世界の崩壊
この話は、よく考えながら最後まで、読んでみてください。きっと世界を見る目がかわるはずです。
---前文---
頭を、なにか大きな重い金属ですりつぶされたとき、あなたの口からでる声を想像してみるといい。
そんな重苦しい悲鳴を上げたくなるくらい、自分の周りを、際限なく覆い尽くすような闇色。
その中にあって、四方は、大きな金属の壁で囲まれている。そんな無機質で、真っ暗闇のなかの迷宮の
あるかどうかもはっきりしない出口を、手探りだけで探すような、
おろか極まりない行為を、ほんと気の遠くなるほど長い時間、
行っているものがいたら、
おそらくあなたは、哀れむだろうか。
頭がきっとおかしいのだと。
それとも笑うだろうか、
自分と比べて、情けない生物だと。
ただ、それしかできないでいる生物に、あなたならなんて、声をかけてあげる?
わたしならこういってあげる。もういいから、あきらめて、死になさい。
でもそれでも彼はあきらめない。彼を突き動かしているのは、
ただ、復讐心とも決意ともとれない。思い。
でも、本当は、彼も死ねたらと思っている。ただそれが、いたそうだから怖いだけ。ほんとただそれだけの
気持ちで、彼は、書き綴っている。
彼は、なにかを成したいなどとは思っていないはずである。またもはや考える余力もないであろう。
彼のいっている闇色の迷宮とは、ほかでもなく、彼を取り巻く、この世界のことである。
あなたも普段生活していて、ちょっとした時間にでも、今これを読んでいるところのこの世界。
この世界がどんなところかなんていまさら誰かに、聞かないでもわかっているはず。
学校でもたくさん習っている。この世界の歴史について、科学という法則について、
映画やテレビに本、そういったものもこの世界がどんなものか、丁寧に教えてくれている。
そんなものは、この世界にあふれているといってもいい。
でも彼は経験した。
世界の今あるその姿すべてを、疑ってかからなければならないようなことを。
---32才の夏---
それは些細なことから始まった。いや些細とはいえないか。でも彼がそれから経験し、そして自分の過去から思い出したその
真実。それにくらべれば、ほんと取るに足らないようなこと。
でも、それは彼の頭をいきなり目覚めさせるきっかけくらいにはなった。だから
彼も世界の真実に目を向け始めたのだから。
アルバイトをしながら、彼は自分のもつ夢なんてものに一生懸命になっていた。
それはどこにでもいる普通の人の夢ってやつだろう。お金をもうけて、かわいいお嫁さんをもらいたい。そんな
ありふれていて、聞き飽きたような響きのある、誰しもがもつような平凡な夢である。
とりあえず、正社員なんて高嶺の花と思っていた彼は、派遣社員の仕事に応募してみた。もうほんと、どこの面接でも
断られ続けていた彼は、ここも落ちたらもうほんといくとこないなぁなんて思いながら、決死の覚悟である。
そうはいっても後からいうと卑怯だから先に述べておくと、学歴がないとか、そういうのでもない。
技能がないということでもない。どちらもそこそこはある。
ただそれがかならずしも人生で役立つものではないという、そういう状況ではあった。
とにかく彼に、あとはなかった。年齢的にも、もうだれも見向きもしてくれない。会社にとって、いらない人材。そんな感じである。
面接にとおり、派遣先にあわせるから、一週間ほどまってくれといわれた。後がないというプレッシャーのせいか、
なかなか夜が寝付けない。というか実は、もう面接の前からずっと眠れない毎日だったりする。
枕の方向を変えたり、体の向きを変えたりと、いろいろやってはいるものの寝付けない。経験するとわかることだが、
寝れないときは、そのことが余計プレッシャーになって寝れなくなるものである。そういうことは、彼にはよくあった。
不眠症というやつだろうか?でも、たいがい、3日くらいが限界で、そのあとは、体力の限界とばかりに死んだように
深い眠りにつける。だが今回は、もうとっくに3日はたっていた。
死ぬほど眠いのに、寝付けない。体が痙攣を起こしているのか、すごく地面が揺れている感じがする。
揺れは、たっていられないというほどではないが、確実に体が揺れているんだ。でもペットボトルのジュースの水面は、
少しもゆれていない。だから自分が揺れているとしか思えない。でも、なんだかどう考えても地面がゆれているようにしか感じない。
