1.書庫でのはじまり
若い頃の読書は雑食である、とはよく言ったものだ。
ルーンの読書遍歴は、雑食と呼ぶにふさわしい。
幼い頃はそれこそ児童書や小説を中心に読んでいたが、少し成長してからは心理学、歴史、占星術、鉱物図鑑、灌漑技術などなど……ありとあらゆるジャンルの本を読んだ。
そこに、実際に必要だとか自分の役に立つからだとか、そういった実利目的の不純な理由など存在しない。ただそこにあったのは、新しいことを知りたいという知識欲と、ただ本を読みたいという純粋な気持ちだけだった。
もっとも、ルーンの場合、24歳を迎えた今も、その読書欲は衰えることなく、貪欲に新たなジャンルを開拓しつつ読書に励んでいる。
そして、最近ルーンが開拓しはまっているジャンル。それがBLである。
唯一仲のいい同僚のミラから教えられ、それ以来はまって読んでいる。
知ってはいたものの、恋愛以前に人付き合いが苦手なルーンは、そもそも恋愛ものに興味はなく、しかも同性の恋愛ものということは食指が動かなかったのだ。
しかし、ミラが恍惚とした表情でその良さを熱弁するものだから、試しに読んでみようかと興味が湧いたのである。
最初は挑戦的な気持ちであったルーンも、読み進めていくうちにBLの良さと奥深さに引き込まれていった。
BLの良さは、その純粋さと背徳感にあるとルーンは思っている。
世界では、有名芸能人や王族が同性で結婚するなど、同性愛や同性婚に対する理解は広まっている。
この国でも、そういった偏見は比較的なくなっているものの、それは最近になって多くの人が声を上げ始めたからであって、一世代前に戻ると、依然として無理解や無知な発言を多々見かける。
そういったハードルがある中でも、誰かひとりを愛する、という行為に純粋な人間性を感じるのである。
ルーンとしては、人に愛される・人を愛するというだけで自分の力や経験の及ばぬ高尚なことであるが。
特にルーンがはまっているのが、『王室の秘密の花園〜薔薇の貴公子と花の番~』シリーズだ。
眉目秀麗の王子と、王宮のバラ園を管理している花番の少年の秘密の恋を描いた作品で、7巻まで来たところだ。
ついつい夜更かしをして読み耽ってしまう。
終いには、職場の配属先である地下階の担当が自分しかいないのをいいことに、勤務中まで読んでいるほどだ。
来週新刊が発売される予定で、ルーンは指折り数えている。
ここ数日は、来るべき新刊に備えて1巻から読み直しているところだ。
「ああ、実に面白い」
ルーンはうっとりと呟いて、パタリと表紙を閉じる。
その表紙には、金色の縁取りがされたタイトルとともに、ふたりの男が描かれている。
ひとりはこれぞ王子という金髪碧眼の男、もうひとりは少女かと見紛うほどの線の細い少年。
金髪の男は、口元に笑みを浮かべながら、戸惑い気味の少年の顎に指をかけている。そして、これでもかと薔薇が表紙全体に散りばめられており、パッと見ただけでもこの本の内容がわかる。
さすがに人前で読むにはまずかろうという表紙だが、カバーもかけずに読んでいる。
この本はストーリーもさることながら、挿絵に定評があるのだ。作品の世界観や登場人物のイメージを壊すことなく、緻密に描かれている。
これが耽美でぞくぞくするような魅力にあふれている。この表紙にカバーをかけるなぞ無粋であるとルーンは考えている。
そんなルーンの職場は、王宮に隣接した王立図書館。
この国では、百数十年ほど前に主権が君主たる王から国民へと移行した今も、王室は残っている。無血での革命で、「君臨すれども統治せず」が基本となっており、国民から愛される王室だ。
王室の人間は代々読書家が多く、この図書館には今までの王族が蒐集してきた世界に数少ない稀覯本も多く揃っている。
当代の王室も、王をはじめ、王妃、4人の王子と1人の王女、その子供に至るまで、皆読書家である。
一般の国民も利用するこの王立図書館に、たびたび王族の皆様方がやってくるのも、王室が国民から愛されている理由だろう。
ここで働けることは夢のようだと、ルーンは思っている。
