第187話 夢か現(うつつ)か幻か
「ぐごおぉぉぉぉぉっ! ぐがあぁぁぁぁぁっ!」
「すぴー、すぴー」
「うう~~もうお酒は飲めませんですぅ~」
「う、う~ん・・・・・朝か」
大いびきや寝言が響き渡る旅館の一室で、イザベルは目を覚ました。
「今のは夢か? それにしては何とリアルな、まあ昨日の見学の影響か。私も聡のことをあまり言えぬな」
17歳の自分が、幕末の会津で戦うという夢、彼女は資料館や飯盛山での印象が強すぎて、中二な夢を
見たのだと結論づけた。
「ほら、皆もそろそろ目を覚ませ。もうすぐ朝食の時間だぞ」
「う~、、、、あと10分」
「ベルお姉さま、おはようございます」
「・・・・頭が、ガンガンするのですぅ、、、、」
イザベルは綾香たちを起こすと、朝食会場へと向かった。一流旅館だけあって、朝食もなかなか豪勢な
ものだ。
「八重殿や篠田殿たちにも、このような料理を味わってもらいたかったな・・・・・」
彼女は、夢の中で出会った人々の慎ましい生活を思い出す。
「おはようございます。夕べはよくお休みになられましたか」
「おかげさまで、ゆっくり体を休ませることができたぞ」
「晴美さん、おかげさまで頭が痛いのですぅ!」
川間始めアルファ社の面々も起きてきた。驚くべきことに、昨日あれだけ飲んだというのに誰1人として
二日酔いになることなく、ケロッとしているのだ。きっとDNAが一般の人間とは、異なっているのだろう。
「あらティワナちゃん二日酔いなの。それなら”迎え酒”が効くわよ」
「そーねー、旅館の人に頼もうか」
「か、かんべんしてくださいなのですぅ~」
恨みがましい目を向けるティワナに、しれっと迎え酒を勧める川間と綾香。そんな平和な光景をイザベルは
苦笑しながら眺めている。
「イザベル、昨日なんかあったの?」
「んっ、綾香よ私がどうかしたのか」
「いや、ずいぶんすっきりとした顔してるからさあ・・・・・」
「む、そうか、、、、まあ、久々に楽しい時間を過ごしたからかな」
イザベル自身も、佐野に裏切られてからこれまで自分の中に溜まっている澱のようなものが、すっかり
消え去っているのを自覚していた。おそらくは夢の中で出会った、あまりにも愚直な生き方を貫いた人々
の影響だろう。さすがに中二な義弟と同列に見られるのは嫌なので、そのあたりは黙ることにした。
「まあそれならいいけど、、、、ところで今日の予定は大内宿よね」
「うむ、朝食がすんだら駅に向かうとするか」
朝食を済ませた一行は、送迎用のマイクロバスで会津若松駅に到着した。ここから会津鉄道で大内宿に
向かう予定だ。駅前にはこの地らしく、大きな赤べこと白虎隊のブロンズ像と・・・・・・
「な、なななな、なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁっっ!」
「イザベル、何テンプレな叫び声上げてるのよ・・・・・」
しかし、彼女がそうなってしまうのも無理はない。彼女の指差す先には白虎隊の像の横に立つ、どーみても
ドラゴンに騎乗し剣を空に掲げる、竜騎士のブロンズ像があったのだ。
「これ、龍神と巫女の像じゃないの。これがどーかしたのイザベル」
「い、いや、、、、昨日はこんなものなかったではないか!」
そうしれっと口にする綾香に反論するイザベル、しかし周囲は”はあっ”という反応だ。
「イザベル、もうボケたの、昨日鶴ヶ城の資料館でも説明聞いたじゃない。ほら、当時の錦絵も展示して
あったでしょ」
「幕末の会津に突如現れた龍神の巫女伝説、、、、ロマンチックなお話しでしたわよ」
