現実世界一週間前 その3
帰宅は午前1時を過ぎていた。
台風が近く雨は激しく降っていたけれど、あまり気にせずに家路に着いた。テキパキと折り畳み傘を畳んで玄関の傘立てにポイっと投げて、怠そうに靴を脱ぐ。
そう、いつも通りに。
いつもの……って、なんだこりゃ。
私は、小脇に抱えた茶封筒に気付く。
何だろう、まずい。私、酒でも飲んだっけ?
頭グルグル整理する。バー『アンビシャス』で、胡桃とバイバイしたのが終電を気にした時間帯で、あれ?何時だったかな?鈴木さん帰りまで一緒にタクシーって言ってくれたけど、反対方向だし、いくら何でも悪いから固辞して、満員電車に乗って、……コンビニに寄って明日の朝食買って……いや無いわ。
でも、ここにこれがあるよね。
くわー、やっちまったな。取り敢えず電話。携帯を慌てて耳にする。
うーん、出ない。やっぱり早目に店仕舞いするって言っていたけど、移動中だろうか?話せばわかる事だろうけど、何でまたこんなの持ってきたんだ?
最近疲れ過ぎかな?もう寝よう。
床にドサっと封筒を置くと中身である本が飛び出した。
あっいけないと私が背中を屈めてそれを取ろうとした時だった。本は黒い煙を纏いながら宙に浮いていた。
唖然と見つめる。仕事道具の鞄と買ったコンビニ弁当が床に散乱する事も気にしてなどいられない。
本は浮いたままブルブル震える様な動作をしながら、黒い煙はそれを段々濃く、広範囲出ていく。
嗚呼、これは魔法か何かなのか?何だろう、恐ろしくて、手が出せない。
やがて本の背表紙に一筋の光と共に音がシュッと出ると、本がバラバラになる。解体された本の残骸は、私の周りに綺麗な輪の状態の様になり、長方形の何十枚と言う紙が舞う。解体された内の黒い表紙部分は床に落ち、どす黒い煙は開かれたその中からまだ止む事なくモクモクと出している。
私の周りにあるこれらをどうしたらいいのか狼狽えていると、無意識で前に出した左手に自分の周りに蠢く折の1枚が吸い込まれる様に出現し、それを手にした。
<印刷>
どこからかわからない謎の音の様な声がした。表紙?本の残骸からかはわからない。わからないが、取り敢えず今はこの状況を冷静に…なんて出来るか!
私は、左手の紙を見つめる。
紙は折られた状態で背には、小さな文字で1折、前面には何やら細かく文字が書かれていた。
嗚呼、何とかしなきゃと思うけれど、それよりも紙は炎の如く熱があり、左手が辛い。これはただの紙ではないのは明確で、早く手から離さないとまずい…でも無理、まるで磁石だ。そして、単に熱が籠っているだけではなく、膨大な情報が左手から流れてきて、体中を巡り脳の中へ到達した。
最初、脳裏に浮かんだ言葉は、<……>だ。ええええ?物凄くわからない?速い、速いよ。
精査しようと考えている間にも次々言葉が入ってくる、強制的に。
こんなの初めてだ。色々頭の中に押し込まれて……苦しい。兎に角、必死で耐えようとした。
私は我慢強い女なんだ……う、でもやっぱキツイ。
やがてピシリと体が動かなくなり、目の前がグルグル動き出し、完全に自分の方向感覚を失った。
激しい動悸と気持ち悪さ。
意識もとても保てる状態には無い。
何で、こんな目に?
私は死ぬの?
やがて左手に握ったままの紙は陽炎の様に消えてゆき、私はその場に倒れたのだった。
表紙の煙や輪を作っていた残骸もいつの間にか消失し、倒れた私のそばに黒い表紙のついた本のようなものだけがただ残った。
深淵なる眠りに落ちてゆく。そしてそれは現実となり、私を狂気の世界に導いてゆくのだ……と言いたい所だけど、自分の割と呑気で無神経な性格が幸いして、精神的には意外と大丈夫でした。
異世界なんてオタクにとってはご褒美に決まっている(偏見)。
チート上等!
やがて眠りと共に落ちていく、自分の精神は、この世界では無い何処かに導かれていく。
さあ、私の物語を私が創っていこう。
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『お嬢様、起床時刻で御座いますよ。大変恐縮ですが、本日は別荘地にて王家との非公式の謁見で……誠に勝手ながら、室内に入りました事をお詫び申し上げます。』
ゆっくりと目を開けば、初老の男性が顔を蒼白にして震えた声で何やら説明している。
…………?あれ?何?んんんん?
『ファ?』
記念すべき異世界での第一声は言葉にもなりませんでした。
不覚で御座います。