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不屈

作者: CLIP
掲載日:2018/04/11

不屈

             


『男にだって負けたくない』

塔子はいつからかそんな事を頑なに思っていた。

22歳の塔子がそんな事を思うようになったのはたぶん、

子供の頃からの家庭環境に関係があるのだろう。

その事に関して、塔子は深く追求する事もしなかった。

ただ、ひたすらその事をいつも胸に思っていた。


「女は仕事などしなくてもいい」

そんな封建的な父親の考えで、塔子は短大を卒業した後

就職する事は許されなかった。

『花嫁修行』と称して、華道や茶道、料理教室などに通わされ

その他の時間は『家事手伝い』。

ただ、父親には秘密にしている習い事があった。

それは『少林寺拳法』だった

料理教室を『週3回』と偽り、ある道場へ週2回、塔子は通っていた。


自分より体力でも腕力でも有利な男性を相手に

塔子は必死になって、自分を鍛え、日々精進する事に夢中になっていた。

肉体や精神を鍛えれば、男だって相手に出来る、負かす事も出来る。

その事だけを目標に塔子は厳しい練習に励んでいるのだった。

成果はあった。塔子はめきめきと上達し、通っている道場でも

かなりの注目拳士になって行った。


いつものように練習を終えた塔子の所に、道場の責任者が声を掛けてきた。

「この夏の『本山夏季強化合宿』への参加希望を出すのだけれど

塔子、今年行ってみるか?」

道場主の山本がそう言って塔子の顔を見つめた。

(本山の合宿に…私が…)

噂には聞いた事はあったけれど、自分が参加出来るなんて思ってもいなかった。

全国に散らばる数々の道場から、道場代表と言われるほどの拳士達が集まり

M県にある『総本山』で合宿をする。

希望しても『まだ、その力では…』と断られる事も多いと聞く。

もちろんその練習は厳しいと言う事では有名で、

並大抵の体力、精神力ではこなす事が出来ないと言う事だった。

ただ、『総本山』と呼ばれるだけあって、そこで指導を受ける事は

拳士達の目標であり、夢でもあるのだった。

「知ってると思うが、かなり厳しい。練習はもちろん

男も女も同じ扱いだし、半端じゃない。」

まだ無理かとも思ったけれど、今までの塔子の様子を見ていたら…

山本はそんな風に話を続けた。

「春の大会の実績もあることだし、君なら、参加希望を出せば…」

塔子にはもう夢のような話だった。

『男も女も同じ扱い』その言葉も、塔子の心を占めていた。

それこそ私の望んでいる事…塔子は迷わず参加希望の意志を山本に伝えた。


塔子の『強化合宿』参加の希望は受理された。

期間は8月初めから2週間…。

少林寺拳法をやっている事を、父親に内緒にしている塔子は

その期間、なんと言って家を空けようか、その事を考えるのに必死だった。

幸い、母親はその事を理解している為、

二人で相談した上で『華道の先生のお供で高原の避暑地に行く』

と言う事で父親に納得させた。

もちろん華道の先生にも事情を話し父親宛てに手紙を書いて貰い、

準備は着々と整っていった。

8月のある日の朝早く塔子は、総本山のあるM県に向けて出発した。

道場主の山本や、兄弟子達が見送りに来てくれて、

皆それぞれ「頑張れよ」とか「負けるなよ」と激励して送り出してくれた。

参加経験のあるものはこれから塔子に起こる事を、身を持って知っているのだろう。


総本山のあるM県についた塔子は渡されていた地図を頼りに

まずは本山の麓にある『事務所』を訪ねた。

そこで『入山許可証』を貰わなくては本山に入る事は許されない。

「山本道場の池田塔子だね」

事務所の職員が、入山希望願と塔子を見比べて言った。

塔子が返事をすると、その職員は誓約書を出して来て内容を読んだ後、

そこに署名するように言った。いろいろな誓約がずらっと書き連ねてある。

塔子は一つ一つ丁寧に読み、最後の紙に署名して渡した。

「はい、確かに…」

職員は、そこで塔子の顔をじっと見つめ、しばらくの間沈黙した。

そして、何やら言いにくそうに口を開いた。

「入山するにあたり、支度をしてもらわないといけない。

この先の『たちばな』と言う店に行って来なさい」

行って、名前を言えば判るように連絡をしておくから、と職員に言われ、

党子は事務所を出て『たちばな』と言う店を探した。


数軒の店が並ぶひなびた商店街の中ほどにその店はあった。

薄汚れたような赤と青と白のサインポールが店の前で回っている。

すりガラスの扉には『たちばな理髪店』と書いてある。

(ここは…)

