永久機関と世界の関係
---私は、思いついた者か?それとも思いつかせられた者か?---
ここから先、非常に、おかしなことを書くかもしれない。
とりあえず、今は、理由は納得できないが、彼がアイデアを思いつく、そのずっと以前に、彼の目の前には、
その彼のアイデアを使って、発達した技術が、並んでいると理解して読んでほしい。
普通は、発想してから技術になり、目の前に並ぶのだが、この順番が逆になるというのである。
そのためには、時間的な順番というやつを入れ替えるという考えられないような技術がないといけないのだが、
いわゆるタイムマシーンというやつによく似ている。ただし、人が過去や未来にいけるというものではなく、
彼が、未来で発案したそれは、現在の声を、過去の人間に届けるというものである。
現在から見れば、未来の声であるから、未来が見えるのとさほどかわらない。
この装置の問題点は、ありそうでない。過去を書き換えたら現在が変わってしまうのでは?
あるいは、未来から声が聞こえるのなら、未来は、もう決まっている世界なの?と不安になりそうだが、
説明は後回しにして、問題ない。というかこれが問題なくおさまる考え方があり、実際にそうなっているようである。
ただ、この考え方というのが、まるっきり、現在の物理学などでは、追いつけないような範囲である。
なぜ、私が、推論で、そこにいたったかを述べると長い不思議体験談を交えて話さないといけないため、
これもタイムマシーンの章にゆずることになるが、簡単に述べておくと、5次元目のベクトルが存在するという結論である。
私は、このベクトルのことを、事象軸とよぶことにする。つまり、5次元ベクトルとは、それぞれ、xyz空間軸、時間軸、事象軸である。
xyz空間軸と時間軸が互いに、関係する可能性があるのは、物理学でも聞く話である。だが、事象軸については、まったく
知られてもいない。それは、時間軸について、あまり、実験がなされないからである。
観測データがなければ、推論はできないのである。ところが、観測データについては、私の場合、
ことかかないどころか、間接的にではあるが、タイムマシーンを利用していたりするものだから、
その特性や問題点も徐々に理解できたというわけである。つまり、私は今、過去を書き換えているのである。
ただし、私ではない誰かを経由することで。その結果、その装置について、わかったことを、観測データと呼んでいるのである。
そして、ふと気がついたのが、その装置の原理は、すでに過去の彼が思いついていたということ。
それも、タイムマシーンの物語などを見ていて、ほんの遊びごごろのつもりで考えたような案が、たまたま本物であったのだ。
それでもって、お決まりのように、そのことを忘れていた。実際、本当に彼は、迷惑な存在であるかもしれない。
あるいは、誰かによって忘れさせられていたのだろう。
また、この装置の原理についても、かなり限られた状態で、工夫をすれば可能なことなのであって、すぐには説明できない。
だが、簡単にだけ、ふれておくと、大地がドームで、覆われていなければ、まず不可能である。
これと、光の性質を利用することで、ドームの中と外で時間の進行速度を変化させる。
つまり、中では、すでに1年過ぎていても、外では、一ヶ月もすぎていない。そのような状況である。
外の人間から見ると、中の時計の針は、ずい分、速く動いているように見えるのだ。そのような状況を作り出す。
このあたりは、世界に対して止まっている人が、加速度を持つ物体からの光を観測すると、
このように見えるという話が、相対性理論などでも
有名である。ただ、ちょっとこれに工夫をするのだ。加速度的に、物体が遠のくと、観測される側、つまり
私たちが、ずいぶん遠くに行ってしまって、とまっている人から、観測できないので、加速度が増えることを、
同じ結果の起こる、別の方法、光の経路長を変化させるということで、代用するのだ。
ここで、ドーム状であることがきいてくるのだが、要するに、ドームの中と外で、時空間分離するといえばよいだろうか?
そのような感じになる。
ここで、時空間分離している外と中の世界で、時間軸がずれているとすると、
たとえば、中で、一年たっていても、外では、一ヶ月ほどしかたっていないというのだから、
内側から、直接、声を外に、伝えることで、11ヶ月前に、伝えることができる。
今度は、その状態で、外側から内側に、声を伝えることができれば、私たちにとっての過去に届くのである。
外から、声を直接届ける方法さへあれば、
私たちからみて、11ヶ月前に、声が届くことになる。
あるいは、外側でも、別に、時空間分離する装置を使って、時間を経過させ、外から見て、3ヶ月ほど先の世界から、中に、
声を届けると、私たちからみて、8ヶ月前に、声が届くことになる。ただし、中で、実際に経過していない未来に、声を届けることは、
もちろん不可能である。あくまで、外と中の時間のずれの間の時点で、かつ、中から見た過去であれば、
どの時点の過去にでも届けられるといったものである。
この装置を、すこし工夫することで、未来からの声をきくことが可能になり、
この装置を、知らない人に対して、非常にずるができるようになる。
たとえば、だれかいいアイデアを思いついたら、その内容を過去に伝えて、ほかの人が思いついたことにしてしまえるということである。
アイデアを盗み、自分たちの都合のよいように、書き換える装置とでもいえるだろうか。
たとえば、自分が、なけるような物語を思いついても、過去に、誰かがそれと似たようなことをすでに、発表しているということが
ないだろうか?それである。実は、思いついたのは自分でも、書き換えられて過去に届けられてしまう。ずるとはこういうことである。
詳しくは、この時空間分離装置の記憶のかけら、問題点、解決方法、原理などもその章で、説明する。
それから、先に述べておくと、致命的なエラーがひとつだけ、私の書いているこの文章の中に存在する。
それがどこのことなのか?読みながら考えてほしい。答えは、気づく人なら気づくこと。ちなみに私が気づいたのは、
この文章を書いている途中である。このことも覚えておいてほしい。私が気づいたタイミング。
これも重要なのである。
それは、世界だけではなく、すべてのウソの始まりを隠している要素を表に、ださせる役割がある。
なぜ、その要素を、ここに書かないのか?それは、書いても信じてもらえないと思うからだ。
きっと笑うだろう。ばかではないかと?
しかし、わたしは、この要素が、本当は、なんなのか?
書きもらすつもりはない。
私がそれを書いたとき、読んでくれている人にとって、それを知る
べき時である。そのときになってはじめて、
そのありえないような真実が、存在していると確信できるはずだ。
それは、それ以外、答えが、考えられないからだ。
そしてそのときになって、はじめて、私は思いつかせられたものか?思いついたものか?
これを考えるための条件がそろう。だからまだそのときとはいえないのだが、ある程度それでも
考えられる範囲で、ここで考えておきたい。
私はいったいどちらなのか?