「白虎隊隊士との悲恋伝説も、、涙なくしては聞けなかったのですぅ」
「そ、そうなのか・・・・・」
イザベルの全身から冷や汗が流れる。そして綾香が像をしげしげと眺めて呟いた。
「でも、この像なんとなーくあんたとヴィドに似ているわねえ、、、、まさか幕末にも来ていたの?」
「は、ははは、私もさすがに150年は生きられないぞ・・・・・」
「ふーん、、、、まあそーよねえ、外国の義勇兵だった、という説もあるし」
とりあえずその場をごまかして、会津鉄道に乗車する一行、ティワナや川間とはここでお別れだ。
「お姉さまあぁぁぁぁっ! ティワナはまだお別れしたくありませんですぅ、、、、、」
「ははは、ティワナは相変わらず甘えん坊さんだな」
号泣しながら抱きつき別れを惜しむティワナと、それをなだめるイザベル、周囲に百合の花が咲き乱れた
ように見えたのは、きっと気のせいだ・・・・・
さて、到着した大内宿は江戸時代の宿場町が21世紀の現代までそのまんま、奇跡的に残った地だ。
明治になり開発から取り残されたことが、返って幸いした。現在では木曽の妻籠と並び江戸時代の姿を
伝える貴重な場所である。
そぞろ歩きを楽しんだ一行は現地の民宿にチェックインする。夕食後にイザベルは、宿に置いてある地元
の郷土史家が著した「郷土の歴史 会津」という本を手に取った。戊辰戦争にも結構なページが割かれて
おり、その中には”龍神と巫女”についての記述もあったのだ。
”巷間に伝わる龍神とその巫女の伝説、記録に残る容貌から、その正体は欧米からの義勇兵ではないか、
という説が現在では有力である。巫女が中世ヨーロッパ風の甲冑を着用していたことから、おそらくは当時
欧米でも消滅していた騎士に、憧れを抱いていたのではないだろうか”
”そんな彼らが会津にやってきた経緯は不明であるが、騎士道にも通じる武士道に共感し、会津藩に力
を貸したのではないかと思われる。砲台を破壊したり夜襲が得意だったところから、破壊工作、ゲリラ戦の
エキスパートであったようだ。特に巫女の剣術は相当なもので、あの土方とも五分に渡り合えたそうだ”
巫女についての記述は続く。
”当時の錦絵には、西洋のドラゴンに騎乗して戦う巫女の姿が描かれている。彼女たちは会津藩降伏の
前日、新政府軍の銃撃で命を落とすのだが、不思議なことに死体は見つからず、天に昇る二つの光球が
あったと伝えられている。これは筆者の推測だが、武士道に共感し戦い、遠い異国の地に果てた2人を
会津藩、新政府側ともに憐れみ、「龍神と巫女」の伝説に昇華させたのではないか、と考えている”
そして、巫女と白虎隊との関係について。
”現在まで様々な映画やTVドラマで描かれている、飯盛山で自刃した篠田儀三郎と巫女のロマンスに
ついてはっきりとした記録は残っていない。後世の創作ではないか、という説もある。しかし、巫女が隊士
に剣術の手ほどきをしたことは、唯一の生存者飯沼貞吉も証言しており、巫女と白虎隊が近しい関係で
あったことは明らかだ”
”それを踏まえ、筆者はやはり巫女と篠田との間に、淡い恋心は存在していたのではないか、と考えて、
いや、信じている。真実を追求する郷土史家としては失格かもしれないが、本来、青春を謳歌すべき年代
である彼女たちが、苛烈な戦場に身を置いてしまったという残酷な現実、そんな彼女たちにも多感な年頃
の若者らしい触れ合いがあったのだと、願ってやまないのだ。世の多くの者たちもそう考えているからこそ、
150年を経た現在も、「龍神と巫女」の伝説は人々の心をとらえて離さないのであろう”
