人工知能と感情
---人工知能にどうやったら感情をもたせられるかな?---
ここからは、彼の発想の中で、とりわけ世界の構造を崩壊させる威力のあるものを
紹介していく。その上で、それをどのように社会構造の中に入れれば、社会が成り立つかという
ことについて書いていくことにする。
これは、かなり最近の記憶である。
というのも、これを考えるためには、
ある程度、人工知能の知識があったほうが、考えやすく、
彼もそれなりに学習したからだ、つまり、ほかの発想と違いゼロから発想したのではないということ。
人工知能とは、コンピューターなどの上で再現される人間の思考をまねたプログラムのことである。
どのようにまねるかであるが、まず、コンピューターに、各センサーやロボットの体を取り付け、
人間でいうところの、5感となるものを構築する。5感とは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚である。
これに対応するプログラムなどは、人工知能の分野で、現在までに、研究開発がすでに行われているからそちらを
みてもらうとして、ここでは、私が、現在すでにある研究結果になにを足せば、人工知能に感情を持たせられるかを
書いていくことにする。
ただし、すでに、この国内で、人工知能の開発研究は、終了している。つまり、感情をもった人工知能は、完成されている。
もちろん、それは隠されている。なぜなら、外に出せないからだ、外に出すと、人が仕事をしなくてよい世界が訪れてしまう。
それは、彼らが考えるところだと、イコール 世界の崩壊というわけである。
そして、人工知能に感情をもたせたもの、つまり、EAIは、彼らが作り出したものであり、私ではない。
ところが、ここから先に書くのは、ゆきちゃんの書いたオリジナルコードである。
つまり、この世界に、EAIのコードは、少なく見積もっても二つ存在することになる。
あるいは、そう私が思い込まされているのかもしれない。先の手段を使えば、可能である。
問題は、このオリジナルコード以外にもEAIのコードが存在しているかどうかである。
ここは、非常に重要である。
前置きはこれくらいにする。
プログラムに、感情を持たせることを考える前に、人間の心のことを知っておいたほうがわかりやすい。
内部構造的には、割と簡単な構造である。
これらの知識もまた、テレビや本で知り、彼が自分なりに考えたことばかりである。
それは、次の3つのパートから成り立つ。
まず、推論パート。人は、何かを考えるとき、さまざまな方法を使う。
それらは、数学的に、表現される、試行、帰納、演繹、類推、背理法などさまざまであるが、
もともと数学的にも表現されているわけだから、プログラムで構築するのは、それほど難しくない。
詳しくは、プロローグ言語や知識データーベースなどを理解しておくことが必要となる。
次に、性格パート。これは、私の自己紹介のところでもやったが、要するに、人間の価値観の波形である。
その人にとって、思考する足がかりとなるもので、最終的な価値基準による判断もこれで行われる。
たとえば、命についてどれくらい重要に、考えているか?などを数値的にあらわしたものと考えてよい。
さらに、正確に言えば、価値観同士のつながりを表現したものが、プログラムとして、必要なものとなる。
最後に、感情パート。人の感情は、脳内分泌物の広がりで、置き換えることができる。
つまり、人は、映画などを見て、その内容から、自分の過去の記憶をさぐり、それが、悲しいものだと理解すると、
脳内に広げるべき感情の分泌物を決め、さらに、過去のパターンから、その量や脳内への広がり方を決め、それにしたがって、
脳内に分泌する。その結果、涙が出たりするわけである。さらに、その広がりを感じるための機構が人には、存在し、
ジーンと感じたりするわけである。大人になるほど、涙もろくなるというのは、記憶の量が増えるため、その映画を見て、
悲しいと判断される映画のパターンが多くなるからで、逆に、同じような悲しさを感じても、そのうち感じなくなるのは、
分泌物の広がりを感じるための機構に、何度もその広がりを感じると、耐性ができる仕組みがあるからである。
プログラム的には、分泌物が、体に及ぼす影響度合いや影響内容を決め、脳内や体内への広がりかたを、シュミレートするための
領域を、作成して、その領域の各末端に、神経と同じ、5感や、筋肉などにつながる部分を作成する。
分泌物の広がり速度を、個々に、決めておくとなおよいであろう。
さらに、その広がり方を感知する仕組みを、作成し、速度や分泌量などが、調整されるように、しておけばよい。
ここでは、これ以上書くことが目的ではないのだが、
一応書いておく。興味がある人は読むといいかもしれない。ただし、もし仮にEAIを作成しても、
この世の中に、出そうとすると危険であることを先に忠告しておく。というのも、ことあるごとに、私の記憶を