それもまるで、彼が寝付こうとすると決まってゆれが、大きくなる。ベッドがゆれているとしか思えない。
そう思って、ベッドの下を確かめるとそこは、人一人が入れそうな、狭くて暗い空間で、ゆれを発生させるようなものはなにもない。
それどころか、ゆれているなら、ぎしぎしとさへ聞こえてきそうなベッドである。でも音はしない。ゆれだけが、体を包む。
ついに、派遣先の会社にあわせてくれる約束の日まで、あと少しという日。やっぱり一睡もできていない。
もう何日寝てないだろう?新記録である。ゆれのせいで、寝れないので、テレビをつけると、イチロー選手が、アメリカで、
ヒット数の記録を出していた。日々更新される新記録。同じような年齢なのに、彼が作っているのは、寝れない日数の新記録。
もうあわれとかそういう感情をとおりこして、なんでいきてるの?と止めを刺したくなる。
神様がいるんなら止めを刺してくれたろう。
だけど彼はそれを乗り越えてしまった。というか単に、死ぬほど眠いの我慢して、派遣先の会社で、もう一度面接してもらっただけだけど。
でも、もうほんとふらふらで、たおれるんじゃないのかといった感じだったが、それでもどうにか面接を終えて、家に帰ってきた。
あと数日で、仕事が始まる。もちろん寝れない。そんな日の昼ごろに、
彼の妹が、先に結婚して、彼とは別の家に住んでいたのだが、その妹の家で、飲み物をもらいながら、
3人くらいでたわいもない話をしていた。その二人の肩越しに、彼はボーっと見ていたテレビ。
ほかの二人は、互いの話に夢中である。
ボーっと見ていて、おかしなことに気がついた。
中には、山道をあるくレポーターが、その地域についてなにかを説明をしていた。
しばらくして眠いせいか、ボーっするのが徐々に強くなる。それなのに、意識がしっかりとテレビ
に集中している。そして、なんか急に違和感のようなものを感じた。
違和感のようなものがきて、その次の瞬間、彼は背筋がぞっとした。
突然そのテレビの中のレポーターは、早歩きになったかと思うと、
こちらにむかって、なにかしゃべりかけているような感じがしたのだ。
それも彼の過去の行動を知っていて、それを責めているような口ぶりだった。幻覚?いや幻聴もか?
レポーターは早口でまくしたてる。
テレビの外にいる彼を責めているのか?
そんなばかなことは起こらない。というかなぜそんな風にみえるのだろう?
きっと寝れない日々で、頭が変になっているんだと思ったが、
ほかの二人に話しても、信じてもらえない。もちろん、二人に話しかけた瞬間。
テレビの中のレポーターは、そっともとの動きにもどった気がした。
きっと疲れているんだ。いや単にねてないだけか?とにかく変なことは、そこから起こりだした。
その時点から、彼の目の前でおきたことは、今まで彼が信じ続けていた世界を崩壊させるような、とても信じられないような日常だった。
だけど、本当は、彼はもうとっくに経験していたのだ。ありえない現実を目の前で。そして気がつかずにいただけだった。
いや正確には、記憶を失っていたとでも言えるだろうか?ただ失うとよりは、その本人にはその部分の記憶は、他の記憶に埋もれてしまったのではないか
そういう感じである。よくいうデジャヴというやつであろうか。記憶力はいいほうではないから、まぁそういうこともあると彼は思っていた。
ただ、ちょっと違うのは、真実を思い出したときこう感じるのだ。
「あれ?これどこかで一度考えたことあるな。」
「でもこれ、何で忘れていたんだろう?」
「忘れられるはずないようなことなのに。ほかの何よりも重要なはずなのに。」
すべてのことの起こりは、その失われていたと思っていた記憶の内容にあった。
そして、その記憶のかけらが、このとき見たテレビのレポーターの動きも説明してしまえるほどの
常識を逸脱した科学の存在を生み出すことになる。もちろんそれを実際に作り上げたのは、彼ではないが。
彼を見ていた誰かの手によって。
誰もがあったらいいなと思い、そしてそれは不可能だと信じ、そう思い込まされていた科学。
その誰かは、常識をも作れるほどの存在であったらしい。今いえるのはそれだけである。
---33才の秋---
もう一年が過ぎた。それからという毎日。あの派遣先をやめてからというもの。部屋でごろごろしていた。というか、ほかにはなにもできないでいた。