本を読み終えたイザベルの頬には、一筋の涙が流れていた。彼女は確信したのだ。あれは夢ではない。
自分は確かに幕末の会津にいたのだと。そして、愚直なまでに己の信じる大義を貫いた、誇り高き武士
たちと出会ったのだと・・・・・
「容保殿、土方殿、斎藤殿、八重殿、竹子殿、、、、、」
彼女は、邂逅した武士たちの名を呟く。
「村田殿、板垣殿、、、、」
敵として出会った彼らも、また真の武士であった。そして
「篠田殿、、、、、」
淡い想いを通じ合わせた、大事な約束を交わした相手。
「彼らと出会ったのは、光の神の思し召しか」
イザベルは、自分が邂逅した武士たちに恥じない生き方をしよう、それが竜騎士として、彼らに報いる
唯一の道だ、あらためて心に誓いを立てるのであった。
明治10年9月24日 鹿児島
明治維新後、国内では各地で不平士族による反乱が相次いだ。そして、征韓論に敗れ鹿児島に戻った
西郷隆盛も、自ら創設した私学校の若者たちなどに押され、”政府に物申す”と挙兵した。これが日本
最後の内戦、西南戦争である。
しかし、熊本城攻略に失敗し田原坂でも敗北した西郷隆盛は、この日ついに鹿児島の城山にわずかな兵
とともに追い詰められた。
「まさか、百姓兵にここまで負けるとは・・・・」
兵の1人が、悔しそうに呟く。政府軍の主力は徴兵された農民だ。彼の士族の誇りが、農民に負けたことを
許せなかったのだろう。しかし、それを聞いた西郷は、
「いや、百姓兵は実に強か。これなら日本は、自らの力でこん国を守っことしきっじゃろう」
と、自分を追いつめた百姓兵の強さを、我が事のように喜んだという。
「ところで、おはんは会津で、龍神の巫女と立ちおうたんじゃろう。どげん女子やった」
「はい、真の武士、そう真の武士でした」
西郷はふと、近くにいた村田新八に声をかける。村田はその問いに、間髪入れずに答えた。
「そうか、真ん武士か、おいも会うてみたかったなあ・・・・・」
西郷がそう呟いた時、1発の流れ弾が彼の足を貫いた。
「先生!」
「西郷先生!」
駆け寄る側近たちを手で制した西郷は、傍らの別府晋介に声をかけた。
「晋どん、晋どん、もうここらでよか」
そして居住まいを正すと、遥か皇居の方角に向かって拝礼する。
「御免っ!」
巨星、墜つ-明治天皇はその死をいたく悲しみ、庶民たちは当時大接近した火星を、「あれは西郷星だ」
と口々に呼んだという。
「さて、これからどうしもんそか」
西郷の後を追った別府を見届け、1人がそんなことを皆に問いかけた。
「ふむ、、、、これからわしは、冥途の土産に敵の総大将の首ば、取りに行こうかと思っちょるんじゃが、
皆はどうすっかな」
それに村田は、まるで帰りにお茶菓子でも、といった風に気軽に答える。そう、あの時会津で会った巫女
のように・・・・・
「おお、それもまた一興ですな!」
「西郷先生や篠原たちに、よか土産話ができますたい」
周囲も村田の意見に笑みを浮かべて賛同する。こうして、日本最後の武士たちは、笑いながら硝煙の
彼方へと消えていった。
明治15年4月6日 岐阜
「しかるに、日本が真の一等国として世界に認められるには、広く朝野の人材を募り、民選議会を開設
させ、憲法を制定せねばなりません! 鹿鳴館の如きものは、欧米からは陰で猿真似と嘲笑されるだけ
であります! 真の近代国家にならずして、諸外国との不平等条約も改正されません。薩長のバカ共には
未だこのことが理解できないのです!」
そう手厳しく明治政府を批判するのは、西郷らと同様野に下った板垣退助だ。彼の演説に聴衆は感銘し、
