2.書庫番と王子
かなり久しぶりの更新です。
あれから1週間。
3日と空けずに書庫に本を借りに来るフェルナンドが来ない。
仕事が多忙で来れないのかと考えたが、ミラの話ではそうでもないらしい。
数日前に来て、ミラに本の用意を頼んだのだそうだ。
図書館は、開架と書庫に分かれていて、開架図書は自由に手に取って読むことができる。これは、新書や流行りの小説などが主である。一方で、それ以外のもの、例えば専門性の高い学術書や絶版になっている本は閉架、という形で書庫に入っており、司書を通して出してもらう必要がある。
フェルナンドがいつも借りていく本は書庫のものが大半で、いつもであればルーンに本を頼む。ミラも首を傾げていたが、それにはショックを受けた。
通常であれば、カウンターにいる司書に頼むのが筋だ。しかし、どんな本であれ、フェルナンドが頼む相手はルーンだったし、仕事ぶりを評価されていると自負があった。それに、もしかしたらフェルナンドと最も仲が良いのも自分であると自惚れていたのかもしれない。
それなのに、ルーンに頼まない。
理由は明白だ。
きっとあの本だ。
やはり、あの文庫本はフェルナンドの手に渡ってしまい、それをフェルナンドは読んだのだ。
読まなくても、表紙を見ただけでなんとなく内容に想像がつく。しかも、直球な表現をした挿絵が多いから、中を見れば誰にでもすぐにわかるというものだ。
このシリーズは、耽美なシーンがあちらこちらにちりばめられ、挿絵が多いのもルーンの気に入っているところだが、それが完全に裏目に出た。
フェルナンドはきっと人の性癖や嗜好を蔑んだり馬鹿にしたりはしないだろう。
ただ、この件できっと距離を置かれてしまったのは明らかだった。
読書家のフェルナンドのことだから、これから会う機会もあるだろうが、きっと以前のような気やすい関係には戻らない。
次に会ったときのフェルナンドの反応を想像して、ルーンは気が重くなった。
何度目かもわからないため息を吐いたとき、書庫の扉がためらいがちに開いた。
「殿下……」
フェルナンドだった。
ルーンが目を見開くと、フェルナンドは苦しそうに眉を寄せて視線を逸らした。
もう駄目だ。完全に引かれている。
「ルーン」
フェルナンドは、目に力を入れて涙をぐっとこらえるルーンに向けて、手に持っていた袋の中身をそっと出す。
「これ、この前に借りた本と一緒にあったんだけど、ルーンのかな?」
差し出された文庫本を見つめて、何度か想像したこの問いの答えに詰まった。
何度も考えた。次にフェルナンドに会ったときには何と言おうかと。
ミラに押し付けられて偶然読んでいただけです、と言い訳しようかと悪魔が囁く。
あまりに予想通りなフェルナンドの反応に、想像以上に傷ついている自分がいる。フェルナンドの目が見れない。
以前はあんなにも、地位や立場を気にしなくていいと言ってくれたフェルナンドは近かったのに、今は果てしなく恐ろしい。
一方で、自分の好きな本を、作者が大事に書いてくれた本を、無碍に扱うのも貶めるのも嫌だった。本を裏切ることだけは、ルーンの矜持が許さない。
「そうです。その本は、僕のです」
意を決して肯定すると、わかりきっていたのだろうがフェルナンドが唾をのむのが感じられた。
「殿下はびっくりされたでしょうが、世の中にはこういった本があるんです。僕も最初は変に構えて読んでいなかったんですけど、この本、すごく良くて! それぞれの登場人物の心の動きというか、機微が細かく描写されていて、ストーリーもすごく引き込まれるんです。同性同士の恋愛に最初はびっくりするかもしれませんが、同性だろうが異性だろうが恋愛っていいなって思えるような本なんです。性別も地位も関係なく惹かれ合っちゃうものはしょうがないっていうか。むしろ、そういう偏見持ってるのってもったいないなって思えるような。確かに、世間ではあまり大っぴらに良いとは言いにくいジャンルですが、良い物は良いので……」
緊張のあまり饒舌になっていたことに気づき、言い訳がましくて語尾が小さくなっていく。
ちらとフェルナンドを見ると、目を丸くしてルーンを見ていた。
「す、すみません。誤って殿下の本に自分のが混じってしまったようで。不快な思いをされたかもしれませんが、自分にとっては大事な本なんです」
フェルナンドが差し出したままだった文庫本を受け取り、そっと胸に抱く。
思っていることは全部言ってしまったので、これで引かれて今後避けられてしまっても仕方がないと、かえって清々しい気分になった。後悔していないとは言えないが、見苦しい言い訳をしなくてよかった。
「いや、別に私はこれでルーンを軽蔑することもないし、そういった本が駄目だなんて思わないよ」
落ち着いた柔らかな声音に、ハッとしてフェルナンドをルーンが見ると、いつもどおりの穏やかな笑みでフェルナンドは微笑んだ。
「その本、読んだんだ。とても面白かったよ」
「え、読まれたんですか!? 最初から最後まで!?」
「うん。読んでいいのかわからなかったけど、気になって、つい。ストーリーがとても引き込まれた。それに、登場人物の設定もなかなか興味深かったし、心の描写がとても繊細に描かれていて感情移入してしまったよ」
思わぬ高評価に、ルーンは穴があくほどフェルナンドを見つめた。感動で涙目だ。
「もしかして、ルーンが私におすすめしてくれたのかと思ったのだけど、間違いだったみたいだね」
「偶然混ざってしまったみたいで。僕はてっきり、最近いらしてないのはこの本を読んで引いたからだと思ってました」
「来なかったのは、いろいろ考えることがあったからで」
珍しく歯切れの悪い言葉が出た。
「同性同士の恋愛に偏見はないつもりだったし、隣国の首相がパートナーは同性だって発表したときも、堂々と公の場に出て胸を張っているのは立派だって、勇気をもらった」
「勇気?」
違和感のある感想に、首を傾げたが、ルーンの問いは黙殺された。
「それで、ルーンは同性同士の恋愛って、どう思う?」
「僕も駄目だと思いません! たまたま好きになった相手が同性だった、っていうのは悪いことではないし、むしろ偏見をもつこと自体がおかしいと思います!」
ついこぶしに力が入ってしまう。こんなふうにBLの良さをフェルナンドと語れるなんて、不思議だ。
「別に、男同士で恋愛してもいいですよね」
新たにできた同好の士に向かって、ルーンは力強く頷いた。
「そしたら、ルーンは私と恋愛できる?」
「………………今なんと?」
「私と恋愛できるかって聞いたんだ。その小説に出てくる、花番の少年と王子のように」
君は花番ではなく書庫番だけど、と小さくフェルナンドは付け足した。
ありがとうございました。