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世界の本当の姿



---三つ目の記憶 4才---


「世界はどんな形なのだろうか?」


子供のとき、彼は、よく一人で留守番をしていていた。妹は、なぜかこのころ、彼の近くにはいなかった。


よく覚えていないのだが、このころの彼が、もっとも一緒にすごしたのは、家にあったテレビだった。


このテレビをみていろんなことを学んだ気がする。


その中に、世界は、平たくて、端っこがあり、海は、そこから、下に流れているという図があった。その海に浮かぶ小さな島


その陸地の部分で人が生活していて、その世界の周りを、小さな太陽が回っていた。


そのテレビでみた、海の端では、船がそこまでいくと下に落ちてしまう。


それを見た彼は、夢の中で、自分がその船にのって、暗い底なしの世界に落ちていった。それを繰り返し何度も見る。


そのたびに怖くなって、つい考えてしまったのだ、世界に、端なんてなければいいのにと。


そのとき、「世界は丸い。」という発想を耳にした。こちらが本当なのだろうと思い、ひどく安心したのを覚えている。


このとき、文字通り、「世界は回りだしたのかもしれない。」彼の発想によって。


あるいは、誰かの手によって、彼は、それを、自分が発想したと思い込まされているだけかもしれない。


どちらにしても重要なのは、発想のオリジナルコードを彼が知っているということ。そしてなぜだかそのコードは忘れられていた。


思いつくように、あるいは思い出すように、彼の頭の中に現れたそのオリジナルコードが、世界の本当の姿を映し出す鍵であるというのに。


そしてそれは、あのテレビで見た、レポーターの件をきっかけに、あふれ出るように思い出すのである。


問題はその、発想の時期と、それが世界に反映したように見える時期。それがこのさきのもっとも重要な推論に必要になる。


だから、読む人は、注意して読んでほしい。何が最初にあったかを。彼は、創るもの、創っていると


思い込まされているもの。そのどちらかであるのかを見極めてほしい。このほかに、このときの世界の形に関係する記憶は、次の二つ。


妹か友達だったか覚えていないが、自宅の玄関のあたりで、私の目の前で、バケツに水をいれて、回転して見せるという


遊びをしていたのが印象に残っている。これも重要な鍵。


そしてほかにも印象に残っているのは、この宴会。


この記憶が本当かどうかわからない部分もあるのだが、映像として記憶の中にある。


この家では、父親が、会社の人を連れてきては、宴会を開いていた。だから宴会は、うちの家では、珍しいものではなかった。


ところが、その宴会だけは、印象に残っている。まるでほかの人たちの顔が、これからどこかにいくのだという感じのさびしそうな笑顔だったから


かもしれない。それとも、父の親戚であるという人が、なぜか銃を携帯していたような。そんなとんでもない記憶があるからかもしれない。


といっても、銃がありえないものという今の日本と少し違い、当時の日本では、持っていてもおかしくはないものだった。


猟銃などの発砲音などを、山の猟区に入り込んだときに、実際に耳にすることもあったし、ヤクザは銃をもっているということをテレビで聞きかじっていたり


した彼にとって、それほどに銃が、存在してはならないものというわけでもなかった。


むしろ、銃のおもちゃを持って遊んでいた彼にとって、本物を見たときわくわくしたのを覚えている。


もちろん日本では、銃を所持してはいけないというのは後から知った。


あとで聞いた話だと、ヤクザだとか、人をあやめて、姿をくらましているということだった。すくなくともそれで、銃を持ってはいけない


日本では、幼い彼を、納得させるのに十分な説明だったのだ。


しかし、その説明を耳にしたときに、


思い出してみるべきだった、その銃を所持して、私に見せてくれたその人が、とても人をあやめられるような顔つきではなかったことを。


目でビール瓶のふたをあけるという変な行為で、幼い彼を驚かせて楽しむというその人の発想はまるで、無邪気な大人という感じであった。


あの人が、ヤクザで、ひとを殺せるとは、考えにくい。なのに銃をもってはいけないということを知った後、そのことを親に聞いてみたとき、


