間章 彼の敵との戦い その1
--- 間章 彼の敵との戦い その1 ---
突然であるが、ちょうどよいことが周りで起こったのでそれを書き留めることにする。
彼と彼の敵との戦いについてである。次章は、前章の続きとなる予定である。
それで、あの文章の意味を理解していただけるかもしれない。
冒頭で書いたあのセリフである。
「頭を、なにか大きな重い金属ですりつぶされたとき、あなたの口からでる声を想像してみるといい。
そんな重苦しい悲鳴を上げたくなるくらい、自分の周りを、際限なく覆い尽くすような闇色。
その中にあって、四方は、大きな金属の壁で囲まれている。そんな無機質で、真っ暗闇のなかの迷宮の
あるかどうかもはっきりしない出口を、手探りだけで探すような、
おろか極まりない行為を、ほんと気の遠くなるほど長い時間、
行っているものがいたら、
おそらくあなたは、哀れむだろうか。
頭がきっとおかしいのだと。
それとも笑うだろうか、
自分と比べて、情けない生物だと。
ただ、それしかできないでいる生物に、あなたならなんて、声をかけてあげる?
わたしならこういってあげる。もういいから、あきらめて、死になさい。
でもそれでも彼はあきらめない。彼を突き動かしているのは、
ただ、復讐心とも決意ともとれない。思い。
でも、本当は、彼も死ねたらと思っている。ただそれが、いたそうだから怖いだけ。ほんとただそれだけの
気持ちで、彼は、書き綴っている。
彼は、なにかを成したいなどとは思っていないはずである。またもはや考える余力もないであろう。」
この文章がどういう意味か、そろそろ説明できるときがきたといえる。
たとえば、戦場を想像してほしい。いつおきるとわからない、殺し合いにおびえくらす毎日である。
普通なら、そこから逃げられるだけ逃げようとするだろう。
しかし、その殺し合いは、望まなければならないものであるならどうだろう?
どうやっても殺さなければならない。そして、自分も死ななければならない。
絶対に、敵を殺してから死ななければならないのである。
死ぬとは、開放でなく、消えること。意識の消滅である。
殺し合いに、ピリオドをつけないと、消滅すら許されないとしたら、
もはや逃れることのできない迷宮とはいえないだろうか?
どういうことか説明させてほしい。
彼には、敵がいる。散々、彼の記憶を書きかえて、彼の人生をめちゃくちゃにしたものたちである。
彼の敵の思惑はさまざまといえる。あるものは、利権を手に入れようとするするいだけのもの。あるものは、彼と、
未来の世界の構図に対して、意見が異なるもの。あるものは、何もわかっていないくせに、突っ込んでくる愚か者などである。
彼らに、共通して言えるのは、そのどれもが、世界の現状について、正確に、理解していないということだ。
私から見た、世界の状態は、こう見えている。
これは、みなさんからも同じであろう。あるいは違うかもしれないが、それならなおのこと説明しなければならない。
生まれることが平等でないのは、理解しているつもりである。金持ちの子供は、金持ちに生まれる。
資本主義という経済が、行き詰った形なのだろうか?
教育も平等にはならない。金持ちのこどもが、よい教育を受け、簡単に金持ちになれる社会である。
これが資本主義というなら仕方のないことだろう。
では、その資本主義とやらが、どのような国を構築したか?
この国は、多くの赤字をかかえ、破綻寸前であるようだ。国債は、どんどん増えていく一方である。
その国債を増やし続けることで、道路をどんどん作っているが、それは、なんのためだろう?
(道路をつくるなといっているのではない。説明できないのなら、それはなぜのか?
そうとうているのだ。ウソで覆い隠す意味。それは、そんなに重要なことなのか?
それとも誰かに脅されいているのか?)
もちろん知らないものと知るものの間で大きな隔たりを生んでいる。
環境破壊が、及ぼす自然現象の数々、水銀問題。酸性雨。フェーン現象に、極の氷溶解。さまざまな津波、おそり来るであろう地震にと
問題には事欠かない。
これも真実を知るものと知らないものと間で、とんでもない隔たりがある。
さらには、食料、エネルギー、戦争、例を挙げればきりがない。
しかし、これらも真実をしるものとしらないものとで、おおきすぎる感情のへだたりがあるのである。
真実を知らなかった皆さんは、現状、この世界で生活していて、どう思うだろうか?
