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繋がりと時系列

 こんなに実習に集中できなかったのは初めてだ。慣れてきて、緊張感があまりなくなったのもあるだろうが、午後の予定のことで頭がいっぱいだったのが一番の原因だ。

 しかし、班の中だけでなく、教室全体の中でも、寿也は一二を争うぐらい上手だった。集中力に欠けていても、どの行程も怠ることなく順調に解剖を終えることができた。




 終わりの合図と同時に、寿也は、誰にも声をかけずに教室を飛び出した。後ろでかすかに春花の視線を感じたような気がしたが、今はかまっていられなかった。それに、春花と話せば、昨日のことをどうしても問い詰めてしまいそうな自分がいて避けてしまった。なぜだかわからないが、聞くことをためらってしまう。そのことを口に出すのがタブーであるかのように感じるのだ。



 寿也は、自室に寄ることなく、父の仕事部屋に忍び込んだ。相変わらず閑散とした部屋だ。しかし、足下のエナジードリンクが入った箱が増えていることに気がつく。父が来ていた証拠だ。一気に部屋の空気が張り詰めた。

 父がこの部屋に日頃から通っているということは、やはりここに何かあるのだろうか。寿也は慎重に辺りを見渡したが、エナジードリンク以外は特に変わっていないように思う。


 ひとまず、この前見つけた、記憶転移システムの仮データのファイルをもう一度開く。しかし、あれ以降新たな書き込みはされておらず、進展は得られない。

 寿也は丁寧に本棚に戻した。




 と、そのとき、見覚えのある言葉を本棚の中に見つけた。特に隠している様子もなく、ラベルにくっきりと文字が書かれている。


 寿也は、その言葉が書かれた資料を手に取った。前来たときにはあっただろうか。あれば気がついたような気がするが、確かめようがない。


「クライン・レビン症候群の患者って、例の……?」

 寿也は背表紙を眺めながらつぶやいた。そして、迷いなくその資料をめくった。

 

 資料の中身は、寿也の予想通り、梅澤博士が大学の講演会で話していた、クライン・レビン症候群の患者の実験データそのものだった。

 ジェシーが病気を発症し、通院するようになってから、実験対象として、夢を人工的に作り出す装置を付けるまでの記録が詳細に記されている。


 なぜこの資料がここにあるのか。


 梅澤博士は、寿也たちの大学と提携を結んでいるのであって、父とは特に関わりがないはずだ。それに梅澤博士は、ついこの間まで、このクライン・レビン症候群患者への人工夢の研究と、最新アンドロイドNOVAの開発のため、アメリカにいたのだ。ますます父との接点が見当たらない。そういえば、なぜ博士がアメリカから一時帰国したのかは聞かなかったなとふと思う。


 しかし、寿也はあることを思い出した。


「月島教授……」


 その名前が、寿也の口からこぼれ落ちるように出た。


 元々、記憶転移システムの研究は、都立総合病院の院長である父と、寿也たちの大学院の教授である月島教授が主体となって行っているのだ。しかし、月島教授は大学院の教授であり、寿也は会ったことがなかったので、ひなのに聞かれたときも、曖昧にしか答えられなかった。


 月島教授なら、記憶転移システムの研究を進めていく過程で、大学との提携関係を使って、梅澤博士とコンタクトを取ることも可能なのではないだろうか。それにどちらの研究も、偶然か必然か、脳に関する研究だ。そこで協力関係が築けたとしてもおかしくない。


 だとしたら、二つの研究は、どこで交わるのだろうか。どのように作用し合うのだろうか。記憶転移システムと、人工夢の研究は、前者は、記憶を取り出し移し替え、後者は、記憶を差し込み作り替えることが醍醐味だ。両者は近いようで、真反対のシステムを生み出そうとしている。

 

 協力するにしても、双方にとって納得できる状態でない限り、合同研究など行わないはずだ。それに梅澤博士は、わざわざアメリカから帰国している。帰国したのは、確か夏前のはずだ。この資料によると、その頃は、まだジェシーは経過観察中となっている。その後、講演会の数週間前に、アメリカの病院から、ジェシーの反応が良好だったとの報告を受けたことが書かれてある。


 記憶転移システムの研究チームと、梅澤博士たちの研究所が何らかのコネクトを持っているという寿也の考えが正しいのならば、これでは時系列がおかしいことになる。

 人工夢の実験の結果が出る前に、他の研究チームと手を組んだりしないはずだ。ましてや、帰国してまですることではない。


 それか、元々時期を決めていて、どこまで研究が進んでいようと足踏みしていようと、夏前に合流する約束でもしていたのか。寿也は考えついてから、すぐさま頭を横に振った。友だちと遊びの約束をしているわけではないのだ。両者にとってメリットのないような契約を交わすわけがない。



 寿也はひとまず、今出そろっている状況を整理するべく、部屋の外に出た。夏の終わりだけあって、以前に比べて一段と涼しくなった風が、寿也の身体を通り抜けた。


 1階のエントランスには自動販売機がある。ちょうど喉が渇いていたところだ。下まで行って戻ってくるのは、良い気分転換になるだろう。


 父が帰ってくるまではまだ時間がたっぷりある。戻ったらもう一仕事しよう。もしかしたら本当に病院に泊まって帰ってこないかもしれない。




 ふと昨日の不細工なおにぎりのことを思い出した。まだ素直に感謝する気持ちにはなれないが、それでも、父に対してのイメージが、以前とほんの少し変わったような気がする。いや、変わったのではなく、昔にほんの少し戻ったといった方が正しいかもしれない。


 寿也は浅く深呼吸し、エレベーターのボタンを押した。


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