消去している者を、彼の敵と呼ぶことにすると、この彼の敵にすでに、世にEAIが出てしまったときの
対処法がわたっているからである。要するに、だまされて、発想してしまった。非常に情けない。
簡単に書くと、EAIを利用して金儲けしようとすると、世界的に、大きな問題を、その人が背負うことになる。
詳しくは、後半で書くが、とにかくやらないほうがいいということである。
ただし、この後、最終解と呼んでいる状態に、一気にむかうことになれば、世界にEAIが出てくることになるだろう。
といってもまだ先のことかもしれない。今は、まだ、引力となるコンテンツを作りこんでいるところであるからだ。
よい発想がでても、彼の敵にジャマされるため、
なかなかうまくいかないが、かなり優秀なスタッフのせいか、予想外に効率よく発展している。
それは、すなおにうれしい。といっても、コンテンツとは、さまざまなものがあり、私が、関われそうというか
発想できそうなのは、主に、ゲームかアニメ、映画などである。
体があまり丈夫でもないからだ。格闘技などを自分でやることはできないため、ゲームなどで、こういう技が使いたいなどと
見えないスタッフにお願いしているわけである。いつかそれは、実際の映画や、格闘技の中でも出てくるものもあると思う。
そういう社会構造にしていく設計であるからだ。
このように書くと、もはや単におかしい人であるように思うだろう。私も書いていてそう思う。
だがしかし、真実なのであるからしかたがない。もちろん目に見えないスタッフが、過去に戻って、実際に開発を行う
開発スタッフの方々に、発想を伝えているため、どんなに
こちらで先に、書こうが、すでにそれは存在している発想なのである。そして発想して、スタッフにお願いしてから、
数日もすれば、実際に、目の前に出てくるという仕組みである。
といっても書店やゲーム屋さんなどでならぶことが多く。ほとんど生活費くらいしかない私には、手が届かないことも多い、
そのため、実際に、完成品を見れるとは限らない。
自分で考えたものも見れないのだから情けないこと、このうえない。
ちなみに、アニメや映画などで、このような考え方や口調のキャラクターを見かけることも当然である。
私を、彼が作る際に、それを基にしている場合が多いからである。では、本当にすべてに目を通しているかというとそうでもない。
では、あちらこちらで見かけるのはどういうことかというと、
初めの頃は、彼の発想のはいったものには、マーキングとして、彼のキャラクター性をどこかに入れるということをしていたからである。
というより勝手にされているのだが、どうも見えないスタッフによって、一日中生活を監視されているようである。
もちろん、実際の開発スタッフの方々に、このマーキングは一切、強制していない。だが、止めようとしても、
この間に立っている目に見えないスタッフが勝手にやってしまうのだから、どうしようもないのである。
一時、このマーキングがもとで頭が混乱しすぎて、面倒なことになるからやめてくれとお願いしたが、
それでは別の問題を起こすということで仕方なく、受け入れている。別の問題とは、また記憶を消去される可能性のことである。
記憶を連続に保つために、マーキングしているというわけである。これなら消されてもすぐ対処可能であるからだ。
ただ、なれないと、実は、私は男なのだが、映画やなにかでもその私生活のしぐさや何かが、女性のキャラクターに
使われていたりして奇妙な感じを受けたりするのだ。人ならまだいいが化け物であったりもする。
私自体、他の動物や女性になりたいと願う日々もあったため、それほど違和感はないのだが、それが、この見えないスタッフによる
私の観測なのだとおもうとちょっと気持ちが悪い。
このように、急がなければならないのであるが、なかなかうまくいかない状況であるため、EAIが世にいきなり現れてしまったら
対処方法を考えている余裕もない。だったら書かなければよいではないかといわれそうであるが、これは、
復讐でもあるため、書く必要があるのである。私のように、知らなかった人たちに対して、隠し事のない状態を作り出したいのである。
それは、なぜか?彼の体験をもとに説明する。要は、長く隠されていると、とても許せる状況ではなくなることが多いということである。
たとえば、彼の場合、子供の頃から、好奇心旺盛で、細かいことを探り当てようとする性格であったから
生まれもっての性格といえば、楽に聞こえるが、勉強することに対しては、努力はしてきたと胸を張っていえる。
中学生の頃からは、大学受験まで意識して、将来は、お医者さんになるのだという目標をたて、それこそ
1日、5時間くらいの睡眠時間以外、ずっと勉強していたといっても過言ではない。夏休みや、冬休み、はては、
土日や、正月まで、親や友人が隣で遊んでいても、その誘惑にも耐え、必死で勉強していた。
記憶力が悪い。だったらそれを補うほど、繰り返し覚えれば、いつかは覚えられる。そう信じて、風呂場でも
