第28話 そして新しい生活へ
四月、晴太は大学生として新しい生活を始めていた。
自宅のベッドに横たわりながら、スマホを弄る晴太の肩にゆきの葉が触れる。
午前九時。普段ならとうに出掛けている時間なのにも関わらず、学校に行かなくていいのかという問い掛けである。
「いいんだよ、今日は一限がないからゆっくりできるんだ」
晴太は昨夜の島谷とのやり取りを読み返し、にやにやしていた。
頻度は週に一、二度程度であるが、島谷と彼との交流は今もなお続いていた。
類似ゲームの台頭などで一度はユーザー離れが懸念されていたインペリアル・コードであったが、アニメ化や大型アップデートなどのお陰で再び盛り上がりを見せており、その話題には困らなかった。
そして今夏、ついに晴太は島谷と一緒に大型イベントに参加する約束をしていた。
無論、彼にはそれが楽しみで仕方ないのである。
「まさか俺と先生がコスプレデビューをすることになるとはな。まあ、二人で秘密の共犯をするようで悪くはないけどさ」
うっすらとした笑みを添えながら晴太は言った。
もちろんコスプレをすることに対して最初は抵抗があったのだが、島谷に巧く言いくるめられ、今はもう完全にその気になっていた。
というよりも、先日のグラスワールドの一件により度胸がついたことが彼の中で大きかった。
そんな彼の肩を再びゆきの葉がつつく。
今度は先程より強く、チクッと軽く攻撃するようなタッチであった。晴太はそんなゆきの気持ちもちゃんと分かっていた。
「分かるよ、つまりは自分だけ置いてきぼりで面白くないんだろ? けどなあ、さすがに連れていくわけにもいかないしな。今回ばかりは我慢してくれないか」
晴太はいずれ島谷にもゆきの素性についてしっかり話したいと思っていた。
しかし、今はまだ受け入れて貰えるかどうかという不安の感情の方が勝っており、その実行はまだ当分先の話となりそうである。
「おっ、なんだ? 今度は優子さんからのメールだ」
続いて晴太はスマホをタップし、たった今明石優子から送られてきたメールをチェックした。
彼女とのやり取りは本人の希望により、SNSを使わずに電子メールによってなされるが、その頻度はほぼ毎日である。
内容は他愛もない話ばかりで、この日はいつものにんにんマーケット活動報告であった。
どうやら彼女たちは近頃本物の力を持った悪徳霊能力者を追っているらしく、その本人とちょっとした小競り合いになったようである。
「うわなにこの写真、鬼灯紅子に迫る老婆の霊って……。怖っ、ただのでかい生首じゃん。入んなくて良かったわー、にんにんマーケット」
また、メールにはもう一枚、事務所で撮影されたであろう一枚の集合写真が添付されていた。
写真にはてふてふをはじめ月影や宵闇などの晴太にとって懐かしい面々が映り込んでいる。
その中で優子はクロを右手に、ぎこちない作り笑顔をしながらぎりぎり見切れない程度の画面端にいた。
晴太はその画面をゆきに見せ、先日の一件に登場しなかった月影と宵闇の説明を軽くした。
「これでも優子さん、あの組織での生活気に入ってるみたいなんだよな。写真じゃこうだけどメールの文面はかなり生き生きとしてる感じだし。それに、色々聞いてるとてふてふさんたちと一緒にやる仕事も中々面白おかしくて悪くなさそうだなって思えてくるんだよ。まあ、俺は入らなくて良かったと思ってるけど」
彼は時たま思うことがあった。
あのときてふてふからの誘いを受けていたとしたら、今頃自分たちはどうなっていたのだろうかと。
ちなみに優子の運営するまとめサイト、ででペロ速報は最近心なしか記事がマイルドになっているらしく、管理人が別人になったとか、あるいは人の心を取り戻したなどと巷では囁かれていた。
晴太はこれについて、組織での刺激が彼女の精神にいい方向に働いているのではないかと勝手に憶測していた。
「ん? なんだ不満そうにして。ああそうか。もしかしてお前、二年半前とは意見を変えてにんにんマーケットに入ってみたいとか思ってるのか?」
ゆきは葉を大きく横に振り、その指摘は違うとアピールした。
そして例のごとく晴太にしか分からないジェスチャーでその心の内を吐露した。
「え、俺と優子さんが仲良くなり過ぎて男女の関係として一線を越えてしまわないか心配だ? あー、ないない。やっぱりゆきは面白いな。今までのやりとり全文見せたっていいぞ」
ゆきはどうやら優子をあまり好いていないらしく、晴太と仲良くすることをよく思っていないようである。
晴太はスマホを鞄に仕舞い、ベッドから立ち上がるとゆきの眼前に座った。
そして相変わらず艶のいい葉を優しく撫でながらその感触を楽しんだ。
「本当に和むよなお前は。ゆき、俺にとっての一番はいつでもお前だけだぜ」
彼がこんなことを気安く口に出来るのは世界でただひとり、ゆきだけである。
一見、晴太の周囲は賑やかになったように見えて、実はそうとも言い切れなかった。
島谷も優子もまだまだ彼にとって心から腹を割って話せる仲というわけではない。
そしてそれ以上に、折角仲良くなった高校のクラスメイト達と離れ離れになり、大学という新天地で彼はまだ新しい友達が出来ずにいた。
「大学でボッチだとテストのときとか色々ヤバいって言うけどさ。まあ新しい友達はおいおい作っていくとして。まだしばらくは二人きりだな、ゆき」
自分にはゆきがいる。
その事実のおかげで彼は変に焦らずにいられたし、それが彼にとって心の支えになっていた。
あのグラスワールドの時のように、いつか本当の別れが来るのだとしても、そうなったらそうなったでその時に考えればいい。
そんなふうに今の彼はいい意味で開き直れていた。
そして現在、彼はゆきと一緒にいられるこの喜びを最大限に謳歌しようと心に決めていた。
彼の目の前で葉を揺らすゆきはグラスワールドから帰還後に種から発芽した、晴太にとっては三代目のゆきである。
しかし中身は一貫して彼の知る相棒のまま、変わりはしない。
「さて、そろそろ行ってくるかな。友達作りに困ったら葉の力を使うかって? ああ、それは最終手段な。それじゃあ、また後でな」
晴太は軽い足取りで部屋を出た。
晴太とその小さな相棒、ゆきの日常生活はまだまだこれからも続いていくであろう。
これにてこのお話は完結となります。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。
魂を込めて書いた作品なので、少しでも面白いと思って頂けたのであれば幸いです。
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