第6話 晴太VS島谷 ~ゆきのエールを添えて~
「あの。ゆきさん、頼みがあります……」
そう言って突如正座で座り込んだ晴太の顔色を伺うかのように、ゆきは不思議そうに頭を垂れた。
「お前の力を貸してくれ。なんでも望みが叶うという、お前の葉の力が今こそ必要なんだ」
ゆきはびっくりした様子で、茎を大きく仰け反らせた。
十年間能力の使用を頑なに拒み続けてきた男が、いきなり頭を下げて懇願したともなれば無理もない。
晴太の顔はまさに真剣そのものであった。
「頼む! 俺に島谷先生に気さくに話し掛ける勇気をくれっ!」
ゆきはしばらく硬直し、動かなくなった。
そんな相棒に対し、晴太は熱心な口調でその真意を説明しはじめた。
「最初に言っておくけど、これはあくまでも下心で言っているんじゃないんだ。知っての通り、先生は間違いなくインペリアル・コードにドハマりしている。先生にとってあのゲームはきっと、多忙でストレスの溜まる毎日におけるいい息抜きになってるんだと思う。そんでもって先生が本心では話題を共有出来る仲間を欲していることも間違いない。だけど立場上、先生はそれを周りに言い出すことが出来ないんだ。なのに俺が考えなしにクラスであのゲームを流行らせてしまったから余計に先生を辛くさせてしまった。だから俺には責任がある。それ以上に、教師と生徒の壁をぶち破り、先生のゲーム仲間になれるとしたらそれは書店で直接先生を見た俺しかいないんだ!」
晴太の語りぶりにゆきは最初こそ引いていたものの、途中から幾度か頷く素振りを見せるようになっていた。
「で、そこまで言っておいて俺には情けないことに先生に話し掛ける勇気がないんだ。そこでどうか力を貸して欲しい。あ、あくまでも変な気で言ってるんじゃないからな」
最後の一言を強調しながら、晴太は再度頭を下げた。
ゆきはしばらく悩む仕草をみせ、そして彼にある質問を投げかけた。
「え、なんでそんなこと聞くんだよ。そりゃお前、どちらかと言えば先生よりゆきの方が大事だよ」
ゆきは嬉しそうに枝を伸ばし、そして一番大きく立派な葉を彼に差し出した。
晴太は両手を合わせ、あらためてゆきを神様のように拝むと、鋏で綺麗に葉を切り取った。
そして翌日。昼休み。
晴太は職員室のドアの前を行ったり来たりしていた。中に島谷がいるのは分かっている事実であるが、中々その一歩が踏み出せずにいた。
「頼むゆき。俺を導いてくれ……」
三度の深呼吸の後、ついに彼は覚悟を決め、シャツの胸ポケットから昨夜の葉を取り出した。
そして周りに人がいないことを確認すると、迷わずその葉を口にした。
ぱくっ……。
それが晴太にとって初めてのゆきの味だった。
サクサクとした食感とともに彼の脳髄にほんのりとした甘さが染み渡り、いくらもしないうちに彼は体中の熱さを感じ始めていた。
そして彼は気付くと職員室のドアノブに手を掛けていた。
ガチャ。
「失礼します。一年三組の広橋晴太です! 島谷先生はいますでしょうか!」
勢いよく名乗りを上げ、背筋をピンと張った晴太はそのまま真っ直ぐに島谷の席へと向かっていく。
もはや彼の胸には得体の知れない自信が次から次へと溢れ出し、例え教師たちからいかなる目で見られようとも気にならなかった。
やがて島谷の前まで辿り着くと、彼は少し恰好つけた低めの声で言った。
「先生、個人的な相談があるのですが。少しお時間を頂けないでしょうか」
「ええっと……。うん、分かりました。それじゃあここで話すのもなんだし、面談室に行こうか」
「ふふ。お願いしますよ」
島谷に案内され、彼は初めて面談室というものに足を踏み入れた。
そこは本来進路相談や三者面談などに使用される場所であり、一年生の彼にはまだその機会はなかった。
逃げ場のない狭い個室で島谷と二人きり。しかもこれから面と向き合って会話をするなど、普段の彼ならば間違いなく気後れする状況である。
恐らくまともに目を合わせることすらままならないはずである。
しかしこのときの晴太は島谷の茶色掛かった美しい瞳を、しっかりと見据えていた。
「もう、ちょっとビックリしちゃったじゃない。広橋君ってあんなに大きな声も出せたんだね。職員室に入るときの挨拶はいいんだけど、もう少し静かにね」
「すみません。ですが先生、声が大きかったのは俺が男の覚悟を決めたからです」
「そ、そっか。どうやら君の相談、私も覚悟をもって聞かなくちゃならないみたいだね。それで、一体どういった話かな?」
島谷は目の前の晴太の様子が目に見えておかしいことにさすがに戸惑っているらしく、その証拠に机の上に置かれた右手が落ち着かない仕草をしていた。
「先生……」
「は、はひっ?!」
「どうしました? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていますよ」
「いえごめんなさい。なんというかいつにも増して君の眼力が凄まじいものだったから。構わず続けて」
彼女を怯ませたその眼光は晴太からすれば無意識的に繰り出されたものだった。
彼はその瞬間、確かに右手を顔の前にかざすいわゆる中二病ポーズから突き刺すような視線を放っていたのだが、それは後に彼が正気に戻ったときには消されていた記憶である。
彼はそのポーズを維持したまま、本題を切り出した。
「実は俺、最近将来のために学習塾に通い始めたんです」