ひとついえること、オリジナルコードと私が呼んでいる彼の発想は、その大部分が、
誰かの手によって、書き換えられて、世の中に常識として出てくる。この事実があるということである。
そして、時間的順番がいれかわるように仕組まれている。つまり、
彼が思いつく頃には、目の前にそれを、利用した技術が並んでいるのである。
そして、彼が思いついた後、思いついたこと自体を彼は、忘れさせられて、
その書き換えられたウソを、学校で、学ぶという順番が実際に存在するということ。
そして彼は今、盗まれるくらいならいっそとばかりに、先手を打って、過去を書き換え始めているということ。
繰り返し、過去を書き換えているうちに、すこしずつわかったこと。
自分が発想したものは、過去に、それをつかった技術を見たということは、すっかりわすれて発想しているし、
自分の頭で思いつく発想の順番がきちっと存在するということ。そのようなとき、それは思いつかせられているのでは、
ないということがいえる。
この状態で、彼が未来で発想したオリジナルコードを、少し書きかえた作品が、過去に散在している場合、
付加したコードを取り除いたとき、それが、復元可能であるならば、自分が考えたものである可能性は、逆に高くなる。
それらすべてを、彼が発想する前に、観測する可能性は非常に低くなるし、彼が、発想したときに、
考えたオリジナルコードとの差を、各作品ごとに見ていけばよい。
この場合、過去でそれを観測していても、オリジナルコードとのずれが、ある分、だれかの書き換えが入っていて、
作品からでは、発想できないという状態である。最初に、彼がいないと生まれなかった作品ということになる。
他人に、発想させられたものは、過去からその技術や社会の仕組みなどを見て、それがどのようなものか
発想しなくてもわかってしまうようなもの。つまり、わりと単純なものばかりなのである。
例外はもちろんあるが、おおむねこれで解決できる。ウソだとわかっていれば、誰でもすぐ見抜けるようなものばかりなのである。
ただし、一部の例外はある。万有引力の法則など、非常に込み入ったウソを考えてくるものもいる。
つまり、その仕組みを考えるという行為がある場合、これは自分で考えたことが多いといえる。
逆に、ぱっとみてわかる程度だと、それはわかっただけであり、自分で考えたことにはならない。
問題は、考えるのに時間がかかるのだが、自分が発想したものではないといえるのはどういうものかである。
これは、最終、考えたことを、何に使おうとしていたかである。その目的が違っている場合、
それは、書き換えたものによって、利用されただけであるといえるのだ。
たしかに、彼が発想しなければ、それは世界に出てこなかっただろう。
しかし、誰かがそれを悪用したからこそ、おかしなことになっているのだとしたら、
彼は、思いつかされたといえる。なぜなら、悪用しているものにとって、
未来から聞こえる彼の発想は、すでに聞こえているものであり、利用しているものなのだ。
だからこそ、彼が発想するように仕向けないと、彼らにとって都合の悪い状態になる。
彼が、ある時点までに、その社会の仕組みや技術を考えると、彼らは、そのウソを使い続けるが、
彼が、考えないと、そのウソを使えなくなるようである。だがしかし、過去につかったという記憶だけは残ってしまい
おかしな状態になることがわかってきた。
要するに、原理を考えるのは、彼でなければならず、彼に無理やりにでも発想させ、それをウソで書き換え悪用し、
利益を得ようとたくらんでいる連中が、彼が発想する以前にすでに、いるということである。
そして、その悪用の責任まで含めて彼のせいにしたい
という思惑があるようである。そしてこの思惑が、事態をより一層、複雑にしている原因なのである。
そうなると彼は思いつくものであり、同時に、思いつかされ、利用されるものでもあるという結論が出る。
昔からよく言う言葉にこんな言葉があるであろう。道具は、その使い方で、それがよいか悪いか判断される。
使い方によっては、よい道具と見られるし、使うものが悪ければ、悪い道具となる場合もある。
この場合、道具を発想したものには、意図がなくても、どちらの目的でも使われるということである。
そしてこの世界には、道具を思いついたものから記憶を消去し、悪用し、あまつさえ、真実をウソで隠すものが
大勢いるということである。
あるいは、彼をだまし、悪用の方法まで思いつかせるという力の入れようである。
この時点で書けるのはこれがせいいっぱいである。
---5つ目の記憶 7才---
「固体って溶かせばぬるぬるになるのに、ひやすと固まるのはなぜか?」
彼が住んでいたこの地方では、寒くなるといっても、あまり霜が降りるほどではなかったし、
それまで、何度か冬を、経験してはいたが、単に冷たい風が吹くくらいで、半そでの服を、長袖に替えたり、
厚着をすれば、十分に外にいける程度の寒さだった。だから、外の景色に、雪や氷が、あることをみたことがない。
すくなくともこのときまではである。
彼は、この頃、夢中になっている遊びがあった。
子供用の科学雑誌についているおもちゃで遊ぶということ。毎月、これを読むのを、楽しみにしていた。
付録についているそのおもちゃは、こどもの好奇心を、かきたてるのに十分なものばかりだった。
そのおもちゃで遊んでは、そういう科学的な現象が、なぜおこるのか?自分なりに考えては遊んでいた。
彼は、不思議なことを目にすると、理由を考えずにはいられないタイプの子供だったのだ。
その雑誌から見つけたのか?そこまでは覚えていないが、
彼は、どこからか、こんな現象を知った。
それは、子供の彼からすれば、まさしく超能力とでも言うべき内容であった。
もちろんそんなたいしたものではない。
机の上に、氷を置くと、しばらくして、それが動き出すというのだ。まるで生きているみたいに。
こう書くと、がっかりするかもしれない。
そう、机が、平たく見えて、実は、斜めになっているだけなのではないか?氷が溶けるとその
水の上をすべるというだけではないか?