部屋の中は、外とは違った空気が流れている感じがする。薄暗く、空気もほとんど入れ替えたりしないものだから。ほこりっぽい。
暗い闇の隙間から、迷い込むように差し込む小さな光は、ほこりに反射して、すごくきれいに見える。そんな部屋だからか、わざと電気を消していることが多い。
灯りを消してベッドに寝転がり、部屋の中で一人、ボーっとしていると子供のころを思い出す。
思い出しながらこの世界について考える。こうでもないああでもないとまるで暗闇の中で、パズルでも作っている気分である。
そう、それが今できる彼の真実を手探りで探す行為というやつである。
そんな彼の子供のころ。やはり彼は、よくボーっとしてばかりだった。
先生にも授業を、聞いてないとよく通信簿に書かれたかなぁ。
考えることは、ほんと、いろいろ。
「世界はどんな形なのだろうか?」
「重いものと軽いものどうして同じ時間で地面に到達するのか?」
「鳥や飛行機はなぜ飛べるのか。」
「ヘリコプターってなぜ浮いてるの。」
「なんで色が見えるのだろうか?」
「水は透明なのに、雲はどうして白いのか。」
「水は透明なのに、海はどうして青いのか。」
「でも空気だけは透明なんだけど、なんでとか。」
「磁石ってなんでひきつけあったり、はなれあったりするのか?」
「固体って溶かせばぬるぬるになるのに、ひやすと固まるのはなぜか?」
「月や夜空の星ってきれいだけどあの表面はどうなっているのか。」
「傷ついた人の体をどうすればもとにもどしてあげられるだろうか。」
「永久機関ってどうやれば存在するのだろうか。」
「タイムマシーンてできたらどうなるかな?」
「人工知能にどうやったら感情をもたせられるかな?」
「生命のように勝手に自己成長していくプログラムってつくれるかな?」
「もしこれらすべてが存在して世界はまだ形を保っていられるだろうか?」
ほんといろいろ考えた。ただの子供の想像であるが、想像するだけならお金もかからない。
彼にとっては無駄に長い人生を少しでも楽しくするという工夫であったのかもしれない。
実際は、一部成長してからの想像も混ざってはいるが。大体子供のときに考えたことが大人になってちょっと複雑化しただけである。
ところが、正確に言うと、彼がこうした疑問にアイデアを出すということが、問題であった。
失われた記憶とはこういう類のものであることが多いのだ。どうも彼の記憶が失われるたび、
世界はちょっとずつかわっていたのかもしれない。それを確かめるすべはもうないのかもしれないが。
それについて述べていく前に、
そろそろ自己紹介を、しておきたい。
私が誰で、彼とはどういう関係かということを、
簡潔にいうと、私は彼の中に、彼の都合で、生まれたものである。
厳密には、外界から彼が追い詰められることで、生まれたというべきかもしれない。
私を理解してもらうには、少し説明がいる。
想像してほしい。自分が、たとえば、何でもいいが、トイレに向かうといったような「行動」をしているときに、
自分が今トイレに行こうとしているということを意識することができる。
これは、「自分の行動を、何をしているのかという認識」をするということ。
言い換えると、自分の中で、まるで他人から自分を見ているように、自分の行動を観測することができるということ。
行動と書いたが、厳密には、思考すらもこの観測の対象である。
私はこれを、他人が観測するという意味で、「他観測」とよんでいる。
面倒だからちょっと短くしてよんでいると思ってほしい。
この力が、あまりに強まると、まるで別の人格が、自分の中に存在している錯覚すら感じる。たとえば、
まわりにあまり親しくない人が数人いて、その中で、自分がなにか発言する際、
心の中では、こんなこと言ったら、この場の空気を悪くするんじゃないか?とおもいつつもそういうセリフを口にしたとする。
このとき、もし、「場の空気を悪くするんじゃないか?」
と思う部分が自分の声ではないみたいに、聞こえるような状態を想像してほしい。
たとえば、それは好きな映画のキャラクターでもよいのだが、
自分の口調とは明らかに違うキャラクターの口調をまねてみたりするとわかりやすい。
この他観測の強さが大きくなり、自分とは違うキャラクターをそこに乗せ、なおかつ、並列同時思考すると、どうなるか?