考えるまでもなく、床屋だった。

塔子は、深呼吸をし、そのドアを押し開けて店内に入った。

客はいなく、50歳過ぎと思われる白衣を着た店主が出てきた。

「池田塔子です」

そう言うと、店主の顔色が少し変わったような気がした。

「あ…連絡は貰っています。」

こちらへ…と店主に言われるままに、塔子は古ぼけたイスに座った。

「女の方は本当に久しぶりです」

入山する拳士達はココに来る事になっているらしい。

そして、これから塔子にする事を、繰り返しして来たのだろう。

「本当に…よく…決心しましたね…」

塔子の首に、白いカットクロスを巻き付けながら店主は言った。

(決心…って入山の事?何なの…?)

それでも、この店の前に立った時から、塔子はある程度覚悟はしていた。

父親の命令で、いつも長く伸ばしている髪を切らねばならぬ事を…

背中の下まで届きそうな髪を、塔子はポニーテールにしていた。

その髪を、店主が鏡越しにじっと見つめているのが塔子にも見えた。

「ほどきましょうか…?」

塔子は店主がじっと見つめているのに気が付いて言った。

「いや…そのままで…」

店主は大きく息を吸うと、更に言った。

「このままやりますから…」

髪を切る事は塔子にも判っていた。ただ、どう言う髪型にされるのか判らない、

道場でも何も聞かされてはいなかった。


店主がポニーテールにしている塔子の髪に触れた。

そして、結わいているゴムを、5センチほどずらした。

きっちりとひっつめてあった髪が、ゴムをずらされた事によって緩んだ。

「じゃあ、いきますから…」

店主はポケットからハサミを取り出すと塔子に声を掛けそして、

あろう事か、そのずらしたゴムの辺りにハサミを近づけていった。

「えっ…」

塔子は思わず驚きの声を上げてしまった。まさか…

「ジョキ、ジョキ…ジョキ…」

ハサミが塔子のたっぷり量の多い髪を切り始めた。

そう、結わいていた根元のところで…

切り口がガタガタになろうと、切った髪の長さが不揃いになろうと

まったく気にしない様子でとにかくざっくりと切っている。

「ジョキ、ジョキ…」

ハサミが髪を切る音だけが店内に響いていた。そして…

「パチン…」

塔子の頭から長い髪が切り離された。

ふっと頭が軽くなるを感じ、塔子の顔のまわりにバサバサと不揃いの髪が掛かった。

見ると、店主の手にはゴムで結わかれたままの髪の束が握られている。

それはゆうに50センチはあるだろう。

「うそ…」

髪を切られる音、感触、そしてさっきから感じている頭の軽さ

判っていても、数分前まで自分のものだった髪を見て塔子は改めて、

切られた事を実感したのだった。

「これでかつらでも作りますか…」

店主はその長い髪を鏡の前の棚、嫌でも塔子の目に付く所に置いた。


塔子は改めて鏡の中の自分を見つめた。

ポニーテールにしていた髪を根元から切られたため、

横の髪はあごくらいになり首の横から後ろの髪がわずかに見えていた。

それはかなり不揃いの長さになっていたが…。

もちろん見えないけれど、後頭部上あたり、ちょうど結わいていた辺りは

たぶん、数センチになってしまっているんじゃないか

そんな事を考えていた。

「女の人だから、融通してもいいんじゃないかと思うんだけどね…」

店主は言い訳をするように、ひとり言のように言った。

そして後ろの棚の方に歩いて行き、そこからバリカンを持って戻って来た。

店主の手に握られているバリカンを鏡越しに見た塔子は息を呑んだ。

(あれで…されてしまうの…)

