1)生きるとは基本、苦しいことなのです(涙)
佛説施餓鬼甘露味大陀羅尼經
如是一時釋迦牟尼如來在海會説法…..
ブッダが説いた、餓鬼に甘露の味を施す大陀羅尼についての伝えるべきこと。
こんな感じ♪
あるとき釈迦牟尼如来(シャーキャ=ムニ=タターガタ)は、海の中の島、狐陀山、金剛輪峰の、盧鷄鶏舎婆羅というとこの修行場で説法したんだわ。
大勢の四衆、1阿僧祇人(100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000人)以上、とても説明できないほどがブッダを取り囲んでいた。
そして金剛八楞師子之座に安座されて、菩薩たちのために方広の法を説いた。
そのとき、世尊(バカヴォン、ブッダの敬称)はみんなに、悪趣に堕ちた衆生たちへの愍れみを念じて欲しいと思って……
梵語で『親那畢利多摩陀羅般遮陀羅尼』、
漢文でいうと『施餓鬼甘露味大道場会陀羅尼』、
日本語でおけ!なら『餓鬼さんたちに美味しいものを食わせちゃおうな儀式をする呪文』、
を、説明しようとした。
それはとてもすばらしい大悲による、秘密な善い方法だったから、ブッダの心の中(心臓?)から密かに、『日月の愛慈の光』と呼ばれる月のエッセンスであるマニ色の光を放った……。
マニ色とは、「何でも願いを叶えてくれる」という宝玉・マニ宝珠の色と思われますが、本物のマニ宝珠を見たことはないゆえ詳細はわかりません; 模型なら、お地蔵さん像が手に持ってたり、稲荷神社の狐さん像が前あしをちょこんと乗せてたりするのを見ます。あの、上のとがった栗みたいな形をした宝玉です。
おそらくは、有名な光明真言「祈る、絶対存在な大日如来のすッげえシンボル、マニ宝珠 on 蓮の花(と化した自分が)、ビカーッと光って宇宙全部を浄めちゃうぜ、とりゃあっ!」を唱えるときにイメージする、手指だか全身だかから発せられる『五色の光』と、たぶん同じじゃないかとは思うのですが……想像しただけで確信はありません。
(注:光明真言には簡単には翻訳できない深くて広い意味があるとのことですが、そういう奥義は教わったことないので、筆者でも解読できた範囲の表面的な訳でお許しください、、、)
また五色とは、一説によると赤/青(or緑)/黄/橙(or桃)/黒(or紫)で、胎蔵界の五大如来とその功徳を象徴し、仏花も一般的にはその配色になってる……とのことですが、数日前に知ったばかりなのでまだ詳しいことは、、、すみません
さて、ブッダの発したその光は、天の最上層・有頂天から地獄の最下層・阿鼻地獄(無間地獄)まで、その中のすべてを明るく照らし出し、頗梨の鏡(破離の鏡、閻魔大王が使う何処でも見える万能監視モニタ)で見るように、十方(前後左右に斜めと上下)のあらゆるものがもれなくリアルな3D映像となって(?)見えた。
そして大衆にこう言った。
「善男子! キミたちも見たかナ、六趣に生まれていろいろな苦悩を受けてる様子を!」
六趣とは、天/人/修羅/餓鬼/畜生/地獄 、迷いの世界で輪廻転生する存在(衆生)たちの世界のことです。
大衆はそう言われ、ブッダの威神力でそれを見たので、一斉に声を上げた。
大衆「み、見ちゃい、まし、たぁ~……(呆然)」
具体的に何を見たかはこの後に出てきます……(((震)))
ブッダは言う。
「世間(宇宙の中)にある八苦は、もう言葉で説明しきれないほどだ。六趣それぞれで受ける苦しさは実にコワいよネ。」
八苦とは、「四苦八苦」のことで、生きていれば必ずあるという苦しみのことです。
1)生
2)老
3)病
4)死
という四苦に加えて、
5)愛別離苦 好きものと離れなければならない苦しみ
6)怨憎会苦 嫌いなものと近づかねばならない苦しみ
7)求不得苦 求めてもそれを得られない苦しみ
8)五蘊成苦 肉体に起こる痛みや苦しみ
で八苦です。
「……とは言うものの、この世界でたいていのひとは罪福や因果を信じないで、無知による間違った考えを持ってる。
「ケチり、貪り、嫉み、妬み……そして命が終わった後、無間地獄に堕ちてまう。想像もできないほどのいろんな苦しみを身に受け、ようやく地獄から出ることができても『餓鬼』さんに生まれてしまうんだヨ。
「いろいろな悪業で身に受ける報いは種類があって、悪業が原因で受ける餓鬼さんたちには、細かく分けると36種類があるんだ。」
その36種類とは……ちとお休みをいただきまして、その話はまた次回にて。
- つづく