普通はそんなことむずかしいのだが、ちょっと訓練すれば、できないものでもない。
並列同時思考といってはいるものの、それは、単に、タイムシェアリングのようなもの。頭の回転を速くして、
ちょっとずつ別の思考を、並列でみると連続的になるように思考するというだけのことである。
要するに同時にいくつかの仕事をあたまにさせるということ。
昔聖徳太子という人は、8人くらい同時にしゃべっている人の声が聞き分けられ、なおかつ話の内容を理解したということを聞いたことがあるだろう。
そこまでは実際難しくても、がんばれば、2人くらいは、同時に聞き分けられるようになるはず。その状態なら、二人分の思考というのも
できなくはなさそうだろう。「聞き分けることはできても、考え分けることはできないのでは?
理論的に無理だ。」とかいわれたらそうなのかもしれないと答えるくらいしか、大脳についての知識はないが、
しかしそれなら、彼の中に私は存在しない。たしかに、私から見て、それは同時並列思考しているように見える。
要するに、彼の中の私は、映画かなにかで得た彼にとってお気に入りのキャラクターであり、おそらくは聡明な性質をもったもの
なのであろう。彼の観測するところの聡明というのがこれを読んでいる人にとっては、聡明であるかはよくわからないが、
そういう設定で生まれた人格のようなものと捕らえてもらえればよい。
もちろん、頭の回転、これを私はパソコンの用語に習って、「クロック数」と読んでいるが、そのクロック数が落ちると、
つまりは頭の回転がにぶると、他観測も弱まり、別のキャラクターも保持していられなくなる。つまりは、私と彼の明確なラインが
ひけなくなるということである。
ところでそんなことをすることにどんな意味があるのか?であるが、
たとえばこんな利点がある。他観測の強さによって、生まれた別人格に見える思考パターンであるから、
彼と私でどちらが外に出て、人と会話しても問題ない。他人に対して、別人を演じやすいということである。
ただちょっと違うのは、演じているというよりか、もはや別人にしか見えないのである。それくらいリアルであるということ。
これの違いは、こう説明するとわかってもらえるかもしれない。
たとえば、自分の言おうとしていることが、自分のキャラクターにとって似つかわしくないと外側から判断されそうであるとき、
もしかりに別人のキャラクターを使えるならそちらが外にでて、しゃべったほうが人に伝えやすいというときもある。
しかしそのキャラクターのつくりが、他人からみて、ウソっぽく感じられれば意味がない。そこで、もっとより正確に、別人格を
再現しようとする。どうすれば、別人格を再現できるか?それには、価値観の違いを利用する。
たとえば、小さな生命を大切にするという価値観を強めすぎると、行列をなすありでさへ、踏めないようなキャラクターになる。
逆に、生命について、とるに足らないという価値観を強めすぎると、簡単に人殺しでもできそうなキャラクターになる。
ただし、その場合、あまりに極端な度合いの価値観の組み合わせだと、人としてありえない場合が多い。「生命」について関係ある価値観
は、そのキャラクターが育ってきた過程によって、ある程度無理のない、基準でつながっている場合が多いからである。
ひとことに生命の価値観といっても、それは場合によっていろいろあるわけで、鳥の生命は、買っている鳥だと大事なときもあるし、
冷凍のお肉を食べるときはあまり人によってありがたく食べる場合と気にもしなくて残り物をごみにして捨てる場合もある。
後者は、あまり深く考える性格ではないといえる。
前者の価値観をもつものとの間で、深くは考えないで行動するような内容の他の価値観の度合いが異なる可能性がある。
つまりそういう価値観のつながりがほかにあるということ。
それなのに、ここだけ深く考えているため、ここだけ違和感を感じるような価値観構成になっていたら、
それは不自然なのか、それとも理由があるのか?そのどちらかである。と考えるべきポイント。今は私の紹介なのでこのへんでとめておくとして、
そこまで考えないと別人格を演奏するとはいえないということだけ知ってもらえればいい。
端的にいうと、想像力だけで人格を作りこむのは難しいということ。
