ぬくもり
私が、友人からその話を聞いたのは、夏も終わりに入る頃だった。
お互い、何かと忙しくお盆も真面に休みの取れない中、昼食を取りに街に出ていた時、偶々出くわした事もあり、久しぶりに話そうとなったのが切っ掛けだった。
「それにしても、久しぶりだね」
「お互い、社会人になって何かと忙しくなっているからね。最後の会ったの、いつ頃だったっけ?」
「ん~最後に連絡を取ったのは、半年くらい前だから会うのはもっと前かな? まさかこんな場所で会うとは思ってもみなかったけど」
そもそも、友人と私は共に地元とは違う別々の県に就職した筈なので、こうやって昼休みに出た時に会う、なんてことが早々起きる筈もなかった。
私が疑問に思っていると、友人は「ああ、」と前置きを入れて説明をした。
「ちょっと仕事の関係でこっちの県に出張する事になってね。昨日から近くの、ほらアソコのビジネスホテルに泊まっているんだよ」
「へぇ、そうだったんだ。それなら、来る時にきに教えてくれれば良かったのに」
「ごめんごめん。でも、出張って言っても今日の夜には帰らなきゃいけないからね。会えるかどうかも分からないから、わざわざ伝えはしなかったんだよ」
そう言って、少しむくれた私に友人は、学生時代と変わらない笑顔を向けた。
「それにしても、本当、久しぶりだね。短期間とはいえ出張で他県に行かなきゃいけないなんて、相変わらず大変そうだね」
「まぁ、忙しく働けている内がまだ華だね。ウチはそこまで大きい訳ではないけど、これからって感じの会社だからね。大変だけど、やりがいはあるよ、実際」
そう言って笑う友人は、言葉の通り今の環境にやりがいを感じているようだった。
そんな自信たっぷりの友人に、なんだか圧倒される気もした私は、その眩しさから目をそらす。
「本当、前に連絡を取った時もそんなこと言ってたけど、毎日充実してるんだね」
「うん、そっちは、まだ、大変そう?」
「あ、ははは……」
友人からの問いかけに、目をそらしたまま乾いた笑いで答えた。
私の職場での悩み、というか愚痴の様なモノを半年前に吐露した事を友人はしっかりと憶えていたようだ。
「うん、まぁ、大変だろうけど、負けちゃダメだよ。ほら、愚痴なら前みたいにいくらでも聞いてあげるし」
「ははは……うん、ありがとう。その時はよろしく」
応えながら、目の前に置かれたサラダにフォークを突き立てる。
新鮮な葉野菜を荒めにちぎって特性のソースに絡ませたサラダは、いつも食べるより少ししんなりしている気がした。
乾いた笑い声を上げる私と対照的に今を楽しく生きて良そうな友人。
そこに何の違いがあったのか。
だから、きっと、半分はやっかみもあったんだと思う。
自然、私は目の前に座る友人に向かってこう口にしていた。
「本当、そっちは元気いっぱいそうで羨ましいね。ひょっとして悩みとかないんじゃない?」
思い返してみても、久しぶりに会った友人に対しての言葉としても、あんまりにも失礼な台詞だっただろう。
実際、私のその言葉を聞いた友人は少し考えこむ様な表情をして押し黙ってしまっていた。
居心地の悪い沈黙が流れた。
私自身、思わず口から飛び出た台詞に内心『しまった』という思いで二の句が告げられなかった。
誤魔化すようにサラダを口に運ぶが、正直食べ慣れた筈のその爽やかな味が全く感じられなかったのを覚えている。
どれくらい経っただろうか、実際には1分も経っていない沈黙の中、友人は何か考え込む様な仕草をした後、訥々と言葉を紡いだ。
「悩み……そうだね、悩み、とはちょっと違うんだけど、この間不思議な事があってさ。ちょっとそれで、どうしようかって思ってる事はあるよ」
「え? どうしたの?」
「うん、実はね……」
思わず出て来た友人の台詞に、自分の作り出した居たたまれない空気もあり一も二もなく飛びつく様に聞き返した。
そんな私の様子には構うことなく、友人は自分が体験した事を話し出した。
「あれは、丁度この前のお盆の時だったんだよ」
いつもの様に仕事を終えて、夜遅く家に帰ってきた友人。
その日は急な仕事も入って、会社全体が慌ただしく何とか目途を付けた頃には夜もとっぷり暮れ、社長含む社員全員がぐったりとしていたそうだ。
それでも何とか全員退勤し、翌日もあるからと軽めの夕食を取ってそのまま家に帰ってきたそうだ。
そのままベッドに倒れ込みたいのをグッと我慢してシャワーで汚れを落とした友人は、歯みがきを終えた後、漸くベッドの上に、やっぱり倒れ込んだそうだ。
そのまま泥の様に眠ってしまった友人。
だが、そんな友人も夜中、フッと気配を感じて目を覚ましたそうだ。