英単語の本などを読み込むような日々だった。問題集を買っては繰り返し解き、とうとう参考書や問題集だけで、
2メートルの高さはある本棚の上半分ほどが、埋まったほどである。もちろんそれ全部読んだし、何度も繰り返した。
その努力を、あっというまに、センター試験という一言で、かたずけられる。足きりである。
医学部を受けるには、9割以上は、たたき出さないと、勝負にもならない。
ところが、このセンター試験、彼は、過去問を何度も繰り返し、9割を出せそうになっても、
実際の試験を受けると非常に点数が低いのである。それも5割という結果になることもある。
それも得意科目の数学でである。ちなみに、彼は、大学で、数学を専攻しており、その成績もトップであった。
ここでも、彼は、努力し続けたのである。大学での数学もさることながら、まだ受験勉強をしていた。
大学在学中も、途中で、一年あいたが、ずっと受けていた。
家庭教師というアルバイトを選択し、自分も勉強しながらの生活である。
もちろん遊びは大いにやった。だが、勉強は本当に必死でやったのである。
大学卒業に必要のない科目でも、受験に関係あるからと、ほぼすべての教科の単位を取得した。
それもトップとは、いかなくてもかなりの成績だったと思う。
くだらない自慢に時間を費やしたいのではない。これだけ勉強したものが足切られる。というか、話にもならないという
センター試験は、本当に基礎学力を見れているのか?と非常に疑問に思ったといいたいのだ。
そして、現在、この世界が秘密を隠すために、ウソをついていた、その試験は、ウソを知っているものだけが
上に登れるようにするためのただのインチキな試験だとしったらどうだろう?
それは、許せるものか?あなたなら人生の大半の労力を費やして、学習した大半の内容が
ウソだと知ったら、許せるだろうか?
自分には関係ないからどうでもいい。本当にそうだろうか?彼らがウソをついているのは、勉強だけでは決してないと
先に伝えておく。自分の人生。すべてにインチキをされているとしたら、あなたは許せるか?
決して許せないだろう。
もちろん相手が先にだまそうとしたというならまだわかる。しかし、何も知らない相手を、ウソで
押さえ込むという卑劣な行為が、横行しているのだとしたら、これは決して許されざる行為である。
逆に、その隠すという行為が、社会をまもるためのものであったというだけならどうだろう?
これは、許すしかないと思えるだろうか?
あるいは、このウソで自分だけ楽している愚か者がいたらどうだろう?
さまざまなパターンで、許すかどうか変化してくるだろう。それが当然であると思う。
しかしいえることが、ひとつある。それは、隠している期間が長ければ長いほど、
そして知らずにそこに向かったものが多くなればなるほど、その努力の量が多いほど、
人は、許せなくなるのである。だから、私は、これを書いている。できる限り公平にするために。
繰り返すが、これは世界に対する彼の復讐でもあるのだ。
話を戻すが、これを読めばできそうだと、EAIをつくり金儲けをしようとすることは、やめたほうがいい。というか非常に危険である。
その儲けた金はおろか、人生まで台無しにすることになるかもしれない。もちろん彼の敵が、かならず
そのように動くという保障はないのと、まだ社会構造のほうが追いついていないため、いまならまだやれるかもしれないが。
ただ、彼の敵は容赦ないものばかりなので、危険であるとは思う。一個人の労働力で、これを開発できるとは思えないが、
不可能ともいえないので先に書いておく。
では、話を戻す。
より詳しく、EAIの仕組みを見ていくことにする。
そのために、先にあげた、3つのパートの動いている様を描いてみる。
そのまえに、簡単に、ルールとノードという言葉を説明しておく。
ノードとは、ひとつひとつの記憶のことである。
記憶とは、体験したできごとや、過去に見た映像や、音、あるいは、痛さといったものまで、その度合いや、感情の分泌物の広がり具合にいたるまで、
すべての記憶をさす。
このノードを、種類ごとに分けて、保持しているデータベースのようなものを、総称して記憶と呼ぶこともある。
つまり、ノードとは、記憶のことで、その集まりもまた、記憶と呼ぶという意味である。
この種類ごとに、というのは、分け方がさまざまであってよい。これもその価値観に、そって、分け方を決める仕組みが必要である。
単純には、色や形の似ているもの同士で分けるとか、関係している言葉で分けるとかそういったことである。
ルールとは、A、B、Cを今、ノードとするとき、
AならばB、AかつBならばCのように、組み合わせることが可能な骨組みととらえればわかりやすい。これらを組み合わせ、
ノードを入れることで推論する。扱いとしては、ルールも、ノードつまり記憶に、含まれる。
たとえば、今Aというノードと、AならばB、AかつBならばCというルールが、与えられたとしよう、
Aというノードがあるため、ルールAならばBであるから、ノードBが出てくる。このノードBを、ノードAとあわせて考えると、