親から、そう説明されたときは、ずい分時間がたっていたせいか、記憶が薄れていて、変な感じはしなかった。




そして時は、少し流れて、彼は引越しする。山の上に公園がある高台の小さな住宅街だった。



---三つ目の記憶 6才---


その家のそばには、子供が走って登りあがれるほどの、なだらかな崖というか、岩肌の斜面があり、


そこを登りきったところに、公園があった。もちろん遠回りすれば、普通に歩いて通れる道があるのだが、


彼は、いつもそこに急いでいきたかったらしく、その崖道を走りあがっては上っていた。いつだったか降りるのに失敗して、


その崖道から、滑り落ち、とまれなくて下まで、ひきずられ、


両足を血まみれにしたことを覚えている。それでも彼は、その崖道のほうがよかったらしい。


それくらい、ひとことでいえば、馬鹿だった。


そんな彼が、その公園で、目にしたもの。発想したもの。そして体験したこと。これこそが、忘れていた記憶の中でも


すべての真実を明らかにさせるに、大切なものだと思われる。つまり、この公園が問題なのだ。だから彼は「急いで」いたのかもしれない。


その記憶のかけらの中の世界の姿に関係することだけをとりあえず書いていく。


そこは、公園なので、ブランコと滑り台。ジャングルジムとシーソーなどがあった。どこにでもあるものばかりだと思う。


山側は、森にふさがれていたが、中に獣道があって、子供なら、入っていけるほどの小さなその道を抜けると、30分くらいだったか、


その先は、森の中に平原のようなものがあった。ここで、よくターザンごっこなどをして遊んでいたのを覚えている。


森の中で見る平原は、葉の間から光が差し込んできれいに見えた。


この公園で、彼は、ブランコにのっていたとき、こんな経験をした。ブランコを速くこげば、さかさまになってもまるで


大地にたっているように、感じた。


あるいは、回転させるくらいどっちが高くこげるか競争しようと誰かにもちかけられたかもしれない。


とにかく、そこから見た世界は、当然さかさまであるが、十分普通にたっていられるというか、さかさまなだけでまったく


普通にブランコをしているのと変わらない気がするということであった。当然怖いという気持ちをのぞけばであるが。


これでなぜ私が、思い出したか?わかってもらえたと思う。


そう。これらのことを思い出したとき。世界の姿を、発想する鍵はそろった。


だから答えはこうなる。


まず先の推論から、ブランコの件とバケツの件。これで実は世界が、「円の内側を上向き」として平らで、円周上を、一定速度で進んでいるものだと


私が発想した理由は、明らかである。大地の上に乗っている人は、つまり私たちは、


ブランコする人やバケツの水そのものだからだ。では、のこりの件。これはなにか?


特に、銃をもっていたおじさんが、その宴会を最後にあわなくなったということ。そして、ヤクザだから銃をもっていて、人を殺して姿をくらましているという


嘘っぽい話で、誤魔化さなければならなかったその記憶。では、「なぜ誤魔化されなければならなかった」のか?


銃を見せられたとき、とりわけ周りの大人が驚いていた記憶はない。


自分の子供に見せらせても止めもしないで笑っていた。もしかすると、


そのころ日本では、銃を所持していてはいけないというルールがなかったのではないか?


もしあるのなら、年端もいかない自分の子供がそれに、近づくのを止めているだろう。あまつさへ


それを子供が、触らせてもらって喜んでいるなんてありえるだろうか?


たしかに銃が危険であるといわれるようになったのは、現実と非現実との区別がつかないことを理由にした少年犯罪


凄惨(せいさん)なニュースが、報じられることになってからである。それが報じられるたびに、あるいは、ヤクザの抗争で、銃が使用され、人々は、


日本から銃がなくなればよいのにという気持ちを強める結果になったからだ。


逆に考えれば、その気持ちを強めないと「日本には、私たちが考えているよりも多く銃が存在していた」のではないかという推測がたつ。


そう、「おじさんのような銃を持った人が、日本では、ありえないほど少ないのだと、あとから彼に思い込ませようとした」。そのために、


おじさんは、ヤクザで人を殺したというありえないケースであると、彼に思い込ませたかった。だからあのような誤魔化しをつかった。


では、その銃をもっていた人たちは、今どこにいったのか?


