色彩の称号=寂れた蒼の聡明なる海
色彩の称号=寂れた蒼の聡明なる海
彼女が死んでからはしばらくの事、リビングで俺は過ごしていた。
ピアノも弾く気は起きずにもてあまし、この時期は何をするにも本来は気分が華やぐつもりだった。
そろそろ結婚式も近く、季節も悪くは無い。だが、心の中は元から清々しいわけでは無かった。
伯母に決められたこの話が悪いわけでは無い。すぐに条件を考えてしまう質だが、それも良かった。会社的にもそうだ。
「バドル?まだリビングにいるの?」
海岸の一望できる真っ白の広いリビングまで来た彼女は、その空間を見回した。
白の壁とフローリングにある物は、すでに黒いグランドピアノのみだ。西側の壁はガラスで出来上がり、水灰色をした曇り空の為に光は差し込まず、かろうじて北側の正方形の填め殺し窓から差しているのみだ。
「そろそろ準備を手伝って欲しいのよ。早く売り払ってしまって」
「このピアノを搬送する業者がまだトラックが空かないと言っているんだ」
「あなたのそんな子供騙しの嘘はいいの。また新しい物を買ってあげるわよ」
「いいよ」
彼女は狭い肩をすくめて身を返し歩いて行った。
ただ部屋から離れたくないだけでしょ、と、その去って行った横顔は言っていた。
今日のディナー準備は最後のこの家のダイニングルームの役収めだと彼女の母親は念を押してきた。
死んだ彼女の事をいつまでも言いつづけるわけじゃ無い。今は想っていたいだけだ。まるでもみ消すようにさっさと話を結婚で埋めようとしている様にも思える。
それはそうだろうが、多少は感傷に浸りたいのかもしれない。俺自身、まだ収集ついたわけでも無かった。
「リーザリー」
「何か?」
リビングから身を乗り出し、彼女は廊下の突き当たりのダイニングで食器の数々を並べている作業から振り返った。
「明日には出て行こう」
彼女はしばらくしてから微笑み、「そうね」と言って皿をテーブルに置き他の皿を出すと、その姿を見ている俺の所へと歩いて来た。
「あたしはあなたの事を認めるわ。だから、下手に思い出だけに生きてもらいたくは無いけれど否定もしはしないわ。彼女はもういないからだなんて事は思わないでもらいたいの」
「分かってるよ。ありがとう」
俺は小さく微笑み、彼女の滑らかな頬を指で撫でてから共にダイニングへ入って行った。
「パパが今度MMと交す契約はきっとうまく行くだろうと言っていた」
「そうか。良かった」
「まだ安心出来ないわ。契約後、プロジェクトが進んだ後でもね。彼は相当条件が良くなければ動かせない。こちらは万全の体勢なんだけれど、あちらの出方はまだ情け無いけど読めないままだわ。だから慎重に期しているの」
俺はMMという男には会った事は無い。
噂だけでも、俺なら契約など結ばない。ビジネス的にも恐い存在だ。
まだ様子を誰もが窺っている巨大な力所から血を捧げるようにお試し契約だなんて甘い事も言ってはいられない。そんな内から彼女の父親は早くもグループ内の一企業の契約へと踏み切った。相手には革新的に切り込むべきだが、早すぎる。
5年前から大型買収を行っていたその一企業は、10年プロジェクトの後半に入ろうとしていた。その権利をいきなり責任者が下ろされ、MMに譲渡したのだ。
その計画の内容はまだ身内に入ってはいない俺には分からなかった。そこまでMMは信用出来るのかも分からない。
まさか今まで任せてきた人間を除外することは無かったのだ。きっと、MMがそう要求を出したのだろう。全てをこちら側の人材を使うと。MMは全てに関し、自らの信頼する所でなければ嫌がる性分だ。
その一企業というのが、俺とマリンの勤める会社だった。
「話は変わるけれど、お墓には近々揃って行けるように車を出してもらうから」
「悪いな」
彼女は振り返ると頷いた。
「結婚前にどうしてもしておかなければならない事はあるものよ。あたし達家族全員でね。彼女へのせめてもの礼儀だわ」
街を見渡せる窓の外に広がる低層の白い街並みは、椰子の木々を深い色にしていた。
あまりにも現実は色味が無い。
映像の中の彼女はあまりにも美しかった。俺の人生の彩りだった彼女だ。
生きていたままの映像の美だった。
これ以上、あまり考えては駄目だ。