このように思うだろう。
ただ、そのときの動きは、そういう動きではなかった。もっと走り回るような。そんな動きなのだ。
するするっとスライムが動くように、すべるように動く。それも滑らかに。ちょっと予想外。そういう
動きである。
とにかくそれは、気持ち悪い動きをした。その机の上の氷を見て、それがなぜだか、あまりにも不思議で、彼は、必死でそれを
繰り返してみた。
いまから考えれば、それは、水の上をすべっていたのかもしれない。いやきっとそうだろう。
しかし、彼にはそれがなぜかわからなかった。
なぜなら彼は、そのころ、氷が溶けると、水になるということを、はっきりとしらなかったからである。
冷蔵庫から、氷をだすものだと、そう理解していたし、
飲み物に入れても溶けるまで見ていなかったのかもしれない。
とにかく彼が、氷が溶けるということを不思議に思ったのは、そのときだった。
その氷の下をよく見ていると、じわっと水が溢れ出しているのだ。
滑った後も水のようなものが尾を引いている。
もちろん彼の興味は、するする動くその氷から、水が出るという不思議な現象へと移った。
彼は、観察した。そして気がついた。氷から水が出るとその分氷が減っているということに。
大発見である。変化しているのだ。そうおもった彼は、もちろんその理由を考えずにはいられなかった。
その変化の理由を考える前に、気になること。それは、氷が水になる。なら逆も変化するのかな?いうこと。
冷蔵庫の前でうろうろしている記憶が、彼の頭の中にあるので、水から氷ができるかどうか、
冷蔵庫をつかって試したのかもしれない。あるいは、本かなにかで、調べたのかもしれない。
とにかく、結果的に、彼は、水が氷に変化する事実も、知ることになった。
ここで、この話の流れとは関係ないが、後から重要になってくるので、この文章は覚えておいてほしい。
冷蔵庫。これはすでに存在していた。そして彼も使っていたということ。では、話をもどす。
これで、わかったのは、冷やせば水は氷になり、氷は、時間がたつと、水になるということ。
そこで、彼は、身近なもので、これが説明できないか探してみた。
その科学雑誌には、もちろん磁石というものが、載ってあったし、
磁石のペンとサテツをつかった、ホワイトボードに、落書きをして遊ぶおもちゃでも遊んでいた。
そんな彼がまっさきにおもいあたったのは、磁石の性質がこれに似ているということである。
彼が注目した、それはくっついたり、はなれたりする性質のことである。
もちろん磁石のような大きさをもつものではなく、彼の頭の中では、すでにそれが、非常に小さいという仮定のもとで
考えを進めているのはいうまでもない。磁石のような性質をもつ目に見えないほど小さなものが集まってできている。
そう彼は考えたのだ。とりあえず手で触れるものが、磁石だったので、彼はこれでいろいろと試したのだ。
磁石で、液体のようなものをつくることを考えると、それはきっと、磁石がばらばらな状態を想像する。
固体のようなものだと、それは、磁石をいくつか固めたような状態を想像する。
だからいろいろとくっつけてみた。角度や方向を変えたり、間に何か、はさんでみたりもした。
磁石は、NとSがあり、2つの棒磁石を、くっつけても、やはり両端に、NとSがひとつずつのこる。
それでいくつかくっつけてみたすえに、彼は、思いついた、円にしてしまおう。
それならNとSは、少なくとも、あまらない。
円にして彼は、また考えた、これでは、ただの円だ。
もっと固体っぽくならないとだめだ。氷の塊は、円には、見えない。
それなら、円と円をつなげればどうだろう?
円と円を縦と横につなげていく。知恵の輪をかみ合わせるように。
これを繰り返すと、一方向に長い、円の輪が交互に重なった束ができる。ちょうど運動会とかで、運動会と書いた看板にくっつける
折り紙のわっかのたばのように。折り紙は、好きだったから、こういうものもよく作っていたし、
普通に、この発想が出てきた。
さらに、固体っぽくするには、それを何本も重ねて、さらに、その円同士を円でつなげていく。
縦向きの円同士は、横向きの円でつなぎ、横向きの円同士は、縦向きの円でつなぐ。
これで平面状に、円の束がならぶ、高さ方向にも、おなじことを繰り返せば、立体の出来上がりである。
この磁石の束を、何らかの力でバラバラにしても、元に戻すこともできそうだ。そう考えた。
何らかの力とは、熱エネルギーなどのことである。熱を吸収すると、わっかをひきちぎってでも
お互いに、離れようとする。もちろん、このころの彼には、それが熱エネルギーだとは理解できていない。
あるいは、ぼんやりと理解していたかもしれない。とにかくひきちぎろうとする力であった。
元に戻すときは、その熱エネルギーを失った状態になったとき、自然にもどろうとすればよいのだから、
戻るその先が、本当の自然な形。つまりエネルギー的に安定していればよい。
そう考えると、釘などが、磁石で、磁性をおびるのも説明がついた。
釘を拡大してみたとき、このような円で構成されているとする。
この際、円が、常に、同じ大きさであるとすると、
円上には、磁石と同じような、2つの極が、決まった数だけ、交互に並んでいる。この数は物質によって違うと仮定する。
釘を構成する円は、すべて同じ円だということである。
磁石のN極が鉄釘に、下から近づくと、磁石側に、一番近い円の一番近い場所に、N極の反対側、仮に−極とする。これがN極に引かれて
円が少しだけ回転する。このとき、この円の向きをさきほど表現していたところの横向きと仮定しておく。
さらに、その回転によって、N極に近づいた−極から、円の半円分すすんだところに+極がやってくるとすれば、
その+極に引っ張られることで、すぐその上にある横向きになっている円は、その−極が、下にくるように、少しだけ回転する。
これを繰り返すと、釘を構成する物体が、同じ大きさの円で構成されているなら、近づけたN極に、釘の中の+−がそろわされることで、
下から上に−+−+−+−+−+−+と並んでいるように見える。これは、時間的に、放置すると、この状態が崩れる可能性があるが、
それ自体が、磁石と同じ性質をもつ、つまり、一時的に磁性をおびることになる。
磁石は、この状態のまま、回転しないようになった固体と考えられる。つまり、わっかが釘などより小さいと推測される。
ただし、この話では、円状に並ぶ、−+の数が問題となる。おそらく円の大きさと+−粒子の個数の組み合わせで、円の下がちょうど−になったときに
円の上が+になる固体は、磁性をおびるし、そうでないものや、それからすこしずれたりするものは、あるていど弱い磁性ないしは、
磁性を帯びないことになる。あるいは、回転しないものも磁性を帯びないといえる。
ただ、回転しないものは、液体などの状態で、ひきちぎっておいてから、その+−をそろえてから固めると
磁石のようになる可能性がないとはいえない。
これがこのときの彼の発想であり、彼が、納得するには、十分な結論であった。
もちろんその原因を書いた本など、彼の目の届く範囲にはなかったため、本当かどうか確かめようもなかったのだ。
そして、その後、学校に通ううちに、冬がだんだん寒くなり、この小学校を、転校するまでに二度ほど、雪が降るのを見た。
もちろん、その雪は、ぱらぱらっと降り、地面に落ちてはすぐに溶けて消えてしまうようなものだった。
だが、彼には、それが本当にうれしいものに感じた。話に聞いていた雪。それが本当に目の前に現れたからだ。
雪をもっとみたい。その願いがかなったのだろうか?彼は、すぐに遠くの学校に転校した。
その先で、雪はいやというほど、彼の生活を凍えるようなものにした。ただ、学校に通ったりするとき、以外
遊んでいるときの雪は、非常に楽しいものだった。しかし、その地方に今も住んでいるのだが、
雪は、ほとんど見なくなった。冬の間、降り積もっていたその雪は、今は、ほとんど降らない。
地球温暖化のせいだといっているが、冬の寒さは、あまりそのときから比べて、かわっているようには、思えない。
ただ、風景から雪が消えただけのように感じる。