幼いころから異常なほどの本の虫で、一度読んだ本の内容は忘れない。世界中の本が集まるこの王立図書館は、ルーンの天職である。
もちろんそれだけの規模の図書館なので、100人を超す人間が働いており、ルーンは地下5階にある書庫番を任されている。
このフロアには、あまり人気のないジャンルが揃えられており、要は体のいい左遷なのだが、人付き合いの苦手なルーンには願ったりかなったりだ。人が滅多に来ないのをいいことに、ルーンは好きな本を読みふけっているのだ。
「このままだと今日中に全て読み終わってしまうかもな。来週が待ち遠しい」
次が読みたいと思うのに、終わってしまうことへの寂しさもあるから不思議だ。
また表紙をめくり、続きを読み始めた。
しばらく時間が経った頃、
「ルーン、いる?」
ほとんど誰も来ない地下の書庫を訪ねる者がいた。
「わ!」
慌ててルーンは読んでいた本を、机の上に積んであった本と本の間に隠す。
「ん? どうしたの?」
声の主はルーンの慌てた様子にふわ、と微笑んだ。
その男は、この国の第四王子フェルナンド。
はしばみ色の瞳と柔らかな髪に、引き締まった八頭身の体。いくら運動しても筋肉のつかないもやしっ子のルーンとは大違いで、物語の中から出てきた王子様だと、いつ見てもルーンは思う。
穏やかな物腰と、勤勉で誠実な性格で国内の女性がこぞって憧れる存在だ。あと少しで30の結婚適齢期なのに、浮いた話のひとつもないことも拍車をかけている。
王位継承順で言えば5位にあたり、王太子である長兄にはすでに15歳になる、元気すぎるほどの子がいるので、ほぼ王位は受け継がないことが決まっている。
だからか、暇さえあれば、滅多に人の寄り付かないこの書庫に顔を出している。
「え、いや、本に没頭してて、殿下がいらしたことに気づかなくて」
「さすが。本当にルーンは本の虫だね。今は何の本を読んでいるの?」
さらりと言いにくいことを聞いてくる殿下に、ルーンは慌てて話題を変える方策を探す。
「司書の、ほら2階担当の。ミラが薦めてくれた小説で……というか、殿下こそどうしたんですか」
「あれ、今日来るって伝えてなかったかな。そろそろルーンにお願いしていた本が用意できたかなと思って来たんだけど」
そうだった、とルーンはハッとする。
フェルナンドは歴代王家の例に漏れず読書家で努力家としても知られ、よくこの王立図書館に足を運ぶ。
ルーンと出会ったのもこの図書館でだ。フェルナンドの探していた研究書が書庫にあり、しかもそれが登録漏れしていた。それをルーンが見つけたのがきっかけだった。
「あ、ああ、そうでしたね。殿下のお探しの本は……これですコレ。重いですけどどうぞ!」
ルーンは慌てて、机の上に用意していた分厚い研究書数冊をフェルナンドに押し付けた。
「ありがとう。いつもすぐ用意してくれて助かるよ」
年頃の女性が皆喜ぶロイヤルスマイルを惜しげもなくルーンに見せる。ルーンは同性なので嬉しくもないが、見惚れてしまいそうな笑みだ。
それが、こんな図書館の地下に追いやられている冴えない、しかも友達が同僚の女性一人という男に親しげに話してくれるだけでありがたい話だ。
「これが仕事なんで。殿下こそ、こんを詰め過ぎないでくたさいね」
フェルナンドの笑みを見ると、ルーンの心もほころぶ。
「お気遣いありがとう。ルーンこそ本の読み過ぎで倒れないようにね」
茶目っ気たっぷりに言うフェルナンドに、ルーンの心もほころぶ。
フェルナンドの去った後の書庫は、太陽の光が差したかのように温かく、ルーンはふわふわする。
さて、続きを読むか、と手を伸ばすが虚しく空をつかむ。
「あれ」
ルーンの冷や汗が流れる。
机の上にあったものをひっくり返して探すが、無い。何度探しても、お目当の、ルーンのお気に入りの本が、無い。
「もしかして」
最悪の場合に思い当たって、ルーンの顔が蒼白になった。血の気が引くなんてものじゃない。
「!」
棚の角に当たるのもお構い無しで書庫を飛び出したが、すでにフェルナンドの姿はなかった。
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