7.書庫番の決断
病室の中はルーンの家の倍はありそうな広さで、病室らしい質素な造りでありながらも、一級品と思しき家具が揃っていた。
その奥に、規則的に点滅する機械やら点滴やらと、たくさんの管で繋がれたフェルナンドが横たわっていた。
腕や頭には包帯が巻かれ、一目見るだけで事故の大きさが窺い知れる。
フェルナンドの顔は心なしか蒼白で、生きているのか死んでいるのかわからない静寂があった。
唯一、機械のピッ、ピッという高い音が、フェルナンドの心臓が動いていることを知らせてくれた。
会いたくてここまで来たものの、あまりの痛々しさにルーンが絶句していると、フェルナンドの閉じていた瞼がすっと開いた。
『ルーン』
口がかすかに動いて、そう呼ばれた気がした。
「殿下!」
悲鳴のような声が出て、思わず口を手で覆う。
もうそこからは何も言えず、ただ赤ん坊のように泣きじゃくるしかなかった。
その日は結局、何も言えず、ただ泣いただけで終わった。
十時間に及ぶ大手術の末に助かったフェルナンドの体力を考慮し、医師から帰るように言われてしまったからだ。
それも当たり前だ、とルーンは思う。
ただフェルナンドが心配で、会いたいという思いだけで病室に突撃してしまったのだ。
フェルナンドの体の負担など考えず、あまつさえ自分が大声で泣いただけなのだ。
本当に自分のエゴでしかない――。
反省するが、そんなルーンを、弱弱しく、しかしいつものように優しい表情で見つめてくれたフェルナンドのことを思い出すと、少し気持ちが落ち着く。
フェルナンドはいつでもルーンに優しかった。
告白したのは、確かにフェルナンドのエゴだったかもしれないが、それだけ切羽詰まっていたのだろうと今ならわかる。
フェルナンドの告白に困り切ったルーンを見て、ルーンが困らないように身を引いてくれた。
それに対してルーンはどうだったか。
自分が困ったからといって、フェルナンドのことを考えずに自分のことばかり考えていた。
沈黙を貫いて、ただ嵐が去るのを待っただけだ。
答えを出すのを嫌がって。考えることを放棄して。
ルーンがやらなければならないのは保身ではない。
『あんたの気持ちはあんたにしかわからないんだから』
猫のような友人の、キリっとしたまなざしを思い出して、思わず口元を緩める。
聞いたときは、アドバイスになってないじゃないか、と思ったけれど、それがルーンにとって最適なアドバイスだったのだ。
自分の気持ちは自分にしかわからない。
小説や恋愛指南本は、確かに有益な知識や教訓を与えてくれる。
しかし、これは他の誰とでもない、フェルナンドとルーンのことなのだ。
二人についての答えは、本に載っていないのは当たり前だったのだ。
答えはルーンの中にしかない。
もうその答えは出ている。
◇ ◇ ◇
あれから毎日、病室に見舞いに行ったせいで、リベルトはじめフェルナンドの側近やSPとは顔見知りになった。
今はもう、リベルトがいなくても、顔パスで病室に入れる。
フェルナンドも日ごとに元気になり、意識もはっきりした。まだ入院は必要なものの、何本も付いていた管は取れ、多少は起き上がれるようになった。
病院では暇らしく、ルーンが来ると喜んでくれる。
喜んで迎えてくれるものだから、ルーンも調子に乗って見舞いに行き、ベッド横の小さな丸椅子に腰かけて少し話して帰る、そんな生活を送っていた。
そんなある日。
「ねぇ、殿下」
ベッドの背もたれを少し起こして、もたれるフェルナンドに軽い調子で声をかける。
「うん?」
ルーンの心中を知ってか知らずか、フェルナンドは相変わらずのロイヤルスマイルを向けてくる。やはり何度見ても惚れ惚れする。
「あの、話があるんだけど、聞いてくれますか」
膝に置いた手をぎゅっと握る。
すでに手汗で滑りそうだ。
自分の気持ちを伝えるってこんなにも怖いことなんだ。
フェルナンドも自分の思いを告げたときは、同じ気持ちだったのだろうか。
違う。
今のルーンがフェルナンドと決定的に違うのは、相手の気持ちをすでに知っていることだ。
フェルナンドはルーンに拒絶されるかもしれないと思いながら、勇気を出して伝えてくれたのだ。
やはりフェルナンドはすごい。
「あの、いろいろ考えたんですが、やっぱり自分は普通の庶民で、というより本の虫で、あんまり人付き合いも得意じゃなくて、王族の殿下とは全然違う身分というか、本を読むしか取り柄がなくて、というか本を読むのが取り柄って言えるのかもわからないですけど、本当全然長所もなくて……」
だんだん言っていて、声が小さくなっていく。
「身分違いの恋とか、同性同士の恋愛とか、もういろいろ小説の世界はすごく魅力的だけども、現実で自分がそういう立場になると、そんなに綺麗事ばっかりじゃないっていうか、正直恋愛経験皆無な自分からすると、そんないきなりハードル高いよ無理だよって思うし、さらに言うと殿下みたいな王族でイケメンで能力も高くて、優しくてかっこいい人から告白されるなんて信じられないっていうか」
違う。自分が伝えたいのはそんなことじゃない。
結局自分が傷つかないように、保身の言葉を並べているだけじゃないか。
一旦言葉を切って、深呼吸する。
大事なのは、自分の気持ちに素直になること。そして、目の前のこの人としっかり向き合うこと。
前にいるフェルナンドの目を見る。いつ見ても、ルーンの目をちゃんと見返してくれる。
「僕も、あなたが好きです」
答えはいたってシンプル。
いろんなことをたくさん考えた結果、考えすぎてよくわからなくなってしまったルーンは、自分の胸に手を当てて答えを出した。
もしかしたら一度振ったルーンのことなど、もう好きじゃないかもしれない。
でも、こんな素敵な人から好きだと言われる自分に、少しは自信を持とう。
そして、自分勝手でわがままでも、自分の気持ちを相手に伝えたい。
想いを言葉にすると、やはり怖くて、膝がガクガクしそうで、目線をついと自分の膝に向けてしまった。
「……そう」
ようやく口を開いたフェルナンドは、肯定とも否定ともとれない返事をする。
ちら、とそちらを窺うと、
「よかった。僕もルーンのことが大好きなんだ」
ロイヤルスマイルでははない、ぱっと大輪の花が開いたかのような笑みがそこにはあった。
もう敵わないな、とルーンも笑った。
ありがとうございました。