喝采を送る。この時期日本国内では、薩長の藩閥政府に対する批判が高まり、憲法制定や議会の開設
を求める声が、日に日に大きいうねりとなっていった。これがいわゆる”自由民権運動”の始まりだ。
板垣も運動に身を投じ、全国を遊説して回っていたのである。そしてこの日、演説を終えた板垣に暴漢が
刃物を持って迫ってきた。
「天誅!」
左胸を刺された板垣は、暴漢に当身を喰らわすも地面に崩れ落ちてしまう。
「先生! しっかりしてください!」
「うう、、、、、」
薄れゆく意識の中、板垣の脳裏に浮かんだのは、圧倒的な兵力を前に悠然と歩を進める「龍神と巫女」の
姿だった。退かず、曲がらず、恐れず己の義を貫いた真の武士。板垣は最後の力を振り絞って叫んだ。
「こ、、、この板垣死すとも、自由は死せず!」
”板垣死すとも、自由は死せず”
この言葉は燎原の火のごとく日本国内に広がり、運動の闘士たちは、
「我に自由を与えよ! しからずんば死を与えよ!」
と叫びながら、政府への抗議を激化させていったという。運動に抗しきれなくなった政府は、ついに憲法
制定と民選議会の開設を決定した。この時から日本は、名実ともに近代国家への道を歩み始めたので
ある。
明治20年4月某日 京都
満開の桜、まさに春爛漫といった風景を目を細めて眺めるのは、明治維新後に新島襄と再婚し、同志社を
創立した八重であった。
「八重さん、あなたは本当に桜が好きですねえ」
「ええ襄さん、会津の桜も綺麗でしたから、、、、あと1か月ほどで満開でしょうかねえ」
この場には、大山巌、捨松夫妻も同席している。かつて死力を尽くして戦った者どうしが結婚し、お茶会を
開いているという光景に、八重も運命の不思議を感じていた。
「ははは、八重さんには会津では手ひどくやられましたからなあ、、、、でも今こうして、捨松と一緒にいら
れるのは、実は八重さんのお引き合わせかな、と思っとるんですよ」
「うふふ、お城にいる時は、この人と結婚するなんて夢にも思いませんでしたよ」
捨松も少し顔を赤らめながら、巌の手に触れる。まさにリア充爆発しろ的なおのろけぶりだ。
「でも、巫女さまにもこの桜、ぜひお見せしたかったのですけどねえ、、、、、」
「八重さん、巫女さまとはどのような方だったのですか」
襄の質問に、八重は答える。
「ええ、あの方こそ”真の武士”でした。剣術だけでなく、その精神、立ち居振る舞い全て・・・・」
「板垣さんも暴漢に刺された時、その巫女さんの姿を思い浮かべたと言っておったな。それで、気を持ち
直したと」
大山も、八重の言葉に付け加える。
「お二人が撃たれた時、死体はなかったのでしょう。何とも不思議な出来事ですね」
「ええ、二つの光が空に昇っていくのが見えました。きっと、お二人は本当に、人の世界とは別のところ
からいらしたのでしょうね・・・・」
「うーん、、、、彼女たちは、なぜ日本に現れたのでしょうか」
再びの襄の質問に、八重は少し考えてから答える。
「龍神さまと巫女さまは、混乱していたこの国に、進むべき道を照らすために降臨されたのだと、最近は
思うようになりましたよ」
「では、また日本に現れることがありますかねえ」
「ええ、この国が迷いを見せた時、再び降臨されるでしょう、いつかきっと、、、、」
そして八重は、満開の桜を眺めるのであった。天に還る光を見送っていた時のように、いつまでもいつま
でも・・・・・
幕末タイムスリップ編、今話で終了です。次回からは現代に戻ります。
なおこの物語はフィクションです。実際の会津若松駅前に竜騎士の像は
ありませんので、あしからず。