第22話 ゆきを取り戻せ ~晴太の奮闘~
自他ともに認める人見知りの晴太であったが、覚悟を決めて最初の一言さえ口に出してしまえば、二人目以降は話し掛けるのにそう苦労はしなかった。
というのは嘘であり、彼は顔を引き攣らせ、明らかに無理をしながら商店街の全店舗及び通行人への聞き込み調査をやってのけた。
時には苦い顔をされながら、それでも声を掛け続けるその心労は半端なものではなく、彼はゆきが復活したあかつきには大いに労って貰おうと自身に言い聞かせながら乗り切った。
そしてその結果、ある一つの有力な情報を得ていた。
その奇跡の力を持った植物はどうやら東の森の奥地に生えているらしく、早速晴太はてふてふと二人、その場所に向かって歩みを進めていた。
「てふてふさん。俺、頑張りましたよね。聞き込み調査、一人で頑張りましたよね」
「ああ、頑張ったな。途中からは手慣れて来て、少し鋼鉄のようで格好良かったぞ」
「だから俺、疲れてフラフラなんですよ」
「なるほど。つまりはもう一度島谷美波の姿で抱きしめて欲しいというアピールかな」
「いえ、それはゆきが復活したら怒られそうなので遠慮します。そうじゃなくて、もしこの森で猛獣に襲われたりしたら守ってくださいよ」
「まあそこは任せておけ。だが君がフラフラなのは本当に疲れだけの問題か?」
晴太の腹からぎゅうっという、空腹を知らせる音が鳴った。
結局ゆきに木の実の場所を案内されず終いだったお陰で、彼は半日近くの間なにも口にしていない。
するとてふてふは見兼ねたのか、着物の懐から栄養バーを取り出し晴太に手渡した。
「食うといい。フルーツ味だ」
「ありがとうございます。てふてふさんっていい人ですよね」
今度の森は晴太が最初に訪れた森とは打って変わって薄暗く、生えている木々も赤黒くおどろおどろしい形をしていた。
晴太はバーをよく噛みながら少しずつ味わった。
物自体はコンビニなどで市販されているものであったが、空腹と疲労によりそれが途轍もなく美味しく感じられた。
「いい人ねえ。断っておくがわたしは化け物だぞ。千年も生きているし、人の生き死ににも頓着がない。それは君も分かっているだろう?」
「分かってますけど、それだっててふてふさんなりの正義の為なんでしょ」
「わたしは自らを世界の秩序を維持するためのシステムだと定義している。そうしないと自分の存在意義を保てないからな。だがわたしの正義はもう、君たちの感覚とは大分ズレてしまっていることも理解している」
てふてふは懐から今度は自分の分の栄養バーを取り出し、口にした。
難しい言葉を並べてはいるが、こうして頬を膨らませてバーを頬張る姿は年頃の可愛い少女でしかない。
晴太はそんな彼女を横目で見ながら、二年前に会ったときよりも成長してさらに美少女度が上がったように感じていた。
てふてふは一口目を飲み込むと、遠い目をして語り始めた。
「約千年前、力に固執したとある陰陽師が呪術によって作り出した人形、それがわたしらしい。わたしは本能で力を追い求め永遠の時を生きるが、実のところその力をもってなにをしたらいいかその肝心なところを知らない。ぶっちゃけた話、わたしはこの長過ぎる時間が退屈で仕方ないのだよ。だから暇つぶしの為ににんにんマーケットを作った。まあ、悪さをするよりかはいいと思ってな」
「やっぱり根はいい人なんじゃないですか」
「どうだかな。君の叔父さん、鋼鉄は一時的にだがそんなわたしの退屈を吹き飛ばしてくれたんだ。化け物のわたしを心から仲間として受け入れてくれた。本当に感謝している。だからわたしは君にだけは優しいのだと思う。君がわたしをいい人だというのは、つまりはそういうことだ」
森は草や根が足の踏み場もないほどに生い茂り、もうかなり深くまで来ていることを暗示していた。
晴太はてふてふの細めた目を見て、彼女が鋼鉄のことをどれだけ慕っていたかを感じずにはいられなかった。