ここまでで、この記憶のかけらは終わり。
これに次の記憶が、足されることが重要になるのだが、このときの彼は、それに気づいていない。
---6つ目の記憶 11才---
「永久機関ってどうやれば存在するのだろうか。」
「月や夜空の星ってきれいだけどあの表面はどうなっているのか。」
「傷ついた人の体をどうすればもとにもどしてあげられるだろうか。」
「ロボットを使って、工場で生産させれば、どうなるだろうか。」
「ゲームやテレビで遊ぶことが主体になると勉強がおろそかになる。これをどうすれば解決できるか?」
彼は、小学生3年生のときに、引越しをして、転校している。そのおかげか、なかなかその風土になじめず、
よくいじめられた。とにかく上級生などからは、登下校中、よくおいまわされたのである。
しかも、雪が降り積もる地域だったので、足が凍え、手もかじかんで、うまく逃げられない。
ちなみに、いじめられた理由は、あまりたいしたことではない。なぜか目をつけられるのだ。なまいきだとかそういうことであろう。
たしかに人を見下したような性格は、あったかもしれないが、見知らぬ上級生においまわされるのは、さすがに不自然だった。
それも、小学生なのに、身長が170cm近くもあるようなおおきいものばかりである。
中には、同じ年で、つまり小学3年生で170cm近くというありえない身長のものもいた。
彼は、背が最も低いほうであるのだから、だいたい普通の小学生の中でも小さいほうの彼が、
小学生とはいえ、このありえないほど大きなものに追い回される日々を想像してみるとよいだろう。
とにかく目があうと殴られるのである。学校がきらいにならないはずがない。
学校に着くと、さらにわるい状況もあった。上級生が仲間を呼んで襲いにくることもあった。
なぜかその上級生の顔ときたら、極悪犯罪者のように、とても小学生とは思えないような、顔つきであった。
すくなくとも彼にはそうみえた。
毎日、いじめを受けるものだから、またどこにも逃げ場もないものだから、相当に苦しかった。
これについて、また後でかける機会があれば書いてもよいが、実は、別の小説に書いている。ただ筆者としてログインする
パスワードを忘れ、さらには、メールアドレスも変えていたので、続きを書くことも書き直すこともできない。
「いじめについて」という題であるからもしよかったら見てほしい。
ちなみにその文章は全部真実である。ただし、一部分、一番書くべきところが、ところどころ書かれていない。
その文章がなぜ、途中でしりつぼみになっているかも、この文章を読んでいけばわかるはずである。
それには原因があったのだ。そうせざるおえない原因が。
とにかく、その話は別でするとして、ここでは、このとき、とにかく、普段の学校生活が、その故郷から離れてのもので
毎日が苦しく、いじめられる日々であったということだ。
だからこそ、夏休みは、本当に待ち遠しく、どきどきするようなものだった。
彼は、このあと、中学生のあるときに、夏休み、あの家のちかくの公園で、世界をひっくりかえすような体験をしている。
そのある時点の前後で、もしかすると世界は、とんでもなく変化しているかもしれない。
ただ、その時点がくるまでの夏休みは、楽しいものだった。
しかし、ときおり、その夏休みで、考え事をしていた。彼のその発想が、この世界をかえるような時点を、
やってこさせたのかもしれない。
夏休みが始まると、まず、彼は宿題を全部終わらせにかかる。これが終わらないと自由に行動できないからだ。
だがしかし、あらゆる手を使いこなす彼の前に、宿題などほとんど意味はなくあっというまにおわるのである。
まず、読書をしていないのに、その本のあとがきから、内容を推測し、感想文を仕上げる。
日記は、すべてありそうなことでうめておく。ただし天候など、先生たちのチェックのはいりそうなところは、
あとで一気に埋める。そして、夏休みの工作。これは、祖父に手伝ってもらって強引に終わらせる。
観察ものなどは、とりあえず埋められるところだけ全部埋めておいて、あとで必要なところを徐々に足していく方法だ。
ドリル系のものは、とにかく力技。問題を解いて解いて解きまくる。夏休み。その魅惑的な響きのことを想像するだけで
無理やりにでも力は出てきた。いつもいじめられている分、その力もつかってやろう。
いじめから逃げられるそういう思いが強かったのだろう。
夏休みはすごく楽しみだったのだ。また、引っ越してしまった故郷がどうなっているかを見に行くと
いう意味でも楽しかったのである。今、そこがもっとも問題な場所なわけだが。
なにが問題かその記憶のかけらから書いていく。どのかけらも重要である。
まず、一つ目、永久機関という言葉を、聴いたことがあるだろうか?
要するに、永久に仕事をし続けられる。そういう人間にとって、非常に便利であり、社会を壊してしまう
威力のあるものである。なぜなら仕事をしなくてすむということは、お金をかせぐという概念にとっては
非常にまずいからである。となれば今の社会はなくなってしまう事だって考えられる。
ただ、このように思う前に、その絵は、彼の前に現れた。
あの部屋で、本をめくっているときである。
「次の問題を考えよう。」そんな文句で紹介された一枚の絵には、
水が流れている川があって、その川は、一番下と上がつながっているのである。
つまり、下まで流れる間に、滑車を回した水が、上まで流れ、また下まで流れてくるうちに仕事をする
というものである。これは、高いところから低いところに、水が流れることで、仕事をするのはわかるが、
低いところから高いところに水をあげるためにも仕事が必要であると普通なら考えるだろう。
そうこの絵を見れば、誰だって、そう考えるのだ。
これを覚えておいてほしい。
そのほかにもこの部屋で、このとき、思いついたこと、経験したことを羅列していく。
二つ目。
子供の頃、お月見という言葉を始めて聞いてから、月にはウサギがすんでいるということを知った。
それ以来、月の表面がみたくて、うずうずしていたら、あるクリスマスのときに、プレゼントとして、
望遠鏡をもらった。それで、ずっと月をながめたりしていたが、
その望遠鏡に映るのは、表面がぼこぼこである月だった。うさぎなど、どこにもいなくてがっかりした。
月までいけたらとブランコをこぎながら、さかさまに月を眺めていたのも事実である。
この願いは、なんと本当にかなってしまう。ただそれが夢なのか現実なのかわからない。
これは、何度目かの夏休みのある晩のことである。11才ではなく、おそらく
13才のときではないかと考える。
彼は、その故郷の家にいる間、寝る場所は、2階の大きな窓のある部屋と決めていた。
その窓を開けると、あの公園が見えるのだ。
その日も同じ部屋で寝ていた。窓と障子をしめているだけで、雨戸を開けていたため、
障子越しに、公園の電灯の光が見えていた。
トイレに行こうと思い、おきると、障子からもれている光が強くなっていた。
というよりか金色に見える。
おかしいと思い、障子を開けたところから、記憶が飛んでいる。
次に目が覚めたときは、布団に入っていた。
しかし、この飛んでいる記憶が、これではないかというピースをいくつか発見した。
それらはどこともつながっていない記憶のかけらなのである。
彼は、夜。なぜかパジャマ姿のまま、あの公園への坂道を登っている。
そして、公園の先で何かを見た瞬間、また記憶が飛んでいる。
別の記憶。宇宙空間のようなところに、非常に未来的な設備のある施設のような建物が建っており、
その中に彼がいる。そして、多くの研究者のような服を着た大人から、こういわれいてる。
「あの子がその子なの?」
彼は、なじめないその空間に、あるいは、そのみしらぬ大人たちに警戒気味である。
また、別の記憶。その施設の中に、技術設計装置のようなものがあり、その装置についている
簡単なボタンの組み合わせで、いろんな技術を見れる。それらは、彼の住む時代にはないものばかりである。
それを自由にしてよいといわれ、技術を見ては遊んでいた。
これらのばらばらな記憶は、この順番にならぶのではないか?
