ=ブッダヤ(仏陀に帰依します)、ナーマフ=ダンマヤ(真理に帰依します)、ナーマフ=サンガヤ《修行者たちに帰依します》』の音写ですね。「篤く三宝に帰依する」という意味で、読経や儀式の最初の部分でよく唱えられてる文句です。
宗派によって、
『帰依仏、帰依法、帰依僧』とか、
『一身敬礼十方法界常住仏、一身敬礼十方法界……(長いので以下略;)』
などのように、文言はいろいろとありますけど、どれもまあ意訳したり説明を追加したりしただけで、意味的には同じです。
逆にうんと省略してしまった極端な例が『南無三!』。
さて三帰の詠唱が終わると。
「『南無本尊釈迦牟尼如来。
『南無安住大地菩薩衆。
『南無一切龍天善神。
『願以威神加哀護助。
「『私は今、十方のあらゆる世界からすべての六趣の餓鬼なる有情たちを召請いたします。三宝の威神の力によって、皆様、こちらまでおいで~ませませっ☆』」
一般の施餓鬼儀式ではもっと長い、数ページにおよぶ召請の言葉で呼びかけるようですけど、このお経のテキストにはだいたいこんな感じにしか書いてありませんでした;
このあとの呪文や手順も、実際に行われている施餓鬼儀式や他のお経本に書かれている内容といろいろな食い違いが見られます。
しかし宗派ごとの異同や、文献により違う理由等を詳しく調べて説明していくと、おバカ小説ではなく本格的な研究論文になってしまい、趣味の素人な筆者の手には余りますゆえ、ここではネタ元にした漢文のお経からざっと解読できたようにだけ記述させていただきます。
けして「これが正しいやり方」と主張するわけではありません。ご関心ある方は種々のお経本を確認いただき、ご自身の宗派でのやり方がわかるならそれを優先としてくださいますよう……拙文は資料やお次第書ではなくあくまで「ネタ小説」として御覧くださいませ。
「さて、こう唱え終わったら次は、東に向かって召請神呪を七回唱えるんだ。」
そう言うと世尊は月愛菩薩のために召請陀羅尼の呪文(呼び集める呪文)を説明した。その呪文とは!
「『のーもー、ぼほりー、たたーぎゃたーや』!」
ブッダは月愛に告げる。
「こうして彼らを請召した。すると十方のすべての六趣の餓鬼神たちがことごとく集まってきて、行者(儀式を行ってる人)を、父母に会えたかのように仰ぎ見る。行者はこのとき大いなる悲しみの心を起こして、次のように呼びかけるんだ。
「『(餓鬼の)みなさん、よく聞いてね! 私は今、陀羅尼の力でみなさんの喉をひろげて、清涼/柔軟/快楽を施しちゃいます。皆さんに甘露な美味を、欲しいだけ味わわせてあげますからねーっ☆』」
そして世尊は開咽喉陀羅尼(喉をひろげる呪文)を説明した。
「『おん、ぼふりー、きゃりたり、たたーぎゃた』!
「この陀羅尼神呪を七回唱えると、この餓鬼さんたちはこの呪文の力で、喉に息が通るようになり猛火の息も減少する。また体の痛み苦しみも無くなって心身は落ち着く。
「そうしたら行者はまず水を施しなさい。水を施す人は毎回、早朝か日中にひとすくいの浄水を取り。東に向かって呪文を七回唱え、東の空中にさーっと撒くんだ。その水は陀羅尼の力で、地面に落ちたときに10斛(約1.8t)もの甘露(甘いジュース)に変わって、鬼神たちを充分に味あわせ、計り知れないほど歓喜させることができるんだ。」
そして世尊は月愛のために水陀羅尼を説明した。いわく、
「『のーもー、そろばやー、たたーぎゃたーや、たにやた、そろそろ、はらそろ、そわか』!」
ブッダは月愛菩薩に告げた。
「善男子、これを甘露獎陀羅尼神呪っていうんだヨ。
「また次に、もし人間たちや天神たちが餓鬼さんたちに食べ物を施したいと思うなら、毎朝、自分の食事の前にいちばんいい食器、あるいは金銀の器、でなければ銅の器か鉄の器、真鍮、宝石、鉛、錫、あるいは琉璃(瑠璃)、頗梨(玻璃/ガラス)、貝玉などの器を用意するんだ。もし良い器がないならば、木、石、瓦の器でも確実に清浄なものか、あるいはヒョウタンなんかでも使ってOK。
「乳酪でその器を満たす。もし乳酪がないなら、浄水でもOK。
「用意する飲食は、或いはミルクご飯、または粳米のご飯、大麦のご飯、あるいは餅/麹/お粥など。それを器に入れ、箸やオカズは添えずに、涼しい木陰にそれを置く。まず召請呪を誦なえ、次に開咽呪を誦なえる。そしてこの後に説明するように器の中の食べ物に向かって七回誦なえ終わったら、木の下にそれをぶちまけるんだ。
「すると十方のすべての餓鬼さんたちは、陀羅尼の威神力によつて、みんなこれを食べられるようになる。血や膿に変わっちゃうこともなく、食事を邪魔するものも現れず、欲しいだけ食べて、充分に満足して、熱湯や火のような飢えを減らして、身体は安楽、いろんな痛みや悩みも無くなってしまう。また、清涼で柔らかいそよ風がふいてその身に触れ、こびり付いていた固い垢も取れてしまい、身にもう熱の苦しみはなく、落ち着いて気持ちよくなれるんだ。
「気持ちも前向きになるし、この因縁(原因と結果の関係)によって罪が終わり、人間や天神に生まれ変わることさえできるようになる。
「尊い天に生まれることができれば、微かで妙なる快楽を楽しむことも思うままだ。
「もうわかるね、この人たちはただブッダとブッダの褒め称える人であることを。」
そのとき世尊は(この施しに使う)甘露食陀羅尼を説明した。
「『のうもー、さらば、たたーぎゃたなん、ばろきてい、さんまら、さんまら』!」
釈迦牟尼仏がこの最高の大悲から陀羅尼神呪を口にし終わると、天地は六種に震動し、この三千大千世界にことごとく光明が照らし、天の宝花が粉のような雲から雨のように降りそそいだ。
そして天の宝香と瓔珞(宝石アクセ)と伎楽(ミュージシャン?)たちも雨のように乱れ落ちてきた。
無常の苦しみも空しさも解脱する音が響き、(地獄の)熱湯や焼炭も叩き折られ破壊されて、すべての罪人たちが自ら宿命を認識できて、納得し、三禅の境地(苦しみから逃れる方法があると理解できた境地)に入ったように楽しみよろこんだ。
ここにいた人々で、初果(初心者の悟り)の人から阿羅漢果(小乗の最高の悟り)の人まで、数え切れない人々や天神たちが阿耨多羅三藐三菩提心(がんばって最高の悟りを得ようという決心)を発した。
そこで世尊は、月愛菩薩とほかのみんなにこう告げた……
- つづく!