第175話 竜騎士の幕末会津ライフ
「さあさ、粗末な家で恐縮ですが、お上がりくださいませ」
「・・・・・・・・・」
八重に案内されたイザベルは、”本当に粗末だな”という言葉をかろうじて飲み込んだ。彼女が謙遜して
そう言ってることくらいは、皇女として察したからだ。
しかし、彼女がそう思ってしまうのも無理はない。これまで石造りの重厚な建築ばかりであったルーク皇国
から、木と紙とワラで出来た日本の街に来てしまったのだ。明治になり日本を旅行したイザベラ・バードと
同じ感想を抱いてしまったのである。
「ヴィドよ、この臭いは・・・・・」
「ああ、糞尿の臭いだな・・・・・」
この時代のトイレは、当然汲み取り式だ。家の中にもわずかに臭いが漂ってしまっている。
「イザベルよ、こう言っては悪いが皇国より200年は遅れているぞ」
「ああ、マナが無いというのは、こんな不便なことだとは思ってもみなかったな」
皇国ではその優れた魔導技術によりトイレは100%水洗、魔光石でろうそくなどに頼らずとも電球に匹敵
する明るさを夜でも得られるなど、現代地球の先進国と変わらぬ生活水準を誇っている。もし、21世紀の
日本人が幕末に行ったとしても、彼女らと同じ感想を漏らしてしまうことだろう。
「こんなものしかご用意できず、恐縮ですが・・・・・」
夕餉の席、八重の母佐久が言う通り、文字通り一汁一菜の質素な食事である。技術の遅れだけでなく、
戦時の影響による疲弊した街並みを見ていたイザベルとヴィドは、さすがに文句をつける気にはなれ
なかった。元々苦しいところに居候が2人も転がり込んできたのだ。衣食住の面倒をみてくれるだけ、
感謝しなければいけないところである。
「すまぬが、このハシの使い方を教えてはくれぬか」
「はい、これはこう持って・・・・・」
現代日本なら、箸の使えない外国人にはナイフやフォークがすぐ用意されるのだが、幕末の会津にそんな
ものがあるはずもない。イザベルとヴィドは悪戦苦闘しながら、何とか箸を使って食事をするのであった。
「ふむ、、、、しかし、このお椀や箸は木に塗料を塗っているのか。ムラもないし、見事な出来栄えだな」
「ええ、ウチは貧乏ですが、この器だけは自慢なのですよ」
現在では国の伝統工芸に指定されている会津漆器、すでにこの時代には会津藩の主要な産品として、
国内はもとより清やオランダにも輸出されていたそうだ。こうして、内心不安を抱えながらも山本家での
生活を始めたイザベルとヴィドであったが、住めば都とはよく言ったもので、2日目くらいには結構会津
での生活に馴染んでいた。
♪かーごめ、かーごめ、かーごのなーかのと~り~は~、、、、後ろの正面だあ~れ♪
山本家に面する通りから、子供たちの歌うわらべうたが聴こえてくる。その中にはイザベルの姿もあった。
彼女はすっかり近所の子と仲良くなっていたのである。
「それでは、もう日も暮れるでな。暗くならないうちに帰るがよいぞ」
「はーい」
「巫女さま、また明日も遊ぼうね」
山本家の中に戻ったイザベルは、ゴロリと横になると着物の裾をはだけさせ、うちわでパタパタとあおぎ
始めた。会津盆地の夏は蒸し暑い。エアコンどころか扇風機もない時代だ。涼をとるにはうちわか扇など
であおぐしか方法はない。
しかし、その光景を苦虫を噛み潰したような表情で見ている者がいた。
「巫女さま」
パタパタ
「巫女さま」
パタパタパタ
「みーこーさーまっ!」
「ひゃいっ!」
八重の大声に、イザベルは変な声を上げて跳ね起きた。
「な、なんだ八重殿、急にびっくりしたではないか」
「なんだではありませぬ巫女さま。そのように足を丸出しにして横になるなど、女子としてはしたない
とは思わぬのですか」
「さようでございますよ。肌を露わにするなど遊女のやることです」
女性は慎ましやかに、という風潮が一般的だったこの時代、イザベルのように着物をまくってうちわであおぐ
など、とんでもない下品な行為である。これは日本だけではない。欧米先進国も同様であった。
一般の女性が肌を露出するようになったのは、ウーマンリブが盛んになった1960年代、ミニスカートが登場
してから以降のことである。
「うう、、、、しかし、この地は蒸し暑くてな、冷却の魔導具もないし・・・・」
なおもブツブツ言うイザベルに、八重と佐久はあらためて向き直ると、必殺のフレーズを口にした。
「「巫女さま、ならぬことは、ならぬものです!」」
「真に申し訳ございません」
イザベルは、深々と頭を下げるしかなかった・・・・・・
「ほう、これが”鉄砲”という武器なのか」
「はい、この引き金を引くと銃口から弾が飛び出します」
翌日、イザベルとヴィドは八重から鉄砲の説明を受けていた。山本家には射撃練習場も設けられている
のだ。魔法の発達しているフェアリーアイズでは、火薬武器は存在していない。2人は異世界の武器に
興味津々なのであった。
”パンっ!”
乾いた銃声が鳴り響くと、20mほど離れた的に穴が開いた。八重の手ほどきを受けたヴィドが命中させた
のである。
「いや、これはすごい武器だな」
「ああ、これなら歴戦の騎士も、子供にさえやられてしまうぞ・・・・・」
実際、銃器類の発展が市民階級の台頭を促してきた側面もある。ヨーロッパでは銃によって、騎士階級
の力は大幅に削がれたのだ。
「巫女さま、こう構えて、引き金を引いてくださいね」
「うむ、わかった」
”パンっ!”
乾いた銃声が鳴り響くと、なぜか銃弾は後ろにいるヴィドの頭をかすめていった・・・・・・
「きゃあっ、! 巫女さま! なぜ弾が後ろに飛んでいくのですかっ!」
「イザベルっ! そなた我に何か恨みでもあるのかっ!」
「ぐうっ、、、、すまぬ、もう一度やってみるぞ」
再びイザベルが銃口を的に向ける。八重とヴィドは彼女から距離をとった。しかし、またもや銃弾は明後日
の方向に飛んでいき、更に跳弾で八重やヴィドの体をかすめていったのだ。2人は生きた心地もしなかった。
「イザベル! 貴様わざとやっているんじゃないだろうな!」
「おかしい、なぜ弾が前に飛ばぬのだ。こうなればもう一度・・・・・」
「巫女さま、もう鉄砲は禁止です!」
八重からダメ出しを喰らったイザベルは、その場でリアルorz姿勢となってしまった。
「なぜでしょう、、、巫女さまを見ていると頭の中に”ぱーぷー”という言葉が浮かんでしまうのですが」
「八重殿奇遇だな。我も同様であるぞ」
これが、日本で最初に”パープー”という言葉が使われた事例だと言われている。
・・・・・その後、”剣術なら自信がある”と言い張るイザベルを、八重は仕方なく会津藩校日新館の道場に
案内するのであった。
有名人まで話が進まなかった・・・・