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ベテランと説得力

 薄暗い照明が目に入り込む。重い瞼をゆっくりと開けると、徐々に視界が開けてきた。寿也は当たりを見渡し、自分の身体が仰向けになっていることに気がついた。白く清潔感の漂うシーツが肩まで掛けられている。


 どうやらここは病院の一室のようだ。周りに人のいる気配はない。カーテンが閉め切られ、ベッド上の間接照明のみが付いているため、今が何時なのかまったく見当も付かない。


 上体を起こしてみたが、身体には何も違和感はなく、手足も自由に動かすことができる。唯一気になるところがあるとすれば、頭に継続的なずきずきとした痛みがあることぐらいだ。


 寿也は、ここに来るまでの経緯を思い出した。コンビニからの帰り道、落雷を見た。その瞬間、なぜか自分の知らない記憶が呼び起こされたような感覚になった。そして、身に覚えのない記憶が脳内に鮮明に再生されたのだ。


 目覚めた途端、さっきまで見ていた夢の内容を忘れる現象と似ていて、その記憶を思い出そうとするが、あまりはっきりと思い出すことができない。

 ただわかっていることは、その記憶の中も、今日と同じ大雨の日だった。違うところは、寿也の隣に春花がいたところだ。そして、さっきと同じように雷が落ちた。


 寿也の顔がこわばった。次の記憶は、やはり、雨粒でぼやけた車のヘッドライトが、自分たちの方へ、アクセルを弱めることのないまま直進する映像になっていた。しかし、その続は、あやふやどころか、綺麗に切り取られたみたいに思い出せない。


 これは、自分の記憶なのか、それすらもわからない。しかし、コンビニからの帰り道、雷が落ちるのをみた瞬間、眠っていた記憶が目覚めるように、ありありと映像となって脳裏を支配したのだ。

 それと同時に、寿也は崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。後のことは覚えていない。



「寿也くん、目が覚めたの?」


 扉がスライドする音と同時に声が聞こえた。さっき部屋全体の照明を付けたため、その光が外まで漏れていたのだろう。この声は、昔から知っている。

「実和さん……」

 寿也は立ち上がってドアの方に行こうとした。

「あっ、ダメよ。まだじっとしてなくちゃ」

 実和が足音を立てないように注意しながらも、小走りでベッドへと駆け寄ってきた。

「おれ……どうなったの?」

「んーとね、病院まで連れてきてくれた人の話では、雨の中、急に道ばたに倒れちゃったらしいよ。でも、さっき寿也くんが寝てる間に、検査があったんだけど、特に身体に異常はなかったみたい。ほんと良かった」

 実和がほっとしたような笑顔で言った。

「そうなんだ……」

「先生が、疲れが溜まって、少し貧血気味になってるんじゃないかだって」

「そうかもしれない。最近、解剖実習ばっかりだったから」

 寿也は小さく頷いた。例の心当たりのない記憶については話さなかった。いくら昔からの仲である実和でも、こんな話はすぐに信じられないだろうと思った。それに、これは自分で解決するべき問題でもある。


「そっかぁ、寿也くん、お医者さんへの道まっしぐらなんだね」

 実和が寿也のベッドに腰掛けて言った。

「うん、実和さんと約束したからね」

「えー! ちゃんと覚えててくれたんだ!」

 隣の病室に響かないように、口元に手を当てながらも、実和は大きく驚いて、それから嬉しそうに笑った。

「当たり前だよ。まぁ、もう一個の約束は守れてない気もするけど」

「もう一個?」

「忘れちゃったの?」

 寿也は少し茶化したような口調で言った。

「あっあれか! お父さんと仲直りするってやつ」

 実和はそう言った後、「懐かしいね~」と言いながら、あの日のことを思い出すように目を細めて宙を見つめた。

「そっかぁ。まぁ仕方ないよね。家族だからって何でも許し合えるってものじゃないもんね。けどね、寿也くんも、もっと大人になって、働くようになったら、あの時のお父さんの気持ちも、少しわかるかもしれないよ」

「そうなのかな……」

 寿也に話しかける実和の口調は、小中学生の寿也への口調とさほど変わっていない。やはり理解はしていても、実和の中では、あの頃の泣いていた寿也のままなのだろう。少し悔しい気もするが、寿也自身、昔に戻ったみたいに心が落ち着くような感覚になっていた。

「私もね、看護師として実際に働き始めてから、こんなにも働くのが大変なんだってわかったの」

 実和は変わらず優しい笑顔のまま言った。

「夜勤とか?」

「うん、それもそうだし、やっぱり仕事って自分の思うようにいかないことだらけなの。初めのうちは失敗だらけで怒られてばっかり。ほんと毎晩家に帰ってから泣いてたなぁ」

 実和は少し照れたような表情で言った。

 始めの頃というと、母の担当看護師時代のはずだが、寿也にはそんな風には見えなかった。今思えば、それは、見えなかったのではなく、見せなかったのだろうと思う。


「でも、今はベテランでしょ?」

 寿也の言葉に、実和は声を出して笑った。

「そっかぁ、ベテランかぁ。嬉しいんだけど、なんか一気に老けた感じがするよね」

 そんなつもりで言ったわけではなかったが、寿也も思わず笑ってしまった。

「ベテランはベテランで大変なのよ。新人の時と比べて、はるかに責任が重くなるから、それこそ、仕事が予定通りに終わらないことが多くなったりするからね」

 そう言ったものの、実和の表情は至って明るい。今の自分の仕事にやりがいと充実感を感じている証拠だ。

 そんな実和の言葉だからこそ、寿也には説得力があるように感じた。あの日、父は仕事で来られなかった。当時は、仕事なんて抜け出せば良いだけだと思っていた。しかし実際は、そうはいかない理由も事情もたくさんあったのかもしれない。


「いっけない! もうこんな時間だ。道草食ってないで他の病室も見回りしなきゃ」

 実和が立ち上がって、引いてきた処置ワゴンに手をかけた。

「じゃあね、寿也くん。あっそうだ、明日は念のため安静にしとくようにって言われてるから、学校は行っちゃダメよ」

 実和はそう言うと、手を振って病室を出て行った。


 実習を一日休めば、かなりの弊害がありそうだが、ドクターストップがかかっていては仕方がない。倒れたときに所持していた持ち物はすべて、ベッド横の簡易テーブルに置かれていた。寿也は、スマホの画面を覗いた。ロック画面の時刻は、深夜1時15分と表記されている。


 寿也は元の体勢に戻り、シーツを肩まで引っ張った。思い出そうとしても思い出せない記憶の続きを辿りながら、寿也は再び眠りについた。


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