「ほら、金縛り、とはちょっと違うけど何か、重い物が乗っている感覚、みたいなのって心霊現象で聞くじゃない。そんな感じだったんだよね。こう、ずっしりと足元の方が特に重いような感じ」
「ソレ、単純に疲れてたから手足が重たく感じてただけじゃないの?」
「うん、最初、そう思いもしたんだけどね。実はまだ続きがあって」
ずっしりとした重さを感じ、少し焦った友人は咄嗟に被っていた毛布の端を掴んだそうだ。
「そうしたら、今度はグイッと毛布が足元に向かって引っ張られたんだよね。それも物凄い力で」
実際に、物凄い力だったようで友人は掴んでいた毛布に引っ張られるように、体が起き上がってしまったそうだ。
「それで、半分、ぼんやりしていたのもあって咄嗟に“このまま毛布をもっていかれたら風邪をひいちゃう”って思ってさ。取り返そうと思ってベッドから落ちて纏まっている毛布に手を突っ込んで、今度は両手で持ち上げようとしたんだよね」
「うん、先ず、何でそんな事しようとしたの。普通、そう言う時って怖くて離れるんじゃない?」
「だって、なんか肌寒かったし、それにふわふわで気持ち良かったんだよ、その毛布」
半ば呆れる様に口にすると、友人は少し口元をとがらせて拗ねたように言った。
「それで、どうなったの?」
「うん、取り返そうと手を入れて引っ張ったら、ガブッて手を噛まれたんだよ」
そう言うと、友人は思い出すように片腕の手首辺りを撫で回した。
「え? 大丈夫だったの?」
「うん、幸い、なのか血とかは出てなかったんだけどさ。流石にびっくりして後ろに倒れ込んじゃったんだよね。それに、なんかこう、人とかじゃない大きさの口、犬みたいなのに噛まれた感じでね、思わずベッドの上で呆然としたまま噛まれた部分を撫でてたんだよ」
友人の家はアパートという事もあり、ペットは飼えないそうで飼っていた犬の悪戯という事もないそうだ。
当然、野良犬とかが入り込むような事もなく、じゃあ、一体何に噛まれたのだろう、という話になるそうだ。
「なんだか、気味の悪い話だね」
「うん、それに実はまだこの話には続きがあってね」
「まだ何かあるの?」
「うん、実はさ。さっき、毛布を引っ張っられたって言ったけどさ、噛まれた後、段々と意識がはっきりしてから気が付いたんだよね」
「ふむ?」
「そもそも、この部屋にそんな毛布元々ないじゃないかって」
「へ?」
時期としてはお盆の頃、冷房は付けてはいたが流石に毛布のような厚手のモノは仕舞ってあったそうだ。
代わりにタオルケットを使っていたそうなのだが……
「ぼんやりしてた時は疑問に思わなかったんだけど。そもそも、その日はあんまりにも疲れ切ってたからベッドにはシャワーを浴びてから倒れ込んだんだけど、その時、タオルケットを被るのも忘れていてね。よく見たら、ベッドの横に山になって落ちていたんだよね」
「ん? つまり、眠る時は何もかけないで寝ちゃってたってこと?」
「まぁ、そう言う事だね。で、そうなると、そもそもあの毛布ってなんだったって話になるし。寝ぼけていたにしては、被っていた時の温もりは確かにあるし……それで、心霊現象にしてはまぁ、噛まれたのはびっくりしたけどそれだけだからさ」
「それだけ、でも十分な気がするけど」
「うん、だから引っ越そうかなっても思ってるんだけど、職場からの立地を考えたら他にいい所も見つからなくてさ、どこがいいかな~って悩んでいるんだよね」
「心霊現象で悩んている訳ではない所が、らしいといえばらしいね」
一応、引っ越しの理由としては悩みの一つ、という事なのだろうが緊張感のない物言いから、友人が心霊現象そのものにはさして不安を感じていない様子が見て取れた。
精々、ちょっとびっくりしたから、別の所に行くのもいいか、程度だろう。
だが、話を聞いて何となく、友人が危機感をあまり抱いていない理由にも思いついた。
「まぁ、ソレも、仕方ないかもね」
「ん? そうかな?」
「うん、だって、その心霊現象(?)、なんだかとっても優しい感じだし」
話を聞いて思いついた言葉を素直に伝える。
すると、友人は少し怪訝な顔をしながら、でも思い当たる部分もあるのか小さく頷いた。
「心霊現象を優しい、とかいうなんて流石だね」
「どういう意味か」
「いや、文字通りの意味だけど、それで何で優しいなんて思ったの?」
「うん、だってその日は、何もかけずに眠っちゃってたんだよね? 夏だから冷房も付けて」
「うん、そうだね」
「お風呂上りに、乾ききっていないまま、何もかけずに、冷房のよく効いた部屋で寝てしまって居た。だから、その心霊現象は温めてくれたんじゃないかな、風邪をひかないように」
モフモフの毛布が心霊現象が用意した何か。
それを用意したのは噛んだという口の形から動物的な何かだろうか?
