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ロックと足音

 寿也は、暗がりの中、USBメモリを拾い上げた。明らかに、この机から落ちたものだ。


 寿也の心臓が、わかりやすいほど波打った。根拠はないが、何かデータが入っているかもしれない、直感的にそう思った。


 寿也は今すぐ中身を確認したい衝動に駆られた。しかし、この部屋にはパソコンは見当たらない。念のため、引き出しの中も確認しようと手をかける。


 ガチャンと鈍い音がした。引き出しに鍵がかかっていたことをすっかり忘れていた。机の引き出しにライトを当てると、そこだけ妙な違和感があった。机の台の部分は、事務的なごく普通の見た目であるにもかかわらず、引き出しのみが、後から取り付けられたみたいに、頑丈な造りになっていた。


 寿也は、念入りにその引き出しを確認する。引き出しのロックは、差し込むタイプの鍵ではなく、4桁の数字を入力するパスコードタイプのようだ。明らかに、レトロなこの机には不釣り合いなデジタル板があった。やはり、貴重なデータを保管するために、わざわざ後から付け足したとしか考えられない。


 USBを手に入れたことで欲が出たのか、この引き出しの中も見てみたいという好奇心が湧き出てくる。


 そういえば、記憶の中の父も、何やらボタンを押す仕草をしていた。しかし、寿也がいた場所からは、引き出しの部分が隠れていたため、数字を押す瞬間は見えていなかった。仮に見えていたとしても、覚えているわけがないのだが、無性に残念に思えてくる。

 さらに、ここに来て、父との会話の少なさも悔やまれる。父が使いそうな4桁の数字など、まるで思いつかない。


 適当な数字を打ってみようかと思うが、どんな弊害があるかわからない。ひとまず思い当たる数字を必死で考える。





 そのとき、資料室の真横にある、北館へ続くエレベーターが開く音がした。


 誰かが近づいてくる。寿也は咄嗟にスマホのライトを消した。足音はまばらに聞こえる。二人いるのだろう。


「確かこの部屋においているはずなんだ」


 声と共に、足音がドアの前で止まった。毛穴という毛穴すべてから、汗が噴き出してくるような感覚になる。それは、まさしく父の声だった。


 ドアノブがゆっくりと回される音がする。隠れる場所などない。


――――やばい、見つかる


 ドアノブを見つめる寿也のこめかみに一層力が入った。


 と、その瞬間、


「桐谷先生、博士がすでにいらしているそうですよ」

 

 もう一人の声が響いた。


「そうか、もうそんな時間か。ありがとう。後で取りに来るよ」


 足音が遠ざかっていく。

 寿也はそのままその場に崩れ落ちるように座り込んだ。顔は完全に青ざめている。


「今の声って……」


 寿也は先ほどの声を頭の中で反芻する。顔が青白くなっているのは、緊張から解放されたからではない。先ほどの焦りが長引いているからでもない。


「春ちゃん……」


 静かな部屋の中で、自分の声が驚くほど鼓膜に反響した。


 姿は見えなかったが、あれは春花の声に間違いない。普段話さない父の声すらわかったのだ。ほぼ毎日会う春花の声がわからないはずがなかった。

 

 春花がこの病院にいる。しかも、父と一緒にいた。これは一体どういうことなのか。寿也は、冷静になるように自分に言い聞かせるが、依然として鼓動は高鳴ったままだ。


 ひとまず、この部屋から出るのが最優先事項だ。寿也は、いったん考えを停止させ、事務作業かのように、自分がいた痕跡を跡形もなく消し去った。


 元来た道をたどって、1階の待合室まで戻る。ドアの外に広がる町並みは、すっかり夕日に包まれている。時計を見ると午後5時半を指している。病院に1時間半もいたことに驚く。


 行きとは明らかに違った心持ちで、寿也は出入り口へ歩いて行く。しかし、先ほどに比べると、だいぶ落ち着きは取り戻している。

 机の上から落ちたUSBメモリ、引き出しのパスワード―――――それから、春花の声―――――。これらはすべて繋がっているのだろうか。自分の知らないところで、何か得体の知れない大きな影が動いているような感覚に襲われる。




 


「あら、寿也くんじゃない?」

 突如、後ろから、はつらつとした聞き覚えのある声が聞こえた。

「実和……さん……?」

「なぁに~、そんな険しい顔しちゃって」

 実和の言葉に、寿也は思わず頬に手を当てた。

「久しぶりね。だって、最後に会ったの、寿也くんが中学生の時でしょ?」

 実和は相変わらず気さくな笑顔を覗かせる。改めて、長い間ここに足を踏み入れていなかったことを痛感する。実和の方では、まったく若さがなくなっていない。

「何かあったの?」

 なかなか返事をしない寿也を、実和が不思議そうな顔で見つめている。

「ううん、何でもないよ。あのさ……」

 寿也は、あの資料室の引き出しのことや、病院に出入りしている大学生がいるかなど、湧き上がる疑問の数々を尋ねようかと思った。実和はここで長く働いている看護師だ。何か知っているかもしれない。しかし、すぐにその言葉は喉元へと引っ込んだ。何か確信がつかめるまで、ことを荒立てるようなことはしない方がいいような気がしたからだ。

「なぁに?」

「おれが今日ここに来たこと、父さんには内緒にしてね」



 夕日が沈む中、寿也は病院を後にした。


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