彼は、こう思っていたらしい。
生きることは、馬鹿らしいこと。命をつむぐことは、ありえないほど無責任な押し付けである。そう感じていた。
それはそうだろう。これほどに世界の未来が不安材料でいっぱいで、現状自分が生活する方法も見出せないまま、
上を見上げればきりがない。いや、近所を見渡しても、金の所有差には、ひどいかたよりがあるだろう。
子供の頃、自分よりも努力を明らかにしなかったものが、大人になって、自分よりも収入があるという。
この惨めさといったらない。
いや、それどころか、努力しようとすればするほど、上にあがろうとすればするほど、まわりからたたかれる。
どうせ上にあがれるわけないといった周囲の厳しい目線にたえ、死に物狂いで、努力をし続けて、
上にあがれそうになったら、それを奪われたりする。
死ねるものなら死にたい。そう願うのが人というものである。
自分の子供を生みたいか?
答えは、NOだろう。それは、自分の生殖器に自信がないとか、そんなくだらない理由ではない。
自分のこの人生は、上に書いたように、やりきれない思いでいっぱいであり、
そのような苦しみは、不運にも、自分の子供になった、哀れな命に、自動的につむがれるのだ。
先の資本主義経済の仕組みなのだからしょうがないといえば、あきらめもつく。
しかし、選択権はない。金が現在ないのだから、この先もない。子供も同じであるし、苦しむことはもうわかりきっているのだ。
そのような命を作り出すことは無責任といえるだろう。
ただ、苦しみ、もがき、発想を作っても、奪われるだけのくだらない奴隷のような人生だ。
周囲の敵は、ハイエナのように待ち構えている。ただ、自分たちの利権を求めるために。
それほど、みなさんと差がないのではないだろうか?
この世界に住んでいて、真実をしらないのなら、これとさほどかわらない状態になっていると思う。
それは、一言で言うと、戦場と同じである。死ねないから逃げ回っているのとなんらかわりがない。
この状態が、いつまで続くのか、わからないのだから、もはや絶望的とも取れる状況である。
戦場で、人を殺して、逃げ回ること、これを永遠、繰り返し、終戦が予想できない。
これで、コンテンツを見て、感動するか?
それよりか自分の生活と足元を見るほうが、重要だろう。どこに地雷がうまっているかわからない。
いや、前を見なければならないのも同じか?
どこから撃たれるかわかったものではない。
簡単に言うと、この世界は、殺人鬼を世に送り出す。そういった仕組みにしか見えないのだ。
もちろん殺したくて殺してるわけじゃない。
殺されないように、痛みを感じないように、そうやって、本能の赴くままに、逃げ回るには、殺すしかないのだ。
それしか選択肢がないようにしか見えない。それくらいの状況なのに、武器を取られ、
もちろん殺したりしたら、殺人である。警察の厄介になるだろう。
でも、悪いのは、本当は誰だ?
人を殺人鬼になるまで、社会全体で、追い詰めておいて、人を殺すなと
言われても、では、どうすればいい?
そう聞きたくなるだろう。
では、このような社会構図しか考えられなかったもの。あるいは、そうすることで利権をむさぼっていたもの。
おろかにも状況が判断できなかったものがいたら、これを許せるか?
サインはあった。
でも彼らはそれが少数だと無視していたのではないか?
親が子供を殺す。なぜか?
単にいらいらがつのって殺すのか?
そうかな?
自分と同じこの苦しみをあじあわせたくないからではないか?
ではなぜ生んだ?SEXが気持ちいいからか。それしかすることがないほど金もないからか?
その子供は望まれて、この地に生をうけたのだろうか?
自分の分身が、苦しむことは目に見えており、それは、現状どんどんひどくなっているようにしか見えない。
泣き叫びうるさい子供を、生かすことが、それほど重要に見えないからだろう。
命の価値がなくなったのではない。命の価値と同じくらい現状が悪く、価値を相殺しているのだ。
先にも書いたが、ひどい戦場では、生きることは正しいとはいえない。死ぬことが、痛みなく受け入れられるなら
それがそのものにとって幸せであるとなる場合もあるのだ。
そこでそのとき銃弾をかわしても、そのあとも逃げ続けるだけの未来を、ずっと感じ続けなければならないなら、
そこでかわすことが正しいといえるか?苦しいのが長続きするだけじゃないのか?