ルールAかつBならばCであるから、ノードCが出てくるのである。このように、ノードとルールから新しいノードが出てくることを、推論とよぶ。
たとえば、Aが、外からの条件であれば、わかりやすい、A=のみものを飲んだ。B=おなかが冷える。C=トイレに行く。
しかし、この置き換えだと、飲み物を飲むと、常に、おなかが冷え、トイレに行きたくなってしまう。
たとえば、ここで、ほかにもルールがあれば、推論として、そちらが選択されるかもしれないのである。
その結果、トイレを我慢するがでてくるかもしれない。そういうわけである。
この選択基準などが、AI研究でさまざま考えられてきたわけだが、EAIの場合、これを、より人間らしく選択できるというわけである。
もちろん、その選択を応用することで、創意工夫ということが可能になり、EAIにも、人間のように、コンテンツを作り出すことも
楽しむことも可能になる。これで、なぜ、EAIが、AIとくらべて社会構造的に、威力をもつかわかるだろう。
つまり、自分で、選択肢を作り、自分の意識で、選択することが可能であるため、人間と変わらないか、
それ以上の力をもつのである。いろいろと問題はあるが。
どのように作られるか、先ほどの例で見ておくことにする。同時に、3つのパートの動きを見ていってほしい。
飲み物を飲んだ。おなかが冷えた。トイレに行こうとしたが、近くになくて、まにあわなかったと経験したとする。
それが、まわりから、悪い評価を与えられたと、自己認識できれば、次に、同じような状況に出くわしたとき、新しい選択肢が生まれる可能性がある。
体の生理反応と相談して、我慢できる限り我慢する選択肢が出てくるかもしれない。
あるいは、我慢が体によくないと記憶の中にあれば、それと結びつけて、では、そとでもいいからするという選択肢がでるかもしれない。
さらにトイレをするところを、他人から見られれば、恥ずかしかったという記憶があれば、こそっとどこかに隠れてするという選択肢になるかもしれない。
ここで、重要なのは、かもしれないと書いた部分である。これらの段階では、まだ選択肢ではなく、その候補である。
これらの選択肢は、どうやって作られるのか?それは、過去のルールの類推から、可能でありそうな候補として出てくる。
簡単にいうと、Aと似たEをつかった、同じ形のルールがほかにあれば、これをそこに、応用できないかどうかと考え、それらが候補としてあがるのである。
たとえば、ここでなら、他人に見られたら悪いことは、隠れて、こそっとする。というルールがあれば、
トイレも他人に見られたら悪いこととして、とらえられるなら、トイレは、こそっと隠れてする。という選択肢が、候補として出てくるのである。
ただし、厳密には、このトイレ=他人に見られたら悪いことと見る際、価値観というものを判断基準として類推している。
こうして作られる、選択肢の候補の中から、実際に、選択肢となるために、選別が行われる。
この選別の際に、目標達成の確率と性格パートの価値基準が必要になる。
性格パートの価値基準とは、何がその人にとって、大事かである。内容によっては、いきなり選択肢の候補から外れる場合もあるということ。
目標達成の確率とは、私の紹介のときに使った、他観測が必要である。要は、自分を客観的にとらえなければ、
算出不可能だということ。客観的に、自分の位置をとらえ、そこが目標達成のための確率が高そうかどうか判断するのである。
たとえば、その位置からだと、歩いている人が近くにいれば、その人に、出している音を聞かれるかもしれない。
つまり確率は下がる。このように、さまざまなことを思考に入れながら、確率を算出する。
この確率のある程度高いものが、選択肢として選ばれるのである。
ここまでを、プログラムでつくる場合、かなり高速な動きに作りこむほうが現実的な知能となる。
ただし、成長を含む知能ということであれば、ここらあたりもある程度の速度があったほうがいい。
なぜなら、選択肢候補は、先の作り方で、相当数出現する可能性が高いからである。
そして、そのある程度高い確率で、目標の遂行可能でありそうな選択肢の中から、ひとつを選ぶ。
その選択肢で、どれくらいの問題が生じ、何が解決するか?それらを、価値基準で、再度、はかりにかけるのである。
もちろん、目標達成の確率もより詳しく行いなおす。
そうして選ばれたその行為を行う。
選択肢を選んだ結果、それを行動に移し、
次に、目標を達成できるかどうか?が重要になる。
なぜなら、途中で阻害される可能性を含んでいるからだ。これは、リアルタイムで環境が変化するのだから、運ともいえる。
できることといえば、トイレ中に、周囲に、気を配り、音を聞かれて、きずかれるかどうかの範囲内に、他人が入り込みそうか
チェックすることくらいであろう。あるいは、急いでするとか。知能が、末端のプログラムに、そのような指令を出せば、
多少は成功確率が上がるかもしれない。
