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第5話 やはりゲームは皆でやった方が楽しい

「それじゃあこの公式を利用して48ページの問題を解いて貰おうかな。佐藤君、出来る?」

「いやあ美波ちゃんからご指名いただくとは照れるなあ。はは、任せてください」

「美波ちゃんじゃなくて島谷先生ね」


 島谷の担当教科は数学である。

 肩で風を切りながら、意気揚々と黒板に向かう佐藤の背中に早くもあちこちから含み笑いが飛びかっていた。

 理由は明確、明らかに解けないフラグだからである。

 しかし晴太は黒板の前でもがき苦しむ友人の姿には見向きもせずに、心配そうに黒板を見つめる島谷の横顔ばかりを見ていた。

 学校での彼女はやはり隙がなく、疲れた様子は見受けられない。最近は担当する吹奏楽部のコンクールが目前に迫り、指導にもより一層熱が入っているという。

 そんな彼女と晴太の距離は相変わらず遠いままでいるが、秘密の趣味を共有しているという点において確かなアドバンテージを得ていた。

 彼が現在開いているノートのページの片隅には彼の微妙な画力で描かれたインペリアル・コードのキャラクターの落書きを消した跡が残っていた。魔王ゲルゲンという彼のお気に入りキャラクターの一人で、グルメな食人鬼という設定の大男なのだが、つまりはそれほどまでに彼は同ゲームにのめり込んでいた。

 実際にゲームをプレイしてみて、晴太には分かったことが二つあった。

 一つはインペリアル・コードが従来の育成型ロールプレイングゲームの良さを詰め込んだ、非常に中毒性の高いゲームであるということ。

 そしてもう一つは、やれば必ず収集したレアキャラクターを自慢できる仲間が欲しくなるということである。

 インターネットの掲示板などでも一応その役目は代替できなくもないが、やはり傍に仲間がいることに勝るものはない。

 幸いなことに晴太にはゆきという仲間がいた。

 しかし、島谷はどうであろうか。

 熱心に佐藤にアドバイスを送る彼女の横顔を見ながら彼は思っていた。

 学校では真面目で模範的な先生として振舞い、ゲームにうつつを抜かしている姿など想像もつかない彼女に、果たしてそういった相手はいるのだろうかと。


「駄目だ、どうやら俺はここまでのようです……。先生、俺なんかのために貴重な授業時間を割くのはみんなに迷惑なんでギブアップします」

「いや、君がわからないまま投げ出したら私が困るんだけど。まあいいでしょう。みんな、佐藤君が今つまずいている所、どうすればいいか分かる人はいる?」


 彼女が現在どこまでプレイをしていて、一体どんなキャラクターを使っているのか。

 もちろん晴太に興味がないわけがない。

 しかし晴太には彼女に直接その話題を振る度胸が絶対的に欠けていた。

 そもそも、そういったことは地味で真面目な生徒で通っている広橋晴太という男の柄ではない上に、無理をして話しかけたところで緊張して言葉が詰まり、変な感じになるのは目に見えた話である。


