現実世界一週間前 その2
テーブル席の椅子に置かれたB4サイズの大きな茶封筒が目に入った。
カウンターの奥にいる胡桃から見た時の死角にちょうどそれはあったのだろう。
私は惹かれる様に席を立ち、それを手に取る。そして、中身を出すと黒表紙の本……あれ、ちょっと変だよね。ページが袋とじ状態。めくれるけど、中身が全部見れる様では無い。
「あれ?それって、まだ裁断される前の製本途中の本だよね。」
「あ、お客様の忘れ物か。気づかなかった。あれ?でも今日はあんまりお客様は来なかったし?何だろう、何か忘れている様な気がするけど、思い出せない、うーん。」
「胡桃、働きすぎじゃない?珍しいな。で、この忘れ物大事なものですか?」
鈴木さんに尋ねると、神妙な表情で答える。鈴木さんはかなり大きい印刷会社の重役さんなので、本に詳しいだろう。
「何だろう……製本段階でクレームがあったのかな?ほら、ここがずれてる。一部の折がずれてるとすれば、切った段階でモグりが出るね。」
「もぐり?」
「均等に切ったら、この部分が短く引っ込んでるから切れないし、読めない部分が出てくること。完全に不良品。駄目な製本もいいところだよ。オペレーターがよく確認しなかったかもね。」
鈴木さんは私から本を受け取ると、どこのだろうとブツブツ言っている。パラパラめくると再び私に返してきたが。
表紙は黒いけど、中身は白……の様に見えた。
「兎に角、忘れ物は大事に取っておくかな。大事なものなら取りにくるだろうし。ハイ、ハイ返してね。人様の物をあまり触るものじゃないよ。」
「でも、どんな本かわからないと連絡してきたとき、本人確認できないよ。」
黒い表紙にはタイトルとかは何も無かった。そして、中身を確認しようとしたら、胡桃の長い手がサッと伸びて取り上げられ、封筒に入れてから、カウンターにポンと置いた。
「はい、お仕舞い。」
「ケチー」
変なところでこいつは真面目なのだった。オーナーが真面目だと客層もまともなのが多くて、私も安心して長居が出来るのだが。
「ものすごーーーーく、高い本だったりして。」
「あんた漫画しか読まないだろ。鈴木さんは読まれそうですよね。文芸作品とか。」
「……やっぱり硬いイメージしか無いですか。いや僕だって漫画ぐらい読みますよ。最近流行の異世界ものとかめちゃくちゃ読みます。うちで製本したものとか気になりますしね。最近だと【神の髪がなくて紙で咬みたい】とかね。」
「かみかみって鈴木さんの所でしたか。」
「うちは製本だけだけどね。」
【神の髪がなくて紙で咬みたい】通称かみかみは今話題のライノベだった。
異世界に転生した少年がいろんな職業に転身して最終的には神様まで成り上がったのだが、力の源である髪を失ってからのドタバタバトルコメディだ。
うーん、らしく無いわw。
「異世界ものって、面白いですよね。僕もチート勇者に生まれ変わって、周囲の敵役とかにざまあしたいです。子供っぽくて意外でしょ。」
「うぁ……鈴木さんから信じられないワード出た。じゃあ私は破滅回避の悪役令嬢がいいかな。主人公からいいとこどりしていくやつ。逆ハーレムは面倒だから無しで。かみかみみたいな神様転生バトルものも捨て難い。胡桃は男装令嬢でいいんじゃない。革命を起こして戦う貴族とか。」
「……少しは設定を捻ろうよ。私は聖女がいいな……なんて言ってみる。」
「うわ、合わなぁーーー。そもそも男に転生した方がいいよ。」
私が笑いながら言うと、胡桃はムッとした顔でソッポを向く。いけねー言い過ぎた。
「だって、格好良いから勿体無いよ。っていうか、転生よりも胡桃だったら転送の方がいいかもね。綺麗だから変え無いほうがいい。私は地味だからどうしようもないし、転生一択だけど。美しき十代に戻りたい……いや、美しく無かった十代だから、やり直したいなぁ。このままだと人生が墓場だよ。」
自分落として、相手を挙げてみる。胡桃はしょうがないという表情、鈴木さんはなるほど納得という表情。
あー、なんか傷つく、自分で言っといて。
カウンターに肘をついて手に頬を乗せた。
やっぱりお酒でも飲もうかな…と思っていた時、ゴウという音と共に地面が揺れた。
「な、地震?」
「一瞬だった。いや、この店築50年で近所にトラックが通ったり、工事が入った時でも揺れるからわからない。」
「耐震強度大丈夫?死にたくないよ。こんな所で転生出来ても。」
「こんな所いうなっ。あんたは転生すればいいよ。」
「マスター、そうゆうことはフラグになるから言わない方がいいよ。」
鈴木さん……貴方は結構オタクではないですか?ちょっと発言にギャップが。
そして、貴方の言うとおり見事にフラグになりましたよ。
しんどいな。