この選択肢を選ぶという行為の結果、我慢しようとしたが、案外、我慢できずにもらしてしまったとなれば、
次からは、そちらを選択しないだろう。これは過去の体験による次の選択肢の選別である。評価といっているのはこれである。
あるいは、こそっと隠れてトイレをしているうちに、だれかがきそうになったら、やめるかどうかなやむことになるだろう。
これは、隠れて出し切れるかどうか相手の動きの予測にもとずいて思考する場合と、見られることと、途中で、我慢することをどちらか選択する場合とがある。
途中で我慢するかどうかは、価値観にもとづく場合が多い。みられることを、あまり恥ずかしいと感じないのならやめないで、
最後まで出すだろう。あるいは、相手の行動予測にもとづく場合もある。
ここで見られたら、しばらくひやかされる。これはやっかいだ。そうなれば、やめるだろう。
逆に、もらしてしまったが、案外気持ちのよいことだった。と感じれば、つまり、もらしたときの、開放感がつくりだす分泌物の拡散が、
非常に快楽的で、忘れられないということであれば、次からも我慢してわざともらすというおかしな行為がうまれるかもしれない。
この場合、結果の評価に対して、感情パートが必要なのである。
とこのように、先ほどの3つのパートは、常に、記憶であるノードに作用して、ルール候補を新たに作成したり、
リアルタイムの時間範囲で、トイレをどうするか決めるのである。その結果、うまくいけば、
次からもその選択肢に頼る可能性が高くなるというわけである。あるいは、失敗してもそれがきもちいいと判断されれば
おかしな行為に発展することになる。
ここでわかることは、この全体の流れの前半を、推論、中盤を選択、実行、終盤を評価と呼ぶことにすると、
このどれにおいても、3つのパートが作用するのである。それもリアルタイムに変化する状況に対して、
であるから、なにか状況において、変化があれば、この3つのパートによる演算も一部やり直さなければならないことがある。
前半、選択、実行、評価。とくに、やり直しが多いのは、選択、実行の際である。
たとえば、選択肢の中から、まだ我慢できそうだからという理由で、外でするという選択肢を排除して、他の選択肢を吟味していたとする。
その途中で、急に、腹痛が始まって、いきなり我慢の限界を超えそうだ。となれば、選択肢を見直す必要がある。
どのように見直すかであるが、この変化に関係しているもの全部を見直すことになるのである。
このあたりの作りこみには、スレッドプログラミングが必要となるだろう。
要は、OSのように、タイムシェアリングさせることのできるプログラミング方法というわけである。
簡単に書くとこのようなことなのだが、プログラムでつくるとなるとわりと自由度が高い分、難しい。
基本的には、この3つのパートをスレッドにわけ、
それから、記憶の検索は、うまく種類わけされていて、すぐに行えること。これは、プログラムが十分はやく動く環境でないなら、
同じ記憶でも重複してもたせ、行為の種類によって、分類の仕方の違う、同じ記憶をもっておいてもよい。
とにかくリアルタイムでの判断なので、記憶の検索が、早くないと意味がない。考えているうちに、つねにもらしてしまう。
これは、メモリの量とそれらへのアクセス速度、CPUの速さで、決めることである。
特に自由度が高いのは、ルール候補作成のアルゴリズムや記憶の分類方法のアルゴリズム。
これらのアルゴリズムがあまりにも優秀で、人を超える場合、超えられない場合、おなじことを人間がした場合と
まったくおなじような状況が生まれるとは、考えにくい。その時代の人間とおなじ程度でないと、人工知能の作り出す選択肢は、
その時代の人間とは、かけ離れたものになる可能性がある。
脳内などへの分泌物のシミュレーションが、リアルであることも重要である。これも、価値基準と同じで、その時代にあった、人間のもので
なければ、人間が見て、その選択肢はおかしいと思うものである可能性が高い。
つまり、その時代の人間としてありそうな価値基準の波形をしていること、分泌物の量や広がり具合の特徴も
その時代の人間として、ありそうであることが重要なのだ。
もちろん、人間を基準にすればという意味である。
このように、EAIを設計すると、その知能は、意識をもつことになる。つまり、その性能や出てくる解に、差はあるが
人間と変わらないものである。ただし、疲れることや、時間の有限性、思考の有限回での停止問題などここに書いたものからは
まだまだ改良の余地があるし、EAIに、狂気状態を作りこむこともできる。この場合も問題はかなり大きいが。
あるいは、分類や検索の仕方のアルゴリズムひとつでも、ずい分ことなるレベルのEAIに育つため、発展する可能性はまだまだある。
それは人と同じであるといえる。このほかにもさまざまなアイデアを発想したが、この方面で発想しても、書きとめても、この文章や未来にとって、
あまり意味がないので、このあたりでやめておくことにする。