「かくなる上は。いや、しかしそれは……」


 誰にも聞こえない音量で晴太は密かに呟いた。

 現在の彼の心の内で葛藤として揺れる正直な気持ち。それは今のこのちょっとした優越感に対する執着から来る、実にしょうもないものだった。


 そして二週間後。


「クリスマス……キリギリス……。似ている……ふふっ」

「味醂と胡椒、そしてあなたの血を少々」


 佐藤と晴太の挨拶代わりの小洒落た会話である。

 晴太の地道な布教活動が実り、インペリアル・コードは徐々にクラス内で流行り始めていた。

 島谷相手は無理でも、彼はある程度気の知れた同級生相手ならば、時と相手を選び、なおかつ出しゃばり過ぎずにゲームの面白さを伝えることが出来た。

 無論、この行為は彼にとって自分だけが島谷と趣味を共有しているというアドバンテージを放棄する行為である。

 ではなぜ彼がこのような行動に至ったか。

 それはクラスメイトのなかには彼の出来ないことをいとも簡単にやってのける人間がいるからである。

 つまるところ晴太は自ら直接彼女にゲームの話題を振ることを断念し、クラスの自分よりもコミュニケーション能力の高い人間にその役目を託したのだった。

 佐藤か或いはサッカー部の田辺、もしくは陸上部の川嶋あたりがいずれは島谷に絡み、そこで話の輪が出来るはずである。

 言うまでもなく、それは事情をすべて知る彼の相棒の目からすると、ヘタレ以外の何物でもなかったようである。


「分かってるよ。ああ分かってるとも。どうせ俺はヘタレですよ」


 こなれた手つきで水をやりながら、晴太はため息混じりに吐き捨てた。

 ゆきはやれやれと言った具合で左右の葉をだらんと垂らすと、本当に悔いはないのかと晴太に尋ねた。


「うーん。まあ島谷先生と趣味を共有してるっていう優越感はなくなっちゃったけど、後悔はしてないよ。俺としてもクラスの色んなやつとゲームの話が出来るのは楽しいしね」


 晴太は微笑とともに返した。

 ゆきは枝をにょきっと伸ばし、そんな晴太の頭を葉で優しく撫でた。


「ゆき、お前……。そうだ、俺にはゆきがいるからな。これでよかったんだ、これで」


 自身に言い聞かせるように呟くと、晴太は今日もゆきの前でインペリアル・コードを起動させたのだった。



 * * * *



 そのときは突然やってきた。

 朝。ホームルームを始めるためにちょうど島谷が教室に入って来たタイミングのことだった。


「みんな席について。あら川嶋君、スマホは校内では使用禁止なのは分かってるよね? 放課後まで没収します」

「ゲッ、先生すみません。没収は勘弁してくれませんか」

「問答無用です。ほら貸して」


 島谷は慌てる川嶋の手から容赦なくスマホを奪い取った。

 晴太の通う学校では原則的に校内でのスマホの使用は禁止されているが、実際は多くの生徒が持ち込んでは教師の目を盗んで使用していた。

 佐藤などはその最たる例で、今回彼が見つかってしまったのは島谷がいつもよりも早く来たタイミングの悪さと、最前列の廊下側という座席位置の悪さによるものだった。

 いくら校則が形骸化しているとは言え、教師が違反者を見逃す訳もなく、このような場合は見せしめとして厳しいペナルティが課せられるのが通例であった。


「川嶋君にはあとで罰として掃除と反省文を書いてもらうから。……あら? この待ち受け画面は」

「ぎゃああああああ! それはそのっ、インペリアル・コードっていうゲームに出てくるマリアメイってキャラクターでっ! そのキャラはたまたまそういう感じだけどっ、ゲーム自体は至って健全でだからそういうのはセーフでっ!」

「……ふーん」


 川嶋の口からタイトル名が出たことを晴太は聞き逃さなかった。

 同時に川嶋が異様に慌てふためいている理由も、彼の口から出てきたキャラクター名で察していた。

 マリアメイとはいわゆるサキュバスをモチーフとしたキャラクターであり、インペリアル・コードの全登場女性キャラクターのなかでもっとも肌の露出が多く、煽情的なデザインをしている。

 それがよりにもよって島谷に見つかってしまったのでは、焦るのも無理はない。

 陸上部で普段は硬派なイメージのある川嶋がそのようなキャラクターを待ち受け画面に設定していたことは晴太にとって十分に衝撃的な事実であったが、そのときの彼の意識は完全に島谷の方に向いていた。

 なにせこの瞬間はじめて彼女の耳に「インペリアル・コード」という単語が入ったのである。

 晴太は全神経を集中させ、彼女の次の一言に注目した。


「はぁ、まったく最近の子はこんなチャラチャラしたゲームばかりをやって。川嶋君、ゲームもいいけど勉強もちゃんとしてよ。ただでさえ君はこないだの試験で赤点まみれなんだから」

