第17話 ある冬の日
冬。遂に晴太たちにとって勝負の冬となるシーズンが到来していた。
この時期は彼ら受験生にとってはまさに最後の追い込みの時期に他ならないのだが、この日ばかりはそんな彼らにとっても少し特別な日であった。
「メリークリスマス、ゆき」
晴太はゆきの前に小さな苺のショートケーキを置き、その台詞を口にした。当然ゆきはケーキを食べることが出来ないので、後から晴太が食べる用である。
「なんだよおい。つれないなあ、そんなに嬉しくなさそうにして」
結局晴太のクリスマスは高校に入ってからは三年連続、通算して十二年連続、ゆきと二人きりで祝われることになった。
まあ、厳密に言えば毎年夕食の食卓にスーパーで売られている鳥の照り焼きが並ぶので広橋家総出で祝われていることになるのだが、年頃の晴太からすれば、それをカウントに入れていいものかは微妙なところである。
「佐藤は今ごろ岡野さんと勉強会だってさ。それらしい理由作っちゃってもうこいつらは」
晴太のスマホには佐藤からの熱いツーショット写真という、お呼びでないクリスマスプレゼントが届いていた。
クリスマスは恋人と過ごさねばならないというのは、確かに単なる思い込みであるかも知れない。
しかしこの強迫観念は、確実に若い晴太の脳をある程度は支配していた。
特に昨年まで一緒につるんで「リア充爆発しろ」などと叫んでいた佐藤が、クラスで二番目に可愛い岡野と付き合い始めて思うことがないわけがない。
しかし一方で彼はある種の諦念と、迫りくる受験へのプレッシャーと、そして目の前の相棒のお陰でそれほど気にせずにはいられていた。
晴太は人差し指でさりげなくゆきの葉を突く。
しかし電飾や星でクリスマス仕様の飾り付けをされたゆきは、ぺちんとその指を振り払った。
「なんだゆき。もしかしてヤキモチ焼いてるのか。ああそっか、佐藤のこと気に入ってたもんなお前」
するとゆきは枝を上下に激しく揺らし、それは断じて違うと抗議した。
「なに? 毎年クリスマスになると勝手に飾り付けをしてくれるけど飽きたし重いし、そっちの自己満足に付き合わされるのはごめんだ? そうかそうか……」
晴太はおもむろに机の上に置いてあったスマホに手を伸ばし、カメラモードを起動させた。
「はーい、ゆきちゃーん。可愛いよー。ほらポーズしてー」
ゆきは晴太の声に乗せられ、シャッターボタンが押されるたびに大胆に茎をくねらせてポーズを取った。
なんだかんだと言っても、この乗りの良さがゆきである。
「いいよいいよー。今度はもうちょっと大胆にローアングルから攻めてみようか。はい、こっち見て。いいねー」
晴太は撮った写真を即座に本人に見せ、いかにそれが可愛らしいかを力説した。するとゆきは一気に機嫌がよくなったらしく、何度も満足気に頷いていた。
「佐藤はいいやつだけどさ、卒業したら多分離れ離れになるし、島谷先生とだっていつまでやり取りできるか分からない。結局、ずっと一緒なのはお前だけなんだよな……。ゆき、あらためてこれからもよろしくな」
もちろん晴太はゆきともこのまま一生ずっと一緒にいられるとまでは思っていなかった。現に受験勉強においてもゆきの力を頼り過ぎないようにと、あの夏合宿以降再び香りによる集中力増強効果を封印させている。
しかしそれでも彼にはやはりこの小さな相棒のいなくなった未来というものが、どうしても想像出来なかった。
「のんきにクリスマスを祝ってる場合かって? そうなんだよなあ。第一志望はC判定、第二志望はB判定。全然安心できる状況じゃないんだよな、俺……」
相棒の言葉によって一気に現実に呼び戻され、晴太は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
発言の通り、彼が志望校に合格できるかどうかは現在微妙なところである。
ふと、ゆきが胸を張って自信をアピールするかのように茎を仰け反らせ、彼にひとつの提案をした。
「葉の力を使えば全教科満点で合格させてやれるって? いやだから駄目なんだよ。一度そんな風にお前の力に甘えちゃうと、ゆきがいないとなにも出来ない駄目人間になっちゃうだろ?」
二年半前に彼が葉の力を使ったのは特例中の特例であり、それ以降も彼は一度も葉の力を使っていない。
そしてこのようなやりとりは二人の間で過去何度もされており、それはゆきも十分に分かっているはずであった。
しかしこのときのゆきは何故か茎を横に振り、珍しく食い下がった。
「それでも頑張ってる俺のために少しでも力になりたい、か。お前もたまには殊勝なことを言うな。うーん、その気持ちだけでもありがたいけど、それじゃあ……。当日葉を食べたら緊張が和らいで本来の俺の実力を発揮できるようになるとか。まあそれぐらいなら罰は当たらないよな」
ゆきは任せておけと言わんばかりに元気よく頷いた。
「けどそれで落ちてちゃ格好がつかないからな。普段通りの実力を発揮できれば合格出来るように、これから死ぬ気で勉強頑張りますか」
晴太は束の間のクリスマスモードを仕舞いこみ、今一度受験生に戻ることにした。
しかし彼が大学入試センター試験の過去問を手に取り、机の上に置いた矢先、まるで水を差すようにスマホの着信音が鳴り響いた。
そのメッセージの差出人は島谷だった。
内容は『メリークリスマス、広橋君』。
たった一言、シンプルにそれだけのメッセージであった。
「ふおおおおおおおっ! 先生からのメリクリキターーーーー!」
こんな当たり障りのない定型文であるにも関わらず、晴太は飛び上がって喜んだ。
無理もない話である。なぜなら去年も一昨年も、彼は島谷からその一言を貰っていなかったのである。
これで少しは佐藤に会っても肩身の狭い思いをしないで済むとガッツポーズを掲げていると、バンッという鋭い音とともにゆきの枝が鞭のごとく振り下ろされた。
「……ハイ。気を緩めないでしっかり頑張ります」
晴太はだらしなく緩んだ頬を引き締め、真顔で島谷に返事を送るとすぐさま過去問と向き合った。
なおこのときの追い込みは後に彼にとって大きな自信の源となり、センター試験当日、彼が葉を口にした途端に真っ先に記憶の一ページ目として想起された。
そして彼は今までずっと応援してくれていた相棒に感謝の気持ちを抱きながら、順調にペンを走らせたのだった。
そして約二か月後。
彼の第一志望校の合格発表当日がやって来ていた。
掲示板の前にはすでに多くの人だかりが出来上がっており、各々の結果に一喜一憂している。
そんななか、貼り出された番号を懸命に目で追う晴太の胸には小さな鉢植えが抱えられていた。
合格発表にはゆきを連れていく。それは彼が以前から決めていたことであった。
「0335……0335…………。あ」
番号はあった。
彼は何度も手に持つ受験票と見比べ、それが見間違いでないことを確認した。
そしてまず第一に安堵のため息を吐き、すぐさま喜びを分かち合うべく鉢を強く抱きしめた。
「やったよゆき! お前のおかげだ、ありがとう!!」
それは屋外で思い切り観葉植物に話しかけるという紛れもない奇行であったが、合格発表という異様なムードの場でその程度のことを気にする輩は誰一人としていなかった。
その後晴太は自宅に戻ると、葉を揺らして自分のことのように喜びを表すゆきと最高の夜を過ごした。
無論、そのときの彼にはその数日後にあんな事件が起こるなど、まったくもって知る由もなかった。