第23話 蘇れ、ゆき
「……本当の本当に行きますよ?」
「だからなぜ一々わたしの顔色を伺う。君のタイミングでやってくれたまえ」
後は灰となったゆきの残骸に採取したコケを振りかけるだけ。
しかし晴太にはその一手が踏み切れず、かれこれ十分近くが経過していた。
この方法が失敗した場合、おそらく他はもうない。つまり、もしもコケを振りかけてもなにも変化が起きなければ、それこそゆきとの永遠の別れが確定したということになる。
そう思うと怖く、晴太はなかなか行動に移せずにいた。
しかしさすがにいつまでもこのままではいられないと思い立ったのか、彼はついに両手で自らの頬を叩き、大岩の上に灰を置いた。
そして両手を合わせ祈るような所作とともに、パラパラと一粒一粒、ゆっくりとコケを指ですり潰しながら灰の上に振りかけた。
「頼む。頼む。頼む……ッ! 蘇ってくれ、ゆき……!」
神なのか仏なのか、なにに向かって頼んでいるのか晴太自身にも分からなかった。
ただ、彼はその言葉を発する間、ひたすらゆきの元気な姿を思い浮かべていた。
するとその想いが伝わったのか否か、次第に灰が光に包まれ始めた。
灰はみるみる大きくなり、植物の形が形作られていく。
晴太の目に、今まさに奇跡のような光景が映り込んでいた。
「ふおおおおおおおっ! ゆきっ! ゆきっ! ゆきっ!」
「よかったな晴太君。どうやらこれでハッピーエンドは当確のようだ」
「はいっ、ありがとうございますてふてふさんっ! よーし、これで盆栽品評会も……って、え?」
晴太の一度緩んだ頬が再び急激に強張った。
光に包まれたゆきは確かに在りし時の姿に戻ったものの、その変化はまるで彼の予期していなかった事態まで引き起こしていたのだった。
「ゆき、お前……」
ゆきはキョロキョロと辺りを見回すように頭を左右に振り、第一声を発した。
『あれ? 私は今まで一体なにを……。ここは……グラスワールド? あっ晴太。なぜ晴太がグラスワールドにいるんですか。というか後ろにいるその女は誰です、うーんどこかで見たような気もするんですが』
「ゆき! お前、どうして花を付けてるんだよ」
『どうしてって、変なことを聞きますね。分かっているはずでしょう、そういう時期だからですよ。それにしても晴太、なんだか急に顔つきが大人になりましたね』
「……えーと。ゆき、今日が何年の何月何日か言ってみてくれ」
『馬鹿にしているんですか? 今日はですね』
語られた年月日を耳にし、晴太は確信した。
ゆきはコケの力により花が咲いていた時期、つまりおよそ三年近く前の状態まで戻されてしまっていた。
ゆえに本人の意識からは当然のごとく、その間の記憶も思い出も消失してしまっている。
動揺で動けずにいる晴太の肩を叩き、てふてふが声を掛けた。
「どうやらコケを掛けすぎたみたいだな。そういえば君は先ほど老人から正確な適量はどのくらいか。そして掛けすぎるとどうなるかについては聞いていなかったようだが」
「うわああああっ! やっちまった、完全に俺のミスだー!」
晴太は両手で頭を抱え、絶叫した。
「やれやれ、君も慎重っぽいように見えてどこか抜けているんだな」
『ん、コケを掛けすぎた? 二人してなにを言っているんですか。というかあなた! 晴太に馴れ馴れしく触らないでください!』
てふてふの顔面目掛け、ゆきは容赦なく鋭く尖らせた枝の先端を伸ばしたが、てふてふはそれを右手一本のみで難なく弾き返し、逆に挑発するような笑みを浮かべてみせた。
「おっとっと、危ないじゃないか」
『くっ、やりますね……』
「思い出すなあ、二年半前を。あのときもこうして君は掛かってきたんだったな」
