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涙と全速力

 ひなのの顔から、一瞬にして笑顔が消えたのを、寿也は見逃さなかった。そして、ひなのの方も、それを隠すことを諦めたように、寿也の目をじっと見つめた。


「なんかあった?」

 寿也は静かに尋ねた。ひなのは何かを決めた表情で、もう一度寿也の方に顔を向けた。

「私、見たんです」

 ひなのはすぅっと小さく息を吐いた。

「見たって何を……?」

 嫌な予感はしていた。しかし、聞かずにはいられなかった。


「春花さん……泣いていたんです。あの場所で」

「……え?」

「昨日もこの近くを通ったんですけれど、そこの緑一丁目の交差点のところで春花さんを見かけて……。あ、春頃のバスケ部のOB・OG会で、桐谷先輩を迎えに来てらっしゃったときに、挨拶させていただいたので、顔は知っていました」

 寿也の疑問を見透かしたように、ひなのが補足した。

「それで……泣いてたの?」

「……はい」

 ひなのは目をそらして、それから頷いた。

「私も、声をかけるべきじゃないと思ったんです。ですけれど、春花さんも私に気づいたようで、逆に呼び止められました」

「春ちゃんはなんて言ったの?」

 思わず急かしたような言い方になった。

「……私のことは構わなくて良いから、寿くんを色んな遊びに誘ってあげてほしいの……春花さんはそう言っていました」

 ひなのは言い切ってから、視線を下に落とした。

「それってどういう意味……」


「桐谷先輩!」

 突然ひなのが寿也の言葉を遮って叫んだ。

「本当はもう気がついているんじゃないですか?」

 顔を上げて、まっすぐに寿也を見つめたひなのの目は赤くなっていた。ひなのの肩が小刻みに震えている。

「あの場所がどんな場所か、先輩が一番わかっているはずです。本当は、春花さんに、このことは絶対に先輩に言わないでって言われていたんです。でも、やっぱり限界でした。先輩にキャンプの話をしているときも、あの時の春花さんの辛そうな顔が思い浮かぶんです」

 ひなのはそう言うと顔を手で覆った。ここに寿也が来たときから、ずっと我慢していたのだろう。

 寿也には、春花の涙の意味が痛いほどに伝わってきた。春花がいたのは、多分事故の現場だ。そして、春花がひなのに言った言葉の意味、それは、本当は存在しないはずの自分に構わずに、寿也の時間を謳歌して欲しいということだ。

 キャンプの話を作ってまでして、ひなのが気を遣い、まだ知り合って浅い春花の頼みを聞いて、話を持ちかけてくれたことを思うと、寿也は胸が締め付けられそうだった。


「桐谷先輩……こんなこと言ってはいけないってわかってます。最低だと思います。それでも言わせてください」

 ひなのが真剣な表情で言った。

「もう春花さんを自由にしてあげてください」


 その言葉で、何かが寿也の中で弾け飛んだ。

「ちょっとごめん!」

 寿也は勢いよく椅子から立ち上がった。まだ半分も入っているコーヒーのグラスが、振動で揺れている。鞄の中から財布を取り出し、適当に五千円札を掴むと、テーブルの上置いた。

「行ってくる」

 寿也はただそれだけ言った。

 ひなのは何も答えなかった。代わりに、静かに、そして力強く頷いた。




 寿也は走った。ひたすら走った。周りの景色がめまぐるしく変化する。秋の冷たい風が頬に当たり、髪をなびかせる。不思議と、しんどいという感情はなかった。寿也の頭の中は、春花のことだけを考えている。呼吸も乱れない。意思のままに足を動かし続ける。


 春花に会って話したいことがたくさんある。春花に謝らなければならないこともたくさんある。一人でこの苦しみを背負い続けてきた春花を解放してあげられるのは、寿也しかいない。春花がアンドロイドになる決断をしたのは、寿也のためだ。これはうぬぼれなんかではない。もう春花を自由にしてあげたかった。そして、今度こそ、春花のすべてを受け入れたかった。


 春花にLINEをしたが、返事は返ってこない。午前中、寿也が学校に来ていなかったことを心配するLINEが来ていたが、それには気がつかなかった。


 春花のアパートに行ったが、まだ帰宅していないようで、明かりが消えている状態だ。寿也はもう一度携帯を取り出し、電話をかけたが繋がらない。

 今度は違う番号に電話をかけた。


「ん?」

 相手はすぐに出た。徹だ。

「ごめん、急に電話して」

「……それはいいけど、お前今日学校来なかっただろ。どうしたんだよ」

 徹は、心配と興味が混じった声で聞いた。

「ちょっと長くなるから今度話す。今、春ちゃん探してるんだけど、居場所知らないか?」

「んー待ってろ……あぁ、清水さんの仲の良い女子に聞いたら、もう帰ったってさ。なんか用事があるとかで、実習が終わったらすぐに出て行ったらしいぞ。今日は3時ぐらいに終わったから、もうその用事も済んでるかもしれないけどな」

「そっか、徹、ありがとう」

「……おう、なんか知らんけど無理すんなよ」

「わかった」

 寿也は電話を切り、また走った。今度は駅の方だ。


 最寄り駅から何駅か乗り継ぎ、山手線のホームで電車を待つ。

 ふと吸い込まれるように視線が階段に向かう。ここの階段で、寿也は春花と出会った。あの日差しが強い夏の日だ。

 あの時寝坊していなかったら、春花には出会わなかったかもしれない。あの時階段を全速力で飛ばしていなかったら、春花のことを知らないまま、大学生活を送っていたのかもしれない。


 運命なんて言葉は信じていないが、それでも今は、信じてみても良いと思える。


 寿也は開いた電車のドアから中へと入る。行き先は一つだ。


次の水曜日と日曜日は、テスト期間のためお休みさせていただきます。

単位取ってきます!

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