「てふてふさんって時々俺と叔父さんを重ね合わせていますよね。でもその、全然面影なくてすみません」
「なあに、奴は奴、君は君だ。君が奴になる必要はまったくない。だがまあ、君も時には奴のように大胆になることも必要だろうとは思うぞ」
「ご忠告痛み入ります。あ、そういえば今更なんですが、叔父さんって死んだんですか? 確かその辺は最初に会ったときにもうやむやにされていて、聞かされてなかった気がします」
「いや、それなんだがな。実を言うとわたしも奴と十二年前の夜に一度交わって以来、一度も会っていないのだよ。ゆえにはっきりとしたことは分からないんだ」
「そうなんですか」
「死んでいるかもしれんし、生きているのかもしれんな。まあ奴のことだからどこかの異界を別の女でも作りながら歩いているんじゃないか? あいつ、わたしと一緒にいたときもお構いなしに異界のヒロインとフラグを立てていたからな」
「そこは許すんですね」
「そこはまあ千年生きてる余裕だな。さて、お喋りの時間はどうやらここまでのようだ」
てふてふは立ち止まり、頭を上に向けた。その視線の先には天まで突き抜けるような巨大な大木が聳え立っている。
幹周四十メートルはあろうかというその大木の存在感は他の木々とは一線を画し、晴太でもはっきりわかるほどの神聖な雰囲気を纏っていた。
「一目でわかる超巨大な大木、これしかあるまい」
「はい、間違いないと思います。植物王の兄弟樹でありこのグラスワールドで二番目の高さを誇る大木、“グリンエンペラー”。この上層に生えているコケには物体の時を戻す力があるんだとか」
「それをゆきちゃんの残骸に振りかければ、燃やされる前の姿に戻すことが出来るかも知れない、か……」
「そんなに上手くいくとは思えませんけどね。第一コケを採取するには上の方に住んでいるっていう管理人さんの許可を得なきゃいけないらしいですし。俺らがいきなり押しかけて頼み込んでも烏滸がましいとしか思えませんが」
「だがやってみなければ分からないだろう。案外その管理人とやらが情に脆いやつで君が本気で心をこめて頼み込んだら許してくれるかもしれないぞ。そもそも、他に当てもないんだろう?」
「言われなくても分かってますよ。うだうだ悩んでる暇はないって言いたいんでしょう?」
晴太は大きく深呼吸をし、大木を見据えた。
もう既に晴太の覚悟は決まっていた。
「しかしまずはこれを上まで登らなきゃ始まらないのだが、どうしたものかな。わたし一人なら余裕でも君も一緒に運ぶとなると。一旦あっちの世界に戻って、月影たちと装備を持ってくるか」
「いえ、大丈夫です。こいつの力を借りれば、自力で登れる筈です」
晴太は先程ゆき本人から念の為にと持たされていた葉を取り出し、迷わず口にした。
すると忽ちのうちに彼の全身の血流が増強され、体中が燃えるように熱くなった。
「来た来た来た! ゆき、お前を取り戻すため、俺はお前の力を借りるぞ! うおおおおおおおおおおおおっ!!」
数十倍に強化された握力でごつごつとした木肌を掴み、晴太は猛烈な勢いで大木を登り始めた。
彼は筋力に物を言わせながら、まるで一切の不安を振り払うかのごとく我武者羅に手足を動かした。
「ほう、やるじゃないか。ならばどちらが先に上まで行けるか競争としようか」
対するてふてふは僅かな足場を兎のように飛び跳ねながら、晴太の後を追った。
二人のスピードはほぼ互角であったが、しかし彼は遂に最後までてふてふに後ろから追い抜かされることはなかった。
* * * *
かなり登った辺りで、とある一本の枝の上に小さな木製の小屋があるのを晴太は発見した。
外見上の特徴が聞き込み調査で得た管理人の小屋の情報と一致していたこともあり、二人はすぐさまそこを訪ねることにした。
「すみません。誰かいますか」
晴太がノックをしながら声を掛けると、中から出てきたのはみすぼらしい着物を着た、人間の年齢に換算して八十歳くらいに見える老人であった。
