「物」とも言えるし、「者」とも言える
「金は天下の回りもの」とはよく言ったもので、「金はひと所に留まるのではなく、巡ってくるもの」だから頑張れと人を励ましたそうな。
けれど、それが「天下が金の回し者」と揶揄されるものになったのはいつからだったか。
現代では「若者の車離れ」なんて言ったら「金の若者離れ」が原因だなんて結論が出ちゃうものですから、意外と昔話でもないようで。
昔の人は上手いこと表現するなぁなんて思ったりなんかしませんか。
こう言った的を射た表現ってのは何も金に限った話じゃなく、人間関係なんかでも良くある事と見受けられます。
あえていくつか例を挙げるのならば、「類は友を呼ぶ」「隣の芝は青い」「情けは人の為ならず」なんていったところでしょうか。
「似通った人、共通の何かを持つ人達は自然と寄り集まっていく」様子や、「自分のより他人のものの方がよく見える」心情、「優しさが巡り巡って自分に跳ね返ってくるもの」という考え方、こんな事は現代でも比較的よく起こるんじゃないでしょうか。
「情けは人の為ならず」って言うのは、誤解されがちですが、これは「他人に優しく」って心がけを指したもんで、「為にならないから甘やかすな」って訳じゃありません。これを逆手にとって、「巡り巡って自分の為になる、から今後の自分の為に他人に優しくしておこう」なんて発想する人もあったりするものだから、「卵が先か鶏が先か」くらいに何が何だか、何が純粋な優しさかもよくわからんものです。
先に挙げた人間関係の表現は意外にも、金を絡めても何だか通じる様な気もします。
隣の芝は「他人の収入」だったり、情けは「寄付や募金」だったり、考えようの問題にも思えますが、人と金の関係って言うのは切っても切れないもんかもしれません。もしかしたら、金が人同士に似た動きをするものなのやもしれません。
となると、若者から離れていった金はどこへ行くのか、ふと疑問に思うのですが、その分が高齢者に回ってると言う訳でも無さそうです。
単純に答えを出すとするならば、金にとっても「天下は金の回し者」で「類は友を呼ぶ」というものである可能性が、なきにしもあらずってとこでしょうか。
お後がよろしい様で。