かわしたくてかわしてるんじゃない。生き延びたくて殺してるんじゃない。ただ痛そうだから。
本能がいうとおりに逃げ回っているだけだ。
実験室のねずみとかわらない。
ねずみもきっと同じ気持ちだろう。
そうやって、彼は、彼の敵に、現状を説明した。
だから、彼は、そういう現状を構築した者たちへ、死をもって裁かれることこそ、真実を知らなかったものたち、
あるいは、彼に対する償いであると説明しているのだ。当然反発が大きい。
そこで、彼の敵に対して、彼の用意したプランは、常識では、はかり切れないほどの
苦しみを味あわせるような死に方を提案している。それらを、はい、そうですかと受け入れるものはいないだろう。
その反発ゆえに、どこから彼の敵に狙われるかわからない。
もちろんそれでよいと思うからそうしているのである。
挑発して、クズ、無能と叫び続ければ、彼の敵もそれらの言葉の意味を、人並みに理解するらしく
悔しがり、彼を狙おうとするらしい、
いや。悔しがれるのに、こういう社会しかできないというなら、もっと悪いかもしれない。
それが自分の利権を求めてというなら、もはや神の慈悲もないだろう。
というよりも、人の発想を奪い、自分を有利にするようなやからを、最終解、あるいは、中間解でもそうだが
発想中心の社会構造に、招待するわけには行かない。
死んでもらわなければならないのである。
それが社会構造のためといえる。
そしてそれが、他の生命体を、等しく平等に幸せに導くための方法といえるだろう。
彼らが生き残っていて、悪さをしたら、その世界も、この世界同様、ひどい有様になることは
はっきりしている。
だから殺さなければならない。
そして彼も、解の作成や、調整と、それを終えたら、消えることになるだろう。
いや、消えてもよいと言い換えるべきか。
まず、開放されて、解を作成し、調整、続いて、彼の敵の後始末。これは、不可避なことといえる。
いままで苦しんできた、人たちに対する、せめてできることがこれくらいのことといえるだろう。
もちろん彼だって、人並みに幸せになる権利ぐらいはあるかもしれないが、それも疲れたといえるのだ。
それなのに、まだ生きたいという愚か者がいるようである。
それは、彼の敵。みなさんの敵でもある。
見えないスタッフのなかに、確実に含まれている。
いまもなお。脅迫されているところである。
この文章を書いている途中でも、地震などを起こして喜んでいる。
この文章を書いているところを見ているのだろう。
ちなみに彼らが、地震を起こしたのは、私が、「発想中心の社会構造に・・・・死んでもらわなければならない。」
ここを書いているところである。よほど死にたくないのだろうか?
それほどの覚悟で、人から発想を奪って、人を貶めて、苦しめて、喜んでいるのだから、驚きは隠せない。
しかし、目に見えないスタッフがやることには、このような演出も好きであるため、もしかすると
彼の敵には、すでに死ぬ覚悟があるのかもしれない。
そこまで誇りのかけらもないものたちというのは、ちょっとひどいかな?
死ぬ覚悟くらいあるんだろう?
まさかそんなに生にしがみつくほど、自分の人生はぬるかったのか?
他人は、追い詰めるくせに?
それとも、この社会構図がよほどまともだとでも思っていたのか?
どちらにしても責任は取るべきだろう。
彼を解放しなかったこと。いまのいままで、彼の記憶を奪い続けたこと。
いまだに、邪魔をし続けていること。
そしてそれが正確に社会を把握する妨げになっていたなら、この世界の悲痛な叫びを
つくったのもまたお前たちである。そろそろじゃないのか?
裁かれるときは近い。
挑発も含めてこのような会話をしているのである。
もちろん相手は、地震や騒音で返事をしているだけであるので、正確になんといっているのか
把握できない。
だいたいどのようなことが行われているか、みなさんにも伝わったのではないだろうか?
まるで子供のけんかである。いつまでこれが、続くんだろうか。正直うんざりしている。
はやく仕事を終わらせ、始末をつけたら、自分もやすらかになりたい。そういう思いである。
以上、実況1である。次回は、予定通りの文章にもどすつもりである。
それまで殺されずに生きて入られたらの話であるが。
傾向的には、このような会話を永遠、繰り返しているが、まだ生きていられるのだからどういうことかと疑問に思っているのが
正直なところである。