第16話 晴太の肝試しにロマンはあるのか
晴太は岡野には申し訳ないが九分九厘計画は頓挫したと思っていた。
しかし最後の夏の思い出作りに燃える同級生たちは、彼の予想をはるかに上回る食い下がりを見せ始めていた。
「安全面なら大丈夫ですよ。この辺りは私の地元で詳しいですが、過去五十年、凶悪犯罪は一度も起きていないんです。治安は折り紙付きです」
そう発言したのは長野県出身の谷町である。
「それにもしなにかあっても、男子たちが命懸けで私たちを守ってくれますしぃ」
「お、おう! 俺たちが女子たちを守りますし自分自身も守ります」
まことに調子のいい理屈を口にしたのは桐野だったが、男子たちの中に文句を言う者はいなかった。
「でもねえ。万が一ってことがあるし、騒いで近隣住民に迷惑かけたりしない?」
「絶対に騒ぎません!!」
それはそれで肝試しとしてどうなのかという疑問はさておき、彼らの熱意の籠った目は本物であった。
日頃の勉強のプレッシャーから逃れるためにスリルを欲する者。好きな異性との刺激的なロマンスを夢見る者。
動機はそれぞれであろうが、その時の三年三組にはかつてないほどの一体感が生まれていた。
「ったく。まあ息抜きも必要でしょうし、今回は特別に目を瞑ってあげますか」
「やったぁ! ありがとうございます、先生!」
「ただし。羽目を外し過ぎないように監視するためにも、なにかあったときに連絡するためにも、先生も参加するからね」
「うおおお、きたーーーーーーーっ! 美波ちゃん参戦だああああ!!」
そのとき歓喜の声を上げたのはなにも島谷ファンの男子たちだけではなかった。
ともあれ、こうして島谷含め計十一名による肝試し大会の開催が決定したのだった。
同大会は二人一組の男女ペアで行われ、その組み合わせは佐藤と岡野が一緒になるように仕組まれている以外は全くランダムのくじ引きによって決められる。
そのくじにて晴太は、後に周囲から彼の高校人生最もツイていると言われる伝説の引きを繰り出した。
「ここのグループは三人だね。広橋くんと鬼灯さん、島谷先生」
森がその名を読み上げた瞬間、男子たちの間からおおっという歓声が上がった。
島谷美波と鬼灯紅子。三年三組の誇る美女ツートップを同時に添えられるなど、両手に花以外のなにものでもない。
「よろしく。広橋くん。なにかあったら先生と私を二人とも守ってよね」
晴太は鬼灯の歯の浮いたような台詞になにも言い返せなかった。
そして午後十時。
各ペアが同時に目的地の神社に向かって歩きはじめた。
スタート地点こそ同じであれど、各々のペアが進む道のりは別であり、境内に置かれた宝物を無事に持ち帰ることが出来ればこの肝試しはクリアとなる。
鬱蒼と木々が生い茂る山道は都会の夜とは比較にならないほどに暗く、懐中電灯がなければ道なりに進むことすらままならない。
晴太はそれなりの雰囲気を感じはしながらも、すぐ横を歩く“鉄砲玉の紅”の存在のお陰で恐怖感はまったく感じなかった。
「先生、それにしてもよく許可なさいましたね。先生の性格からして絶対にお流れになると思ったのに」
最初の一言目を振ったのは鬼灯だった。
島谷は横に並んで歩く晴太と鬼灯のやや後ろをゆっくりと付いてきている。
「私だって過去はあなたたちと同じ学生だったし、あなたたちの気持ちもわかるもの」
「そうですか。それにしてもそんなに後ろにいて、もしかしてお化け怖いんですか?」
揶揄するような口ぶりではあるものの、鬼灯の言い方はあくまでも冗談で戯れている感じではあった。
対する島谷も、これには余裕を持って返答した。
「悪いけどお化けとか超常現象とか、私はそういう非科学的なものは信じない性質なの。どうぞお二人は仲良く先を行って。一夏の甘い夜、若い男女が秘密の会話をコソコソしていても小声なら聞こえない程度の距離にいるから」
まさに大人の余裕が垣間見える切り返しであったが、晴太としてはどちらかと言えば島谷の方と会話がしたいというのが本音であった。
「先生、分かっていませんね。広橋くんは私なんかよりも先生とイチャつきたいそうですよ」
「はっ!? いや俺は別にそんなことは思ってませんよ!」