気になるのは、あのおじさんの行方である。だが、日本からいなくなった人は、おじさんだけではない。


これの前後で、街は、すこしずつ商店街が大型店に押されるということになったのか、仕事を求めて都会に出たのか、


人が少しすつ減っていった記憶がある。


祖父から昔、アメリカにわたった親戚がいると聞かされたのはずい分後になってからだ。たしか、農業をしにアメリカに


わたったとかそんな話だったと思う。聞かされた時期は、彼が就職を意識する年齢だったように感じる。


この話とは関係ないが、これも後に自分が発想したコードのようだった。


その記憶のかけらでは、商店街で歩いていると雨でぬれたり夏だと暑かったり、冬だと寒かったりする。屋根をつけたほうがいいが費用が高くつく。


そんなことをテレビで聞いて、だったらお金を出し合って大きな店にしてしまえばいい。そんなことを思いついたような、


あるいは思いつかされたような。実際に、大きなお店になり始めたのは、その発想の前だった気がするのだが。なんともいえない。


とにかく、それが原因か、出稼ぎが原因か。徐々に人が、街から減っていった。


漁港だから街は人で活気ずいていたのに。誰もいなくなったその商店街はさびしいものだった。


では、それだけの数多い人たちは本当はどこにいったのか?


都会なのだろうか?後で説明するが、これは違う。ではどこか?おじさんはあのときヒントを、彼に残していってくれた。


「銃。」日本ではもつのも大変だが、海外では、もっているのが普通な国はたくさんある。


そして、アメリカなどは銃社会で、銃をもつことで、自分の身を守れるが、逆にそのことが危険な場合もあるということを


ニュースでなんども耳にした。それだから、ある程度の年齢になると私は、銃を怖がるようになっていた。


では、そのとき外国に、日本からかなりの数の人が移動したのだとすると、それはなぜか?気になると思うけど、説明のため、ここで一旦話を止める。


ここで、もうひとつの鍵。


「大地が平らで、海には端がある世界。」と、「世界が本当は丸くて、太陽のまわりを回っているという世界。」そして後者のほうが、


端から落ちないですむよと、夢でいわれている気がするようなその記憶。


もし、後者を選ぶように、誘導されたとしたら、その選択の後、後者のように、世界が「変化」するということである。


つまりは、変化する前は、前者であったのではないか?


私がその夢を、何者かによって、みせられたとしても、前者が正しいと信じれば、世界の姿は、前者のままであったのではないか?


そして私が選択してしまったのであれば、その時点で世界は変化したはず。


しかし、私から見ていた世界は変化したようには見えない。むしろ時間的に連続である。


いや、正しくは、連続とも証明できない一点が存在しているのだが、それは後で説明するとして、


それを除けば、世界には、そんな変化を感じられる点はなかった。当然である。


だとするなら、この二つは、どうつながるのか?


最初、人は、前者の世界に住んでおり、ある時点で、後者の姿に変化させることを決めた。


そこで、世界が今ある姿を、見た目、変えないようにして、後者への変化を不自然でないようにするには、いくらか「工夫」が必要だった。


そのために、いろいろ細工をしているようだが、そのなかでも、もっとも厄介なのは、


重力であった。


前者では、常に上向きに、加速していればよく。大地は止まっていない。ずっと運動しているのだ。


そのまわりを今と同じような太陽などの動きが観測されていたから、きっと平らな大地のまわりを、


太陽が回っていたのだろう。


後者で重力をつくる際、その時点までの太陽などの動きを、見かけ上、変えないように


考えると、前者のつくりのまま、世界を、ある点を中心にまわせばよい。


ここで、ひとつの工夫が必要となる。


それは、遠心力で、平らな大地に重力を作ることに成功しても、平らで端が存在するという事実を隠すには、「大地が丸い」と思い込ませなければならない。


そこで、非常に大きな円のすごく小さな一部の大地の上なら、そこを平らに感じてもおかしくはないだろうというウソを利用した。


実際これがウソなのは、すぐわかる。といっても誰も、「地球が丸い」ということを疑おうとしないから気づかない訳だが。


まさか堂々と教科書にウソが書いてあるなんておもわないものね。


たとえば、いくら見る大地の範囲を小さくしても、近くの2点間が直線でつなげられるというのは、まったく曲がってないということなのである。


ためしに、ものさしを大地に当ててみるといい。もし大地が球上に曲がっているなら、そのものさしは、端が、少しは、大地から浮かなければならない。


どこまでいっても曲がってないならそれは平らな大地ということである。だからもし、建物の中や、道路など平面になるのは、きっと


その下で、曲がった分を打ち消すように作られているから、その上でいる私たちは、平面にいるように思うのだ。


では、家や道路のないところだとどうなるのか?少しは曲がっている大地であるはずだ。


もしかすると、これも大地が曲がってないということを隠すために道路だらけにしたのではないか?