つまり、あの晩、あけた障子の先で、何かを見つけ、それが気になって、確かめようと、
公園へのがけを登った。パジャマ姿で行くくらいだからよほど、おかしなものだったのだろう。
急いで駆け上ったその先で、何かをたしかめ、その瞬間、その何かで、宇宙空間の施設に飛んだことになる。
そして、その施設で、見たこともない装置を使い、今の世界にはない、さまざまな技術を見て、遊び、
記憶を消されて、帰ってきたのではないか。これならひとつにつながる。
たしかにそういう技術を見てしまったらなんとなくその記憶は消されなければならないとしてもおかしくはない。
その晩はおそらく、満月の晩で、月明かりの強い日だったのかもしれない。でも、そんな光ではなかった。
もっと明るいものだった。だからだろうか、いま満月を探している。必死で戻りたいとそう願っている。
その場所は私にとって、彼にとって、帰るべき場所なのかもしれない。
三っつめのかけら。
これもあの部屋で起こったこと、テレビを見ていたら、急にテレビが話しかけてきた気がする。
「傷ついた人の体をどうすればもとにもどしてあげられるだろうか。」
たしかこのようなことを聞かれた気がするのだ。
その質問に、彼は、悩むこともなく、こう答えた。
その人と同じからだをもう一体作り、そのもう一体から、正常な部分を、傷ついた人に、移せばよい。
今のクローン技術を思い浮かべてほしい。
あれのオリジナルコードである。しかし、彼が、未来で発想する考え方は、ここから少し進化したものである。
四っつめのかけら。
これもテレビを見ていたら、聞かれたことが元になっていたと思う。
「工場では、怠ける人とまじめにやる人で、人によって生産性が違う。どうすればいいか?」
彼の答えはこう。
ロボットを使って、工場で生産すればよい。新しい商品が出てもすぐに対応できる。
このあと、数年して、彼の元にまた、あのテレビから、質問が届くのだが、それは、あの奇妙な体験の晩の後であり、
記憶があやふやで、彼は、何をどう聞かれているのかわからなかったが、
この質問と彼のこの答えが、つながっている。
その質問とはこう。
「会社から人が辞めさせられるけど、やめさせないようにするには、どうすればいいか?」
彼の答えはこう。
下に小さな会社を作って、大きな会社の下につけ、そこで雇う。
これが、今の派遣会社のオリジナルコードである。
実際に、ことのよしあしをおいておけば、このとおりになっているのだ。
つまり、徐々に、人は、ロボットに置き換えられているのである。
そしてその二つ目の質問が、なぜされたのかをわからずに答えたのも彼なのである。
しかし、正確には、知っていた。そうとも考えられる。これは、また後で説明するが、
記憶がなくても、意識がなくても、人は、無意識の中で思考し、答えをつむげる方法があるのだ。
私は、その無意識の中で思考している人のことを、ゆきちゃんと呼んでいる。
ゆきちゃんは、おそらく13歳くらいの状態でとまっている彼の人格である。
そして、私や彼に、たまに、思考の答えを、ひらめきという形で、教えてくれる人でもある。
ゆきちゃんだけは、すべてを知っていて、覚えていて、その上で、判断しているのであろう。
そして、感情コードをあやつることで、私や彼を突き動かし、うまく導いてくれるのもまちがいなくこの人である。
ただ、思考については、私など及びもしないのだろうが、子供だということなので、時々不安になる。
感情が、非常に起伏の激しい子なのである。
どれくらいかというと、彼が幼い頃、しりもちをついたという怒りの気持ちを抑えきれずに、大きな窓ガラスを蹴破り、
足に、ガラスが、無数にささって、血まみれになったことがある。それくらい血が頭に上りやすいのである。
と、このように書くと生活について、心配になるのは当然で、
先に未来について少しだけ書いておく。後の章で詳しく説明する予定である。
この後、未来で彼が書いたコードではこうなっている。このあと、置き換えられた人がどうなるか?
先に書いておくと、農業をする。といっても、現在の農業だけではなく、エネルギーのための農業でもある。
電力をつくることになるのだ。そして、生活を確保し、その上で、よりお金を稼ぐために、
派遣にでることもあるという社会設計である。基本的に派遣に出るのは自由で、余分に使えるお金を稼ぎたいときに
自分が会社を選ぶという感じであるから、会社が人材を選んでいる今とは逆になる。そしてそれだと、だれも派遣をしてくれないと困ることもある
だから、生活には関係ない、余分なお金を使いたいと思う。その引力として、コンテンツ産業を、今よりもずっとさかんにするということ。
簡単に書けば、このような出だしになる。コンテンツ産業というのは、アニメやテレビ、ゲームやスポーツ、他の文化的なものも含めて、
さまざまな精神活動的な生産職種のことをさしている。
ロボット以外にもたくさんの技術が出てくる予定なので、電力がずいぶん今以上に必要なのである。
もちろん省電力化はすすめていくことになっているが、それでは、追いつかない。
農業も、ロボット化しているため、一日数時間の労働となる予定である。
だが、上の永久機関があれば、一気に、この社会構造も消し飛んでしまうのである。
いや、彼が、発想したものが、すべてそろうと、そのとき、世界構造は、まったく意味をなさない。それくらいの
威力なのである。ただしかし、その意味を成さない状態において、たどりつく解が、最終解というわけである。
コンテンツ産業というのは、この最終解でもその形とは少し異なるが、同じ職種が多くなる。
といっても、そのときに、仕事という形のものではなくなる。むしろよりよいサービスを有利に受けるには、
