第8話 波乱を呼ぶ転校生
夏休みが明け、新学期が始まっていた。
自室の机にて難しい顔をしながら腕組みをしている晴太の目の前には、一枚の紙きれが置いてある。
進路調査票。
高一のまだこの時期なので大まかな希望の確認程度に過ぎないのだが、将来なにになりたいか、明確なビジョンを持たない晴太にとってはそれでも頭を悩ませるものであった。
一応スマホで島谷にアドバイスを求めてはみたものの、そればかりは自分の頭で考えなさいと、先程教師として当たり前の返答をされたばかりである。
「ゆき、お前はいいよな。将来の悩みとかなさそうで」
失礼なことを言うなと言わんばかりに、ゆきは茎を捻じらせてそっぽを向いた。
「ああいや悪かった。教えてくれゆき、俺は将来なにになればいいと思う?」
本人の知らないその人物の才能が、周りの親しい人間には見えている、というのはよく聞く話である。
晴太は十年寄り添ったこの相棒ならば、案外自分の隠れた素質を見抜いているかもしれない、そんな淡い期待を込めて質問していた。
「なに、鋼鉄叔父さんのように異界を旅する冒険家にでもなったらどうだって? 無理に決まってるだろ、そんなの。ていうか慎重に隙を見せないように立ち回っているつもりが、いつの間にかクラスで臆病な性格がバレ始めてる俺に言うかそれ」
晴太は聞いた自分が馬鹿だったとため息をついた。
そしてとうとう自棄になり、紙を床に向かって豪快に放り投げてしまった。
「あー考えるの面倒くさい。いっそゲームの主人公みたいに最初から果たさなければいけない宿命のようなものがあればいいんだけどな」
するとゆきはぺちんと晴太の頭を軽く叩いた。そして枝を伸ばし、落ちた紙を拾い上げると、再び彼の目の前に置いた。
「そう思うのは俺にやりたいことがないからで、実際に宿命なんてもんがあったら鬱陶しいだけだ? まあ、言われてみれば確かにそうかもな。適当に進学してサラリーマンにでもなるとか書いとくか」
自分の将来ときちんと向き会うことから逃げている……。分かっていながらも、晴太はやっつけ仕事でペンを走らせた。
そんな彼の傍ら、ゆきは葉の先端で自らを指し、微笑んだ。
微笑んだ、というのは晴太にしか分からない感覚で、強いて視覚的に説明をするとすべての枝や葉を軽く曲げ、見るものに柔らかい印象を与える姿となることである。
「そうだよな。どんな将来になろうともお前は傍にいてくれる。それだけで俺は幸せだよ」
しかしその言葉は自分自身に無理矢理言い聞かせているに過ぎなかった。
こうして晴太の新学期は、青春時代特有の将来が定まらないことに対する不安からくる、アンニュイな気分から始まっていたのだった。
翌日、晴太がその紙を持って学校に行くと、思わぬイベントが待ち受けていた。
島谷の横に、見たことのない美少女が並び立っている。
いわゆる姫カットと称される長髪の黒髪が印象的なその少女は、一目で晴太の脳内美女ランキングにおいてクラス一の美少女と称される岡野莉子をあっさりと抜き去り、島谷のすぐ下の二位の座に君臨した。
「今日からこの学校に転校してきた鬼灯紅子よ。みんなよろしくね」
きりっとした目元が与えるクールな知的美少女いう第一印象とは裏腹に、鬼灯の発した第一声は実に活発そうであった。
晴太は彼女を一目見て、彼女がすぐにクラスの人気者になるだろうということと、自分とは正直あまり合わないタイプだろうということを同時に察していた。
「やばいな鬼灯さん。やべぇよあれは」
「まあ言いたいことはわかるよ」
「あの美貌にあの人当たりのいい性格。しかも頭がよくて運動神経抜群で、極めつけには一番嫉妬しそうな莉子ちゃんを真っ先に抑えにいくあのしたたかさ。あれはもしかして俺らの人気美波ちゃん越えがあるかも知れないぞ」
「最後の一言についてはどうだか分からないけど、あそこまでキラキラしていると別世界の人って感じだよな。少なくとも俺のような日陰者には縁遠い存在になりそうだよ」