これは、ないとしても、実際大地が平らだというのは、人によって作られていない場所を探せばすぐわかることである。


調べてみてほしい。水槽に水でもいれて、それが傾いたように見えるかどうか。きっと平らだと証明できるだろう。


平らなそこをもつ水槽を、丸い大地のうえに、水平に置くことは、どうやってもできないはずだから。それができるということは


どこかにウソがある。この場合、それが、丸く曲がっていない大地であることは、明白である。


このウソを隠すために、地球の半径は、非常に大きくなった。そうなると地球の表面面積も当然大きくなる。


ところが、もともと、大地は、ひとつであったようで、今の日本である。大きさはずい分、今の世界の陸地に比べて小さい。


つまり、あまり地球が大きくなると、海の面積の割合に比べて、日本が小さすぎ、不自然となる。


それで、外国という陸地をつくることにした。


そこに人が住んでいないと自然とはいえないので、もともと日本にいた人たちは、別れてすむことになったのである。


それがあの宴会のあとのことになる。もちろん日本人と同じ姿ではない目や肌の色、使う言語、生活習慣などを変えてわたったことになる。


つまり、後者になるには、もうひとつ大きな海の上に、大きな陸地が点在する外国という巨大で、平らな世界をつくり、


日本といういままでの平らな世界と一緒にまわせば、よいのである。こう考えると、平らな世界は、それぞれに太陽などを持ち、2つずつ存在していて、


その大陸間を飛行機で移動しているということになる。つまり、私たちが知っている船では、外国から日本に「移動できない。」はずである。


いや正しくは、海のほうに意外なアイデアがあるかもしれない。仮に、その2大陸間の間で、移動する別の小さな海があれば、その海の上を船で回っている間に、


その小さな海が、別のほうの大陸に追いつけば、それでよい。200km/hより速くまわさないと、他方に追いつけないが、多少ゆれても海の上だとわからないため、


まわせるであろう。


ただこうなると不思議なことがいえる。


外国には、その変化の点以前に歴史がないこと。


人は、姿、言語、生活習慣などさへ自由に変えられること。


飛行機や船を操縦する人、その他、外国に移動した人たちはかなりの数。この事実を知っていること。


そして、その人たちはみな、もともと日本人だったということ。


一番問題なのは、そこで、「人の数が一気に増えている」ということ。


なぜならそうしないと、もともと日本にすんでいた人の数で世界を自然にうめることなどできないからだ。


またあまりに日本から、人がいない状態になる。だからその時点で、増やす必要があった。


ではそういう理由で、無理やり増やされた人たちは、どのような記憶をもち、どのような真実を知っているのだろうか?


答えは簡単である。私と同じように、「世界の姿をいつわりの姿でごまかされ、偽りの記憶を持たされている可能性がある」。


だから思うのだ、「私の記憶は何なのかと。そして私は何なのか」と。


これらの疑問を考えるためには、まだまだ材料がたりない。後のほうで書くことにする。その場合すこし説明が変わるかもしれないが


ご容赦いただきたい。順番に説明していくにはそうするしかないとご理解いただきたい。


では、万有引力の公式が考えられた順序を推測する。これは、後に、このウソを考えた人たちの思考レベルを推測するのに役立つと思われる。


まず、先の推論から、地球自体が、自転している。というウソが導かれる。しかし、ここで、太陽と月を、空間に固定したまま、


地球だけがその中心で、自転しているとなると、地球には、重力があるのに、なぜ太陽と月は、地球に落ちてこないかということが


説明できない。見かけ上、この構図を保ったまま、落ちてこないように説明できる方法を探すことになる。


まず、落ちてこないようにするには、円運動を利用すればよい。遠心力が働いていても、円の中心は、その円周上で移動している物体から見ると


常に同じ位置にとまって見えるという性質があるからだ。そして、逆に、円の中心を自転させれば、円の中心上いる人からも、物体が常に同じ位置にとまって見える


ことになる。つまり、円運動と中心の自転という関係でつないでやれば、よいことがわかる。


ではどうつなげばよいか?