自分もコンテンツを作ることで、参加するほうがよい。という流れである。あとは、何をやっているかというと、
コンテンツの中のロールプレイである。まるでゲームのような話に聞こえるかもしれないが、
ずっと現実的な話になるので、それは最終解の章を読んでほしい。
五つ目のかけら。
これも同じである。やはりテレビを見ていてこう聞かれた。
「ゲームやテレビで遊ぶことが主体になると勉強がおろそかになる。これをどうすれば解決できるか?」
それに、彼はこう答えた。
子供が、勉強をしっかりすると、ポイントがたまり、商店街やお店で、より楽しいゲームが買えたり、
テレビがそのぶん楽しめるようになればよい。
これは、のちに彼が思いつく「教育ポイント」という考え方であり、おそらく、このあと
世界は、そのように変化するであろう。ただ、教育で教える内容がウソをかなり含んでおり
検討中でもある。最終解でも、やはりこれに似た仕組みは入れたほうがよいと思われる。
このとき、彼が、この部屋で、目にしたもの。聞いたものから、生まれたこれらの発想は、
ほかの章につながるものである。そして、私が、この文章を書く、ほんの少し前の彼が書いた、
これらの発想のつながりが生む、新たな発想は、現在、世界を書き換えているし、
同時に過去も書きかえている。
ただしかし、これもまた、発想させられてしまっている部分も多く含まれている。
それでも、その発想以外のどのような進化を人が選択しても、私が最終解と呼んでいる
その解にたどり着く道が違うだけで、世界は、かならずその形になるしかない。
そしてそれには、数百年かかる可能性があるし、すぐにたどり着けるかもしれない。
最終解にたどりついたとき、意識をもつものすべてが、平等で、楽しく、
努力が正当に評価される社会であることが、オリジナルコードの目標である。
すべては、彼ではなく、誰かの作った、ひとつのウソから始まったことなのだが、
世界がそのとき、このウソを知らない人から許されるとは、決して思えない。
そしてこの文章は、知らない人に、許しをこうために書いているわけではない。
苦しいこの絶望的な状態への個人的な復讐ともよべるものなのだ。
この場所から抜け出したいという願いかもしれない。
したがって、この最終解にたどり着く方法とその道筋も含めて、つまり、ここ数百年単位の未来を、
この文章に書き記すのは、自分が何者かに救いを求めているそのような行為といえる。
復讐と救いを求める行為は、私にとって同義である。
そうせざるおえないくらい追い詰められているといったほうが正しい。
しかし、ゆきちゃんは、彼や私に、こういうのだ。それであっていると。
どうも、この文章が世界に広がるのが正しいことなのかもれ知れない。
はっきりとはわからないから不安ではあるが。
とりあえず、未来の話は、後の章にまわして、ここでは、この前の章のかけらである、
「固体って溶かせばぬるぬるになるのに、ひやすと固まるのはなぜか?」
と、先の「永久機関ってどうやれば存在するのだろうか。」が、どのようにつながるのか見てほしい。
上から、誰かに、書き足されることで、何を生み出したか?ということである。
以下の話は、現在の私が、推測したものである。
まず、彼が発想した頃とは、明らかに違う要素がある。それは、物体の液体と固体の状態変化のほかに、
液体と気体の状態変化。それ以外にも、化学変化、あるいは、それを利用した電池や電磁力などの存在。
さらには、電気というものが存在する。
もちろん彼は、子供の頃から、冷蔵庫を使っていた。つまり、電気は、すでにあったのだ。
だがしかし、その違和感を抑えたまま、読んでいってほしい。
彼の子供の頃にした発想のままだと、とてもこれ全部を説明できない。そこで、私は、ある程度書き直して
追加した。
まず、+と−の要素は、それぞれ、先の説明と同じく、N極、S極と同じものとする。次に、彼の発想では、
固体状態だと、わっかが交互につながっており、液体では、わっかはなく、棒状のようなものになっていたが、
私の推論だと、
固体は、彼と同じで、わっかが交互につながっている。
液体では、そのわっかが、ばらばらになっている。
気体では、そのわっかに、運動エネルギーが追加されており、そのわっかは、飛び回っている。
さらに、彼の言っていた、わっかを引きちぎろうとするエネルギーとは、この運動エネルギー
いいかえれば、粒子の熱エネルギーでもある。
ただし、わっかが引きちぎられるのではなく、一時的に、わっかの間に隙間ができることで、わっかどうしが、
外れる可能性が高まるというだけである。
わっか同士の間に隙間ができても、彼の言っている閉曲線内であれば、磁力と同じく、+−の向きさへあっていれば、
引力でわっかにもどるというわけである。
熱エネルギーを加えた状態、つまり液体などでも温めてからだと、わっかの間に隙間ができていて、
その状態で、密度を高めてやれば、あるいは、わっか同士、近づけてやれば、
わっかの中にわっかが入る可能性が高くなり、この状態で、冷やされると、わっかが
交互に、縦横にくっつき、固体に戻る。
そして、物体ごとに、わっかの大きさが決まっているという彼の発想などはそのままで、
このわっかの大きさで、わっかに隙間をつくるのに、必要な熱エネルギーなどが変化すると想像できる。
さらに、そのわっかが、固体から液体になるのには、そのわっかの構造を考慮に入れれば、その溶けるときの
温度が推測できる。
つまり、いくつのわっかが、ひとつのわっかに、どのような向きで、入り込んでいるか?ということである。
またそのときの、わっかの向き、先に述べた粒子の+−の向きであるが、これがそろっているかどうか?