老人は彼らを裏腹に快く中へと招き入れ、親身になって話を聞き始めた。
それどころかお茶まで用意する歓迎ぶりに晴太はあまりに事がすんなり行き過ぎていると、内心肩透かしをされている気分だった。
「というわけなんですが、そのもし良かったらその最上層に生えているという、時を元に戻す力を持つコケを少し分けて頂きたいんですが」
「うんいいよ」
「えっ?」
「うんだからいいよと言っておるのじゃ」
「えと、それは本当ですか? いや大変有難い話ですけど。そんなにあっさり……」
晴太は狐につまれたような顔で瞬きを何度もした。
老人は床に胡座をかいたまま、朗らかに白い歯を見せた。
「淡雪草の持ち主はこちらの人間じゃないからの。盆栽品評会で優勝し植物王様から授かった力でなにをしようが、こちらの世界に影響はない。だから君の言う黒い淡雪草が勝とうがわしらにとっちゃなんの問題もないんじゃよ。ましてや君の大切な相棒を取り戻したいという感傷に付き合う義理もない。ただ……」
「ただ?」
「こんな辺鄙なところにひとりぼっちで住む爺を訪ねてお茶に付き合ってくれた。面白い話を聞かせてくれた。じゃから君を応援したくなった。理由はそれだけじゃ」
晴太に返す言葉はなかった。
許可を得たことで早速晴太はてふてふとともに木登りを再開し、コケの採取へと向かうことにした。
しかしその前に彼は湯飲みに入れられた独特の風味のするお茶をすべて飲み干し、深々と頭を下げて老人に感謝の気持ちを伝えたのだった。
「まさかあんなに上手く行くとは。ちょっと怖いくらいです」
「世の中にはタイミングというものがある。例え実力や条件が合わなくても会社の面接に行ったらたまたま人材が不足していて採用されたり、逆に見合った実力の持ち主であっても定員で断られてしまったりな。君はやる前に自分の物差しであれこれ考えるタイプだが、行動してみたら今回のように案外なんとかなるときもあるのだよ」
てふてふは変わらず飄々としていた。
もうかなりの高度まで来ているのは確かである。晴太は絶対に下だけは見ないように注意して大木の肌にしがみつき続けた。
「おーい晴太君、あったぞ。黄金色の美しいコケ。どうやらこれのようだな」
「おお! てふてふさん、ナイスです」
「ほら、こっちに来て君が採取するんだ」
晴太はてふてふから小刀を受け取り、自らの手で確かにコケを削り取った。
老人の話では灰からゆきを蘇生させるには米粒程度のごく少量で間に合うらしく、刃にこびりついた分で十分過ぎるほどの量であった。
「しかし物体の時間を遡らせる力か。うーむ、とてつもなく欲しいとわたしの本能が言っている。だがさすがのわたしも異界の植物とは交われないな」
「目を輝かせながら変なこと言わないでください。反応に困るんで」
「冗談だよ。さて、これから我々はここから降りねばならないが晴太君。スカイダイビングはやったことがあるかな」
「えっと、冗談ですよね? それも」
「残念。それじゃあてふてふお姉さんにしっかり掴まっていたまえ。行くぞ!」
「えっ!?」
晴太が突然首根っこを掴まれたと思ったときにはもう遅かった。
てふてふは力ずくで晴太を大木から引き剥がし、自らもろとも地面に向かって勢いよく飛び降りた。
「ひぃいいいいいいい!!」
バサッ。
てふてふの小さな背中から可愛らしい花柄のパラシュートが飛び出し、展開された。
彼女の巧みな身のこなしによって随時落下軌道が操作されるため、傘が枝に引っ掛かかるようなことはない。
しかしその代わりに、晴太は振り落とされないために死に物狂いで彼女の体にしがみつかねばならなかった。
「無理無理無理無理! 無理無理無理無理ッ! 助けてゆきーーーーーーっ!!」
結局彼は人生初のスカイダイビングのスリルを楽しむ余裕も、抱き締めた少女の温もりを味わう暇もなく、十数秒の間叫び続けたのだった。