まず、地球と太陽は、地球を中心にして、太陽を円運動させると、地球が自転していることに矛盾する。つまり今のような見た目にはならない。


したがって、太陽の周りを、地球が公転していることが導かれる。


地球が、円運動をしているとすると、月も同じく地球に落ちてこないようにするには、月が地球の周りを回っていなければならない。


なぜなら、地球が、太陽の周りを円運動しながら、月のまわりを円運動するのは、理論上、ほぼ不可能であるから


ほぼと書いたのは、無限構造を利用すれば、不可能ともいえないのだが、利用には、かなり無理があるということ。


もし大地の軌道が無限構造だとすると、世界はあるポイントで、重力構造が反転する時間があり、人々はその反転の仕組みを理解していなければならない。


つまり、もしその時間帯で、飛行機などが飛んでいることは、危険なのだ。それよりも、このポイントで、遠心力は、大地から外向きに発生するから


その上の人々も物質も外側に放り出されることになる。ジェットコースターを想像するとわかりやすい。レールを中心に、回転運動しながら、進むと


外向きに引っ張られる感じがするだろう。


もしかりにこれを克服する方法があったとしても、たとえば鳥などの速度では、飛んではいけない時間帯が存在することになり、あまりいい方法とはいえない。


話を元に戻すが、月は地球の周りを回っているとするほうが、自然であることに間違いはない。少なくとも何者かが手を加えていない状態では、無限構造は、


存在し得ないのだから、今の目的である見かけのウソをつくるのには、もともと適していない解となる。


次は、太陽と月のどちらが、地球から近いところにあるかであるが、


「太陽と地球」の関係と、「地球と月」の関係は、この両者の間で、関係の順序が保持されなければならない。


なぜなら、円の中心にある物体と、その円周上でまわる物体との関係を保持した並びであるから。


言い換えると、たとえば、不等号のようなもので、太陽>地球となっているなら、地球>月でなければならない。あわせれば、太陽>地球>月といえる。


当然、不等号なら、この逆、太陽<地球<月も成り立つのだが、中心ほど大きな物体とするほうが、都合がよくなるためこちらが選ばれた。


その都合とは、大きい物体ほどひきつける力が大きいとすれば、小さな物体では、その力が存在しなくてもよくなるということである。


もし仮に、小さい物体ほどこの力が大きくなるというウソを作ると、目の前のコップなど机から離れなくなる。


観測されてしまえば、ウソがばれるのは当然で、ウソとしては、大きいものほど引力が大きいという答えしかない。


ところで、大きい小さいと書いたが、上の条件を満たしそうなものは、物体では、質量や体積。2物体間では、間の距離などである。


では、ここで物体の大きさを0(質点)と見るなら、重要なのは、物体の質量と2物体間の距離。


公式を作るうえで、このどちらの影響が大きいと考えるかが重要である。


答えは、質量<距離の影響の大きさである。


これは、なぜか?


