螺旋階段と近未来型彼女
今日退院したばかりの病院に、また足を運ぶことになるとは、あの時は思ってもみなかった。
時刻は診療時間終了間近だ。診療を終えた患者たちがちらほらと建物から出てくる。寿也は、歩いてくる人たちの流れに逆らって、病院内へと駆け込んだ。
途中、受付付近にいた看護師に、「本日の診察受付は終了していますよ」と声をかけられたが、忘れ物を取りに来たと言って、閉館の準備が始まっている院内を進んだ。もう秋にもかかわらず、シャツの中側が汗ばんでいる。寿也は服をつまみ、身体に空気を通しながら、エレベーターのボタンを押した。
ついさっき誰かが使ったのか、2台のエレベーターの表示は7階と4階で止まっている。寿也は腕時計に目をやった。ファミレスを出てからすでに三十分ほど経っている。もう一度モニターを確認したが、なかなか降りてくる気配がない。
寿也はエレベーターのすぐ横にある階段の方へと走った。二段飛ばしで階段を上っていく。額や身体には汗が流れているが、そんなものはもうどうでも良かった。早く春花に会いたい。寿也はそれしか考えていなかった。
長い螺旋階段をようやく抜けた。4階の踊り場は、食堂に直接繋がっていた。幸いなことに、入院患者たちはすでに夕食を済ませていたようで、食堂には誰もいない。静かな食堂には寿也の足音だけが響く。
倉庫を通り過ぎた先には、見慣れた父の資料室がある。やっとたどり着いた。寿也は呼吸を整えた。
扉は閉まっているが、中は電灯が付いていることが、隙間から漏れ出る明かりからわかる。そして、数人の話し声が聞こえてきた。一人は男性の声、もう一人は、低めの女性の声、そして――――。
最後の声が寿也の鼓膜を揺らした瞬間、考えるよりも先に、寿也の身体は動いていた。
「春ちゃん!」
寿也は勢いよく扉を開けた。ドアノブが、反対側の壁にぶつかって鈍い音を立てた。
一瞬の静寂の後、絞り出すような声が聞こえた。
「……と、し、くん」
真っ先に寿也の目に映ったのは、驚いた表情で固まっている春花の姿だった。やはり春花はここにいたのだ。しかし、寿也はもう動揺しなかった。
「寿也……」
そしてその隣には、父がいた。
「……」
もう一つの視線が、無言のまま寿也を貫く。梅澤博士だった。
「なんで……」
春花が訴えるような瞳で寿也の方を見た。寿也はその目をまっすぐに見返した。
「勝手に来たことはごめん。でも、もう何もかもわかったんだ。春ちゃんの本当の姿も知ってる」
「本当の姿……」
寿也の言葉を、春花は眉を潜めながら繰り返した。
「……あの日、あの事故の日、春ちゃんは死んでしまったんだろ」
寿也は拳を握りしめて言った。改めて口にするには、あまりにも残酷な言葉だった。心臓をえぐられるような痛みを感じる。再び、気味悪いほどの静けさが広がった。
「……事故の記憶があるの?」
静寂を破ったのは春花だった。春花は、何か覚悟を決めたような顔つきになっていた。
「いや、完全には思い出せない。だけど……」
「だけど……?」
「父さんの仕事部屋も、それから、そこの机の引き出しも、全部見たんだ」
春花が、はっと小さく息をのんだのがわかった。
「梅澤博士」
今度は、寿也は博士の方を振り向いた。博士の切れ長な一重が寿也を捉えた。
「梅澤博士、あなたの開発した最新型アンドロイドNOVA……その2号機は……春ちゃんですね」
寿也の言葉に、春花はまた大きく目を見開いた。
「父さんが作っていた記憶転移システム、そして、梅澤博士のNOVA、この二つの科学技術が合わさったとき、最強のアンドロイドが完成する」
寿也の言葉に、梅澤博士は否定も肯定もしなかった。ただ、感情の灯っていなかった瞳に、うっすらと哀れみの色が写ったように見えた。
「春ちゃん……」
寿也はもう一度春花に呼びかけた。
「もういいんだよ」
寿也のその言葉に、春花は今にも泣きそうな顔になった。それは、春花が寿也に初めて見せた表情だった。
「左手でグラスを持つ癖がなくなってたり、映画を見てるときに、おれの気持ちを確かめるようなことを言ったり、実習の時だって、完璧に学科の問題を覚えてたり……こんなにもヒントがあったのに、おれは気づけなかった。いや、薄々違和感はあったのに、気づかないふりをしてたんだ。そうやって、自分を守ってた」
握っていた拳に、一層力がこもる。
「寿くんあのね……」
「春ちゃん」
春花は何かを言いかけたが、寿也はそれを遮った。ここで引き下がってしまっては、また今までの繰り返しになってしまう。もう寿也の心に迷いはなかった。
「春ちゃん、君はおれにとって、近未来から来た彼女だったんだ」




