#8『人間モード』
ゴブリンに剣が当たらず、初撃のチャンスを逃してしまった。
ユメリスのポンコツさがもう看過できないところまで来ているが、それどころではない。
しかし、こちらの剣が当たらない代わりに、向こうの攻撃も当たらないみたいだった。
ゴブの反撃は確実に俺の体を捉えている。
その攻撃の数々は掠るどころか、通り抜けて空を切り、魔物でも理解できなそうな顔を浮かべている。
これだけ見ると、何をやっているのか他人には理解できない状態であるが、ミナリアは全く戸惑わずに俺の周囲にいるゴブリンに止めを刺した。
「――うお!?」
氷漬けになるゴブ。
彼女は展開に来ていたとしても元は下界人になるので、ややこしいモードチェンジはせずとも攻撃が当たるらしい。
一方でユメリスは照れ笑いを浮かべながら森から出てきてこちらに寄ってきた。
「だ、大丈夫ですかグノシス様」
手を差し伸べるミナリア。
「あ、ああ、ありがとう。よくわからんけど助かった」
咄嗟の機転を利かせたミナリアは驚き顔を浮かべている。
いつの間にここまで高度な技を使う様になったのかはわからないが、氷の魔法を完璧に使いこなしていた。
「ユメリス、その《人間モード》ってどうやったら使える様になるんだ」
「《ザ・キー》に機能が搭載されてますよん。《神様モード》と違って創作はできなくなりますけど、下界で戦闘とか食事ができる様になるんです」
今までこの世界の物に触れることがなかったので全然気付かなかった。
ここにもややこしい設定が存在するらしい。
天界にあるものや鍵を使って作ったものには普通に触れられる。
だが下界の生物には先程の様に通り過ぎる現象が発生する。
注意しながら使わなければならないな。
早速モードを変更しようと鍵を握る。
今まで気に止めることもなかった部分にその項目は存在した。
《神》と《人間》を入れ替えて下界での活動域を広げるモード。
前にユメリスがその話を直接していたことはなかった。
でもアダムとイブを作る際に俺がアダムを作らずにイブと実際に行為をして子孫を残してはどうかというデリカシーの欠片もないアドバイスを受けていたのを思い出した。
そんなアドバイス程度で、モードの切り替えまで理解できるほど俺は天才ではない。
しっかりと説明が欲しいところである。
「こ、こうすればいいのか?」
――《《人間モード》を解放いたします》
体が重い。
なんだかさっきよりも気怠くなった様な気がする。
これが人間の体なのか。
今まではずっと神様の体で生活していたのでこの体には慣れないものを感じた。
おそらく死ぬまではこんな感じだったのだろうが、なんでも楽な方に慣れると逆パターンは辛いだけなのである。
モードを切り替えた後、剣で氷漬けのゴブリンを突くとちゃんと触れられることが確認できた。
これでやっとこの世界で冒険者みたいな活動ができる。
「うう。やっぱり人間の体って大変だな。神様の時と随分差があるよ」
「《人間モード》の状態で訓練を重ねれば神の体と違ってしっかり成長しますよん。筋肉マッチョなグノシス様になれますよぉ」
「筋肉マッチョって俺そんなに筋肉付けたことないんだけど……」
「え――――」
つまらなそうな顔をするユメリス。
俺の体をなんだと思っているのやら。
しかし、彼女が筋肉フェチ的な趣味を持っているとは思わなかった。
まあよく考えてみれば神話の銅像とかって筋肉質な奴が多かったからそういうのも関係あるのかな。
「えーってなんだよ。えーって」
「やっぱり筋肉っていいものじゃないですかぁ。グノシス様の神様らしさに磨きがかかって下界の人間により好かれますよぉ。その、グノシス様も『オス』としてそういう欲求がないのですかぁ?」
「神様をオス呼ばわりしないの。俺はそんな欲情魔人みたいな性格はしてないから」
下界の人間に好かれる。
確かに屈強な神様の方が人気出るかもしれないが、そこまで至る過程を想像するとあまりにも辛そうなのでやめておこう。
「わ、私は筋肉質じゃないグノシス様でも、その、いけますよ」
赤面するミナリア。
ここで赤面している理由がよくわからないが変な妄想でもしているのだろうか。
ベッドに侵入する彼女も中々の勇気を持っているが、年齢だけにそういうことに慣れていない様子である。
「いけるってどういう意味だ……。ひとまず褒め言葉として受け取っておくよ、うん」
その時、完全に俺たちに放って置かれた状態で尻餅をついているゴブリンに目が止まった。
突然氷漬けにされた仲間たちを驚きの目で見る目ながら言葉を失っている。
ゴブリンが言葉を話している様子など想像もつかないが、唸り声を絶えずあげている姿はなんとなく予想できた。
ハッと意識が戻った様に正気になると、すぐに立ち上がりある一定の方向へいきなり走り出した。
「お、おい! ゴブリンが走り出したぞ!」
「追いかけましょう!」
すぐに後を追いかける。
俺の見立てが正しければこのまま親玉のいる巣に向かうはずだ。
迷いなく森へと入っていくゴブリンはまさにこの辺りを寝ぐらにしているのであろう。