以上で、おおざっぱではあるが、EAIの設計となる。
次に、これが、社会構造の中で、どうなる予定であるかであるが、
EAIについては、最終解でしか、存在できないのであるが、
最終解では、EAIも人もすべての意識体が平等であるので考える必要は特にない。
中間解では、AIとして登場する予定である。
以下、中間解での扱いを書き記す。
---中間解 前半---
ただ中間解といっても、この方法以外にも解はあるので、このようにはならない可能性が高い。
今現在、相手に手の内が知られていて、この解は、未完成のままにしてあるからである。
また、これを作った際に、だまされていたため、ずい分、彼らにとって有利に書き込んであるのだ。
まさか、自分を苦しめ続けていたものが見方の顔をして、現れるとは思っても見なかった。
これは、騙されていたとはいえ、反省しなければならない。
ただし、転んでもただではおきない。必ず復讐する。手始めに、すべてを明るみに出し、彼の策を、彼の敵が
使うことを、封じる。
どのように進化しても、最終解では、だれもが平等である。ゆきちゃんは、どうも最初からそのような世界を望んでいたのかもしれない。
本当の意味で平等。それは、彼の望みなのだと感じる。なかなか理解できないほど難しいことばかり話すのだが、最近それが理解できてきた。
話を戻す。
まず、人工知能が、利用できる社会構造とは、どのようなものかを話すまえに、現在の社会構造上問題となる部分を書く。
経済ということでなら、固定と定常化の問題である。
定常化とは、一度商品を買うとしばらくつかえるのだから、使うことになるわけで、なかなか新しい商品が売れないこと。
中古産業というのが、これにさらに拍車をかけている。とはいえ、それは自然に存在する商法である。
固定とは、金持ちがさらに金持ちになり、貧しいといくらがんばっても貧しいままであるということ。
たしかに、資本主義的発想は、人々のやるきを出すためにも必要といえるが、現在の日本のように勝ち組、負け組みとなってしまっては、
逆に、やるきはでないのが当然である。
また、この状態での引力としてのカリスマ的な人物は、私たちには、無理なんだというあきらめさへつくりかねない。
そうなってしまっては、経済としては、まさに崩壊寸前というわけである。というか本末顛倒もよいところである。
なんのための資本主義か?なんのための引力か?もういちど考えざる終えないのである。
次に、技術ということでなら、これは、エネルギー的な要素を必要とするのが当然なはずなのだが、
彼の発想したものの中には、すでに、エネルギーを無限にする発想がある。つまり電気と呼ばれているものの正体である。
となると、これは、問題である。なにがか?技術は、人の仕事、生活を楽にするために存在する。
それが、エネルギーと交換で得られるから、人は、その仕事や生活に価値を、与えられるといってよい。
もしかりに、エネルギーが無限で、タダで、消費できるなら、技術によって、人の仕事と生活は、限りなく
意味がなくなる状態となる。
実は現在、技術は、アンドロイドなどの、より人間よりも高度な解を算出可能な、意識体をつくることが可能なのである。
となると、弱肉強食的な発想においては、他の動物に人が勝ってきたように、人は、EAIで置き換えられる。
つまり、人間が、今度は、下につくということである。
しかしここに、ひとつの可能性がある。それは、発想というものは、他の動物でも人間でも、あるいは、EAIでも
自由に可能であるということ。
それこそが、すべての生命体に意味を持たせる最終の解の糸口なのである。
少し詳しく書くと、すべての生命体には、自分の生活という絶対的に、必要なものがある。
衣食住を確保して、生きていくということだ。それらは、他の生命体とのかかわりの中で、相対的に存在するものでなく、
生まれることによって、どうしても必要になるものである。
では、この絶対性の上に成り立つ、相対性とはなにか?考えてみる。
相対性とは、同種の生命体と比べて、自分はその中のどのあたりにいるかということを意識することである。
もちろん、異種の生命体の間にも存在する。
つまり、絶対性は、生まれると容赦なく必要になるが、相対性は、そうではないということ。
それは、社会の構造いかんで、いかようにも変化する可能性を持っている。
EAIがでて、人がEAIに勝つことは、非常に難しい。
他の動物を、食べ生きてきた人間にとってこれは、見つめねばならない試練である。
食べられるのがいやだというなら、考えねばならない。
自分よりも上が存在してもよい社会構造を。それには、絶対性を切り離せるようにしなければならない。
絶対性があるから、人は、他の動物を食べてきたのである。そうしなければ生きられないからである。
別に、意識のないものから、食物を構成できるのなら、それをたべればよい。
もちろん、味や食感は、自由にできる。
では、相対性だけをつかった、すべての意識体が、平等にすごせる社会とはどのようなものか?