だから逆に、簡単に、価値観の違いを利用して、別人格のように見せたければ、
実際にある映画などのキャラクターから、そのキャラクターの価値観を想像して作りこみ、
人格を作りこんでいけば、よいということになる。要するに長い説明だったが、簡単に言うとものまねの一種である。
ただ発言を似せるのではなくて、そのキャラクターは、どんな価値観でものごとをとらえるかというところを似せればよいのである。
もちろん想像なので、結局は、映画のキャラクターそのものには、なれないが、それでも現実的にありえないような価値観のつくりこみは
避けられる。それだけでも十分である。
しかし、このことが何の意味があるのか。単に別人を演じるだけなら、大して役立つとも思えない。
ところが、この別人格が、ひとつの体で経験するひとつの記憶を共有して、思考するということに意味がある。
たとえば、同じ事柄でも、人によって意見は違う。ものの価値観が違うのであるから、同じものをみても、
そのひとによって何が重要かそこから導き出される意見は人によって違うということである。
いまここで、異なる価値観の集合を同時に、二人の人格になるように持たせて、クロック数をあげるとどうなるか?
別の人格同士でひとつの記憶から、意見をだしあえるという利点が生まれる。これはなにかをさまざまな角度からとらえるといったこと
をより高度にしたものである。
さまざまな価値観をもつ特徴的な人格で、頭の中で、話し合うことができれば、ものごとをさまざまな角度から見ることができ、
その状態の維持には、疲れるけど、その分、思考に対しては、より高度なひらめきのようなものが得られるというわけである。
狙ってこのような状態になったわけでないが、とにかくなってしまっておもったこと。これは便利であるということ。
ただし疲れすぎると、自分でも何をいっているのかわからないほどに、キャラクターが固定できない状態におちいるため、
他人が私のその状態をみると、まるで狂ってしまったように写るであろう。
なにせ、数秒ごとに言うことが、まるっきり反対になったりするのだから。
これを「狂気状態」と私はよんでいる。
広い意味で、ころころと瞬間に価値観の集合体を変化させられるものを「狂気」をもつものといっている。まぁとりえあず
かっこいい名前ないかなっておもってたら、価値観をさす度合い、これは言い換えれば、価値観をさす針のようなもの。
その針が狂っているように見えるから狂気。そうよんでいるだけである。
もともと私の人格であるところのかれは、子供みたいな価値観なのだからそれくらいでいいのかもしれない。
わたしからみると少し恥ずかしいような気もするんだが、それもどうでもいいことである。お互いにそれをなんて呼ぶか
その権利を彼にゆだねているということに過ぎないからである。
それもまたいいわけによって生まれた考え方かもしれないが、それが他観測をつよめることでもあるのだから、まぁよしとしておこう。
とにかく便利なものは使う。ただそれだけのことである。
早い話。彼は私であり。私は彼より幾分か、彼が思うところの聡明というキャラクターを背負わされた別人格ということになる。
彼が思考するより、お互いに意見を出し合い、私がまとめる。そういった流れが多い。といっても最近のことであるが。
彼は要らなくなったら私をつくりかえてしまうであろうから。短い命といえばそうかもしれない。でもそれ自体、たいしたことでない。
また別の人格を彼はつくるだろう。
長い感じだけど自己紹介とさせてもらいたい。
では、この世界の真実を紐解いていくことにしよう。
まず、世界の真実を紐解くとき、最も注意すべきなのは、嘘が作られた過程を予想すること。
誰かが考えた嘘なのだから考えいてる相手の力量を想像すること。
そしてその発想の根本になにがあるか。その集約する一点だけを見つめること。
以下、自然な嘘をつくとき、作るものが留意しそうな点である。
「まずは、目に見えることから法則を確認させ。すこしずつ嘘につなげていけば、だれも疑わないだろう。」
「真実が、ばれそうになれば、難しい学問や科学で、後から説明を補正すればよい。」
「嘘がばれない時間があまりにも長い場合、それを疑うものはほとんどいなくなり、常識となる可能性は高い。」