科学と理論
「そういえば、最近話題になっている記憶転移システムの研究に、先輩の大学院も参加しているんですよね?」
若干の沈黙の後、ひなのがパッと顔を上げて聞いた。ここで、寿也の方が詳しいであろう話題を選ぶのは、さすがサポート役のマネージャという感じだ。
「大学院の方だから、おれは会ったことがないんだけど、けっこう有名な教授が主にやってるんだって」
「じゃあかなり大がかりなプロジェクトなんですね」
寿也は、「たぶん」と答えて、モンブランを口に運んだ。特に理由はないが、自分の父親も関わっていることは言わないでおいた。
「ニュースを見ていたら興味は湧くんですけど、あまり理解できなくて」
ひなのは少し恥ずかしそうに言った。
「確かにあの内容を理解するのはなかなか難しいよ」
「でも先輩は多少理解していらっしゃるんじゃないですか?」
「まぁ、おれは身近な話題だからね」
「ぜひ教えていただきたいです」
「けっこう複雑かもだけど大丈夫?」
寿也は、口元をほころばせながら言った。誰しも、自分の得意な分野や、好きな事柄についての話題を振られると、少なからず気分が高揚するものだ。
ひなのは、「もちろんです」とにこやかに答えた。これも、ひなののアシストスキルの一つだろう。
「記憶転移システムは、人工知能と融合させることによって完成するんだ」
ひなのは、再びチーズケーキへと伸ばした手を止め、寿也の方に顔を向けた。
「高橋は人工知能についてどんなイメージがある?」
寿也のつかみ所のない質問にも、ひなのは真剣に考えているような様子を見せる。
「あまり詳しくはないんですけど、人工知能ってあれですよね、よくテレビで、オセロや将棋と対戦してるコンピューターのことですよね」
「そうそう、その人工知能はかなり初期のものかな。人工知能は、生き物の自然知能をコンピューター上に実現することを言うんだ」
ひなのは少し首を傾けた。
「もちろん、自然知能をそのまま人工知能に写すことはできないから、モデル化、数学化したそれぞれの問題に対して、人工知能を実現する。これが、問題特化型の人工知能で、実は、世の中のほとんどの人工知能はこの型に含まれるんだ。さっき高橋が言ったのもこの一つだよ」
「その問題特化型が初期ってことは、最近は他の型もできているんですか?」
「そうだね。学習する人工知能なんていうのも開発されていて、ディープラーニングや、機械学習など様々な方法があるんだ。実際に、ディープラーニングの性質を利用した囲碁AIがあって、プロ棋士に勝利したんだよ」
ひなのは「へぇ」と驚いたような声を出す。
「ディープラーニングって、具体的にどんな技術なんですか?」
「なんていうかな、今までは、データごと、問題ごとに抽出アルゴリズムを工夫していたんだけど、ディープラーニングは、学習のデータが十分にあれば、ニュートラルネットワーク自体が、データ群の特徴を自動抽出してくれるんだ」
「……つまり、ニュートラルネットワークにデータを流し込めば特徴が勝手に抽出されるってことですか?」
「簡潔に言えばそういうことだよ」
飲み込みが早く、積極的に知ろうとするひなの相手では、寿也も思わず話に力が入る。寿也は、わずかに残っていたアイスコーヒーを飲み干し、一呼吸置いた。
「でもきっと本当は、もっと高度な人工知能があるんじゃないですか?」
ひなのがすべてお見通しといった笑みで寿也を見た。
「さすが話が早いね。そう、ここからが本題だよ」
寿也も思わず笑みがこぼれた。この会話のテンポ感は、頭の良いひなのならではのものだろう。自分が詳しくない範囲でも、相手のリズムに合わせられるのは、彼女の美点の一つだと思う。
「最近盛んに行われているのは、感情を持った人工知能の研究なんだ」
ひなのがはっと息をのんだのがわかった。
「それってつまり……限りなく人間に近くなるってことですよね」
「そうなんだ。意思決定する人工知能はすでに存在しているけど、感情を持った人工知能はまだ作られていない。そもそも、感情の動きを支配しているのは、大脳辺縁系の扁桃体というところなんだ。その扁桃体で生まれた情動が、視床下部や脳幹網様体と呼ばれるところと連携することで、身体反応や情動行動が起きる仕組みになっているんだよ。だから、感情を持った人工知能を作るには、ほぼ完璧に人間の脳を再現しなければならない」
ひなのが軽く握った手を口元に当てる。寿也の話を頭の中で整理し、反芻しているのだろうか。
「まだあまり具体的なイメージがつかめていなくて……」
照れ笑いを含んだ顔のひなのと目が合って、寿也は反省した。つい興奮して、専門的な用語を多く使ってしまった気がする。
「高橋は嫌いなものなにかある?」
「……嫌いなものですか? ええと、なんでしょう。あっ、犬はあまり好きじゃないです」
一見ワイルドピッチのようにも見える寿也の質問を、ひなのは多少戸惑いながらもすぐさま丁寧に捕球した。
「子どもの頃に犬に追いかけられたことがあって、多分それがトラウマになっているんだと思います。今なら小さいのは触れるんですけど、大型となるとやっぱりまだちょっと抵抗があって」
「その経験こそが、感情が起こる原因の一つになるんだ」
寿也は、不思議そうな表情で見つめるひなのに微笑んだ。
「もし今大っきい犬が走ってきたらどう思う?」
「怖いです! すぐに逃げます」
ひなのはそのシーンを想像したのか、綺麗な形の眉をひそめた。
「目の前にいる犬という目から得た情報を、海馬の記憶と照らし合わせて、どのような情報を生むべきかを扁桃体で評価するんだ。その評価は、相手が味方だったら『快』を感じて喜びになるし、敵だったら『不快』を感じて恐怖や怒りが生まれる。つまり高橋は、犬に対して怖い経験をした記憶があるから、犬を見ることで再びその記憶が再生されて、不快の感情が起こるんだよ」
「なるほど……。感情は、記憶と密接に関わっているんですね」
「そう、そこでようやく記憶転移システムの登場だ」
寿也はもったいぶって一つ咳払いをした。
「仮に、感情をもった人工知能ができたとして、意図的に作らない限り、その人工知能に当然記憶はない。だけど、記憶転移システムがあれば、その人工知能は記憶を持つことができるんだ」
「……どういうことですか?」
「人間の脳にある記憶をそのまま転移させるんだよ」
「まさかっ」
ひなのは大きな瞳をさらに見開かせた。到底信じられないといった様子だ。
「そのまさかを実現させるべく、科学者や脳外科医たちは研究をしているわけだ。記憶細胞からは、特殊な周波数が出ていると言われている。その周波数を抽出し、データ化することで、その人間の記憶データを取り出す」
「そんなこと本当にできるんですか?」
「理論上はね。まぁ、こんなに語っておきながら言うのもなんだけど、おれ自身も、記憶転移システムが実現するかは半信半疑だよ」
寿也の言葉に、ひなのは「なぁんだ」と小さくつぶやいて笑った。
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