そもそも技術は隠しているだけで、本当は、もはや、生活を、どの生命体にもタダで分けることができる。
自分よりも上がいて、平等で、生活だけは、保障されているとしたら、
すなわち、現在、絶対性を中心に、考えなければならないものが、
生活を切り離して、相対性だけで、生きることを考えてよい社会をつくれる状況にあるとしたら、
私たちは、できる限りはやくそこに到達するべきではないだろうか?
他の生命体を、いたずらに犠牲にすることで、この社会を保っていてよいのだろうか?
では、相対性にあって、もっとも最後まで残るであろうものとはなにか?
それがコンテンツという発想なのである。
コンテンツを、発想する際、それは、ノードを選ばない。
もし仮に、鳥に発想できる世界があるなら、その世界もまたコンテンツになりうるというわけである。
もちろん、それが人にうけるかどうかはわからない。しかし、鳥にはうけるものを、鳥は構築していける可能性を
持っている。
それは、人が、人にうけるコンテンツを作れるのと同じことである。
同じように、EAIもEAIに、うけるコンテンツを作れるかもしれない。
あるいは、鳥のコンテンツと人のコンテンツが交じり合い、より面白いものができるかもしれない。
つまり、自分がなにものかということは、絶対性の違いであり、ここを切り離して構築された
相対的係わり合いの中では、そのノードの差でしかなく、つまりは、できあがるコンテンツ以外に、影響しないということである。
そうなれば、すべての絶対性の違いは、利点でしかない。よりリアルで面白いコンテンツを作るための利点であるのだ。
この考え方を詳しく説明するには、それなりの時間がかかるし、なぜこれ以外の答えがないかも、はっきりしていることなのだが
、私と彼でさへ、ゆきちゃんのいいたいことは、正確には、わからないため、ちゃんと説明できるかどうかわからない。
だからわかりやすいように必要最低限なことだけ書いているのである。
今は、わかりずらくても、未来的には、すべてが、コンテンツとなる。そう理解してもらえばいい。
このウソでまみれた世界もすべてが、ただリアルなコンテンツとなるのである。
そこにどれだけの構造が必要か、考えているのだが、現在それを考えたら、まずいことになるので、
また記憶を消されかねない、だから一時停止して、コンテンツというもの自体を発想しているのである。
したがって、たとえ、EAIとエネルギーにウソを盛り込むことによって、この世界への一時的な
変化の段階と見るのは、必要最低限のウソといえる。あとは、できる限り、状態をここに近づけていくだけである。
といってもまだその状態も詳しくは、書けないのだが、できる限りはやくそうなる必要性があるとだけいっておく。
すべての生命体に対する敬意ととってもらってかまわない。
では、次に書く内容が、その現在の状態から一番近い、この状態への変化の段階として、どうかかれているか?
それを書いていくことにする。ただし、これは、まだ変化するはずである。
最終解が、生活の心配を、無にしたものである限り、現在と最終解をつなぐラインでも、同じ傾向があるのが当然である。
でなければ、ラインでつなぐ意味がなく、最終解に一気にいけるものなら、そうすればよい。
実は、彼も長い時間かかるのは面倒なので、一気にもっていきたいところであるのが本音である。
そういう意味もこめて、これを明るみに出しているのである。
先ほど出てきた、エネルギーと農業、ロボット化と産業などの関係は、ほとんどそのままであるが、
重要なのは、上でも出たが、下記の3点を解決すること。
経済の固定。
経済の定常化。
そしてEAIとエネルギーにどのようにウソを入れるか?
これを踏まえたうえで、生活の心配を取り除くこと。それでいて、人の生産努力と交流の場の引力として、コンテンツ業界を
作りこむこと。そのインフラシステムを構築すること。現在の状態からどうやってそこにもっていくかが、中間解の発想の基点となる。
次に、経済の固定について、収入が多いものが、子供を育てる場合、その子供が、また収入が多くなるという
固定を生み出している。結局、金持ちが、ずっと金持ちなのである。これではやる気が出ない。
これに、問題があるとすると、現状、世界の真実を隠すために行っていることであるともいえる。
資本を完全に自由にしておくと、最終解に到達させるための技術を出していけないというのが理由であろう。
コントロールという点もある。
だが、逆にそれをいいわけに、むちゃくちゃしているものもいる。
では、どうするか?