休み時間、早速鬼灯の席の周りに出来ている人だかりを眺めながら、晴太は言った。
手早く挨拶のやり取りを済ませた佐藤とは違い、彼はまだ彼女と一言も口を聞いていない。
しかし自称一途な島谷派の彼にとっては、所詮脳内美女ランキング二位を更新した転校生に取り入ることはさほど重要なことでもなかった。
「おや? おやおやおや? 広橋さん、その発言はおかしくねえか?」
「な、なんだよ佐藤気持ち悪い言い方して」
「俺は見逃してなかったぞ。さっきの授業中、鬼灯さん明らかにお前のこと見てたよな。それもしょっちゅう」
「……いや、確かに視線は感じたけども」
佐藤の言ったことは事実であった。
先程の授業中、晴太はなぜだか鬼灯からの執拗な視線攻撃を受けていたのである。
しかしその理由に関しては、彼にはまったくと言っていいほど心当たりがなかった。
「縁遠い存在どころか、実は脈アリなんじゃねえの? お前が美波ちゃんガチ勢なのは分かってんけどさ、ワンチャンあるとしたらぽっと出の美少女転校生の方かも知れないぞ」
「からかうなよ。気のせいだろ」
彼には少なくとも先程の視線が脈ありサインのそれではないことは分かりきっていた。
なぜならそれは明らかに怪しいものを警戒して睨み付けるような冷たい目だったからである。
「実は昔別れた幼なじみの知り合いだったとかじゃねえの? んでせっかく再会したのに忘れてるようだったから、怒って睨んできたとか」
「ないない。そんなどっかのギャルゲーの主人公じゃないんだから」
晴太は懸命に記憶を辿ってみたが、やはり幼少時代に鬼灯らしき人物と会った記憶はなかった。
彼は先程の視線はやはりなにかの間違いだと思い直し、忘れることにした。
そして、事件は晴太が自宅に戻り、ゆきと一緒に週刊少年プルルートを楽しんでいる最中に起きたのだった。
* * * *
「いくらここが二階だからといって、窓を開けているなんて不用心ね。広橋晴太くん」
晴太は腰が抜けてしばらくの間動けなかった。
夜風に颯爽と髪を靡かせながら、紛れもなく鬼灯がちょこんと窓サッシの上にしゃがみこんでいる。
しかもなにかのコスプレをしているのか、花柄の着物に橙色の袴を履き、腰に日本刀を差していた。
「ほ、鬼灯さん……だよね。どうしてここに!?」
「私は鬼灯紅子、コードネーム紅。またの名を鉄砲玉の紅よ」
鬼灯は得意げに言い放った。
晴太はあまりの出来事にどう反応していいのかが分からなかった。
少なくとも今現在の彼の脳内では美少女転校生が夜這いをかけてきたという甘い展開を期待することよりも、単純に恐怖の感情が勝っていた。
震えた手で傍に置いてあったスマホを手繰り寄せながら、晴太は口にした。
「ここ、俺の家で多分鬼灯さんが今してるのは不法侵入なんだけど。えっと、なにか話があるっていうんなら明日学校で聞くからさ、とりあえず出てってくれないかな。その、こっちも警察とか呼びたくないし」
警察を呼ぶというのは彼なりのハッタリのつもりであった。
彼としても出来る限りは大事にしたくはない思いがあり、さすがにこう言えば大人しく身を引いてくれるだろうと、そんな安直な期待の下の発言であった。
「警察ですって。呼べるものなら呼んでみることね」
「え……?」
ダンッ。
鬼灯が不敵な発言をしたかと思うと、次の瞬間には抜刀した刀の切っ先が晴太の喉元に触れていた。
そのあまりの速さに晴太は反射的に防御姿勢を取ることも出来ず、誇張なしに彼女が瞬間移動したように見えていた。
彼の目の前でギラリとした輝きを放つ刀身の質感は明らかにコスプレ用の玩具のそれではない。
状況を悟り、彼の声色は一気に情けなく変化した。
「お願いします……。こ、ころさないで……」
「よろしい。大人しくしていれば危害は加えないわ。今回は調査に来ただけだもの。なるほど情報通り、確かにあなたの方にはなんの力もないみたいね」