『あー、思い出しました! あなたは十年前、鋼鉄の隣でベタベタしていたいけすかない女と同じ匂いがします! 本人なのか妹なのかなんだか知りませんが晴太をたぶらかしてどうするつもりですか!』
「どうするってそりゃまあ、君の想像しているようなことだったらどうする?」
『なっ!? 今すぐ晴太から離れなさい! 彼は鋼鉄とは違うんです。さもないと』
「待て待て待て! ゆき、この人はな! てふてふさんもなに煽ってるんですか!」
今にも本気の戦闘が始まりそうな雰囲気のなか、晴太が慌てて割って入り、ゆきにてふてふの素性とこれまでの経緯を説明した。
ゆきは初めのうちこそ黙って聞く素振りを見せていたが、晴太の口から衝撃の事実が語られた途端、驚きのあまり全身を天に向かって奮い立たせた。
『ええっ、三年も経ったんですか!? ていうか晴太、高校卒業って……。こないだ入学したばかりなのに』
「ああ、その間本当に色々なことがあったんだぞ。お前がクラスの人気者になったりな。まあ、今言っても仕方のない話だけど」
『ええっと、ごめんなさい。まったく身に覚えがないです』
「だろうな。はあ……」
晴太はため息を吐き、自分の過ちを再び悔やんだ。
そんな晴太の肩に再びてふてふの手が優しく触れる。
「まあほぼ不死のわたしからしてみれば、三年に満たない期間など一瞬に等しいが君らからしたらその比じゃないだろう。落ち込むのも無理はないさ」
「いえ、それでもこうしてまたゆきの声が聞けただけでも十分です。こいつはどこからどう見てもゆきですから」
晴太はポジティブに考え直すことにした。
そう、彼にとって一番重要なことはこうして再びゆきと会話が出来ているということである。
『ちょっとそこ! 私を置いてきぼりにして二人の世界に入らないでください』
「なあ、ゆき」
『……はい?』
「この三年間にあった出来事は後でたっぷりお前に聞かす。けどまずは帰ってきてくれてありがとう。そして聞いて欲しいんだが今、大変なことが起こっているんだ」
晴太はゆきと目線を合わせるように腰を屈め、葉に優しく触れた。
そして今度は彼の口から、暗躍するもう一人の淡雪草使いの存在と、その暴走を止めるためにはゆきが盆栽品評会で優勝する必要がある旨を伝えた。
『……なるほど。晴太のクラスメイトや街のみんなを守るために、この圧倒的美貌を持つ私が盆栽品評会で優勝しなくてはならないんですね』
「ああ。そう言い出したのは他でもない数時間前のお前自身なんだけど、頼めるか?」
するとゆきは茎をうねらせ、葉を扇子のように得意げに振りながら自らの美貌をアピールして見せた。
『モッチのロンですよ! 盆栽品評会、私の美しさを証明するには持ってこいの舞台です。花の咲いた今の私ならまあ楽勝中の楽勝でしょうね!』
その自信家ぶりにてふてふは呆れたような表情をしていたが、晴太の方は変わらないゆきらしさにただひたすら安堵していた。
『ん、どうしましたか晴太』
「ったく。俺はお前を復活させるのにめちゃくちゃ頑張ったんだぞ」
『……? あっ、なるほど。もしかして晴太は褒めて欲しいのですね。よく頑張ったねと私に頭を撫で撫でして貰いたいのですね?』
「いやまあそのつもりだったけど、そんなのはもうどうでもよくなった。ゆき、俺はお前とまたこうして会えて本当にうれしいよ。……だ・か・ら……うりゃああ、こうしてやるっ!!」
『ひゃあんっ! あんっ! 晴太さんのエッチ!』
「どうだ! え、どうだこれは! ほれほれほれ!」
『ああんっ! あんあんあんっ!』
晴太はゆきの葉を滅茶苦茶に揉みまくり、ゆきは滅茶苦茶に見悶えまくった。
てふてふは腕組みをしながら、そんな二人のイチャつきぶりを苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。