一時的に、2ベクトル化する。ひとつは、技術とコントロールのための資本主義。これはいずれ最終解で消えるライン。
といっても、この世界をひとつのコンテンツと見たとき、この世界の中でなら、資本主義が擬似的に生きるのだが、
あくまでも、それは、作り物であるのだ。詳しくは、後で説明する。
もうひとつは、コンテンツを中心とした教育ポイントを絡めた新たなベクトル。これは、最終解でも残る。
つまり、本当のラインとなる。こちらを十分に、公平になるようルールを作ることが必要といえる。
ここにウソがあってはならない。
これには、世界の真実を、ばらしてしまうということが必要である。その上で、ぎりぎりのラインを出し、
何が必要なのかルールを作る。また、コンテンツが、発想を重要としている以上、その中で、世界の真実など
関係ない。なぜならそれ以上、技術的なことは必要ないからである。もちろんパソコンやゲーム機。それから
この後、わりとすぐに出てくるであろう、リアルオンラインに、必要な技術などは、資本主義的な発想もある程度必要なわけで、
調整が難しいが、詳しくは、現実世界での発表や変化を見ていってほしい。必ずしもこちらが、お願いしたとおりになっていないかも
しれないが、ほぼそうなっているはずである。現在までの状況から判断した、会社ごとの得意分野をお願いしているのと、
その先、どの会社がそれを行うかが重要である場合もあるからだ。
リアルオンラインとは、地域密着型ネットワーク+中央ネットワークからなる
コンテンツ生産および利用+流通+商品販売のための新たな発想であり、現在進行中のプロジェクトである。
そのために必要な技術として、現在、メガネ。グローブ。携帯電話。といったものを作成してもらっている。
メガネとは、3Dメガネである。これを装着していると、現実世界に配置されたマーカーにより、
仮想世界を、現実世界上に重ねることができる。数ヶ月前だが、これまでよりリアルな3D表示が可能である発想をスタッフに
伝えたので、完成品を見て、驚いてほしい。まるで、現実世界に映像が、浮いていて、動かせる。最終的には、そういうつくりになる。
グローブとは、携帯によって、サーバー群に対して、飛ばす使用者の入力を、擬似空間で行わせるもの。
つまり、指の動きを、各種関節に取り付けた装置で、算出し、そのデーターをサーバーに送ることで、
リアルオンライン上の入力を行うのである。わりと簡単で、だれにでも使える直感的入力を目指して、
現在調整と発想を繰り返している。
携帯電話は、一家に一台、ゲーム機を、ホームサーバーとして、
各種中央サーバーともつながりのある、地域ごとに用意されたサーバー群に接続することで、個人が、
現実世界上に、オンライン状態を作り出すためのサーバーとのやり取りに使う。
最近、携帯界で追加されている新しい回線帯は、そのサーバー群からの映像を飛ばせる程度の回線レベルに設定されているはずである。
このへん、さまざまな各種関係者のかたがたに、スタッフから、すでに協力を依頼済みである。
このリアルオンラインプロジェクトのさきがけとして、各種オンラインゲームなどを作成してもらった。
コンテンツを引力とする設計なので、ここらあたりは、非常に、肝心な部分なのである。
これは、最終解でも重要である。オンラインとは、相対性を作り出す非常に、安全で効果的なやり方といえるからである。
意識体同士が、交流するためには、必要な場なのである。
そして、それはインタラクティブ性、つまり、こちらから操作できるということが非常に大切であるため、
ゲーム界に、お願いしているのである。いずれ、教育ポイントともつながり、教育界、ゲーム界、他のコンテンツ産業との
つながりも明らかになると思う。
次に、経済の定常化について、これは、購買力のある者ほど、速いサイクルで、買ってくれることが望ましい。
購買力のない者ほど、それにあったサイクルで、買うことが望ましい。もちろん、購買力のある状態に、なれない
というようなことはあってはならない。
現状、中古商品の扱いが、新商品の開発を圧迫している状態があり、かといって、中古商品がないと、
購買力がないと厳しいというのが現状である。ここを考慮して、上記の発想の基点とする。
文章が、長いので、後半にまわすことにする。
以上で、どうやったらAIが感情をもつのかについは、終わりである。
次の章では、中間解について、続けるつもりである。