食堂と親友
「寿また揚げ出し豆腐かよ」
徹が寿也のトレイを覗く。
「そういう徹もいつもラーメンだろ」
「当たり前だ。ラーメンほど体に良いもんはない」
「それが医者志望の人間の言葉か?」
二人はいつもの定位置に座る。寿也は、ここの揚げ出し豆腐は世界一おいしいと思っている。この大学の食堂のメニューは、良心的な価格の上、学生の胃袋を満たすには十分すぎるほどのボリュームだ。さらに、夏休みもお盆期間以外は営業しているのだから、まさに学生の味方である。
「そういえば、清水さんのことどうなった?」
徹が水を飲みながら横目で寿也を見る。
「ああ、たぶんおれの勘違いだ」
寿也は半ば自分に言い聞かせるように答えた。
「だろ? で、何が違ってたんだ?」
「前髪を切りすぎてたらしい」
「おまえ……それは難易度1の問題だわ」
「何点満点?」
「十点」
「……」
「まぁ、これから取り返せよ」
徹が寿也の肩を叩いた。
「あ、そういえば、うちの大学院もこの研究やってんだよな?」
徹が斜め上のテレビを指さしながら言った。
寿也たちがいつもこの席に座る理由は、食堂に唯一あるテレビに最も近いからだ。学生のほとんどはテレビなど見ずに談笑しているため、この席が奪い合いになることはまずない。
「あー記憶転移システムってやつか」
「そんなものほんとにできんのかな」
「父さんも脳外科医としてこのプロジェクトに参加してるけど、ここ最近なんかずっと帰ってきてないな」
「そっか、寿の親父さんって都立総合病院の院長だったな。ほんとすごいよな、仕事熱心のかっこいい親父さんで」
「まぁ、その仕事熱心のせいで、母さんが病気で死んだときにも研究してて間に合わなかったような人だけどな」
徹が驚いた表情をした。寿也はすぐに言ったことを後悔した。
「……なんかごめん」
「いや、いいんだ。おれが言い出したことだから。それに、おれも結局父さんと同じ道を選んだわけだし。母さんのことでは、父さんを完全に許したわけじゃないけど、心のどこかで父さんの仕事に憧れてる部分があるんだと思う」
「そっか……」
「徹は、希望分野とかある?」
寿也は、気まずい雰囲気をなくすため話題を変えた。
「んー、特に決めてないな。そういうのって、初期臨床研修の後で決める人が多いらしい。おれも、実際に現場研修してから自分に合う専門を見つけようと思ってる」
「なるほどな。徹は精神科とか小児科とか向いてそうだけどな」
「どういうところが?」
「んー、なんて言うんだろうな。チャラそうに見えるのに、実は真面目で他人の気持ちとか真っ先に考えるところとかかな」
「……何だよ急に」
徹がぶっきらぼうに言ったが、表情は満更でもなさそうだ。
「それに徹、小さい子の面倒見るの上手いし」
「あぁ、おれん家兄弟多いからな」
「何人だっけ?」
「下が五人。弟が二人で妹が三人」
「……多いな。やっぱり長男って大変?」
「そうだな。下に迷惑かけないように、大学の授業料は奨学金借りてるし、まぁ大変なところはあるな。塾行くお金もなかったから、大学入試も独学だったし」
「徹はほんとにすごいよ。なのに、なんで普段はそのすごさが隠れてるんだろな」
「おまえ……今馬鹿にしただろ」
徹がすかさず突っ込む。
「その金髪ヘアとノリの軽さがなければもっと良い出会いがありそうなのにな」
寿也は本心を言った。
徹は一年の時から色んな女子と付き合っているが、今まで長続きしたことがない。近づいてくる女子は皆、徹のノリが良くてチャラそうな雰囲気に惹かれて付き合う。しかし、実験やテストで忙しい時期になると、遊べないことに不満を持った彼女たちは皆離れていった。
「……恋愛経験が乏しい寿也に言われてもな」
徹がわざと変な顔をして言った。
「けど、徹だって本当はわかってるんだろ? 今までみたいなタイプの女子は自分に合わないって」
「まぁ……」
「おれは親友として、徹の陽気なところも、根っこは真面目なところも、全部含めて好きになってくれる人が良いけどな」
「……寿、おまえやっぱり良い奴だな。さっきの恋愛経験乏しい宣言撤回しとく」
徹が大げさに寿也の肩を揺すりながら言った。
「いいよ、ほんとのことだし。まぁ、徹もちゃんと、おれみたいに良い恋愛しろよってことだな」
寿也が笑って言った。
「なんだよ、結局惚気かよ。撤回の撤回を求めます」
徹が議員のまねをして片手を上げた。
近くに座っていた学生がこちらを振り返った。
徹は何事もなかったかのように話を戻す。
「やっぱり寿は脳神経外科か?」
「そうだな。専門はそこに行けたら良いと思ってる」
「清水さんはどうなんだ? そういった話とかするのか?」
「この前聞いたときは、おれと同じで脳神経外科に行きたいらしい」
徹がへぇとおもしろそうな顔で寿也を見てきた。
「言っとくけど、徹が思ってるようなんじゃないから。彼女は自分の将来を人に合わせたりするタイプじゃないし」
「まぁ、確かに清水さんは、ほんわかしてそうで実はけっこう意思強そうだもんな」
徹は、寿也と春花とは一年次からの仲だ。もちろん、寿也と春花の出会いも知っていて、寿也と同じぐらい春花のことを知っていると言っても過言ではない。
「そうなんだよな」
寿也は的を射ている徹の発言に思わず笑った。
「それに、春ちゃんは元々、脳神経外科医としての桐谷真太郎のことを知っていたらしくて、おれの父さんって知ったときはサインちょうだいって言われたぐらいだからな」
「へぇ、それは初耳だな」
「いずれは父さんたちの研究に加わりたいらしい」
「やっぱり清水さんって、ちょっと不思議ちゃんだな」
徹が「良い意味でだぞ」と付け足した。
「おれもそう思ってるから」
寿也は笑って答えた。