案外、タヌキは体の一部を変形させて色々なモノに化けられるとも言うし、似たようなものだろうか。
「でも、噛まれたよ」
「でも、傷にはなってなかったんでしょ? つまりは、加減して噛んだんじゃないかな? 傷つけないように」
「そもそも、どうして噛んだのさ」
「驚いたんじゃないかな? 普通、心霊現象に見舞われた時、抵抗はしても反撃はしてこないだろうし」
普通、布団が剥がされたとして、驚いて固まる人はいるけど、落ち切った布団を取り返そうと態々落ちている、しかも引っ張った相手がいる辺りに手を突っ込んで引き戻そうとする人は少ないだろう。
さしもの心霊現象も真正面から向かって来られるとは思っていなかったから、思わず嚙みついたのだろう。
それでも、ケガをしないように咄嗟に力を抑えたと考えると、やはり聞いた心霊現象は優しいように思えた。
「それに、その心霊現象(?)に会った時、嫌な感じしたの?」
「そう言われると、特には嫌な感じもしなかったんだよね。噛まれた時は、びっくりしたけど」
人差し指を口元に当てながら、思い出す友人を見ながらその様子から、やはり友人は心霊現象自体には忌避感を抱いていないことがよく分かった。
「じゃあ、何で引っ越すの?」
「え? だって、心霊現象が起きたら、普通そこから離れたいと思うものじゃないの?」
「まぁ、気味の悪いって理由は十分引っ越す理由にはなると思うけど」
「ん? 別に気味が悪いなんて思ってないよ?」
あっけらかんとした口調で伝えて来る友人の顔を、まじまじと見つめた。
その表情は、嘘を言っているようには見えなかった。
「ん? 待って待って、じゃあ、本当に何でそんな、引っ越そうとしているの?」
「え、だってそう言うものでしょ?」
「いや、普通、気持ち悪いとか、耐えられないとかなって今の所に居たくなくなったから引っ越すんじゃないの、そう言うのって」
「そうなんだ、てっきりそう言うのって引っ越さなきゃいけないってなってるのかと思ってた」
「いや、そんな義務みたいなのじゃないでしょ。まぁ、霊側からの出ていけコールってなら素直に出てった方がいいかもしれないけど」
「ん~別に出てけって感じでもなかったかな」
「まぁ、どっちかって言うと気遣ってくれた感じだしね」
「なら、無理に引っ越さなくても良さげ?」
「さぁ? それこそ、その子に聞いてみたらいいんじゃない?」
「ん~話せるかな?」
「知らないよ、ノートでも置いておいたら?」
「え? 何で?」
「なんでも、ノートを開いた状態で置いておくと、霊とかが返事を書いてくれるらしいよ。ゴーストライティング、って言うらしいけど」
「そうなの? なら、今度やって見る」
「それで書いてあったら、逃げた方がいい気もするけど……」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないよ」
若干以上、呆れを含めてそう言うと友人は首を傾げていた。
そして、いい時間にもなって、その頃には昼食も食べ終えた私達は、軽い挨拶をしてその場で別れた。
その後、その友人がどうなったのか、私は知らない。
でも、少なくとも、その何かとは仲良くやっている事だろう。
そう願う。
ギシ、踏み台に足をかける。
カタン、乾いた音と共に踏み台が倒れた。
友人には、楽しい人生を送ってほしい。
暗くなる視界の中、それだけを願った。
――――――……次のニュースです。
昨夜未明、○○県の△△市に住む20代の女性が自宅で死んでいるのが見つかりました。
死因は窒息死という事ですが、現場には凶器となったものはなく、警察は事件事故両方を視野に捜査を進めている、とのことです。
以上、ニュースをお伝えしました。
お盆があったという事で、少し不思議なお話を書いてみました。
この結末を、どう捉えるかは読者の皆様のご想像にお任せします。
拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。