鬼灯は鞘に左手を添え、美しい所作で納刀した。そして間髪入れずに机の上の一点、先程から普通の観葉植物に擬態している彼の相棒の方に目を遣った。
その視線は授業中に晴太の顔を見ていたものと同じ、睨むような目であった。
「あれが淡雪草っていう異界の植物かしら。一見ただの観葉植物のようだけれど、主人である広橋くんの危機にほんの一瞬だけ動いていたわね。私の目は誤魔化せないわよ」
「ま、待ってくれ……。どうして淡雪草のことを鬼灯さんが」
「ふん。私はね、古より伝わる忍者の系譜にして正義の組織、にんにんマーケットの一員なのよ。その活動の一環として、ごく稀にいる特殊な力を持つ人間の調査をしているの。その能力を悪事に使用していないかどうかとかね。このケースの場合、対象は人間じゃなくて草だけれど」
晴太には彼女がなにを言っているのか分からなかった。
先程の身のこなしからして、彼女がただの痛い中二病患者でないことは見て取れるが、いきなり漫画の設定のようなことを言われてもにわかには信じられないものである。
「この植物、所有者が葉を食べることでなんでも願いが叶う万能薬になるんですってね。あなた、少し前にその力を使わなかったかしら」
「え、いやそれは……」
晴太は先日、島谷に話しかける勇気を得るためにゆきの力を使ったことを思い出した。
「まあ調べれば色々分かることだわ。広橋くん、悪いけどこの子は持ち帰らせて貰うわよ」
「ちょ、ちょっと待って」
「問答無用。鉄砲玉の紅は一度決めたことは曲げないのよ」
鬼灯は再び電光石火のごとき身のこなしで彼の机の前まで移動すると、ゆきの鉢を強引に持ち上げた。
身体能力で敵わないことを思い知らされている晴太には、もはや無様に懇願するほかに手段は残されていなかった。
「やめてくれ! 頼む、ゆきは俺の大事な相棒なんだ!」
「こらこら。やめなさいよ、そういう良心の呵責に訴えかけるような言い回しは。こっちも仕事でやってるんだからね」
「いやマジで! 俺たちはなにも悪いことはしてないから!」
「だからそれをこれから調べると言っているの」
と、二人がこのような平行線を辿るやり取りをしている最中だった。
ここまで沈黙を保ってきたゆきの全身が瞬時に巨大化し、鬼灯の頭上から大蛇のごとく襲い掛かったのであった。
「ちょっ……。な、なによコレ!?」
「でかしたぞゆき!」
四方八方から同時に降り注ぐ枝のすべてに刀一本では太刀打ちできなかったようで、鬼灯は触手のように巻き付いた枝にあっという間に手足の自由を封じられ、大の字で宙づりになった。
その腹部には槍のように鋭く尖った枝が突き付けられ、今にも刺さりそうになっている。
「は、離しなさい……! くっ、広橋くん。離すように言って!」
「ゆきを持っていかないと約束してくれるなら」
「……するわ。約束する」
鬼灯は涙目で言った。
晴太は位置的に彼女の大胆に開かれた生足を正面から拝むことが出来たが、紳士である彼はあえて視線を外し、命じた。
「よし。ゆき、離してやれ」
解放された鬼灯は魂の抜けたようにぺたんと座り込んだが、すぐに立ち上がり敵意剥き出しで晴太を睨みつけた。
「約束通り今日のところは見逃してあげるけど、組織があなたたちをこのままにはしておかないわ! せいぜい束の間の安穏を噛みしめておくことね! それと今日のこと学校で言ったらただじゃおかないんだからっ!!」
鬼灯は晴太の返しの言葉も聞く間もなく、まさしく忍者のように窓から消えていった。
「現実の話だよな、今の……。ゆき、今言ってた組織とかいうのに心当たりはあるか?」
ゆきはフルフルと首を横に振った。
冷静になった頭で晴太は考える。一般的には存在しないと言われる異界を旅する叔父のような人間がいて、ゆきのような存在もあるのだとしたら、彼女のような人種がいてもなにもおかしくはない。
それは紛れもなく、彼にとってこれまで知らなかった世界への扉が開いた瞬間であった……。