「はい。すんません……」


 そんな馬鹿な、と晴太は島谷の顔を再度確認した。

 島谷は何事もなかったかのようにすまし顔で教壇の上に立ち、出席簿を教卓の上でトントンと叩いている。

 インペリアル・コードが仲間と話題を共有したくなるゲームであることは間違いない。

 そして先程の流れは明らかに彼女にとってゲームをプレイしていることをカミングアウトする絶好の機会だったはずである。

 晴太は一瞬、あの書店で見た子供のように目を輝かせていた彼女が幻であった可能性を疑ったが、彼が憧れの担任を見間違うことなどあろうはずもない。

 晴太はそれから午前中の間、ずっと島谷のこの不可解な態度が頭にこびり付いていた。


「なあ佐藤。島谷先生って本当に彼氏いないんだよな」


 昼休み。晴太はそれとなく佐藤に聞いた。


「美波ちゃん? ああ、間違いなくいないはずだぜ」

「じゃあ好きな人は?」

「さあ。そこまでは分かんねえけど、いないんじゃねえかな」

「そうか。じゃあ異性じゃなくても特に親しくしてる人とかっている?」

「音楽の林原先生とは仲がいいな。って、それぐらいの情報お前でも知ってるだろ。てかなんだ広橋、ここへ来て急に美波ちゃん攻略に乗り出したのか?」

「ああいや、そういうわけじゃないけどさ」


 晴太は島谷がこの二週間の間にゲームに飽きてすでに引退した、多忙のあまりプレイする時間がなく離れようとしているなどの線を考えたが、どれも書店でのあの瞳から今朝のあの素っ気無い態度へは繋がらなかった。

 とすれば考えられるのは好きな人に勧められ期待に胸を膨らませて始めたものの、後にその人物との関係性が悪化してゲームまで憎くなってしまったパターンであるが、どうやらその線もなさそうである。

 そもそも音楽の林原はどう考えてもゲームをやるようなタイプではない。


「そういえば広橋、美波ちゃんといえばこないだなんかの薬を飲んでるとこを田辺が見たらしぞ」

「薬?」

「どっか体が悪いとこでもあるのか、ストレスでも溜め込んでるのか。はは、まさかな。あの美波ちゃんに限って余計な心配だろうけどよ」

「そうかな? 教師ってかなり大変な仕事みたいだし、案外色々抱え込んでいるのかもしれないぞ」

「そう思うんならそう声をかけてやれよ。多分大丈夫だって言うだろうけど、内心喜ぶかもしれないぞ」

「まあ、それが出来たら苦労しないんだけどな」


 晴太が書店で見た子供のように目を輝かせた島谷が幻でないのなら、その前の死んだ目をした彼女もまた本物であるはずである。

 部活の指導に熱が入り、このところ彼女の帰宅時間が遅くなっているのは彼でも知っている。

 それ以外にも生徒の素行や保護者との関係など、彼の知らないところで色々とストレスを抱えている可能性は十二分に考えられる。

 晴太はもしもまた熟の帰りに書店で彼女と出くわすようなことがあったなら、今度こそなにかしら声を掛けてみようと心に誓った。

 そして同日、午後十時。


「ていうと、本当に来ちゃうんだよなあ……」


 閉店間際のトムラ堂書店で晴太は島谷の姿を目撃していた。

 島谷は以前にも増してやつれた様子で今度は真っすぐに例のコーナーに立ち寄ると、発売されたばかりのゲーム雑誌を手に取った。

 彼の位置からでは分かりにくいが、載っているイラストからして開いているのはおそらくインペリアル・コードの特集ページである。

 彼は今日も本棚の陰に身を潜めながら特殊部隊のような体勢で島谷の様子を伺っていた。

 絶対に声を掛けると意気込んだのはいいのだが、しかしいざその状況に陥ると中々そのタイミングが掴めない。

 店員の目も憚らずに彼が一人そわそわする中、島谷は雑誌を開いたままため息を吐いた。


「まさか教師の私がハマってるだなんてあの子たちにはいえないよね……」


 その独り言は晴太にもはっきりと聞こえていた。

 そして彼は目が覚めた。

 彼は今まで彼女の立場を考えていたようで、まるで考慮出来ていなかったことに気が付いた。

 あの状況で自身がプレイヤーであることを告白し、教え子たちと受け入れられるなら、そもそも最初から隠れオタクなどになっていない。

 晴太は次に彼女に話しかけるのは自分しかいないと決意を固めつつ、やはりその日は勇気が出せずに日を改めることにした。


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