2物体間の距離を大きくとることは、簡単でも、物体の質量を大きくすることは難しいから。


たとえば、距離よりも質量の影響が大きいなら、力の度合いを調節するのに、質量を増やしたりしないといけない。


しかし、地球の密度など一定なのだから、もしかりに大きくしなければならないとすると、あまりに地球が大きくなってしまったりするのだ。


あまりに地球が大きいと、そこに陸地の面積の割合から人の数が必要になり、不自然になりやすい。


だから、あまり私たちの生活に関係ない距離のほうの影響度合いを大きくしたい。言い換えれば、少なくとも小さくてはだめということである。


これで、万有引力の公式が生まれる。


まず、2物体間の距離をR、2物体の質量をそれぞれ、M1、M2とする。


2物体の質量が、大きいほど、求める力Fが大きいとするのが自然であるから、M1*M2(積)であらわせばよい。


しかし、そうなると距離を離したほうが、その力は、小さい方が自然だから力は、距離に反比例。つまり距離の値で割ればよい。


ここで、上の積の影響よりも少なくとも小さくてはだめなので、


その大きさを合わせると、分母は、R^2(Rの2乗)となる。


そして、小さな質量の物体同士で、力が働いたら困るので、都合をよくするための係数、万有引力係数Gを掛け合わせると、こうなる。


F(万有引力)=G*(M1*M2)/R^2


実際は、この前にマイナスがつくようですが、それは方向を決めたときです。


では、これに当てはめて、地球や太陽、月の関係を考え直してみるとこうなります。


月は、地球に引っ張られ、そのまとまりが、地球を中心として、太陽に引っ張られるのですから、


太陽は、地球を引っ張るが、月を引っ張ってはいけないので、太陽と地球の間の力>太陽と月の間の力は、左が大きくて、


右を無視できるようでなければならない。


ということは、今、月は、地球の周りを回っているから、太陽から地球、月への距離がそれほど異なることを期待できない以上、


この2力の力の差を作るには、月と地球の質量の比が、非常に大きいことが必要だ。


そして、月が小さくなければならないので、密度がそれほどに違わないなら、月は、地球に比べて、質量も半径もかなり小さいといえる。


逆に、太陽と月の間の力<地球と月の間の力。この関係において、右が大きくて、左を無視できるようでなければならない。


ということは、今、質量で違いを出すよりも、2物体間の間の距離で、差を作るほうが簡単であるので、


太陽と月の間の距離>地球と月の間の距離であればよい。つまり、地球と月の間の距離が、そう大きくないと仮定すると、


太陽と地球の間の距離は、大きなものになる。したがって、今のような天体図ができあがるのである。


以上、これは、ウソを十分に再現していると思われるため、この公式の作り方も再現されていると考えてもよさそうである。


こうして、速度200km/hほどで、太陽ないしは、月を中心付近として、円運動させ重力をつくり、万有引力というウソの力で、


ウソの天体図を教え込ませ、かつ、世界観を変えずに、世界を変えたのである。


この構図の問題点は、


大地のそのときの(ときどきで変わっているものとおもわれる。)


進行方向逆方向に速度200km以上出せば浮くということ。


高すぎるところから飛び降りると、落下地点が、ずれるかもしれないということ。


外国が増えた分、人が急に増え、実際の日本を地図上では、3倍ほど大きく見せ、人口も10倍ほどに見せることになった。


電車なども、くねくねと走っていなければあっという間に到着する距離をわざと時間をかけて走っているということ。


これらは、観測と経験による私の答えである。


実際に、電車でいける距離を歩いてみたり、地図を近辺と比較してみたりするとその答えがわかるだろう。


地図は、縮尺がところどころいじられているし、電車などもわざと迂回した路線を引いている。


また車でも時速150kmあたりで浮きそうな感じがする場合がある。これは進行方向逆向きになっている場合、強いはずである。


そして、飛行機にのってみれば、大概、200km付近で、大地から飛び立とうとする。


ところで、日本の人口を多く見せる理由は、おそらく、


公的機関や大学受験などの失敗率ではないか?


あるいは、それをあきらめさせる目的ではないか?