「へえ、偉いじゃない。君の成績は現状でも決して悪くないけれど、先を見据えての選択は素晴らしいと思うよ」
「ありがとうございます。ですが決めたのも学費を払っているのも親なので、俺に偉いことなんてありはしませんよ。まあそれはいいとして先生、話のポイントはそこじゃあないんです」
「というと?」
島谷はしきりに瞬きをしていた。
どうやら、まったく話の意図が読めていないようである。
「塾のある日はどうしても帰りが夜遅くなることが多いんです。自宅に着くのが十時過ぎなんてこともざらにあります」
「そう。まあ止むを得ない事情があるとはいえ気を付けなさい、最近はこの辺で物騒な事件が起きているから……。って、まさか君の相談って、そういう事件に巻き込まれたとか!?」
「ええ、今から俺が先生にお話ししたいのはその帰りがけに起こった出来事です。とは言え、先生がいま思ってらっしゃるような物騒なことではありませんが」
晴太の舌は驚くほど回っていた。
ひとまず安堵のため息をつく島谷の傍ら、彼は余裕の笑みとともに続けた。
「あまり誉められた行為でないことは分かっていますが、息抜きとして帰りがけに本屋に立ち寄ることがあるんですよ。そこで先日、偶然先生を見かけました。そう、トムラ堂書店でね」
「えっ」
その瞬間、島谷の口が小さく開いた。
大きく取り乱す素振りは見せなかったものの、その目は明らかに泳いでいた。
「先生はそこでインペリアル・コードのグッズを購入なさっていました。お好きなんですよね?」
「いや、それは……。見間違いじゃない?」
「いえいえ、俺が先生を見間違うわけがありませんよ。それでその時の先生の顔があまりに嬉しそうだったものだから、気になって俺もゲームを始めてみたんです。結果、非常に面白かったです。ついでに言うとクラスにあのゲームを流行らせたのも実は俺なんですよ」
「そう。はぁ……」
島谷は先程とは違う、後悔の色の強い溜め息をついた。
しかし隙を見せたのも束の間、すぐにキリッとしたいつもの教師の顔つきに戻り、口にした。
「で、わざわざそれを私に言ってなんのつもり? そんな下らないことを言うためにわざわざ職員室まで来たのかな?」
それは普段の晴太なら怯んでしまいかねない厳しい口調であったが、今の彼に退くという二文字はない。
それにその反応は一応彼の頭の中で想定していた反応ではあった。
彼は息を吐き、普段の彼では絶対に言えない返しをした。
「下らないなんてことはありません。先生は昨日、川嶋がゲームをやっているのを知ったとき無関心な素振りをされていました。けど本当は気になっていたんですよね? その証拠に昨夜、俺は先生がそんなようなことを呟いているのを耳にしました。俺にも先生の気持ちは分かります。あのゲームはプレイ内容を無性に人に自慢したくなるゲームです。けれど先生と生徒という立場上、しかも学校でスマホを弄っていたのが発覚した現場で盛り上がれないという事情があったんですよね?」
「仮に君の言うような事情だったとして、つまりはそういうことだよ。生徒と教師、大人には建前ってものがあるの」
「だったら先生、俺と秘密のゲーム仲間になってください! 俺がわざわざ先生と一対一でこうした形で話を望んだ目的はこのためです。もちろん俺の口から他の生徒に先生があのゲームをプレイしていることをバラしたりはしませんから」
さすがの島谷も大きく口を開けざるを得なかった。
晴太は中二病ポーズのまま、自信に満ち溢れた表情を崩さずにいる。
そして数秒間の無言の見つめ合いの後、先に目を逸らしたのは島谷の方だった。
「どういうつもり? 君は一体感なにを企んでいるの」
「なにも企んでなどいませんよ。俺はただ、先生がどこまでプレイしていてどんなキャラを使っているのか知りたいだけです。まあ先生が望めばの話です。俺は待っていますのでいつでも気が向いたら声をかけて下さい。喜んで話し相手にならせて貰いますよ」
晴太は立ち上り、ドアノブに手を掛けると同時にさりげなく一言、魔王ゲルゲンのセリフを言い放った。
「アディオス。冥府ではよき友に……」
その後葉の効力が切れ、正気に戻った晴太が恥ずかしさで身悶えたのは言うまでもない。
その翌日、彼は生まれて初めて学校を猛烈に休みたくなった。
しかしゆきにここで休んだらもう二度と登校出来ないぞと体中を突かれ、渋々行くことにした。
そして現在、彼のスマホには島谷からのメッセージが届いている。
その日学校で島谷は彼と一日中目を合わせなかった。
かと思えば放課後いきなり彼を呼び出し、アドレスを書いた紙を渡すと同時に、今晩SNSでメッセージを送ると伝えていたのだった。
ドキドキとした鼓動が鳴りやまないなか、晴太は中々その内容が見れずにいた。
「なあゆき。これでもし先生からのお怒りの内容だったらどうしよう。ああ」
ゆきは晴太の肩を優しく撫でながら、心配のし過ぎだと宥めた。
しかしそれでも一向に踏ん切りのつかない様子に業を煮やしたらしく、ゆきは枝を素早く絡ませ晴太のスマホを奪い取った。
「待て! 分かった、見るから! ちゃんと見るから!」
恐る恐る晴太はスマホの画面をタップし、送られてきたメッセージを確認した。
その瞬間、強張っていた表情が一気に綻んだ。
「うおおおおおおおおおおっ!! 先生、俺とゲーム仲間になってくれるって!!」
こうして冴えない高校生広橋晴太は、憧れの美人担任島谷美波とちょっとした秘密の関係を築くことができたのであった。