「長さだって、長めにしておいてあげたいけど…男と同じにしてくれって

上から言われてるからねぇ…」

店主はバリカンの刃先を確認するような仕草をした。

今まで、何度も『男と同じ扱いをして下さい』と道場でも言い続けていた塔子だった。

それがこんな事になるなんて…

今更『女だから…』と言う事は死んでも言いたくない。

「いいんです…判ってますから…」

塔子はそう言うしかなかった。例えどんなに言いたくなくても…


「じゃあ、やるよ、いいね…」

店主は塔子が頷いたのを見ると、バリカンのスイッチを入れた。

ウィーン…音を立てて動き出したバリカンが塔子の目の前を通り、

額に向かって迫って来ていた。

店主がそっと塔子の前髪を持ち上げる、そこへバリカンが近づいて来る。

「ひっ…」

覚悟はしていても、やはり怖い…

塔子は知らぬうちに怯えたような声を出してしまった。

「ジジ…ジジ…」

額の真ん中に当てられたバリカンが前髪を刈りそのまま後ろへと進んで行く

「バサッ、バサッ…」

前髪、そしてトップの髪が地肌ぎりぎりの所から刈られはじめた。

目の前を雨のように落ちて来る髪を塔子は見ていた。

バリカンが後ろに進むにつれて、刈った髪は今度は顔の横を落ちていく。

カットクロスを滑り、膝の上に溜まっていく髪、そのまま床に落ちていく髪…

店主はつむじの方まで一直線に刈り終わると、またバリカンを額に戻した。

そして今刈ったばかりの所の横に滑り込む。

地肌がすっかり見え、青白く見える。残っている

真っ黒な髪との差が更に塔子にショックを与えていた。

バリカンが通った後には、1ミリにも満たない髪が残されているだけだった。

頭の上を、バリカンは何度も走り、やがてトップの髪がすべて刈られた。

もちろん、もう取り返しはつかない、このまますべての髪を刈り落とし

丸坊主にされる以外になかった。


今度は横…もみ上げの辺りからすくいあげるようにバリカンが入り

上にあがってくる。そして横の髪がまたバサバサと落ちていった。

こめかみのあたりも、耳の上も、トップと同じ青々と刈られてしまった。

耳の上、耳の後ろにもバリカンが入れられ、どんどん髪が刈られていた。

そして店主は後ろに回り込んだ。うなじの掛かっている髪を持ち上げると、

その根元にバリカンを入れる。

塔子はその感触に思わずビクン、と身体を固くした。

バリカンが後ろの髪を容赦なく刈り上げていく。

バサッ、バサッと髪がクロスを滑り床に落ちる音がする。

それは今まで誰にも見せた事にない地肌がどんどん露にされていく音…。

後頭部の上までバリカンが上がっていき、さっき刈ったトップと繋がる。

そしてまたその隣の髪も…残すは左側の髪だけになった。

(ここが終れば、丸坊主になってしまう…)

もうとっくに諦めているとは言え、塔子はしみじみと思っていた。

耳の後ろ、上、そして頬に掛かっている髪を残すだけになった。

店主はそのままスピードを緩める事なく、一気に刈り落とした。

塔子の最後の髪が落ちていった。


すっかり丸坊主になった頭に、店主は更に何度もバリカンが走らせ

刈り残しのないように、執拗なほど何度も何度も動かしている。

『ジジジ…ジジジ…』

電気かみそりが男の人の髭を剃るような感じだった。

ようやくバリカンのスイッチが切られ、辺りが急に静かになった。

下を向いていた塔子は、はっと顔を上げる。

そこには…青々とした丸坊主になってしまった自分がいた。

(こ、これが私…?)

目の前の鏡に映っているのは、間違いなく自分だけどでも信じられない、

そんな気持ちだった。


「はい、お疲れ様…」

店主がそう言いながらカットクロスを外した。

塔子はひじ掛けを強く握り締めていた手を離し、

首が、頭がぐらぐらするような不安定さを感じながら立ち上がった。

「ありがとうございました」

すっかり丸坊主になった頭を触りたい、と思いつつ触れないでいた。

店を出ようとした塔子に店主が声を掛ける。

「この髪で…どうしますか…?」

さっき切った時に『かつらでも』と言っていた、その事だった。


事務所で入山許可証を貰った塔子は本山への道を歩き出した。

負けない、絶対に負けられない…

その意志は、今までのそれよりも更に強くなっていた。

夏の日差しが、地肌に直接降り注ぎ、信じられないほど暑かった。



END

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