地形をしっかりと覚えていて、この辺の環境に慣れているからこそできる身のこなしである。
「まさかこれ追いかけたら何千ものゴブリンこんにちは、なんてオチじゃねえよな」
「そんなときは一回死んで天界に戻ればいいんですにゃぁ」
「そんな軽々しく死ねるか!」
俺たち天界人には、蘇生機能、リスポーンが備わっている。
HPの様なものがあるわけではないが、文字通り下界で力尽きるとノアへと強制送還される。
もちろん《人間モード》の状態限定の現象であるが、モードの切り替えがなく常に人間状態のミナリアはいつでも起こり得るもの。
天界人になる前の彼女は死んだら復活不能であったが、晴れて天界にきたことでその制限もなくなり、リスポーン可能になったのである。
しばらく走るが、ゴブリンが親玉の元に行く気配はない。
俺たちに付けられていることに気づいていないのか呑気に川で魚を取り始めた。
彼らが食料を回収していることで、住民たちの生活が脅かされているのは間違いなさそうだ。
ここで奴を討伐することは簡単だが、中心となるボスがどこにいるかわからないと尻尾を切られた状態になってしまう。
「あいつ親玉のところに行くのか? なんかさっきから動く気配がないけど」
「恐らく献上品か仲間への贈り物を獲っているのではないでしょうか」
「贈り物?」
「はい。生態学についての本を読んだ時にそういった記述がありました」
彼女は魔法学の本を読んでばかりいるものだと思っていたが、どうやら魔物などの生体に関するものも知識として入れていたらしい。
何処までも先に行ってしまう彼女になんとも驚かされてばかりである。
この鍵に図鑑機能的なものはないのであろうか。
「ゴブリンは上下関係を重んじているそうです。なので、下っ端はいつも食料を集めて種族の上の者達に渡しているのだとか」
「ゴブって超上下社会だったのか。それはそれでなんか可哀想だな、じゃああいつを追っていけば……」
「ボスに辿りつく可能性は大きいと思います」
「よしじゃあ動くまで待つか……」
草むらに息を潜めて待っていると、ゴブリンは数匹の魚を抱えて再び森へと走り出した。
その様子は何処か急いでいて焦っている様にも見える。
どうやら相当下っ端の使いっ走りらしい。
どんな種族にも格差は存在している様である。
再び進行を開始し、森の中を進む。
ファンタジー補正なのか森は元いた世界より、かなり綺麗に見えた。
森なんて普通虫がうじゃうじゃいて、枯葉なんかが一杯地面に落ちている様なものを想像するが、この世界のそれは全然違う。
むしろ、森の中で寝転がって昼寝でもしたくなるほど幻想的な世界だ。
これも俺の創作がうまく行った成果というものだろうか。
「グノシス様、止まってください。集落です」
「――な、いきなり来たな」
先行していたミナリアが俺たちに足を止める様に促す。
草むらの背丈が高いせいで視界が悪いが、それをかき分けてみると、その先には人間の集落と同サイズといっても過言ではないほど大きなゴブリンの集落が断崖絶壁の下に作られていた。
よくみると、その隣にある崖には大きな穴が掘られており、中にもゴブリンたちが出入りしているのが見える。
「おお! でっかい村だな……。これ人間のやつより栄えてるんじゃないのか」
「あの穴みてください。恐らくあれが親玉のいる場所なのではないでしょうか」
「ミナたん。でもあんなとこに入るのは危険だにゃぁ。数が多すぎて近づくこともできないよん」
この数を前にさすがのユメリスも尻込みする。
集落には、先程のゴブリンが上司と思われる大きなゴブリンにいじめられているのが見えた。
ゴブリンでも種類が色々あるらしく、武器を持っている者、太っている者、痩せている者、子どもなんかもいるのが見えた。
しかし、圧倒的にメスのゴブリンが少ない気がする。
ゴブリンとは性別的に差が生まれる生き物なのだろうか。
エルフはオスが生まれづらいと以前ユメリスが説明していたが、それと同じ様なものといえるかもしれない。
「そうだな。この集落を正面から突破するのはちょっと無謀だ。潜入という手を考えよう。親玉がもしこちらの言葉を話すなら交渉の余地もあるかもしれない」
「こっ、交渉ですか!?」
「ああ、俺たちは奴らと違う。なんでも武力行使で解決すればいいというものではないだろう。それに、俺はこの世界の神様だ。人間だけ特別扱いし過ぎるのも神様としてどうかと思うだろ」
思いつきでまた少しカッコつけたことを言ってしまった。
ユメリスはこういう時冷めた顔をするのだが、今回はなぜか少し見直したぞお前的な顔をしている。
ミナリアはいつも通り信頼たっぷりの表情をしていていい子である。
「グノシス様さすがです! 本当に尊敬に値する神様です」
「いや〜それほどでも〜」
「な〜に鼻の下伸ばしてるんですか〜。気色悪いですぅ。わるーいですぅ……」
「なんだ妬いてるのか?」
「そ、そんなわけないにゃ!!」
赤面するユメリス。
ちょっと珍しい反応に言い知れぬ可愛さを感じている自分がいた。
ユメリスはただ純粋なツンデレなのかもしれない。