その真実(嘘学問)を隠すのが大変だから。



---ここまででいえること---


ヘリコプターや鳥の話を書いたけれど、後回しにしていたものがある。


大陸の形や、動きが関係しているからである。


となるとここで書くべきだと思われる。


円軌道上を大陸が動いているという仮定においては、これらの運動も簡単な力学の中で説明がつく。


すべて、スクリュウ、プロペラ系ないしは、ジェットエンジン系などの無重力状態での振る舞いを考えればよい。


ただし、空気抵抗のほとんどない状態における空気粒子そのものの反動を利用した推進力の作成に注意しなければならない。


私たちが重力と呼んでいるその力は、実際には作られたものなので、擬似重力と呼びわける。


もともとその力は、大地下向きに、9.8m/s^2の加速度を与えることで作られるのだから、逆に


上向きに9.8m/s^2の加速度で移動したときに、擬似重力の影響を受けなくなる。つまり、実質無重力状態になる。


だから、鳥で考えると、飛び上がるときに、大地に垂直な方向で上向きに9.8m/s^2の加速度で飛び立とうとすれば、


無重力状態になる。動き出す瞬間から一秒間で10m以上飛び上がればよいわけである。


実際は、飛び上がる瞬間だけこの加速度であればよく、この加速度で地面から離れられれば、飛べるのである。


その力を生み出すのに、羽で空気の粒子をかくということによる反動を利用した上向きの推進力と両足で地面を蹴り上げる


反動で得られる推進力を使っている。


空気抵抗は、速度に比例して大きく感じるが、それは、空気粒子に対する相対速度であり、


たとえ、時速200kmで、大地に並飛行してもその空気の粒子も時速200kmで大陸ごと移動しているので、実際に、鳥が感じる


空気抵抗は、私たちが地上で感じるそれと同じである。ただし、大地の運動方向と比べて鳥の移動方向が逆向きだと


ほんの少し進んだだけでかなりの空気抵抗になる。しかしそれは、大地に対して、それだけの速度でおいていかれるということだから、


大地に対しては、移動はしているのである。つまり自分は、世界に対して、とまっているのと変わらなくても、


空気の粒子が運動していれば、空気の抵抗を感じるのである。扇風機を考えればわかりやすい。


さて、この空気抵抗というものを考えから除外すると、どういう動きになるか、


今、まったく抵抗がないとすると、加速度を一定で加え続ければ、それがどんなに小さい力でも、ある程度の時間がたてば、


速さはどんどん大きくなる。


つまり、飛んでいる鳥にかかる力は、無重力状態で、空気抵抗のみであるから、速度が、大きくならないとほとんど無視できる。


いいかえると飛ぶ力。つまり羽の動きから得られる推進力は、それほど大きくなくても十分であることがいえる。


速度が大きくなると、羽の動きで得られる推進力では、空気抵抗に勝らず、それ以上速度があがらなくなる。


だから、さっきのアイスリンクの話は少し間違っているのであるが、わかりやすくするために、あのように説明させてもらった。


正しくは、「プロペラの空気をはきだす力が、空気抵抗の力を超えられるときのみ速度があがる」である。ただ、空気の反動で飛べるような、推進力であるから、


相当の速度まで上がるはずである。でなければまったくとべないことになり、説明そのものはまちがっているわけでもない。


以上を踏まえた上で、ヘリコプターではどうなるか?


飛び上がろうとする瞬間であるが、それは、地上付近なのであるから、プロペラの吐き出す空気が、地上で跳ね返り、その跳ね返った空気の粒子に押し出されることで


得られる推進力と、もともとプロペラが吐き出す空気の粒子の反動で得られる推進力とで飛び上がるものである。


いったん飛び立てば、やはり鳥と同じような運動になる。大して推進力が必要ではないのだから、ヘリコプターは、質量・体積は鳥よりか大きいが、


あのプロペラなら鳥よりも速く飛べそうである。


これらは直感的にもあっているといえる。


飛んでいるときは、速度が大きくならない限り、空気抵抗はほぼないので、速度を上げるのに、加速度も小さくてすむというのは鳥と同じである。


やはりこれもある程度の速度で、それ以上プロペラが作り出す推進力では、速度が上がらないのであるが、プロペラの向きを、推進力方向に大きく傾ければ、


それだけ、推進力が上がるので、最終的な到達速度も上がるというわけである。


要するに速度を上げたければ、その方向にプロペラを傾けるという動きになる。


ただし、これをすると、推進力方向の力に、分散した分、飛び続ける力は減るはずである。


次に、ヘリコプターが、ビルの屋上付近で飛び続けることがいかにむずかしいかもこれで想像してみる。


時速200km/h付近での進行方向(大地進行方向)との並飛行と見れるからだと思われる。


この状態は、ゲームで説明すると時速200kmで飛ぶ飛行機に給油する飛行機を想像すればわかりやすいのではないか?