あるいは、交互に入っていたりするのか、あるいはもっと変則的なはいりかたになるかは、
物質ごとに、つまりそのわっかの大きさごとに確率的に決まる。
要するに、釘では、ひとつのわっかに入るわっかの向きが、確率的に、ほぼ一定で、
その向きは、中に入るわっかの粒子の−+の向きを、左手の親指以外の指先の向きに、
合わせたときの親指の向きが、外のわっかの粒子の−+の向きに一致する。
これを左ねじに習い、左ねじと呼ぶことにする。
それは、外にあるわっかが、中のわっかの粒子の−+の向きに対して、左ねじがすすむ向きに、
入るということである。電気を通し、あるいは、磁性を持つものは、
高確率で、この性質をもつといえる。
なぜ左ねじでないとだめなのかは後に説明するが、そうでないと右ねじの法則や、そこからでる他の
電磁気学の説明がつかないためである。
一方、化学変化とは、AというわっかとBというわっかが、熱エネルギーをもち、わっかが、お互いに
離れようとしている状態で、CというわっかとDというわっかに変化することであると説明できる。
たとえば、20個の(+−)で、できたわっかを、A、14個の(+−)でできたわっかを、Bとしたとき、
これらのわっかの反応性を熱で高めたあとに、近づけてやると、よりエネルギー的に安定した状態であるところの
12個の(+−)でできたわっかCと22個の(+−)でできたわっかのDに、わっかそのものが変化するということである。
あるいは、化学変化として、もうひとつパターンが考えられる。
今A、B、C、Dを、それぞれ違う粒子の数をもつわっかとすると、
AとB、CとDが互いに、固体状態で、わっかを交互に、くっつき合わせて
ひとつの物体を作っているとする。
熱エネルギーを加えて化学反応性を高めたり、このA+B、C+Dのわっかの反応性がもともと高い組み合わせである場合、
これらは、化学反応を起こして、A+C、B+Dのわっかになるというものである。
つまり、2種類の物質A+Bのわっか、C+Dのわっかから、A+CのわっかとB+Dのわっかができたというものである。
これに、先ほどの推測を足すと、それらのわっかのつながりかたに、確率的に高い組み合わせがあり、
それによって、融解温度や他の化学的性質が変化するということである。化学変化によって、別の性質をもつ
物質が出来上がるのはこのためである。
前者のパターンは、原子崩壊となずけているものだと推測され、
後者のパターンは、化学反応と呼んでいるものと考えられる。
さらに、電気がながれる状態と、磁石を近づけたときの釘の中のわっかの回転は、実は同じことであると説明がつく。
電気の流れる可能性のある金属などで、釘のときと同じような回転が、おこったとき、
回路に、+−の閉曲線ができ、これを電気が流れた状態としているのである。
ただし、+−が向きをそろえても、ある程度、距離が近くないと、閉曲線にはならないという性質が必要である。
これは、ななめにそろうとどうなるのかといったことを考えると、一番近いわっかの、一番近い粒子の+−だけ
考えないと話にあわないので、このように考える。
そして、この距離は、くっついている、粒子の数に比例して大きくなる。
たとえば、磁石は、そのくっついているように見える、粒子の数が、磁石の大きさだけあるのだから、
その分、遠くまで引力がはたらくのである。いいかえれば、その閉曲線ができるときの距離も長いということ。
地球の磁性も、N極とS極のその間の距離が、非常に長いため、閉曲線が、とどく距離もそれだけ長いのである。
逆に、これは、粒子であれば、非常に範囲の狭いものであっても不自然ではない。
ちなみに、この閉曲線ができあがる可能性のある範囲内に、+−粒子が入った際、あるいは、
回転して磁性をもつものが、はいった際に、引力か斥力の力がはたらくということである。
ちなみに、磁石の性質から考えると、閉曲線とは、わっかの形だけでもないことが推測できる。
磁石に釘をくっつけると、その閉曲線は、必ずしも円にはならない。というよりも釘の形分、まっすぐになる
ため、円というよりは、いびつになる。
ただ、粒子の大きさが、十分に小さいと、円の形になる可能性が高いというだけである。
次の推論がもっとも重要である。
というのも、そのまま、明るみに出ると、経済状態をひっくり返してしまうようなものだからである。
つまり、上で言っていた、永久機関になりうる力である。
では、この話とどのようにつながるのか?
すべての物質が、この+−の粒子を、わっか状につないだ形で成り立っているのならば、
電気を通している電線もそうであるはずである。
そして、電気が流れているというのは、どのような状態か?
磁石で、釘が磁性を帯びている仕組みとまったく同じなのである。
閉曲線を描いているのだ。当然、中のわっかの向きは、すべて−+−+−+−+とそろっているように見える。
そうなると、理解できる。この力が、無限にわいてくるものであることが。
つまり、磁石の力がなくならないように、この電力を無限に使える状態にすることが可能なのである。
それが、超伝導。ひやせば可能ということであるが、実は、物体によっては、磁石のように、
常温でもそれが可能である物体は存在している。
いいかえれば、電気が、使い放題ということである。
これで、この事実がなぜ隠されていたか伝わったと思う。
私の発想のまま、世の中に出ていたら、社会構造がなくなるからである。
人が生きていられなくなるかもしれない。
だから、おそれ隠したのである。本人である発想者の記憶を消してまで。
そして、その決定を誘導した。
それが、あの記憶のかけら、永久機関のうそっぽい絵であったのだ。
そして、あの絵を見て、永久機関は存在しない。と思ってしまったことが、
ことの始まりなのかもしれない。いや、あの絵は、そう思わせるために
書かれている。なぜなら、そのときすでに、電力会社というものがあったし、
あの絵では、誰でもそう思う。
しかし、ここに書くべきは、そうなるということを、恐れた人たちに、
隠そうと言い出したものが、実はそれを利用して、自分だけ
おおもうけしようとたくらんでいた可能性があるということである。
あるいは、もっと大きな力に利用されていたかである。
では、私や彼、あるいは、ゆきちゃんなら、それが明るみに出ても
社会構造を、発想できたか?人は生活できるか?この答えは、可能である。
最終解とは、そのようなものである。
では、なぜ社会がこのようになるまで、ウソを作り上げることになったか?
彼が記憶を消されていたこと、そして、永久機関のウソっぽい絵を見せられたことが原因である。
つまり、誰かの手によって、社会は、その方向性を間違えさせられたことがわかる。
話を戻すが、右ねじの法則などが、残っていると思う。右ねじの法則とは、
右手の親指を、電流の流れる方向にむけたとき、右手の他の指が、向いている方向と
S→Nの向きが一致するように、方位磁石が、わっか状に並ぶということである。
これは左ねじに似ているが、向きが逆になっている。
今、方位磁石の向きとは、Nが指す方向、つまり、磁石の針上では、S→Nの向きであるから、
これは、−→+の向きと一致する。そうなると、問題は、電流の向きのほうである。
これは、電子の流れは、電流の流れとは逆であると学校で習ったと思うが、
その電子の流れのほうが、もともとの粒子の向きで、−→+だと思えば、右ねじの法則は、左ねじになる。
つまり、わざわざ、磁石と並べたときにわかりにくいように、逆にしているのである。
次に、フレミングの左手の法則もこれで同じように、説明がつく。
電流が、流れる方向と、磁界の向き、
今、先の考え方から、磁界の向きはそのまま、ただし、粒子の中で見るとS→Nという向きは、
閉曲線としてみれば、N→Sの向きとなる。つまり、磁界の向きN→Sと磁石の粒子の向きS→Nは
同じ向きをさすという意味である。回路につながった、電池を想像すればわかりやすい。
次に、電流の向きは、さきほどと同じように逆向きにすると、その向きにあわせて、左ねじをつかうとき、
そこに閉曲線つまり、わっか状の力場のようなものが発生している。