「ふーん、本当かしら。まあいいわ。でも先生、お気遣いなさらなくても私と広橋くんが色っぽい関係になることはないですよ。私、彼のような臆病者はタイプじゃありませんから。三人で楽しくお喋りしながら行きましょうか」
晴太はなんとなく、この鬼灯ならば島谷と自分がこっそり繋がっていることすらもお見通しであるような気がした。
そしてそれ以上に、二年前の勧誘を断った件をまだ彼女が根に持っているような気がしてならなかった。
蛙の鳴き声だけが響き渡る静まり返った空気のなか、鬼灯と島谷の微妙に噛み合わない会話はその後も続いた。
「広橋くんが臆病者? 鬼灯さんにはそう見えるのかも知れないけど、私はそうは思わないな」
「あらその言い方だと先生、彼が臆病者でないエピソードについてなにか知っているような口ぶりじゃないですか」
「ただの例えよ。人は見かけに寄らないっていうね。それでいうと鬼灯さんもわりと本性を隠してるタイプじゃない? あなたって、どこからどう見ても成績優秀で明るく朗らかな優等生だけど、なにか秘密のある子のように思えるんだよね。まあこれは根拠のない女としての勘だけど」
「ほう、先生。そこを見抜くとはなかなかやりますね。折角の機会ですしその秘密、いま探ってみますか?」
「いいでしょう。鬼灯さん、あなたとは一度じっくり話してみたいと思っていたの」
気付けば晴太一人が置いてけぼりの、女性陣二人による熾烈な腹の探り合いトークが始まっていた。
晴太は散々勝ち組だのなんだの言われて送り出されたものの、蓋を開けてみれば良い思いは特にないななどと思いつつも、逆にその状況が自分らしいとも思っていた。
その後三人は順調に歩みを進め、 お化けは勿論のこと野生動物との邂逅も特にないまま目的地の神社に差し掛かろうとしていた。
そんなあるとき、ふと鬼灯が立ち止まり、意味深な笑みを浮かべて口にした。
「ああ、そうそう。一昨年の学園祭、お化け屋敷やりましたでしょ。私、不満だったんですよ……。本当のスリルはあんなものじゃないってね」
そして次の瞬間、鬼灯の姿が消えた。
消えたというのは比喩でもなんでもなく、晴太と島谷の前から本当に彼女の体が跡形もなく消え去った。
当然目の前で生徒が失踪し、担任教師が平然としていられるわけがない。
「鬼灯さん!? えっどうして? さっきまでいたのに。鬼灯さんっ!!」
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ先生、鬼灯さんなら」
「なにが大丈夫なの? ど、どうしよう。まさか神隠し? いやそんなはずは……。広橋君、とにかく戻って探しましょう」
晴太は島谷に心配する必要がないことをどう伝えたらいいものか苦心していた。
そんな時である。追い打ちをかけるようにして男の悲鳴が夜の森に鳴り響いた。
「いぃやぁああああ! ば、バケモノだあぁぁ!!」
聞こえたのは神社の方角、紛れもなく元陸上部エースの川嶋の声であった。同時に晴太たちの足下からなにやら霧のようなものが立ち込め始めた。
晴太は目にした瞬間に、この霧の正体を察していた。
「あばばばばっ。ひ、広橋君、なにかなこの霧なにかな……」
「ああ、大丈夫ですよ先生。これは多分鬼灯さんの仲間の仕込みで、って先生?」
先程あれだけ大人の余裕を見せていた島谷がちゃっかり晴太の腕にしがみ付いていた。
教師の威厳はどこへやら、もはや彼女は小動物のようにガチガチと震えている。
晴太はその柔らかい腕の感触に役得を感じながらも、あまりにも怯えきった大人が傍にいることで逆にますます冷静になっていた。
「大丈夫です先生、落ち着いて」
「いやでも声が! 野太い男のうめき声が聞こえるよ?!」
「うめき声? 気のせいですよ先生、ほら鬼灯さんを探しに行きましょう。なんとなく、神社の方にいる気がするんです」
晴太も数メートル先の藪の方角から確かにうめき声のようなものを耳にしていたが、埒が明かないので島谷の聞き違いということにして歩みを進めることにした。
うめき声はよく聞くとあの美声であり、晴太は体を張る月影の姿を想像し、少し可笑しくなった。