かなり難しそうであるし、また大地が半径が、大きいとはいえ、円運動なので、移動方向が角度変化を伴うまえに


大地から離脱するか、自分も角度変更するようにしないと、大地にぶつかったりする危険性があるが、


角度変更すると、当然、遠心力がはたらいてしまい、相当操作が難しくなる。


この場合も離陸の際、ヘリのプロペラがはきだす、空気の粒子の反動と、ビルの屋上で反射した空気の粒子の衝突が生み出す力の影響もあり


それで、上に押されたり、角度変更で、生まれる擬似重力で、下に押されたりとかなり上下にゆれそうである。


こう考えると、もともとが時速200km/hであるから、よほど訓練したものではないとできそうにない。


というよりも、屋上付近で、長く飛び続けるのは、相当訓練されても無理かもしれない。


この仮定を使うと、進行方向、逆に、急にすごい速度で帰ってくるように見えたタケトンボの動きも説明可能。


単に、タケトンボが、進行方向に推進力を得ない状態で、大地の進行方向と同じ向きに飛んだということなのである。


つまり、タケトンボの羽が、大地と平行な状態で、飛び続けると、羽の向きにしか推進力が得られないので、かかる力は、空気抵抗のみ


となり、徐々に、大地に対して持っていた相対速度が0になる。すると逆に大地のほうが、


加速しながら、追い越していくように見えるのだ。その大地の上で、とまっているタケトンボを見ると、すごい速度でちかづいてくるように見える。


これと同じことが実は、ブーメランなどの運動でも言えるのだが、試してみてほしい。ヒントは飛ばす方向。


これがあえば、ブーメランは、必ずといっていいほど戻ってくる。


ここで、進行方向について少しだけ考えてみたい。


私たちの大地から見た東西などは、意味がないことがわかる。なぜなら、大地が、バケツのように回転しているため、


上下がさかさまになっている場合、東西も逆になるからだ。


しかしこれもまた、大地の向きが変化するという仕組みを持ってないと仮定しての話である。


実際の世界に対して、大地の向きが変化するなら、つまり大地平面上でも回転運動しているのなら、


方角は、度単位でずらせてしまう。つまり、大地の上での東は、世界の東を指しているとは限らないということである。


もちろんこの回転運動が仮にあったとしても、


非常にゆっくりでないとおかしなことになるのはいうまでもない。飛んでいる飛行機が、上空で、ぐるぐるまわるというおかしなことになる。


あらかじめ知らせておかないと迷子になるだろう。あるいは、飛ばない時間帯にまわせばよいか。だが、鳥なども考慮に入れると、やはり


非常にゆっくりでなければならない。鳥が回転する。


非常にゆっくり回転しているとして、大地とそこから見えるもの全部が、一緒に回転しているのなら、


私たちは、大地が大地平面上で回転していないかどうかを調べることは難しい。


したがって、大地進行方向と書くしかないのである。


ただ、私の経験では、つまりそのときからまったく、大地の進行方向と、大地の方角にずれがないと仮定しての話であるが、


太陽の沈む方向に向かって、つまり私たちから見た西。速度をかなりあげると、車などがいくぶん浮遊する感じがあるため、


こちらが、大地進行方向逆向きであるだろうという推測はたつ。


また有名なあの歌を想像すると、太陽が昇るときは、本当の世界の西からであり、太陽が沈むときは、本当の世界の東へである。


そして、大地の進行方向と大地上の方角にずれがないとし、大地の上の北と南は、世界の北と南に、常に一致しているのなら、


世界に対して、上下逆さまのときが、私たちにとっての日中ということになる。


話を戻すが、ブーメランの場合でも、


風の向きがあれば、ジャマされることもあるし、本来の大地進行方向が、常に大地のある向きを向いているという


保証はない。そうなると、


正確に実験したければ、8人くらいで、8方向に同時に、ブーメランを投げて帰ってくる方向を見ればよい。


風の向きは、おそらく、つくられたものであるので、当てにならない。200kmで進む車の窓を開けるとどうなるか考えれば、この空気の粒子も大地ごと移動している


と予想がつくからである。空気がとまっているはずなのに、風があるということは、それが作られたものだということである。


たとえば、窓のようなものを、つけておけば、それを開くだけで風ができる。開く方向と強さを調節する仕組みがあればよい。


なにがいいたいかというと、この世界をまわした人が、私たちが実験するときを狙って、ジャマしようとすれば、風を強くしたり、


回転させて、方向をわかりにくくしたりするかもしれないということである。


ただ、回転については、非常にゆっくりであるし、風もずっとつよいわけではないから、


ころあいを見はからって、みなでやれば、ブーメランが飛ばせるときは、連続で上手にできる可能性が高いということである。


ブーメランが上手な人は、この真実を知っていることになる。

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