銅線を中心として、円状なのだから、当然、銅線の上下、左右でちょうど反対の方向となる力場である。
これに、もとからあった磁界の方向の力場を足しこむと、力場にずい分差ができることがわかる。
実際には、電流の流れに対して、フレミングの左手の法則をつかって、銅線に働く力の向きを、考えたとき、
銅線から見て、その力の向きの側の力場の量と、逆側の力場の量では、その足しこんだ分の力場の量のおかげで、
差ができていることがわかるだろう。磁界の向きといっているものは一方向で、それに対して、互いに逆向きの
力場を足しこむのだから、差ができて当然である。片方は、足したことになるが、片方は、方向が逆で
引いたことになるのだ。
つまり、力が発生しているというよりは、足しこんだときの力場の量に差ができるため、密度の大きい力場側から
小さい力場側に、銅線が移動するといったほうが正しいのである。
電流を強くすると力が大きくなるというのは、電流の流れる量というものを、銅線の中の粒子の向きが、閉曲線上に
そろった本数と見れば、この本数がふえれば増えるほど、まわりの電界とよんでいるところのその力場も
増えるのは、先の発想で説明がつく。もし仮に、最大電流を流した状態で、銅線の粒子内で、
これ以上、閉曲線をつくれないという限界まで回転をそろえてやり、銅線を、十分に冷やしてやると、
電流は流れ続けるというか、回転が固定され、まわりの力場は、永遠に発生し続けるという現象がみられるはずである。
右手の法則とよばれるものもほぼ同じ説明である。
ただ、少しウソが混ざっている。それは、最初に銅線を回路状に置いたとき、すでに
磁界が、回路の中を垂直に、通っているなら、その状態ですでに、電流は流れている。
速度vで動かしたから、電流が流れるというのはウソである。
正しくは、おいたときの起電力を0Vとすると、そこから速度vで動かしたときに、閉曲線内を通る磁束が増えた
本数に、比例して、そこから起電力が誘起されるというものである。
次に、電池の仕組みであるが、
たとえば、ボルタ電池とは、正極に亜鉛、負極に銅、電解液に希硫酸を使った電池であるが、
亜鉛と銅のイオン化傾向の違いにより、引き起こされる起電力だと説明がある。
イオン化傾向とは、どちらが、電解液に溶け出しやすいかというのを指標にしたものである。
本当に、このようなものがあるだろうか?もし本当に、これが正しいのなら、それは、まるで新たな力の発見となるであろう。
なぜなら、この溶け出しやすさに、2物体間の距離が関係ないのだとすると、硫酸がつながっていれば、銅版と亜鉛板が、仮に
1000km離れるように、希硫酸の中に入っていても、かならず、亜鉛版がとけだすことになる。そうすると、
お互いが入っているということは、どうやって伝わるのだろうか?伝わる仕組みがあるはずである。当然伝わる速さが存在しなければならない。
でも、そうなると伝わるまでは、溶け出さないのだろうか?では、仮に、伝わるまでに別の金属を追加すれば、溶け出す時間は、また
のびるのだろうか?それなら追加し続ける限り、溶け出さないことになり、不自然である。
となると、伝わる速度は、無限ということになる。がしかし、そうであるならば、工夫次第で、信号伝送速度を、光の速度以上に
もって行ってやることができる。これを応用すれば、今までの技術など意味がなくなるほどの大発見である。
となるとこれも不自然である。であれば、最初の仮定である、距離に関係ない。これをひっくり返そう。
距離に関係あるとする。となると、もっと問題が出る。希硫酸の水槽の大きさによっては、どちらも溶け出してしまうということである。
当然、二つの板の間の距離を少し変えただけでも、起電力は変化するというのが正しくなる。
ところが、公式を見る限り、2極間の距離は、項にはいっていない。
となると、この公式が、不完全なのであろうか?
だがしかし、今度、これに距離の関係をつけるのなら、もっとおかしくなる。
最初、両方が、溶け出し、互いの溶液の付近で、相手の金属が溶けている状態でないと、
溶ける溶けないを判定することができない。十分に距離が離れているなら、距離が関係するのだから、
影響しないということがいえるからだ。こうなると、
互いの粒子でいっぱいになった溶液の状態でしか、イオン化傾向が現れることはないということである。
つまり、これ以上溶けないという状態に近づいて初めて、イオン化傾向があらわれるというのならまだ理解できたのである。
だがしかし、いきなり溶け出すときにそれが決まるというのは、ウソとしてもいただけない。
それが、十分にミクロな世界であるなら、まだ説明もついたかもしれない。しかし、十分目に見える範囲である。
それともこれには、距離が関係ないのだろうか?もっと悪い。ゆきちゃんならこんなものからどんなものを
発想するか?考えただけでも恐ろしい。
では、イオン化傾向が、ウソなら、本当はなんなのか?
最初から、溶け出すのは、亜鉛と決まっているということ。
つまり、希硫酸と銅は、化学反応を起こさない組み合わせであるということである。
とするなら、正しくは、イオン化傾向の差を利用したのではなく、化学反応性を利用したもの
という説明が正しくなる。
モデルは以下のとおり。
亜鉛と希硫酸が化学反応することにより、
亜鉛のわっかが、亜鉛板から引き離されていく。
このとき、引き離そうとする、力によって、横方向が打ち消しあい、
縦方向、つまり、板の下から、亜鉛のわっかが、回転でそろっていくのである。
なんども引き離されようとするうちに、回転がそろい、その方向の物体の閉曲線の一部を完成してしまう。
その回転をそろえる力、つまり、化学反応で引き離そうとする力が、起電力となるのである。
一方、水素は、わっかとしてすでに、銅版の付近にも亜鉛版の付近にもあるのだが、
化学反応が、亜鉛で起こっているため、亜鉛板からは、熱エネルギーをもらえない。
そこで、銅版付近から熱エネルギーをもらい、気体となり、液体から浮上するのである。
銅は、電流が流れると、温度があがりやすいのは、銅線をさわれば、あつくなったりすることでも
理解できる。電流がながれるというのは、わっかがそろうために回転することであるが、
微妙にそろわない物体だと、回転が多くなり熱エネルギーに変換されやすいのである。無駄が多いということである。
だから、無駄を固めたものを、抵抗と呼んでいるに過ぎない。
要するに、最初から電気を通す物体に向いていないものを選んでいるということである。
話を戻すと、単なる状態変化と化学反応の両方が、起こっているというだけである。
このように、私や彼が、そのウソに気づいたとき、相手は、それを今まではない概念で逃げようと
さらにウソをつく傾向がある。
つまり、逃げ場を失った、将棋のこまが、後ろに、将棋の板を足されることによって、またいくらでも
逃げられるようになるというウソのつき方が多いということである。
となると、この文章がひろがりすぎたころ、相手がまた、イオン化傾向の矛盾点を消しこむ
ウソを、今までは見えなかった領域に作成することが考えられる。
そして、その形跡が残っているところほど、崩壊点だったと思われる。
もちろん彼らが書き込むとしても過去に書き込むから、私たちはいままで知らなかったけど、
こういう話があったのであるという流れでくるはずである。こうきたら、私が、彼らを追い詰めている
というサインである。これを何回か繰り返せば、必ず詰まる。どうやっても詰まるように追い詰めればよいのだ。
ただし、それは並大抵のことはではない。なにせ相手は、こちらの記憶を消去したり、
ウソをさも、常識であるように、世の中に広めるほどの力の持ち主である。
なぜこの戦いが絶望的であるか?伝わり始めたのではないだろうか。
ところで、余談だが、人間の体は、磁石にくっつかないのに、電流は流れるという。これはウソのはずである。
答えは流れない。だけど試すのがこわい。ただ、電流が体に流れるとき、全部ピリッとするだけであることが多い。
これの理由は、ほかにあるのだ。それも先の章でまとめて書く。
以上で、この章は終わりである。