「広橋君広橋君、気のせいじゃないよ絶対。というかどうして君は平気なの?」
「いや、ネタが分かってなければ俺も絶対ビビってる状況ですけどね。これにはカラクリがあって」
「カラクリ、って? いやあああああああああああああああああっ!!」
絶叫。
そして島谷は晴太に強く抱き付き、気絶した。
鳥居を潜り、境内に足を踏み入れた晴太たちが目にしたのは木の幹ほどの巨大な枝をうねらせる怪物のような植物の姿であった。
「ゆき、お前もか……。鬼灯さんが連れてきたのか?」
「いいや、ゆきちゃんはわたしが連れて来たんだ。こっちの悪ふざけに付き合ってくれるかは微妙なところだったが、蓋を開けてみればいやはやMVPの活躍ぶりだよ」
晴太の質問に答えたのはゆきの枝の上に乗っていたてふてふだった。
白装束に白い頭巾を被り、胸に血塗れの刃物を刺し、雰囲気はよく出ている。
「なるほど、どうやら自分だけ置いてかれて不満だったみたいですね。それで、どうしてあなた方が?」
「紅ちゃんの要望でな。我々が総出を挙げて君たちの一夏の思い出を、より忘れられないものにしてやることにしたのだ。あ、紅ちゃんなら向こうで落ち武者役をやってるぞ」
「……なんて言うか、あなたたちって結構暇なんですね。でもこう言っちゃなんですが、多分みんなにとっては余計なお節介だったと思いますよ」
するとてふてふは血糊まみれの口角を上げ、白い歯を見せて笑った。
「そうか。まあ我々は神出鬼没の正義の味方でもあり、わたしのやりたいと思ったことをやる自己満足の組織でもあるからな。だが、果たしてお節介かな。少なくとも君に関しては、良い思いをしているのではないかな?」
「あっ……。いやまあ、そうですが」
晴太は胸の中ですうすうと寝息を立てる島谷のうなじをあらためて見た。
確かにこれは彼女らの協力がなければまずお目にかかれない景色ではある。
「ふふ、晴太君。久しぶりに会えてよかった。我々は君のことをいつでも見守っているよ。それではゆきちゃんは君の部屋に戻しておくから」
そう言い残し、てふてふはゆきとともに姿を消した。
島谷が意識を取り戻したのはその約十分後のことであった。拝殿の縁側で横になっていた彼女は上体を起こし、目をパチクリさせた。
「あれ、私は一体……」
「あ、先生。目を覚ましましたか」
「大きな植物の化け物を見たような気がするけれど」
「気のせいじゃないですか? そんなもの最初からいなかったですよ。ほら、よく周りを見てくださいよ」
「……そうだね。気が動転して幻を見ちゃってたのかも。あの、さっきは先生を守ってくれてありがとう。やっぱり君は臆病者なんかじゃないよね」
「いや、なんというかそれは過大評価ですよ。でも、これで俺が卒業して先生がインペリアル・コードを引退しても、俺のこと忘れないで貰えますか?」
「なにを言ってるの。私は自分の受け持った生徒のことを忘れたりなんかしないよ」
その言葉を口にした島谷は嘘のないひたむきで真摯な目をしていた。
鬼灯がわざとらしく舌をペロリと出しながら戻ってきたのはその直後だった。
「ごめんなさーい。ちょっと綺麗な花を見つけたから気を取られてたらはぐれちゃって。さっき先生の悲鳴らしきものが聞こえてきましたが大丈夫でしたか?」
「悲鳴なんかしていません。それよりも鬼灯さん。あなたね、どれだけ心配かけたと思ってるの! ちょっとここに座りなさい。話があります」
島谷は先程まで失神していたという事実をしれっとなかったことにして、鬼灯に説教をし始めた。
それが思いの外長く、そのせいで晴太たちのグループは最後に戻った組となってしまったが、同時に宝物である缶バッチを持ち帰れた唯一のグループでもあった。
なお、その後境内に現れた植物の化け物にどことなく似ているという理由から、ゆきは同級生たちの間からさらに神様のように扱われるようになり、本人もそれにはまんざらでもないようであった。
ちなみに岡野と佐藤については、仲良く発狂しながら山道を逃げ帰ったらしく、その後お互いに弱い部分をさらけ出した仲として打ち解け合い、無事にカップル成立となったのであった。